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これは、容疑者の脳に埋め込まれたメモリーチップから得られた情報である。
保存状態は悪くなく、記憶も鮮明であるが、このメモリーチップ、その他、容疑者の体に人為的に施されたもののほとんどが、オシリス社のコピー製品で、そのデータは改竄の余地があり、法的証拠は一切無い。
また、容疑者は脳をハッキングされており、彼にこのチップを埋め込ませた人間の容姿は不鮮明で、彼が手術を行なった店の名前も、場所も、書き替えられている可能性が大きい。
しかし、それらの事象を考えれば、この事件の真の首謀者が、彼の言う『あの男』である可能性が高いというのが、電警の見解である。
容疑者の脳自体がハッキングされているので、『あの男』と表現されている人物が、男なのか、女なのか、それとも、ネットで作られた疑似人格なのかは、はっきりしいていない。
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端子の埋め込みをご希望ですか?
いやぁ、あれは、便利な機能です。
ネットと併用すれば、メモリーチップに情報を記録しておくこともできるし、メモリーチップの記憶をネットに流すの場合も、情報を劣化させることなく鮮明に送れます。そのままメモリーチップを読み取るのと同じかそれ以上。
忘れっぽくなった人には最適ですよ。
え、いやいや、お客さん方は、まだまだお若いです。
手術は簡単です。長くても一時間で終わります。少しチクッとするぐらいですね。
え、オシリス社の製品じゃないって?
いやぁ、だから素人は困りますねぇ。確かにこりゃコピーだが、そんなにモノは悪くないですよ。
それに、オシリス社の製品使ったら、足がつきますぜ。困るでしょう。足がついたら?でなきゃ、わざわざ、こんな店来ない。
さて、どうしますか?
そちらのお客さんが、お付けになるんですね。
…はい。分かりました。じゃ、お客さん、こちらの部屋に、あ、お連れさんは待っててくださいね。
え、一緒に?一時も離れたくないんですか?ははは、妬けるなぁ。
簡単な手術ですけど、感染症の事も考えると、できれば同席は避けて頂いた方が。……それにグロいですよ。肉と骨を切り分けて、脳に繋ぐんだから、お客さんも見られたくないでしょう?
はい、分かりました。同席はなしの方向で。
じゃあ、こちらのお客さんはこっちの部屋に。
……アンタ。あの男はやめといた方がいいよ。なんの目的で、アンタに端子をうめこもうとしてるのか分からないけどね。綺麗な顔してるけど、ろくでもない奴だよ。
今なら間に合う。イヤだったら、裏口から逃げれるぜ。どうする?
…逃げないんだね。信じてるのか?あの男を。あんまり関心しないなぁ。
まぁ、せいぜい気を付けるこったね。
猫の女神の声が頭に響く。
黙ってくれないかなあと俺はぼんやりと思った。
いつから、こんな遊びを覚えたのか知らない。
知らない?
いや、知ってる。
あの、男が俺に教えたんだ。
いや、その前から、あまり誉められるような事はしてなかったけど。
こんな、強烈な薬になんて手を出さなかったし、オートマタ《自動人形》を壊して遊んだりすることも無かった。
そりゃ、オートマタは生きてないけど。人間を殺すみたいに、真っ赤に血が吹き出るのにはまいった。
それに、あの男が言ったんだ。俺が好きなら、あいつを『殺せ』ってね。
薬ではっきりしない頭で、フラフラしながら、裸で踊ってる女型オートマタに近づいて、持っていたナイフ(古典的な殺し方だよなぁ)で、メチャクチャに刺した。
店にいた、他の客は、俺がオートマタに近づいた時、何か新しい余興が始まると思って、いやらしい顔をしながら待ってたけど、俺がいざオートマタに刃物を突き立てたとたん、皆叫び声をあげた。
あの男だけは綺麗な顔で、満足そうに笑ってたなぁ。
自分でも、イカレてると思うけど、俺はあの男が喜んでくれるなら、なんだってした。
最初に、あの男に会った時は、あまり、いい印象は無かった。
何故なら、俺の事を、彼は興味も持ってなさそうだし、どちらかと言えば、嫌われていると思っていたからだ。
それが、ふとした拍子に、好意の目、俺の姿を称賛している視線を向けられた時、俺の思考回路は混乱した。
理解できなかったんだ。
なんで、俺に急に優しくするのか。
さっきまでの冷たさってなんだったの?…ってね。
それでも、そうゆう関係に、すぐになったわけじゃなくて、俺にとっては、話や相談にのってくれる良い友達だった。
いつから、そうなったかって、徐々に歩みよったわけじゃなくて、友達の境界線を越えたのは、それはもう、あっとゆう間だった。
つまり、気が付いたら、カマ掘られたってわけだ。
これを強姦というのかどうかはわからない。
そんな、なまやさしいもんじゃなかった。俺、女じゃないし。首絞められたし、殺されるかと思った。
で、12区の裏道りにある、変な店つれていかれて、頭にメモリーチップを埋め込まれた。
俺はそれまで、母親の股から生まれたまんま。生身のままだったから、恐怖でいっぱいだった。恐いじゃないか。頭の中に異物入れるなんて。
あの男は、行為の時とは違って、優しい口調で、
「暫らく会えないだろうから、お前の記憶を共有したいんだ」
とか、言いながら、顔同様、綺麗な手で俺の頭を撫でた。
その手が、表情が、あまりにも優しくて、俺は一つの返事でそれを承諾した。
だが、この男は俺にメモリーチップを入れときながら、自分は生身のままだった。
俺のメモリーチップを読み取る時も、端末からしか見ていなかったし。
それに、あの男は、記憶を共有したいと言ったが、それは嘘だ。俺を辱めて卑しめたいだけだった。まぁ、薄々は感付いてたけど。
会った時、端末からメモリーチップの情報読み取って、普段、俺が他人に見せられないような、光景。それを一緒に見て楽しむわけ。ションベンの放物線から、もう、なにもかも。
俺は泣いた。
恥ずかしいというより、自分がみっともなくて、みすぼらしくって。
それで、やめてくれるような人間じゃない。
あの男は、嘲笑いながら俺の股間に手をのばした。
「女々しいな。いっそ女になっちゃえば?」
そう言いながら、モノを強く握ってきた。
俺はひぃひぃ言いながら泣きわめいて、自分が悪いわけじゃないのに、男に謝った。
それで、メモリーチップの次は、端子の埋め込みだ。
理由は、会うたびにメモリーチップを読み取るのが面倒になったからだと言う。
ネットに繋げば、それなりに情報は送れるが、やはり劣化してしまうし、不鮮明になる。
端子を埋め込んで、脳ミソとメモリーチップに繋げば、チップを直接、読み取るように、離れた端末からでも、鮮明に情報を見ることができる。
男は、これからは、ネットに接続して、俺の記憶を自分の端末に送れと命じてきた。
それで、また、12区の裏道り、胡散臭い店に連れてこられたってわけだ。
店主は黒い毛におおわれた猫の半獣で、まるで、エジプト神話の猫の女神のようだと俺は思った。そして、本当に胡散臭い店だと思った。
俺が手術用の白衣を着るのを、猫の女神は黙って見てた。
薬で頭がボーッとしていたが、猫の女神がナニを見ているのかはわかった。
「ひどいなぁ」
猫の女神がそう言ったのは、俺の体中に付けられた傷跡の事だった。
首から下、服に隠れて見ない部分の殆どに傷跡はあった。それは全部あの男に付けられた傷だった。
「人様の趣味にどうこう言える立場じゃないが、アンタ、相当な物好きだねぇ」
俺は笑った。自分でもイカレてると思う。ケツ差し出すだけじゃなくて、傷つけられるのが嬉しいのだ。
もっとひどい目にあいたかったし、もっと軽蔑して欲しかった。
世界を睥睨するような瞳、あの不遜な眼差しが、愛しくてしょうがないのだ。
「こっちは化膿してるし」
猫の女神が大腿についた傷を長い爪でつつくので、俺は睨んだ。
あの男以外に触られたくはなかったからだ。
猫の女神は、ため息をついた。
「可哀相だから、サービスで傷も消しとくよ。これからは病院へ行くんだな。」
「病院はイヤだ。色々、詮索されるし」
「じゃあ、この店においで。サービスするから」
俺は黙って頷いた。
「あとさ、端子埋め込むと、メンテも大変だし、脳ミソをハッキングされることもあるから気を付けろよ。
…って、何、言っても無駄か」
俺は手術を終え、傷を消した後、12区に借りた部屋に、あの男と一緒に戻った。
親の用意してくれた家は別にあるけど、男とつるむようになってから、そこに入り浸っていた。
12区はアイシスが搭載されていない場所も多く、治安も悪いが、あの男と遊ぶにはもってこいの、いかがわしい店や、胡散臭い店が沢山あったからだ。
「きれいに消してもらったんだな」
俺のバスローブをはだけて、素肌を眺めながら、あの男は言った。
俺は顔が赤くなるのが分かった。薬は随分前に切れていて、麻痺していた感情や感覚、特に羞恥とゆうものが、鋭くなっていた。
あの男は、シャワールームから出てきたばかりで、腰にタオルを巻いただけだった。
湯気に囲まれた肢体は均整が取れていて、彫刻のように見事だったし、濡れた髪に囲まれた顔は、端正で、甘く、だからといっていかがわしくもなく、知的だった。俺は男を見るたびに、恥ずかしくてどうしようもなくなる。
それまで、自分の容姿に、コンプレックスを抱く事は無かったが、こうも、完璧なものを見せ付けられると、自分が卑しくてしかたがなくなるのだ。
男にいつ押し倒されるか、考えると、もう羞恥はピークに達しそうだったが、男がバスローブを羽織ってしまったので、俺はがっかりした。
そんな、俺の様子を察したのか、男は笑った。
「今日は、少し変わった事をしよう」
サイドボードの引き出しから、妙な目元を覆うヘッドギアのようなものと、コードを取り出すと、コードを、今日、俺のうなじに埋め込んだ端子に差し込んだ。
俺は馬鹿みたいな顔をしていたんだと思う。
何が始まるんだろうと、少しだけわくわくしていたのだから、救いようがない。
男がヘッドギアを装着し、俺を繋いだコードをそれに差し込んだ瞬間、目の前が真っ暗になった。
「そう、震えるなよ」
俺はいきなり、何も見えなくなった事が、恐かった。
男の熱を持った指が、俺の首筋に触れた。視覚を奪われると、いつもと違った感触がして、また震えた。
徐々に視界が明るくなってきて、見えてきたのは、あの男じゃなくて、俺だった。
本当、俺は馬鹿みたいな顔して、口をパクパクさせていた。
「……なんで?」
俺の間抜けな質問に、男は声を上げて笑った。
「コレだよ。コレ」
埋め込んだ端子にさしたコードを、俺の顔の前でぶらぶら振りながら、男は言った。
「今、お前が見てるのは、俺がつけたヘッドギアからの視覚だよ」
その声が艶を含むものだったから、俺はびくびくした。
男がこういう声を出す時は、決まってひどい事をされるからだ。
俺は目蓋をギュッと閉じたが、視界はそのままだった。当たり前だ。脳に直接、視覚がつながってるんだから。
「おいおい、顔そらすなよ」
顎をつかまれて、顔を正面に向けさせられる。
「お楽しみはこれからなんだから」
男は、低く艶のある声でそう言い、唇を唇で塞いで、舌をねじりこませてきた。
気が付くと、俺は、あの、猫の女神の店にいた。
「皮膚はりかえて、腕と指は繋いでおいたから」
俺は重く靄がかかったような頭で、ボーッと考えながら、尋ねた。
「あの男は?」
「先に帰ったよ。呑気だねぇ。あんな事されたのに」
あんな事されたのに。
あんなに、ひどく体を傷つけられたのは初めてだった。
最初は、異常でも、普通の行為だったと思う。
男の視覚で、自分の体におきてる異常を見せ付けられて、普段、自分では見れないような角度から、行為を見せ付けられた。
恥ずかしくて死にそうだったけど、泣きながら悦んでいたのも事実だ。それに、実際に死にそうになったのはそれからだ。
散々、弄ばれて、クタクタになったところで、あの男は信じられない事をしだした。
刃物をちらつかせながら、言ったのだ。
「お前は今から白ウサギだ」
白ウサギ。
ぴょんぴょんと跳ねるあのウサギの事かな。と思った俺は甘かった。
傷つけられることには慣れていてしまっていたし、散々、なぶられて、頭がはっきりしなかったせいもあると思う。白ウサギは白ウサギでも、男は重要な言葉を言わなかったのだから。
そして、あの男は、とてもひどい事をしはじめた。
背中の皮を刃物で剥ぎはじめたのだ。痛みに叫び声を上げると、男は楽しそうに笑った。
「ウサギは鳴かないんだよ」
そう言われても、無理だった。しかも、目を閉じても、脳に流れ込んでくる視覚情報のせいで、俺は自分の皮膚を剥がされる光景を見せ付けられた。
真っ白なシーツにアバンギャルドな染みを作りながら、やめて、とか、ごめんなさい、とか言ったって無駄な言葉を口走った。痛みと恐怖で気が狂いそうだった。
そして、背中の皮を(時には肉まで)剥いだ後、右手の指を一本、一本、落とされて、最後に腕を落とされた。
信じられないのは、そんな恐ろしい事をされながら、俺は射精したのだ。
「アンタね、このままじゃ殺されるよ」
猫の女神が背中に薬を塗りながら言った。
俺は哀願したのだ。あの、ろくでもない男に。
殺して欲しいと哀願したのだ。
男は笑いながら言った。
「殺されたいほど、俺が好きか」
殺されたいぐらい好きなのかどうかよりも、もう、痛くて苦しくて、どうにかなってしまいそうで、早く楽にして欲しかった。
「アンタは根っからの変態だね。オレは痛いのはイヤだなぁ」
猫の女神が尻尾を神経質にパタパタさせた。
少なくとも俺は、あの男に出会うまでは、マトモだった。
男同士で絡み合うなんて、信じられない事だったし、痛い事をわざわざするなんて、信じられなかった。
人は何かを媒体にして変わるものだと、何かの本か映画で見た事があるが、あの男を媒体に俺は変わっていったんだと思う。
でも、あの男が、以前から、根っからのサディストだったのかどうかは、俺には分からなかった。
よく考えれば、俺はあの男の事を何も知らないのだ。名前も偽名かもしれない。
俺は彼に連絡ができなかった。会うのは、男が尋ねてくるときのみ。会う回数も決まってなくて、一週間続けてだったり、一ヵ月に数回だけのときもあった。
薬を塗ってもらったあと、会計を頼むと、値段は思ったよりもずっと安かった。
猫の女神はニィーッと、口が裂けるぐらい口角を上げ笑いながら言った。
「アンタ、暫らく、この店に通うことになるだろうから、まけといてあげるよ」
猫の女神のいう事は、的中した。
俺は男に会うたびに、今回のように体を傷つけられるようになったからだ。
今までの傷なんて、死ぬ気のない、形だけのリストカットのようなものだったのだ。
あの男と会うのは久しぶりだった。
俺は2ヵ月前、一週間以上ぶっ続けで、ひどい事をされたのに、男の顔を見た瞬間、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
今まで、時間があく事はあったが、ここまでほったらかしにされたのは初めてで、俺は男に捨てられたのかと思っていたのだ。
抵抗したのがよくなかったのか、貧血で倒れたのがよくなかったのか、あれこれ、考えていた。
最初は焦りや憎しみに近い感情、最後にきたのは、なんと、悲しみだった。
もう、ここまでくると、救い様が無い。立派な依存だ。
「傷の調子は?」
自分がつけたものなのに、男は心から心配するように尋ねた。俺の頬に手までそえて。
あの猫の女神は、モグリのわりにはいい腕で、切り落とされた部位も剥がされた皮膚も、綺麗に復元されていた。
「今まで何をやってたの?」
俺が尋ねると、男の表情が急に厳しいものになり、面白くなさそうに、つぶやいた。
「仕事」
俺は、男を怒らせるような事を聞いてしまったのかと思って、びくびくしていたが、男は怒らずに、いつになく、真剣に俺を見つめてきた。
「それより、お前に頼みたい事があるんだ」
あの男に頼み事をされたのは、今回が初めてでなかったが、あんな真剣に見つめられたのは初めてだった。
俺は嬉しい反面、何故か妙なひっかかり覚えた。
俺の頭のなかの、あの男は、絶対にあらがえない存在だったからだ。
そんな男に、お願いされたのだ。
いつも、哀願したり、膝をついて許しを乞うのは、俺の役目だったのに。
あの男の頼み事は簡単なものだった。
男の指定したネットに決められた時間、俺が直接(あの端子で繋いで)アクセスすればいいだけだった。
俺が了承すると、男は微笑んだ。こんな笑顔を見るのも初めてだったが、それは、すぐに消えて、浮かび上がったのは、いつもの肉食獣の微笑みだった。
やはり、こうでなくてはいけないと、内心、納得しながら、沸き上がった恐怖と期待で、俺は、はち切れそうになった。
俺の感情はとてもシンプルで、低コストだ。
自分の欲しいものを与えてくれる男が好きなだけだった。
あの男に散々、弄ばれて、殺されるかと思うほど痛めつけられて、いつも通り、気が付いたら、猫の女神の店にいた。
「今回は今までで一番ひどかった」
猫の女神がうんざりしたように、俺に言った。
俺は手足を全部切られて、芋虫のような状態で、ここに運びこまれた。
軍用の止血剤を吹きかけながらの作業だったが、出血が多すぎて、店に運び込まれた時には、もしかしたら、本当に死ぬかもしれないと猫の女神は覚悟を決めたそうだ。
「いつか殺されるね」
猫の女神は呆れたように、増血剤を俺に手渡しながら言った。
「あの男はなんか言ってた?」
俺は猫の女神の話なんて聞いちゃいなかった。
「いつか死ぬから、程々にしといたほうがいいってオレが言ったら、笑ってたよ。本当、ろくでもない男だ」
俺はそれを聞いて嬉しかった。それでニヤニヤしてると、猫の女神はため息をついた。
「色んな客が、この店を訪れたけど、君らが一番イカレてる」
そんな事を言われても、俺は平気だった。
「そんなに、あの男が好きなんだ」
分かりきってる事を、今更、聞いてくる猫の女神をうっとおしいなぁと、思いながら、俺は答えた。
「そう、好きなんだ」
猫の女神は馬鹿みたいに大声をあげて笑いだした。
「アンタも自分勝手だね」
あの男に頼まれた通りに、指定されたネットに接続してからの事はよく覚えていない。
そのネットは、なんか、妙な感覚だった。気持ち良かったのかもしれないし、最悪な気分だったのかもしれない。
自己を保ちつつ、自分が自分でなくなるような、そんな気もした。
そして、気が付いたら、俺は電警に捕まっていて、アイシスのハッキング容疑で取り調べを受けていた。
俺のメモリーチップを調べると、電警の刑事の一人は嘔吐した。普通の神経だったら、当たり前だよなぁ。
俺はひどく同情された。
「あんな、ひどい目にあわされたうえに、君は騙されたんだ」
と、中年の男は言ったが、俺が、
「誰に?」
と、尋ねると、呆れたように、ため息をついた。
「君のメモリーチップにあった、『あの男』にだ。君を玩具にしたばかりか、君を使ってアイシスをハッキングさせた。君は利用されたんだ」
それを聞いて、俺は笑わずにはいられなかった。
騙された?利用された?願ったりじゃないか。
俺はいつだって、あの男に利用されたかったんだから。
あの男の自分勝手で薄情な所に恋をしたのだから。
誠意など初めから求めてはいなかった。
俺は、あの男の事を何も知らなかった。名前だって偽名に違いない。
刑事の話では、俺は脳ミソをハッキングされていて、記憶を書きかえられている可能性も高いらしい。『あの男』が、男なのか、女なのか、またはネットで作られた疑似人格なのかも分からないそうだ。
最高のエンディングだ。
結局、俺は証拠不十分で釈放された。
まぁ、脳をハッキングされて事件を起こした場合、今の法律では大した罪は問えなかったし、俺の父親の立場も役にたったみたいだ。
俺は初めて、父親の法務省での立場と権力を思い知らされた。正直、ここまで、力を持った官僚だったとは思わなかった。
釈放される前に、白い隔離部屋に閉じ込められていた、キセニア辺りの混血の男を、マジックミラー越しに見せられた。
「この男に見覚えがあるか?」
中年の男にそう尋ねられたが、そんな男は知らなかったので、首を振った。
何があったのか、何をされたのかは知らないが、混血の男は目を開けたまま、放心状態で、少し可哀相だった。その事を中年の男に伝えると、彼は鼻で笑った。
「君が『あの男』の言う通りにしたから、彼は大変な目に巻き込まれたんだ」
「そう、それなら仕方がない」
俺の言葉に、中年男は目玉をひんむいた。俺を反省させようとでもしたのだろうか?馬鹿だなぁ。
俺は赤の他人の為に自分の楽しみを犠牲にしたくはなかった。
「自分の事だけ考えて生きていればいいと思わない?だって、それだけで、精一杯なんだからさ」
俺の言葉に、中年男が何か言い返してくれるかと期待したけど、彼は口を閉ざした。
釈放されて、身元を引き取りにきてくれたのは父親だった。
父親は、渋い顔をしていた。いつもみたいに『大学へ行け』とか『家に帰ってこい』とも言わなかった。
この事件がショックだったみたいで、一言も喋らなかったが、父親の姿を見ると、なんだか、とても懐かしいものを見たような気がして嬉しかった。
あの男の本意も、俺の事をどう思っていたのかも、結局は分からなかった。
明確なのは、彼が俺を利用してアイシスをハッキングした事。それだけだった。
しかし、それらは俺にとってはどうでもいいことなのだ。
俺は、あの神のように世界を睥睨し、尊大で、不遜で、自己陶酔の極みに立つ、あの男が好きだったのだから。
それだけは俺のもので、あとは必要のないものだから。
例えるなら、俺とあの男は同じ木に生えた、葉っぱのようなものだったのだ。
一方が風で吹き飛び地面に落ちて、一方はまだ木に残っている。
それが、どちらなのかは分からない。
だって、どちらも大した差はないのだから。
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