大町二丁目アーケード48m付近
女を追いかけていった男と別れて20m近く歩くと、次第にヤニ臭さが際立ってきた。
アーケードの人ごみにも慣れて、俺は赤レンガの道のど真ん中を歩いていたのだが、進入禁止のこの場所に突っこんできた軽トラックに引かれそうになり、慌てて左端へ避けた。
世の中本当に何が起こるか分からない。
現に俺も猫になってしまったのだから。
俺が本当は人間だなんて、赤レンガを歩く人の中で誰が気づくだろうか。
気づくわけねーし。
っていうかその設定がありえねーし。
(おい!水沢!)
無意識に浮かんだその名前を頭の中で叫んだが、それが誰なのか良く分からない。
何だか操られている気がしてならないのだが。
まあ、それはいい。
軽自動車を避けて寄った左側にはパチンコ屋の自動ドアがあった。
「にゃにゃ」
ヤニ臭さの元はここだったのか。
「何がイベントだコノヤロー!」
ぺっぺと唾を吐きながら金髪の男が自動ドアから出てきた。
開いたドアの中から更に酷いヤニ臭が漏れる。
「にゃー」(臭せぇ)
俺はよくパチンコをする。
この匂いにも慣れてるはずだ。
しかし猫になるとその匂いも倍増だ。
倍どころじゃない。
口の中に一箱丸ごとぶっこまれたくらい臭い。
っていうかこの臭さがありえない。
今時のパチンコ屋は結構クリーンだ。
中に入ったってこんな匂いはしない。
換気は意外としっかりしてるものだ。
換気に限ったことじゃない。
そのサービスもありえないくらい発展している。
膝掛けから託児所、トイレに至っては何故か脂取り紙、化粧水まで。
一体何時間いろという設定なのか。
ここに設定をかけるなら、台に設定をかけろというのだ。
金髪男の脇を通り抜け、俺は中へ入った。
タバコの煙が揺らめいている。
「にゃ…」(ひでぇ…)
この店はもう随分昔からある。
昔、自分の爺さんに聞いた事があるが、爺さんが小学生の時代からあるらしい。
本当かよ。
とにかく古い。
なんたって名前が『パーラー雅』。
パーラーって。
雅って。
ずっと前に興味本位で入ったことがあったが、打ち止め有りの張り紙を見てビビッた。
この店の常連は殆どが爺さん婆さんだ。
今日も爺さん婆さんが背中を丸めて台に食いついている。
何故金髪男がここから出てきたのかが不思議なくらいだ。
場所を選べ場所を。
この店のイベントなぞ、当てになるわけなかろうが。
釘も設定も前日のままだぞ、恐らく。
っていうか、俺の爺ちゃんが小学生の時代から変わってねーぞ、恐らく。
俺は店内をぐるっと一周した。
魚が横にスクロールしてる台に婆さん二人、爺さん四人。
ちっちゃな頃から悪ガキ〜♪と歌っている台に爺さん一人。
三桁の数字がピコピコと点滅してる台に婆さん三人、爺さん二人、サラリーマン風オヤジ一人。
っていうか、この台まだあったのか…
この店にしては結構人が入ってる感じだ。
土曜だからか?
いや、爺さん婆さんには土日関係ないか。
スロットコーナーへ移動する。
一体何枚同じ服を持ち、それをどこで着替えてくるのか…胸に七つの星のある男の台に婆さん一人。
鷹狩り演出中に爺さん一人。
鷹狩りって!
この台置いといていいのかよ、パーラー雅。
ペカっとピンクの確定ランプ、お馴染み初心者台に爺さん四人、婆さん二人、ギャル一人。
一周するとこんな感じだった。
ドル箱を抱えた店員一人が退屈そうにぼんやりしている。
俺は、ペカっと光るランプをつけたまま、もう二十回転くらいぶん回ししている爺さんの左横の椅子に座った。
しばし見守った。
「にゃにゃにゃ!」(今だ!今!)
隣りで何度か「にゃにゃにゃ!」と応援してやったが、爺さんは全く検討違いの場所でボタンを押す。
しかもかなりの力で。
台が揺れる。
右隣りに座っているギャルがほくそ笑んでその様子を見ている。
「にゃー」(止めてやれよ、このブス)
結構可愛い顔をしているのに、勿体無い。
こういうギャルは酷くブスに見える。
さっきの片瀬みたいなヤツだな。
俺は、マスカラで真っ黒なギャルの目を睨みつけてやった。
たまに紗希もパチンコ屋に連れて行くが、お前みたいな顔はしないぞ。
止めてやろうと相手の台に挑戦するも、全然揃わず逆にコインを使いきってしまう事もあるが…
紗希は困った爺さん婆さんを放っておくことはしないぞ。
そのうちギャルの台もペカっと光った。
にんまりと微笑むギャルが1レール目を狙う。
『赤7』
2レール目。
『赤7』
3レール目。
台に踏ん反り返ったギャルが得意の表情で手首をくるりなんて廻してボタンを押す。
『BAR』
「にゃ」(ぶっ)
ざまーみろ。
回転数432回。やっと来た当たりはバケだった。
あからさまに嫌な顔をしたギャルがレバーをドンと叩く。
その様子を観察した後、再び爺さんの台に目を移した。
爺さんの台はまだペカっと光ったままだった。
「にゃ…」(おい…)
このままじゃ揃える前に手元のコインが無くなっちまうぞ、爺さん。
見ていられなくなった俺は、爺さんのよれよれのシャツに手をかけた。
「にゃにゃ」(爺さんよ)
隣りに何故か座る猫の俺に気づいた爺さんがゆっくりと俺を見る。
「なんだ、猫」
「にゃにゃにゃ」(コイン貸せ)
「パチンコ屋になんで猫がいるんだ。早よ帰れ」
「にゃにゃ…」(いいからコイン…)
「腹減ったのか?爺ちゃん何も持ってないぞ」
「にゃーー」(そうじゃねーって)
俺は受け皿に残ったわずかばかりのコインを肉球でカサカサっといじった。
「なんだ、これか」
「にゃ」(そうだ)
「こんなの食うのか」
「にゃ…」(違うから)
「ほれ」
爺さんが俺の口元にコイン1枚を運んだ。
俺は首を振った。
何人に触られたか…俺の爺ちゃんが小学生の頃からあるかもしれない手垢びっしりのコインなぞ、口に入れれるわけなど無い。
投入口に肉球で触れた。
「にゃにゃ」(入れろ)
「ん?」
「にゃにゃにゃ」(ここに入れろって)
「そうかそうか」
(やっと分かったか…)
今までの爺さんよりも少し時間はかかったが、意味を理解したらしい爺さんは、コインを投入した。しかも1枚だ。
こりゃ外せない。
「にゃ」(よし)
俺は右前足でレバーを叩いた。
クルクルっと動き出す、サイやらブドウやら。
爺さんがぼーっと俺を見ている。
猫になって初めてのスロット。
ボタンを押すくらいなら大丈夫だ。
肉球に集中する。
1レール目。
『BAR』
(にゃ)
安心した俺は心の中でも「にゃ」なんて言ってしまった。
手を止めたギャルもそんな俺を見ていた。
とりあえず2レール目をとばし、3レール目を狙った。
『BAR』
「にゃにゃ」(よし来た)
ビック確定だ。
爺さんはクルクルと廻る2レール目と隣りに座りボタンを叩く俺を交互に見ている。
口が開いたままだ。
ギャルも左手に挟んだメンソールの灰を落とすのを忘れて俺と台を交互に見ている。
とりあえずここで失敗はできない。
俺は爺さんの膝の上に移動し、体勢を整えた。
黒い影を追う。
右前足をゆっくりと上げる。
「にゃ!」
『BAR』
成功だ。
得意げに爺さんを見てやった。
パクパクと口が動いている。
灰が膝の上に落ちたギャルも「あちあち」と言いながら俺を凝視していた。
「にゃにゃにゃ」(後は自分でやれ)
俺は再び爺さんの左隣りの席に移動した。
「お前、すごいな」
びっくりした顔の爺さんが俺の頭を撫でた。
しっぽが知らずに動いていた。
「スロットする猫なんぞ、初めて見たわい」
(だろうな)
「ありがとな」
そう言うと爺さんは立ち上がり自販機の前まで歩いていった。
ガトンっと音がする。
戻ってきた爺さんはミルクセーキの缶を俺に差し出した。
「ほれ、飲め」
「にゃ…」
止めてやった時のお礼みたいなもんだ。
スロットコーナーではしばしば見れる光景だ。
でもそれを俺にするか?
俺は猫だぞ。
「にゃにゃ…」(いいよ爺さん…)
「開けてやるか?」
「にゃにゃ」(いや、いい)
首を左右に振る。
「なんだ、いらないのか。じゃ、持っていけ」
…どうやって持っていけというのか。
そういえばミルクセーキは紗希の好きな飲み物だ。
持ってってやりたいな。
でも俺は猫だ。
無理だ。
「にゃーにゃにゃ」(ありがとな爺さん、でもいいよ)
俺はひらりと椅子から床に飛び降りた。
「また止めてくれ」
背中…ケツに爺さんの声がする。
俺は振り向き「にゃー」と答えて、自動ドアに向かった。
タイミングよくドアが開いた。
さっきの金髪男が入ってきた。
「リベンジ」
ガムをくちゃくちゃしながら七つ星男の台の方へ向かって行った。
「にゃにゃにゃ…」(他の店でリベンジしないのか、お前…)
閉じかかったドアの隙間から急いで赤レンガへ戻った。
ヤニ臭さから解放されたのと、妙な気分の良さを抱えながら、俺はアーケードを再び歩き始めた。
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