『この身体朽ち果てようとも、貴方の傍に・・・』
騎士は跪き、何よりも大切な人にこう告げた。そして、相手の甲に軽く口付けた。
混沌とした戦乱の世。剣と剣がぶつかりあう鋭利な金属音。そして、無数の怒号、悲鳴、雄叫び、叫び、叫び・・・
一人の騎士が、部下に叫んだ。
「お前たちは、生きろ!」 と。
それは、叶わない夢だったとしても、彼は必死に叫んだ。皆に、生きて欲しかったから。
牢獄の中で、ただひたすら嘆く者がいた。すべてを失った男は、暗い冷たい床の上に、包帯を巻かれ、横たわる。包帯を巻かれる前は、全身が傷だらけであちらこちらが出血していた。今もただ横たわっているだけで、動くことさえままならない。
彼は、ただ闇しか広がらない虚空に向かって呟いた。
「なぜ、私が生きているのだ? 私は・・・私は、何の為に戦ったのだ・・・」
必死に今生きている事を呪った。彼の国の戦いは終わったというのに、彼自身の戦いはまだ終わらない。
1.
戦況は、最悪だった。連絡用の鳶を飛ばしてから五日。そろそろ本国から連絡が来てもおかしくない日が経った。この陣営は、もうボロボロになっていた。剣を振るえる者でも、無傷の者はもういない。上官も下士官も、ましてや軍師まで、ボロボロの衣装を身にまとい、ただ一筋の希望を国からの通達に託していた。
通達が来たのは、その日の夕刻のことだった。
彼らは、その通達を恐る恐る開いた。通達には、三色の木札が使われる。青なら援軍を、黄なら撤退を。そして、もう一色は・・・
「赤」
すべての者が絶望するのに十分な言葉だった。赤の木札は、最後まで戦え。そう、国からの通達は、「援軍は出さない、その場にいる者たち皆、国の為に死ね」と宣告されたのだ。
多くの隊長たちは、部下達を集めて最後となる指令を出していた。「国の為に我々は勝利しよう」と。その指令を聞いた部下達は、涙ながらに「おう」と叫んだ。そんな中、第三騎士団隊長であったジェラルドは、部下を集めて告げた。
「お前たちは生きろ! 国の為に死ぬ必要はない。お前たちは、生き延びて幸せに暮らせ」
部下達は困惑した。国の為に一丸となり必死に戦ってきた隊長が、そんなことを言い出すとは思わなかったのだ。
「国の為に死ぬよりは、生きろと言っているのがわからないのか? 家族、親友、恋人の為に生きて死ね。私は、それを許す。この戦いから、逃げろ。それも一つの勇気だ。」
彼の部下の一人が涙と怒りにも似た声で隊長に向かって叫んだ。
「なぜそう言われるのですか? なぜ、最後まで戦えと言ってくれないのですか?」
「私は、戦争の虚しさを知っているつもりだ。この国は、確実に負ける。負けた国がどうなるか、お前たちは知っているだろう」
部下の者は黙り込んだ。
「大切な人を守る為に、この戦いに赴いたなら、なおさら・・・大切な人を守り、その人の為に死ね。ここで、犬死することはない」
多くの者は隊長命令に背き、隊長とともに戦地へと赴いた。それは、国の為ではない。最後まで心底から信頼する隊長の傍に在りたい、ただそれだけで。
「馬鹿者ども」
ジェラルドは、何度か彼らを止めたが、それでも彼の部下は「ついていく」と言って聞かなかった。
2.
戦いは、終わった。ジェラルドが属する国は、滅びた。いや、正確には隣の国に吸収された。国の者が捕虜や奴隷になることはなかったが、軍の幹部および王族はすべて処刑され、軍は解散した。終戦前に捕虜になった者たちも終戦後、しばらくしてから開放され、家族・親友・恋人の元へと帰って行った。現在、ジェラルドが属する国の時よりは、今の生活の方が、楽になったと言えるだろう。前国は、軍属義務はあったし、徴税も厳しかった。今は、そのようなことはない。負けたことを喜ぶ者は少なくない。
あの凄惨な戦いから数年たち、凄まじい発展を遂げ、民は豊かな生活をしている。しかし、ほんの一部の者たちだけは、あの戦いを引きずっていた。
ここに、終戦の地の傍に、家を建て、自給自足の生活をしながら、忘れられない戦いを何度も思い返す青年がいた。
「うわあ!」
テイルは、悲鳴とともに目が覚めた。身体は、汗でぐっちょりとしている。荒い息を整えると、ベッドから起き上がった。
「また、あの夢」
テイルは、第三騎士団に所属していた。副隊長の次席で、隊長の片腕とも言われた彼は、最後まで戦いの中にいた。隊長の死を見た。その光景が目に焼きついて離れない。今もその夢に魘される。彼は、捕虜となり命は助かった。今は、農作業をしながら暮らしている。
トントン
木戸をノックする音が聞こえた。もう昼も近い。
「どなたですか?」
「私だ」
聞き覚えのある燐とした声。ジェラルド隊長の声だった。テイルは、慌てて戸口をあけた。
戸口には、服はボロだったが、そこにはジェラルドが立っていた。テイルは、声が震えた。
「信じられない・・・僕の前で・・・」
「死んだはずだ、と?」
ジェラルドは、優しく微笑んだ。
「私は、かろうじて生きて捕虜になり、今まで私の部下たちがどうなったのかを探していた」
「うれ・・・嬉しいです。貴方が生きていてくれて・・・」
ジェラルドが急に厳しい顔になり、テイルをじっと見つめた。テイルは、何か怒られるのではないかと身構えた。
「私だけ生き残ってしまって、すまない」
「なぜ隊長が謝るのですか?」
テイルは、何がなんだかわからなかった。
「私は、お前たちを守ることが出来なかった・・・」
小さな弱々しい声で彼が言った。テイルは、唖然とした。
「僕たちは、隊長命令に反してまで戦ったんですよ? 自分自身の為に。隊長が僕らに謝ることなんてない」
ジェラルドは、顔を上げなかった。
「隊長らしくありません。やめてください」
「もう私は、おまえたちの隊長ではない。これは、私のけじめだ。すまなかった」
それだけ言うと、ジェラルドはテイルの家から立ち去ろうとした。テイルは慌てて、彼を止めた。
「お久しぶりにあったんです。少しお話でもしませんか?」
テイルは、ジェラルドを家の中に招き入れた。ジェラルドは、少し戸惑いながらも彼の招待を受けた。
テイルは、ジェラルドを椅子に座るように促し、お茶と茶菓子を用意して、ジェラルドの向かい側に座った。
「元気にしていたか?」
「はい!」
昔の隊長の面影からは、少し痩せたように見えたが、隊長が生きていた。ただ、それだけが嬉しかった。テイルは、舞い上がっていた。それから、しばらくは何気ない話をして時が過ぎた。
「副隊長であるアベルの居所を知らないか? あいつだけまだ会えないんだ」
「いいえ、僕は知りません」
「そうか」
ジェラルドは少し悲しそうな顔をした。テイルもそれにつられて俯いた。
「そういえば、最後は別行動をしていましたね」
「そうだ。お前と私は最前線を。アベルは、山側から他の部隊を引き連れて。しかし、山側の部隊の者達にも聞いたが、アベルの行方だけはわからなかった」
「そうなんですか」
それから、しばらく昔話に花を咲かせた。夜が耽るまで、話し続けた。夜も遅くなってきた頃、ジェラルドが「もう行く」と言い出したので、「一泊していけば言い」とテイルが必死の説得し、彼はしぶしぶテイルの家に一泊した。そして、次の日の朝早くから家を発った。
「アベル副隊長を探しに行かれるんですね」
「ああ。あいつが最後にいた国境沿いの山・・・国境は、現在はないが、その山に行ってみようと思う。ここからも近いしな」
「そうですか。僕もあの戦いを忘れるのが嫌で、こんな辺鄙なところで農作業なんてしてますから、きっと副隊長もこちらにいると思います」
テイルは、ジェラルドの後姿を見送ってから、農作業へと赴いた。ジェラルドと会ったそれからというものあの悪夢は、二度と見ることはなくなった。
3.
さて、ジェラルドはテイルと別れた後、元国境があった山の中を黙々と歩いていた。別にこれといっていく宛ても無かったので、ただぶらぶらと歩いていた。
山も中腹辺りに差し掛かり、歩きっぱなしで疲れた為、一休みしようと程よい木陰を探していた。小高い丘が見えたので、そこで一息付こうと早足で歩いていたところ、何かで足が地面に取られ後ろに滑りこけた。
「やれやれ、ついてない・・・」
溜め息を付きながら、起き上がろうと木の枝を掴んだ。しかし、掴んだ木が悪かった。
ボキリと小気味よい音を立ててその枝は折れ、その勢いで彼の身体斜めにスライドし、彼は真っ逆さまに、たまたま横にあった崖の下へと吸い込まれた。
「本当に今日はついてない・・・」
と、彼が言ったかどうかはわからない。
「おまえは、山肌から回り込んで敵を仕留めろ!」
これは、私があいつに言った最後の命令。
「お安い御用で! 隊長」
ものすごく軽いノリでアベルは、返事をして部隊を引き連れ出撃していった。私が見たアベルの最後の姿だった。
戦況は架橋に入り、誰もが我国に勝利がないこと悟っていた。最後まで、我国の為に子供のように悪あがきをしているに過ぎなかった。
「ジェラルド隊長」
テイルが彼に心配そうに声をかけた。
「なんだ?」
ジェラルドは、先の戦いで致命傷とはいかないが、かなり深い傷を負っていた。テイルは、その傷を気遣って声をかけたのだ。それを悟ったのか、ジェラルドは無表情に「心配ない」とだけ答えた。テイルは、まだ何か言いたそうだったが、ジェラルドに制された。
「皆苦しみは同じだ。私だけ休んでいるわけにはいかないだろう?」
子供を諭すような優しい声で、彼はテイルの耳元で呟き微笑した。
そしてジェラルドは、すっと真顔になった。冷たく、誰もが凍るような冷酷な顔。彼が、紅蓮の騎士とはよく言われたものだ。ジェラルドは、国では一、二を争う剣の名手だ。彼が出撃した戦争で、負けを知らない。全身に返り血を浴び、何千の兵の死体の山を一人で築いた男だ。戦では、白い騎士鎧を着ていても、全身を赤く染める彼は、紅蓮の騎士という異名で恐れられていた。そうでなければ、齢二十で一部隊を指揮することなど出来なかっただろう。
そんな彼をテイルは、大変尊敬していたが、恐れる対象でもあった。彼が、凍るような笑みを浮かべたときが本気の時だ。テイルとてジェラルドに継ぐ剣の名手ではあるが、彼が本気になったときほど、恐ろしいことはなかった。全身の血が凍りつく感じがするのだ。
「騎乗せよ! 出撃する」
燐としていて、また凍りつくような冷たい口調で、ジェラルドは言い放った。
彼の一声で、部下達の顔も引き締まる。最後の戦いへと今出陣する。
そこは、阿鼻叫喚・・・血、血、血・・・地獄絵図がそこに広がっていた。殺さなければ、殺される。剣で凪ぎ、斬れなくなれば敵の剣であろうが使った。
隊長であったジェラルドは、最前線に立って剣を振るっていた。
ジェラルドが叫ぶ。何を叫んでいるのかは、聞き取れない。聴覚がいってしまったようだ。いや、もうほとんどの五感は利かない。
ギィン、と鈍い音と共にジェラルドの剣が宙を舞った。敵の将に、ジェラルドが斬られたのだ。敵の将が、勝利の雄叫びを上げる。目の前に血・・・赤い鮮血が飛ぶ。隊長の、ジェラルドの血が舞う。彼が、力なく馬から滑り落ちる。
「隊長! 隊長―――っ!」
テイルは、絶叫した。そのとき、後ろから重いものが降ってきて、テイルは昏倒した。後ろから敵に斬られたなどと初めは全くわからなかった。
ジェラルドは、かろうじて生きていた。敵の捕虜となり、終戦まで固い床の上で過ごした。しかし、彼にとっては生きることよりつらいことだった。この戦いで、大切な部下達を失い、最愛の人を失った。彼女と結ばれることはなくても、必ず帰ると言ったのに・・・彼女を守ると言ったのに・・・彼女は、彼よりも先に逝ってしまった。あの時、死んでいれば彼女と共に入れたかもしれない。自分を慕ってくれた者たちに、死んだ部下達に申し訳が立たない。自分だけ、生き残ってしまった。
「殺してくれ!」
彼は、牢獄で何度も何度も叫んだ。自分が許せなくて、悔しくて。
だから、彼は生き残っている部下達を探し、謝って回ったのだ。自分を許して貰う為、いや・・・ただの自己満足に過ぎないことくらいはわかっていた。でも、それしか方法を、生きている意味を見出せなかった。
4.
「いってぇ・・・」
崖はそこまで高くなかったおかげで、腰をしたたか打った程度で他に外傷はなかった。
しばらく、呆然と崖の上・・・空を見上げていた。真っ青に澄んだ蒼い空がそこにあった。
「俺を笑ってるのか?」
くすっと笑って、ジェラルドは、空に向かって悪態をついた。
その時、ちらっと光った。太陽の光線が何かに反射して、彼の目を射した。
「何だ?」
彼は、好奇心に駆られて崖の中腹あたりまで上って、それを拾い上げた。そこには、程よい出っ張りがあった。ジェラルドはそこに腰をかけ、拾い上げた物をみた。
「金属片・・・ん?」
手の届く範囲に無数の同じような金属片が落ちていた。目を凝らして辺りを慎重に探すと、かなり大き目の金属片を見つけた。そこから出てきたものは盾であった。先の戦で使用されたものだろう。土を丁寧に払い落とすと、ある紋章が浮かび上がった。
「我国の紋章?」
彼は、無我夢中で辺りを手当たりしだに掘り出した。もちろん、土を掘る道具など持ち合わせていなかったので、素手で掘った。爪の中に土だけじゃなく木の葉や木片などが食い込む。かなり痛いはずだが、必死だったのでそのようなことは気にならなかった。
「・・・あった」
人の白骨化した頭蓋骨と無数の骨、そしてその者が着ていたであろう鎧の破片に鎖帷子。鎧に残る黒ずんだ血の跡。それを辿るように出来た楔帷子に残る痛々しい剣跡。
「やっと、見つけた」
ジェラルドの瞳に、涙があふれ出た。これは、彼の骨。ジェラルドの副将アベルの骨だ。
なぜこれが、アベルの物か断定できるかというと、楔帷子の下に、アベルと交わした約束の言葉が書かれていたからである。血で錆び、時の流れでく朽ちかけてかなり読みにくくはなっているものの、確実に書いてある。
『親愛なる者 戦いに捧ぐ』
ジェラルドの楔帷子の下にも同じ言葉が刻まれていた。戦地で死んだときに、本人かどうか判別できるように。親友だと分かる様に、見つけることが出来るように。
「やっと・・・やっと、見つけた。こんなところ・・・に、いたのか?」
嗚咽が彼の喉を塞いだ。この崖で彼はどういう風に死んだのだろう? どういう思いで死んだのだろう? ジェラルドは、彼の骨を集めて布に包んだ。故郷の土に還してやるために。
そして、崖の出っ張りに腰をかけてそこから見える景色を見た。
戦中であれば、ここから敵の陣地がよく見えただろう。そして、この青い空が。
何より、平和を祈ったのは、他の誰でもないアベルであった。敗戦したっていい、ただみんなが幸せに暮らせるところになればよいとずっと言っていた。彼は、戦うことをずっと拒んでいた。「なら、軍属を辞めればいい」何度もジェラルドはアベルに言った。彼等は、幼馴染であったから。しかし、アベルは軍を辞めなかった。「お前が戦ってるのに、俺だけ逃げられるか!」そういって。
アベルは、ジェラルドの心の拠り所だった。人を殺して、何も感じない人間がいないはずがなかった。ジェラルドは、多くの人を斬り、命の重みを背負って生きてきた。アベルは、ジェラルドの負担を少しでも軽くする為、いつも傍にいた。
ジェラルドは、もう一度、ここから見える澄み切った青空を見た。
悲しいほど澄んでいる青空。その下には、ただ緑だけが広がる雄大な草原がある。
「俺が死ぬときは、お前を守って死ぬときだ」
「不吉なこと言うなよ」
ジェラルドは、笑った。それは、楽しそうに。
戦が乱交していた時期。まだ、戦況は悪化していなかった。そのほんのひと時の砦での休憩。
「青空の下がいいな。こう・・・なんていうか、すっごく綺麗な空の下。そうだ! 墓は、そこにしてくれ。ついでに、平和が一目で分かる場所がいい」
「馬鹿は、休み休み言え!」
ジェラルドは、軽くアベルの胸を叩いた。アベルは、あはははっと楽しそうに笑っていた。
「青空の下・・・平和が一目で分かる場所・・・」
ジェラルドは呟いた。目の前にあった、敵陣営はもうない。ここに国境はもう・・・ない。国境を必死で守る必要はない。戦争は終わったのだから。今は、とても・・・とても平和だ。
ジェラルドは、包みを開き、土に汚れたアベルの骨をもう一度じっと見つめた。
「お前は、ここで死にたかったのか?」
|