2.『マリーさんの電話』
ある夜、携帯電話に着信がかかってきた。
時刻はもう深夜。そろそろ寝ようかと思っていたときのことだ。
非通知だった。あいつだ。
無視して寝ようかとも思ったが、彼女は電話に出るまでひたすらかけ続けてくるので、出るしかないと考え直した。
電話に出ると、いつもの声がした。
「もしもし、私マリーさん」
「メリーさんじゃないのかよ!」
「改名してみました」
「改名しちゃったのかよ!」
「だってずっと同じ名前を使い続けてると、飽きてこない?」
「飽きないよ! 名前って別にそういうものじゃないだろう」
「そうなの? 私、しょっちゅう名前変えてるよ?」
「マジで!?」
「ちなみに、以前はメルキオールって名乗ってたわ」
「妙に仰々しい名前だな」
「あれ、知らない? キリストの誕生を予知した三人の賢者のうちの一人よ」
「キリストって……」
「マタイによる福音書よ」
「お化けが聖書読んでんじゃねえよ!」
「さらにその前は、与作って名乗ってたわ」
「嘘だろ!?」
「人間って融通がきかないわね。名前くらい好きにしたらいいのよ」
「そう言う問題じゃないだろ。っていうか、改名ってそんな簡単にできるものなのか」
「いや、できないよ。やっぱり手続きとか面倒くさいし」
「手続きなんてあるのか」
「そうそう。人間界もお化け界もたいして変わらないのよ。どうせお化け界にいる奴らは元人間なんだから。だから、改名したっていうのも全部冗談」
「冗談でほっとしたよ。ん? まてよ。お化けって元人間なの?」
「そうよ? あなたホラー映画とか見ないの?」
「本物のお化けにホラー映画を見たかどうかを問われる日が来るなんて思ってもみなかったよ。じゃあ俺も、死んだらお化けになったりするのか?」
「あなたはどうかなあ。基本的にこの世に恨みとか妬みとか、負の感情を残してないとお化けにはならないし」
「そう言うものがない人間はどうなるんだ?」
「さあ? 成仏するんじゃない? 私はお化けになったから、そっちはよく分からないなあ」
「俺だっていろいろ恨んだりしてるぞ」
「そうなの? 電話で話す限り、すごく単純で思考も浅そうなんだけど」
「失礼な奴だな。しかし、メリーさんも恨みとか持ってるのか」
「たくさん持ってるわよぉ。私は執念深い女だから、絶対に忘れないの。もし活字にしたら、六法全書なみの本が出来上がるわ」
「いくらなんでも多すぎだろ!」
「全部話して聞かせてもいいのよ? むしろ聞いてほしいくらい」
「俺が嫌だよ! そんなもの聞かされ続けたら、それだけで死ねる自信があるわ! 呪いの方がましだよ」
「じゃあ、呪いをかけてあげる」
「嫌だよ!」
「わがままねえ。一体どっちがいいのよ」
「どっちも嫌だよ!」
「恨みに満ちた体験談と呪い、一体どっちを取るの!」
「どっちも取らねえって言ってるだろ! 浮気された奥さんが旦那に詰め寄るような口調をやめろ!」
「ちぇ~。ノリ悪いわね」
「俺もう眠たいんだよ。もう寝ようとしてたんだから」
「あら、そうなの? それならそうと早く言えばよかったのに。じゃあもう切るわね」
「やけに素直だな」
「また明日かけ直すわ」
「かけてくるのかよ!」
朝起きると、部屋の前に段ボール箱が置いてあった。
サイズは小さかったが、やけに重たい。
段ボールを開けると、ノートが隙間なく詰まっていた。
ノートの中は、細かい字で埋め尽くされている。
全部合わせれば六法全書くらいの文字数はあるだろう。
段ボールの中には、一通の手紙が入っていた。
“全部読んでね メリーより”
手紙にはそう書かれていた。
俺はノートをぱらぱらとめくりながら、メリーさんに思いを馳せた。
メリーさんは、人間界にどれだけの恨みを残してきたのだろう。
そして、こんなにたくさん書くなんて、どんだけ暇なんだ、と。