私とないしょ
私には、秘密がある。
内緒がある。
それはきっと、誰に言っても信じてもらえないだろうし、きっと一笑に付されると思う。
だから誰にも言わないけれど、忘れないように何かに書いておこう。
***
それを初めて目撃したのは、風景の全てが大きく見えていた頃だった。
たくさん実って頭を垂らしている稲穂も、当時はまだ大きく見えた。
今となっては、小さいどころか見ることも少なくなってしまったけれど。
幼い頃の私は、家の近くには田んぼとか畑とか森とか山しかないような田舎に住んでいた。
都会に慣れてしまった私ならもう発狂してしまいそうな場所だったけれど、純粋だった幼い私は、そんな中でも楽しく遊んでいたらしい。
その日も私は野山を駆け回っていた。
葉っぱを千切って顔をつくってみたり、ドングリを拾ったり、稲穂の間を走り抜けたり、スカートなのを気にも留めず木登りをしたりしていた。
まあ、そんな日だった。
ポケットにはどんぐりを忍ばせ、片手には杖に見立てた木の枝、もう片方の手には稲穂を持っていた私は森の中で『それ』にであった。
名前は知らない。とりあえず内緒話に出てくる生き物だから『ないしょ』と呼ぶことにしよう。
はじめはなにかの影だと思った。
けれどそれは影にしてはあまりにも立体過ぎたし、自由に動きすぎた。
幼心ながらそれが『おかしなもの』だということに気づいた幼い私は、それに近づいてみた。
さすが子供。恐いもの知らずだ。
ないしょは不思議な姿をしていた。
どうみても影なんだけど影ではなくて、よくよく見てみるとまんまるい目がついていた。
先っちょが丸い筒のような姿をしていて、直立した状態で体を揺らしながら滑るように移動している。
ないしょは幼い私に気づいていないようだった。
なにやら必死に動いていて、木の影に向かっていた。
向かっていて――消えた。
眼前から、忽然と。
幼い私はてっきり影と同化して見えにくくなっているのではないかと考えた。
だから幼い私はないしょが見えなくなった影の中を手探りで探そうと思った。
思ったんだけど。それをすることは叶わなかった。
なんせ、私は落ちてしまったのだから。
木の影の中に――落ちてしまったのだから。
***
ほどなくして幼い私は目を覚ました。
薄暗い場所だった。
周りの景色がぼんやりとしか見えない場所で、少なくともさっきまでいた森の中ではなかった。
稲穂が大きく見えるぐらいの年頃の子供だったら、そこで泣きだしてしまいそうなものだけど、可愛げのなかった幼い私は杖代わりに持っていた木の枝で地面に線を書きながら適当に歩きだした。
地面は砂で埋め尽くされていた。
砂場遊びが好きだった幼い私は、それだけでもうドキドキしたりしたけど、さすがにここで遊ぼうとは思わなかった。
ゆくあてもいくあてもなく、ただぼやーっと見える何かに向かって私は歩いた。
それは案外近くにあった。
あったけれど、それがなんなのかは幼い私には分からなかった。
大きな大きな砂の山に、大きな長方形が斜めに突き刺さっている。
まるで砂山崩しをやっているようだった。
側面を掘り進んだら、あの長方形のものは倒れるのだろうかと子供ながら思ったものだ。まあ、倒れないだろうけど。
他にも長方形のものは沢山落ちていた。一つも直立しているものはなくて、斜めになっているか倒れているかのどちらかだった。どれもこれも見たことがないような巨大さで、幼い私は、少し圧倒された。
近づいてみるとそれには穴が開いていて、その先は洞穴のようになっていた。
中を覗いてみるとないしょがいた。
体を揺らすようにしながら、滑るように進んでいる。
途中でどこからだしたのか砂を落として、少しだけ頭を垂らしていた。
長方形の向こうの方へ進んでいくないしょを追いかけようとすると、ぐいっと誰かに腕を引っ張られた。
振り向いてみるとないしょがいた。
一匹だけではなかったらしい。
筒状の体の側面から伸びた細長い何かが私の手を掴んでいた。
その手には木の枝を掴んでいる。
全面についている無感情なまんまるい目は、私の顔を見たり木の枝を見たりしていた。
「……ほしいの?」
と、幼い私は言葉のコミュニケーションを試みてみたけれど、どこにも耳らしき器官のないないしょはもちろん、無反応だった。
幼い私は仕方なくないしょの方を向くようにしながらしゃがみこんで、木の枝を指差した後、ないしょを指さした。
これがほしいの?
そのジェスチャーはどうやら無事に通じてくれたみたいで、私の手を掴んでいたないしょは、頭を曲げて頷いてみせた。
特に思い入れもなかった木の枝だからそれをないしょに渡した。
ないしょはそれを横向きに背負うと、私にペコリとおじぎをしてからどこかにいってしまった。
……。
今書きながら考えてみると、あれはどうやって背負っていたのだろう。
謎だ。
とにかく、もう一匹のないしょと別れた私は、ないしょを追いかけるべく長方形の中に入った。
長方形の中はゴミだらけだった。
まるでおもちゃ箱の中をひっくり返したような惨状の中を抜けて、私はないしょを探す。
ないしょはすぐに見つかった。
というか、たくさんいた。
長方形がたくさん転がっているところに、まるで自生しているワカメのようにないしょは集まっていた。
ゆらゆらと揺れている。
そんなないしょたちの中心には、さっき私が木の枝をあげたないしょがいて、周りでゆらゆらと揺れているないしょの無感情なまんまるい目は、木の枝に向けられていた。
木の枝を持っていたないしょは、それを砂の地面につきさした。
別のないしょが近づいてきて、自分の体をさながら雑巾のようにぎゅーっと絞った。
そこから水滴がたれて、砂に突き刺さっている木の枝の根元にしみこむ。
幼い私にはそれが水やりだということは分からなかった(田んぼが水を張るのはオタマジャクシのためだと思っていた)。
彼らは植林をしようとしているのだった。
愚かにも、あわれにも、木の枝で木が育つのだと勘違いしていた。
そんなにうまく行くはずがないのに。
そもそもその枝は枯れ枝だ。
育つはずがない。
もうすでに、終わっている。
ともかく幼い私は、そんなないしょをみて、ようやく少し恐怖を覚えた。
我ながら遅い反応である。
幼い私はゆっくりと後ずさってから逃げだそうと踵を返した。
背後には、一匹のないしょがいた。
ないしょの区別なんてつくはずがないんだけど、それがはじめに見たないしょだということはよく分かった。
ないしょは私の手を見ていた。
その手には稲穂をもっている。
今度は欲しいの? という暇もなかった。
言うよりもはやく、ないしょは私の手から稲穂を奪い取った。
そのままないしょは、他のないしょがいる場所に滑るように駆けていった。
稲穂を奪ったないしょが来たことに気づいたのか、他のないしょも無感情なまん丸い目を稲穂を奪ったないしょの方に向けて……。
私の方を。見た。
じろりと。見た。
幼い私は小さく悲鳴をあげてから逃げだした。
砂の上は走りづらかった。
幼い私を、滑るようにしながら追いかけてくるないしょは、この環境に適応するために進化したのではないかと疑ってしまうぐらいだった。
いや、実際は違うんだろうけど。
ここが砂だらけになったのは、彼らの責任なのだから。
私は走り続けた。
走って走って走って走って。
斜めになっているか倒れているかの長方形は視界に入らなくなって、あたり一面砂だらけになって、行きに木の枝で書いた線が見えてきて。
「あっ!」
と。
私はそこで思いっきりこけてしまった。
足がもつれて、こけてしまった。
ポケットの中に入れていたドングリが散らばって、幼い私は砂の上をゴロゴロと転がる。
口の中に砂が入って、じゃりじゃりと音がした。
ひざをすりむいて血がじんわりと流れたけれど、幼い私はうずくまったりせずにすぐ、立ちあがった。
後ろから追いかけてくるないしょが、更に近づいていると思ったからだ。
口の中にある砂を吐きだすよりも先に、幼い私は立ちあがって逃げようとしてから気づいた。
ないしょが幼い私を追いかけていないことに。
追いかけることをせずに、幼い私がポケットから落としたドングリを拾っていたのだ。
まるではなからそれが目的であったかのように。
「……なんで?」
実際は口の中に砂が入っていたから呟けなかったんだけど――そう思ったその瞬間、私の視界は暗転した。
また私は――影に落ちたのだ。
目を覚ますと、私は山に戻っていた。
空は夕焼け色に染まっていて、カラスが空をとんでいた。
早く帰らないと、となによりまず思った良い子な幼い私は起きあがって家に帰ろうとして、口の中に異物感を覚えた。
べえっと舌をだす。
口の中にはいっていた砂は消えて、稲穂に変わっていた。
***
全てを書き終えた私は、家をでて外に出た。
昔は大きく見えた稲穂はすっかり見なくなった。
稲穂があった場所を圧し潰すようにして、あの長方形はしっかりと天に向かってまっすぐ立っている。
すべてのものが大きく見えた昔。
大きくなったら変わるのかな、と思っていたけれどそうでもないらしい。
私はふと、長方形の影をみた。
そこをなにかが、こそこそと動いているのが見えた。
過去のものは未来に持ち込めない。
未来のものは過去に持ち帰れない。
それを破れるのは、その時を生きるものだけ。