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猫になって君にキスをして
作:水沢 莉



大町二丁目アーケード20m付近


婆さんを見送り、15mほど歩いた。
相変わらず鼻をつく匂いにうんざりしながら歩いていくと、ある場所でその匂いは軽減された。
花屋だ。
まさにオアシス。
店頭に並ぶポット植えの花の間を通り抜けて、俺は迷わず中に入った。
「にゃにゃにゃー」(花ってこんなにいい香りだったのか)
6畳分ほどのスペースに花がびっしりと並んでいる。
その片隅にレジがある。
花籠を前にアレンジメントを作る店員。
迷わず中に入った理由はこれにもあった。

『片瀬』と名前の入ったプレートを赤いエプロンの胸元につけ、一心にアレンジメント花をこさえてる女の子。
この子は俺のお気に入りだ。
今時珍しいポニーテールに白いシャツと白いパンツに身を包む可憐なこの子。
背中に透けるブラの線が何とも悩ましい。
うへ。

この花屋の前を通るといつも、用も無いのに足を踏み入れてしまう。
そして適当な花を一輪ばかし買って帰る。
買った花は流しに置いておくか、紗希がアパートに来たときにくれてやったりしていた。
一輪ばかりの花に紗希は、「わーい。嬉しい」何て言いながら小躍りしていた。
何故俺が花なんかを買っていくのか、その事情も知らず。

可憐なこの娘はいつだって可憐な微笑みを絶やさない。
誰が店に訪れてもいつも笑顔だ。
こぼれるような。それでいて穏やかな。
花一本ばかりを買う俺に対して「いつもありがとうございますぅ」なんて語尾を上げ、鼻にかかる甘い声で見つめ、両手でそっと花を渡してくれる。
俺のこと好きなんじゃねーのか。
妄想は膨らむばかり。

その手に触れる瞬間が…これまた最高だ。
ま、一応、片手で受け取るのだが、思わす両手でその手を包み込みたくなってしまう。
ついでと言ってはなんだが、そのまま抱き締めたい衝動に駆られる。
あの巨乳をぎゅっと押し潰す事ができたら…
妄想は膨らむばかり。

鼻血が出そうだ。
俺はスケベだ。
悪いか。そうか。

今、俺のほかには客は居ない。
チャンス。
あ。
駄目だ。俺、猫じゃん。
抱き締めても、片足が限度だ。
そうだ。
抱き締めることが出来ないのなら、抱き締めてもらえばいい。
俺は猫だ。
変な模様だが、カワイイ猫ちゃんだ。
きっと、ぎゅっとしてもらえるはずだ。
あの巨乳に顔を埋められるではないか。
ラッキー。
猫、ラッキー。
「にゃ…」(ムフ…)

俺は早速その娘の足元に近づいた。
ようやく俺に気づいたその娘が俺を見る。
その足にスリスリっとしてやった。
でへ。
「にゃーお」と甘えた声でその娘を見上げた時だった。
カツーン…と一発腹に痛みが走った。
「にゃ〜にゃ〜…」(あ〜れ〜…)
俺の身体は浮いた。宙に綺麗に浮いた。
十分な高さがなかったためか、空中で身体をよじってみたものの、着地に失敗した。
横腹から床にペコンと落ちた。
「にゃにゃ、にゃ」(な、なんだ?)
びっくりして身体が巧く動かない。
「にゃ…にゃ」(ま、まさか)
その娘…片瀬ちゃんを見上げる。
「にゃ!」(ええっ!)
片瀬ちゃんの顔には、可憐のかの字も見当たらなかった。
ものすごい形相で俺を見ている。
「あっちに行け!バカ猫!」
(ええっ!?)
「あたし、猫は大っ嫌いなんだよ!」
(ええっ!?)
「もう一発お見舞いしようか!?」
(えええっ!?)

俺の憧れの可憐な片瀬ちゃん。
俺の可愛い可憐な片瀬ちゃん。
俺の白シャツ、可憐な巨乳……

って、可憐じゃねーー!
猫に蹴りを入れるあたり、もはや人間じゃねーー!
ただの巨乳じゃねーー?

じりじりと片瀬ちゃんが滲み寄ってくる。
あまりのショックに動けない俺。
「にゃにゃにゃにゃー」(や、やめてくれー)

「こんにちはー」
ナイスタイミングで客の男が入ってきた。
なかなかのイケメン。
「いらっしゃいませぇ」
片瀬ちゃん、すっかり可憐な笑顔に戻り、その男に小走りで駆け寄る。
(ええっ!)
怖い。
怖いよ、母ちゃん。
女って。
女って。
巨乳って…

「このガーベラ一本貰えるかな?」
「は〜い。ありがとうございますぅ」
………。
なんだよ。
俺みたいなヤツいるんじゃん。
片瀬ちゃんがガーベラを包む間、ポリポリとせわしなく頭をかく男。
こ、この感じはもしや…

「あの…」
「はいぃ?」
「あの…ずっと好きでした!」
(えええっ!)
「ええぇ〜そんなぁ」
「付き合ってください!」
(えええっ!)
「ええぇ〜そんなぁ」
「駄目ですか?」
(止めとけ!)
「駄目っていうかぁ」

俺は必死になってその男のジーンズに爪を立てた。
「にゃにゃにゃにゃ!」(駄目だ駄目だ!)
「にゃにゃにゃにゃー!」(コイツは二重人格だ!)
「にゃにゃにゃ!」(騙されるな!)
「にゃにゃ、にゃー!」(ただの巨乳だー!)
「にゃにゃ〜にゃにゃ」(お前もこの乳と笑顔に騙されたんだろ)
「にゃーー!」(引き返せ!まだ間に合う!)

足に爪を立て、にゃにゃにゃを連発する俺に、その男は目を見開いていた。
「な、なんだ、この猫」
「あ、ごめんなさーい。いつのまにか入って来てたの、この馬鹿…この猫ちゃん」
「変わった模様だなぁ」
「ですよねぇ。可愛くな…変わってますよねぇ」
「可愛いなぁ」
「か…わいいですよねぇ」

嘘言うんじゃねーぞ、おいこら、片瀬!
何か、お前は男なら誰にでも可愛い子ぶるのか。
イケメンなら尚更か。
さっき俺を蹴飛ばした、それがお前の本性だろ?
おい、男、騙されるな!

まだにゃにゃにゃと連発する俺を、片瀬が男の目を盗んでは、睨みつける。
そりゃあ、怖い形相で。
怖いんだよ…。
紗希とは全然違うな。顔は紗希より全然可愛いし、胸も紗希より全然おっきいんだけど、
全然違うぞ。
紗希は天然に近いが、お前みたいに裏表はないぞ。
くそー。紗希がここにいて、人間に蹴られた俺を見たら何て言うか。
っていうか口を開く前に片瀬に殴りかかってるかもしれん。
あいつは優しいヤツなんだ。
俺を殴っても、蹴っても、動物だけは殴らねーぞ。
優しい…か…?
俺蹴られてんだよな?
いやいや、紗希は優しいぞ。

とにかく避難だ。
男のジーンズをくわえようとしたが、やはり食い物意外を口に入れる気にはなれず、ジーンズに爪をグイと差し込んで出入り口に引っ張ろうと努力した。
「お、おい、なんだ?」
「にゃ!」
「外か?外に出るんだな?」
「にゃ!」
「あの、すみません。また来ます」
そう言うと男は片瀬からガーベラを受け取り、俺と共に赤レンガへ出た。
「なんだよ、どうしたんだ、猫」
「にゃにゃ!」(感謝しろ!)
「分かんねーな」
(お前は分からないか…)
怪訝な顔をする男の肩ごしに片瀬のオニのような形相がちらちらと見える。
怖え〜。
「にゃ…にゃ…」(今だ、振り向いてみろ…)
「え?」
それが通じたのか否か、俺の目をじっと見ていた男がおもむろに後ろを振り返った。
「ええっ?」
「あ、ありがとうございましたぁ」

片瀬、取り繕うも既に遅し。
可憐な笑顔は歪んでいる。
ひっでーブスだ。
ごめんな、男よ。お前の夢を壊して。
でも俺も壊れたんだ。
っていうか俺なんか蹴られてんだ。
飛んだんだ、空中を。

「にゃ〜…」「はぁ…」
男と俺は同時にため息をついた。
「今すごい顔だったけど、俺フラれたって事かな」
男が俺を見て話しかけてくる。
「にゃ〜にゃ」
ゆっくり首を左右に振った。
「違うのか?」
「にゃ」
ゆっくり首を縦に振った。
「分かんねーな、女って」
「にゃ…」
俺はしゃがみこむ男のジーンズに肉球を乗せ、頷いた。
「次の恋でも探すか」
「にゃにゃ」(そうしろ)

男と俺は赤レンガをしばらく一緒に歩いた。
もう二度とこの花屋に入る事は無いだろう。
小躍りして喜んでいた紗希の姿が浮かぶ。
(悪かったなぁ。巨乳の花で喜ばせちまって)
小躍りしても揺れない紗希の胸のほうが何倍も可愛く思えた。

途中、もの凄く可愛い女の子とすれ違った。
男は振り向いてまでもその女の子を目で追っていた。
そのまま10歩歩いた後、本当に追って行ってしまった。
なんだ。助けて損したぜ。

その男のジーンズを見送り、俺はまた歩き始めた。












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