花精の詩
【曼珠沙華】
この世にありながら
天上に咲く華
燃え立つ焔の如く
鮮紅の花弁を開く
死者の魂を迎える篝火
極楽浄土までを迷わぬように
紅蓮の焔で冥道を照らす
【夕顔】
夕闇にまぎれて花開く
仄暗い庭先で 優婉に私を手招く
昼の眩しい太陽の光の下でなく
蒼白い太陰の光の下で
かすかに微光を放つ白い花は
螺旋に巻かれた その蕾を
闇の訪れとともに 綻ばせてゆく
さながらそれは
妓女の衣が はだけるにも似て
夜に彷徨う蛾蝶の如く
私はその妖しさに 溺れる……
【睡蓮】
泥中深く根を巡らせ
濁水をかき分け葉を伸ばす
すべての汚穢を抱き込んで
水面に清らかな華を咲かせる
極楽浄土より遣わされたその華は
穢土を生きる我等に語りかける
泥にまみれ
這いずり回って生きたとしても
気高くあれ
首を掲げ
心まで濁水に呑まれぬように
君よ 誇り高くあれ
一点の曇りもなく
堂々と花弁を開く
清浄の華
【藤波】
薄紫色の花房が
吹き抜ける風に
漣のように揺れる
あえやかな香気をふりまき
貴婦人の薄紗の衣を打ち振るように
たおやかに しなやかに
藤の花房が波となってうねる
【素馨】
その華の名は ジャスミン
低く張り出した枝に
白い華が開く
芳しい香りが 空気を和ませる
香りを移した清水を含めば
その身より ほのかに香る
やわらかく すべてを包む
その華の名は ジャスミン
魅惑の香り 素馨
【寒牡丹】
降り積もる雪の中
鮮やかに色を散らす
百花の王に相応しく
凛として美しく
たとえ誰の目に留まらずとも
誇り高く咲き続ける
そこに己のある事を
ただ己のみが知っている
ゆえに雪に首を垂れるなど
決して自身に許しはしない
それこそが
百花の王の自負
【重陽の節句】
まるで輝石のような光沢を放つ
それでいて柔らかな
瑞々しい花弁に置かれた朝露
芳香の移ったその露を集め
菊花の酒を醸そう
いついつまでも
貴方の隣にいられるように
共に長寿の酒を酌み交わし
重陽の菊を愛でる事が出来るように
貴方と私の杯に
菊花の酒を注ぎ
揺れる面に月を映し
ああ 共に飲み干そう
いついつまでも
二人の息吹の続くように
【泰山木】
濃い緑の葉の陰から覗く
白い花弁
初夏の穏やかな風に乗り
ふくよかな香りを届ける
その肉厚の花弁は
触れる指先を誘うように
恥じらいながら花開く
泰山木
死者の棲まうという山に咲く
魂を揺さ振るその香り
今は亡き者に捧げられた
安寧を約束する香華
【南天】
邪気を払うという
その赤い実は
白銀に輝く世界の中で
確かな存在感を示している
幾重にも連なる
赤の螺旋は
人にも 鳥にも
等しく幸いを
分け与える
ともに幸あれ と
【猫柳】
白い綿毛のようなその花は
生まれたばかりの
仔猫の毛皮
春先の優しい風に揺れる姿は
コロコロとじゃれ回る
悪戯な仔猫たちの 良く動く尾
思わず手を伸ばせば
指先を弄う柔らかな感触
【蒲公英】
地中深く深く 太く細く根を伸ばす
大地に張り付き 精一杯に葉を広げ
冬の太陽を一心に浴びる
踏まれても 踏まれても
なお力強く それさえも生命力に変えて
春に必ず花を咲かせる
土手一面に揺れる
鮮やかな黄色の絨毯
逸れは冬の間に蓄えた
温かな太陽のくれた色
【桜】
桜 さくら
その樹は 早坐
季節が巡り
冬が春に転ずる
山の神が野に下り
田の神へと変ずるとき
人々は踊りと音曲をもって
木々や草花は頭を垂れて
春の訪れを迎え入れる
神は桜の樹上に坐し
新しき季節を宣下するのだ
桜 さくら
最も早く 神の坐します宮
それが 桜
薄紅色の美しい華で己を飾り
神の到来を迎える樹
桜 さくら 早坐
【鉄線花】
その細く か弱く見える
しなやかに伸ばされた
鉄線花の蔓
どこにそれだけの力を秘めているのか
捕まえて 離さず
絡めとり 虜にする
自分の求めるものに 密やかに腕を伸ばし
誇らしげに花を開く
歓喜に打ち震え
艶やかに より一層艶やかに
私も 己の思うままに手を伸ばし
愛しい貴方を絡めとり
高貴なる紫色の花々で
美しく 麗しく飾ってみようか
【からすうり】
夕暮れに咲く花は
なぜいつも 人の心を騒がせるのだろう
細い細い 蜘蛛の糸のような
複雑に絡み合った白い花弁が
誰かを手招くように仄光る
繊細な花が静かに開く
赤く赤く熟れた からすうりの実が
夕暮れに吹く風に揺れている
鼻先をくすぐる芳香が
人と言わず 蟲と言わず
近寄るものを酔わせる
ああ きっと
あの花弁は
心を絡め取るための網なのだろう
【欝金香】
その花は楚々として風に揺れる
ただひたすらに空を目指し
天を仰いで開く花は
頬を染める乙女のような純真さで
見る者を虜にして離さない
人目に羞じる手弱女の如き儚さで
手に取る者を妖しく誘う
慎ましやかな面の下で
艶やかに笑んで
人々を誘惑する花
しなやかに人々を手招く花
※「欝金香」とはチューリップの和名です。
花言葉は「永遠の愛情」「愛の告白」「正直」「誘惑」です。
【桔梗】
濃い紫色をした
ふっくりとした蕾が
柔らかな秋の日差しに包まれて
静かに花を開こうとしている
指先で撫でれば
音を立てて弾けそうな蕾は
その奥に果たして
どのような夢を隠しているのか
星型をした五枚の花弁が
凛と咲き誇っている
鮮やかに息づく美しい星に
きらめく露が光っている
固く閉ざした蕾の奥に
かくも美しい夢を隠しているのだ
【無花果】
我は花弁のない花
我は花の姿を持たぬ花
人は我を見て 花と知らず
蝶も蜂も 我を花と思わず
無数の蕊を花托に抱き
色も香も持たぬ我は
果たして花であるのか
時が経ち 花托の中で熟した蕊が
ようやく我を慰める
我は花を持たぬ花
我は花を開く事無く実を成す花
我は面を隠す花
我は花ならぬ花
汝 その口唇で
我が花芯に触れよ
我は常世の花実
我の蕊を含めば
汝を甘美なる衣で包もう
我は面を隠す花が故に
汝の心の奥底に沈めた
隠されるべき秘密を暴く