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猫になって君にキスをして
作:水沢 莉



猫になって君にキスをして


紗希の尻の黄色いクマを眺めながら、時折テレビに目を移す。
俺は紗希の足元にあるベッドに腰掛けて、前にいる紗希、その前にあるドリフの流れるテレビを交互に眺めながら1時間を過ごした。
「風呂入れよ!」カトちゃんが言う。
「はーい」紗希が応える。
「歯、磨けよ!」カトちゃんが言う。
「はーい」紗希が応える。
「飯、食ったか?」カトちゃんが言う。
「はーい」紗希が応える。
「また来週!」カトちゃんが手を振る。
「また来週!」紗希が手を振る。

「……」
なんで、ドリフなんだ。
なんで、この平成に普通にドリフなんだ。

「あ〜オモシロかった」
満足気に仰向けになり、ぐぐっと伸びをする紗希のへそを見つめて俺は「にゃ」と呟いた。
「あ、猫ちゃん、オモシロかった?」
「…」
紗希の尻のクマのほうが気になってテレビの内容まではしっかり覚えていない。
「にゃにゃ」(尻が気になって)
「そう、どのへんが?」
「にゃにゃ」(その、プニプ二加減が)
「やっぱりね、変態」
「にゃ」(悪かったな)
「あの変態っぷりは、ケンちゃんじゃないと出来ないわよね」
「にゃ…」(だよね)

通じない。
やっぱり猫語じゃ会話はできないのだ。

「どれ、お風呂にでも入ろうっと」
おもむろにTシャツと黄色いクマのパンツを脱ぎ捨て、すっぽんぽんになった紗希が俺の前に来て頭を撫でる。
「ちょっと待っててね」
「にゃ」
目の前にある紗希の小ぶりな胸。
やばい。
見慣れてるはずのその胸が、とんでもなく悩ましい。
「んにゃにゃ」
風呂場に向かう紗希の、クマのいなくなった尻共々俺の鼻の奥を刺激した。
猫になって3回目の鼻血。
まったく俺は……。
この姿では紗希に覆いかぶさることも叶わない。
そんな事をしたら、何だか分からない虫のいる外に放り出されてしまうかもしれない。
そんな事になるくらいなら、大人しく猫をやってこのまま紗希の部屋で一緒に暮らしていく事を選択したい。
んでも……。
毎日こんななのだろうか。
紗希の帰りを待って、帰ってきたら頭を撫でてもらって、風呂に入るとすっぽんぽんになれば、その度に鼻血を流し、隣で眠る紗希に悶々としながら朝を迎えるのか…。
もしかしたら紗希が得体の知れない男を連れ込んでくる事もあるかもしれない。
その新しい男とイチャつく紗希を床に座って眺めていなければならないのか。
なんて切ないんだ。
猫、ラッキーなんかじゃねぇ…。
人間に戻りてーよ…。
「にゃ…」
知らずに泪がこぼれた。
赤い前足で泪をぬぐいながら、紗希が風呂から上がってくるのを待った。

「あ〜、さっぱりしたぁ」
ごしごしとタオルで髪を拭きながら、すっぽんぽんの紗希が戻ってきた。
「あら?」
そのまま俺の顔を覗き込む。
「猫ちゃん、目の周り、赤いわよ」
「にゃ?」
「血のついた手で擦ったのね」
「にゃ…」
テレビの脇の鏡を見ると、目の周りをパンダ模様のように赤く染めた俺が写っていた。
なんだ、この姿は。
ますます切なくなった。

「ふう」
バスタオルを身体に巻いた紗希が、俺の隣りにすとんと腰掛ける。
バッグの中から携帯を取り出して「あれ?」と言っている。
「あらら、充電するの忘れてた」
(え?)
「いつから切れてたんだろ」
(おい)
「聡史から連絡も無いし…」
(電源入ってないなら当たり前だろ…)
「あ〜あ…」
(かけたんだぞ、一応)
「あのバカ」
(お前もだろ…)
「ちゃんと起きたのかな…」
(猫になってな)
「ちゃんとご飯食べたのかな…」
(固焼き煎餅とラーメンとビールとドーナツと…)
「今日、何してんのかな」
(…お前の隣りで猫やってるよ)
「何して過ごしたのかな」
(電車にまで乗ってここまで大冒険だ)
「歯、磨いたかな」
(いや…)
「お風呂、入ったかな」
(いや…)
「また来週」
(…お前はカトちゃんか)
「…は、会いたいなぁ…」
「…にゃ」

充電プラグを突っこんだ携帯に、並んで笑う俺と紗希の待ち受け画面を表示させながらポツンポツンと呟く紗希の横で、俺は何もできなかった。
すべすべとした太ももに寄り添い、ただ黙って紗希と共にその待ち受けを眺めた。
ごめんな、紗希。
水族館行ってやれなくて。
いつも眠ってばっかりで。
これからはもっと構ってやりたい。
んでも、俺、猫なんだ。
猫になっちったんだ。
お前が猫になっちゃえなんて言うから。
これじゃ一緒に映画も見れないな。
水族館になんて行ったら、猫の俺なんて追い出されるだろうし。
「はぁ」「にゃぁ」
同時にため息をつき、しばらく携帯を見つめていた。
ぐすぐすっと鼻を啜る紗希の目から一粒の涙がこぼれ、携帯を濡らした。
「猫ちゃんは好きな人いる?」
目に涙を溜めたまま薄く微笑む紗希が俺の頭を撫でる。
「にゃにゃ」(紗希、お前だ)
「そう」
寂しげな目で呟き、俺を抱き上げ膝の上に乗せる。
バスタオルに包まれた紗希の身体からふんわりと石鹸の匂いがする。
温かい腹に顔を押し当て、背中を撫でる紗希の手の動きに合わせて俺も静かに泣いた。
ボーンボーンボーン…
古時計が10時を告げる。
「何にもすること無いし、寝ようか」
そう言うと紗希は、俺を膝の上から降ろし、そのままベッドに横になった。
「にゃ」(風邪ひくぞ)
脱ぎ捨ててあったTシャツをくわえ、紗希の顔の前まで運んで「にゃ」(着ろ)と促した。
「ありがと」
Tシャツを受け取った紗希はそれを着て布団に包まった。
俺はその隣りにもぐり込み、石鹸の匂いのする紗希の髪の側で丸まった。
「あったかい」
俺を左腕で抱きかかえ「おやすみ猫ちゃん」と言った紗希は、思いついたように側に置いた携帯を広げ「おやすみ、聡史」と呟いて静かになった。
3分とたたないうちに紗希の寝息が耳毛を揺らした。
「にゃにゃ…」
涙の跡の残る紗希の頬を右手の肉球で撫で、寝顔を見つめた。
「…もう食べれないよ」
寝ぼける紗希の可愛い寝顔をしばらくそうして眺めた。
寝れなかった。疲れてるのに。
そういえば猫は夜行性動物だ。
なんて思いながら紗希の腕の中でパタパタとしっぽの先だけを動かしていたが、温かさに慣れ、やがて睡魔が襲ってきた。
(おやすみ、紗希)
むにゃむにゃと動く紗希の小さな唇に、鼻先と髭を押し当てキスをした。
はぁ…猫の口で人間にキスしても、何だかその感触までよく分からない。
「…そこだ、デンジマン…!…」
遠くに聞こえる紗希のマニアックな寝言を耳に入れ、俺も静かに目を閉じた。


チュンチュンチュン……
雀が鳴いている。
う〜ん…と伸びをし目をやる先のカーテンから、埃を照らしてスッと入り込む朝日が床を照らしている。
「…ごちそうさまぁ」
眠っている間、ずっと何かを食っている夢を見ていたのだろうか。背中に眠る紗希の寝言が耳に入る。
まだ6時くらいだろう。
くるりと身体の向きを変えて眩しい朝日に背を向け、紗希のほうへ寝返った。
「…もう限界だってば」
まだ何か食ってるんだろか。口元をむにゃむにゃと動かし、スースーと寝息を立てている。
その姿が無性に可愛くて、俺は右腕を伸ばし、紗希を抱きかかえた。
布団の温かさと紗希の柔らかさに安心して、再び眠ってしまった。

それから1時間くらい経っただろうか。
「きゃーーー!!!」
紗希の金きり声が部屋に響いた。
「んにゃぎゃーー!!」
紗希とあんな事やこんな事をしている夢を見ていた俺も、突然の金きり声にビビッて目が覚めた。
そのままゴロンと床に転げ落ちた。
つつーっと鼻から何かが出てくるのが分かった。
…恐らく、また鼻血だ。

「この変態!!」
布団を胸元までたくし上げ、びっくり顔でベッドに座ったまま壁に寄りかかる紗希が俺を見て、わなわなと唇を震わせている。
「どこから入って来たの!?」
「にゃ」(どこからって、玄関じゃねーか)
「いつから居たの!?」
「にゃ」(昨日からいるじゃねーか)
「すっぽんぽんで何してんのよ!」
「…にゃ」(…服なんて必要ねーじゃん、猫だし)
「あんた、バカ?!」
「にゃ」(なんだよ、いきなり)
「この変態!! 鼻血流して何してんのよ!」
「にゃ」(…鼻血は認めるよ)
「何が“にゃ”よ!」
「にゃ?」(はぁ?)
「気でも狂ったの?」
「にゃぁ?」(はぁ?)
「…ちょっと、本気で大丈夫?」
「……」(そんなに大量に流れてんのか、鼻血…)
「…聡史?」
「にゃ…」(さと…あ…?)

聡史? 何で俺を聡史と呼ぶ?
寝てる間に、俺に名前でもつけたのか?
それにしても聡史って。猫に聡史って。
俺は床に座り直した。
「にゃっこらせ…と」
ん? 何だ、“にゃっこらせ”って。
「にゃんだ?」
あ? 何だ、“にゃんだ”って。
半分猫で半分人間のようなセリフが出た口に手を持っていく。
指で唇を撫でる。
ジョリッと髭の感触。
なんだ俺、バリバリの毛並みだったのが、一晩でジョリジョリになってやがる。
「ちょっと…」
紗希はまだ俺を変な目で見ている。
「にゃんだよ」
紗希の言葉と表情に困惑しながら、頭を掻いた。
ぴとっと床に鼻血が落ちる。
「にゃべ」
くるりと振り向き、鏡で鼻血の状況を確認した。
幸いな事に、片穴からの出血だった。
ジョリジョリの髭の間を伝い、唇に一本筋を描いて赤い線が垂れているものの、たいした量じゃない。
「にゃんだ、たいした事にゃいじゃん」
指先で鼻血を擦り、ほっとした時に気づいた。
何だ俺、すっぽんぽんで鼻血って。
これじゃ紗希だって、俺を変態呼ばわりするわな…
って、
あれ?

「にゃんじゃこりゃーーー!!」

すっぽんぽん!
すっぽんぽん?
俺、猫だよな?
お前、誰?
…って俺じゃん!!
何で?
どうして??
すっぽんぽん!
…ってびっくりするとこ違ってるし!
何で?
俺じゃん! 聡史じゃん!

鏡には俺が映っていた。
猫じゃない。
人間の俺が映っていた。
「にゃんでー?!」
猫慣れしてしまったのか、人間の姿をもっても半分猫語の俺がしゃべってた。

「ちょっと…聡史…あんた、大丈夫?」
本気で変態を見つめるような目で紗希が後ろから声をかける。
「さっきから何なの、にゃーとかにゃんだこりゃとか…。っていうか、ホントにいつ入ってきたの、あんた」
「…戻った」
「はあ?」
「…人間だ」
「ねぇ…大丈夫?」
「…しっぽも無い」
「聡史…」
「…肉球も無い」
「ねぇ…」
「人間だ!」
「…可笑しくなっちゃったの?」
「ひゃっほーーいっ!! 人間だーー!! 戻ったーー!!」
「……」

俺はフローリングの上で歓喜の踊りを舞った。
すっぽんぽんでくるりくるりと。
この爽快感!
あまりの興奮に、きっと俺の下半身もすごい事になっていたのだろう。
「狂ってる…」
放心したような顔で俺を見つめる紗希に飛びついた。
「紗希! 戻ったぞ!」
「きゃー! やめてよ!変態!」
「戻ったぞ!」
「戻ったぞって、ここ、あんたの部屋じゃないじゃん!」
「そういう意味じゃなくて!」
俺はますます紗希をきつく抱き締めた。
「苦しいって! やめてよ、変態! なんなの! いきなり部屋に現われて、すっぽんぽんで、その下半身は!!」
「俺は人間だ!!」
「バカじゃない?!」
「バカでも何でもいい!」
紗希を抱いたまま、ベッドの上で何度も転がった。
「バカバカ!変態変態!」と紗希がもがいている。しかし俺には喜びが抑えきれなかった。
紗希と布団を抱えながらベッドから床に転がり落ち、ようやく少し落ち着いた。
「紗希、戻ったんだ、俺」
「だから何なのよ、訳わかんない」
「猫だったんだよ、俺」
「は?」
「昨日の猫」
「聡史…あんた大丈夫なの?」
「昨日の猫だったんだって。ほら」
俺は薄っすらと赤い両手を紗希に見せた。
「昨日の猫、手、赤かったろ?」
「…うん…赤かった」
もう一度鏡に振り返り、顔をチェックした。目の周りも薄っすらと赤い。
「目の周りも赤かったろ?」
「…うん…赤かった」
そういえば、しっぽ。しっぽの先は黒かったはずだ。
俺は剥き出しの自分のケツをチェックした。
尾てい骨あたりに黒っぽい青アザが出来ていた。
記憶を辿る。
ああ。そうか。
うん、きっとそうだ。
俺が猫になる前、そう、土曜の朝、俺は紗希に蹴りをくらっている。
その時のアザに違いなかった。
「猫、しっぽの先が黒かったろ?」
ケツを紗希に突き出して黒い青アザを見せた。
「汚いなぁ…。うん、黒かった」
「だろ?猫だったんだって、俺」
眉間に皺を寄せ、怪訝な顔で俺を見る紗希の表情は困惑していた。
「猫だったんだ、俺。大変だったんだぞ。猫の身体ってな…」
俺は紗希を抱いたまま、猫であった一日の行動・出会い・大冒険談なんかを語り始めた。

2〜3分話しただろうか。紗希の眉間の皺はますます深くなってきた。
「それでさ、その爺さんがさ、、、」
「聡史…」
「耳が遠くて話が通じないし、、、、」
「聡史…」
「あのハスキー、すんごい吠えて、、、」
「聡史!」
大声を上げた紗希にほっぺたの肉を両側からむんずと摘まれた。
「ほりゃはにゃ」
「あんた、やっぱり可笑しいよ。熱あるんじゃない?」
「はにゃほにゃ」
「病院行く?」
「ほ…だひゃら。ほれふぁ、にぇこ…」
「猫、猫って…」
俺は顔をブンっと左右に振り、紗希の手を振り払った。
「ホントなんだって!」
「猫?」
「そう、猫!」
「猫…」
「俺は猫だったんだって」
「猫…」
「そうそう、猫。現にあの猫…白猫居ないだろ?」
「居ないけど」
「猫って大変なんだぜ、意外と」
俺はまた説明を始めようとした。
「猫猫猫猫って…」
紗希の頬が膨らんできた。
「そんなに猫になりたいんだったらね、」
「あ」
まずい。これじゃ土曜の朝の二の舞―――
「あんたなんか、猫にでもなっちゃ……」
「あ゛あ゛ーーー!!」
紗希の言葉をさえぎる様に、俺はぎゅうっとその唇にキスをした。
もう懲り懲りだ、猫に戻るなんて。
「ふがふが…」
紗希が腕の中で暴れている。
俺はかまわず抱き締めた。これでもかってくらい抱き締めた。
そしてこれでもかってくらいキスをした。
人間の姿で、そして人間の唇で触れる紗希の唇は柔らかく、とてもとても温かかった。
嬉しくて仕方が無い。
可愛くて仕方が無い。
興奮した俺は再び鼻血を流し、そして再び下半身が反応した。
「この変態!!」
もがきながら紗希がボンボンと俺の肩をどつき、頬をぴしゃりと叩いた。
しかしその表情はくしゃくしゃに崩れ、こぼれるような笑顔で俺を見つめていた。
変態でもなんでもいい。
こうして紗希と居られるなら。
人間の姿で紗希にキスする事ができるなら。
しばらくゴロゴロと二人で床を転げまわった。

「聡史」
「ん?」
「今日、月曜よ」
「うん」
「その格好で出勤するつもり?」
「あ」

紗希がケラケラと笑っている。
その鼻の下、頬、あご、顔中いたるところに俺の鼻血が伸びている。
「ぶぶ」
ケツの黒い青アザが床に擦れるたび少々痛む。
カーテンから刺し込む光は、もうそんなに眩しくは無かった。



         

 == 完 ==…だけど続編あるかも(構想中です)



※どうぞ、あとがきへ……。
&新作「メロン三丁目、めぞんディコメ」開始しました。










最後まで駄作にお付き合いくださった方々、本当にありがとうございました。
途中、一体この話はどこまで飛んでしまうのだろうと不安になりましたが、コメントや評価に助けられ、何とか完結まで持ってこれました。
書いていて本当に楽しかったです。
番外編・続編も考えていたのですが、とりあえず本編はここで完結とさせていただきます。






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