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猫になって君にキスをして
作:水沢 莉



昭和の町に演歌が響く


電車を降りた俺は、ホームから階段を下り、自動改札をテッテとうまく潜り抜け、ちっちゃなその町に降り立った。
空はすっかり夕焼けが広がり、辺りの電信柱はオレンジ色に染まっている。

電車で3つ移動するだけで、昭和の雰囲気の残る町に出る。
駅から少し続く商店街の軒先には、ボロボロになったビールのポスター、秋だというのにカキ氷ののれん、冷やし中華始めましたの張り紙、レアな寅さんオロナミン看板…なんかが続く。

店先に座るのは殆どが年寄りで、パイプの丸椅子に腰掛け、時折コクリと首を垂れ、居眠りをしている。
どこからか『爺さまが叩くじょんから節の〜♪』と、コブシの効いた歌声が聞こえてくる。
泣き三味線が耳毛に響き、なんとも心地よい。
猫の耳に、演歌はとても気持ちよく入り込んでくる。
『帰ろかな〜帰りたい〜 ふるさと〜夢んなか〜♪』
泪が出そうだ。
俺も人間に返りたい。

オレンジに色づく道を少し進むと、肉屋の前に妃さんがいた。
今日は焼肉ですかい?
また少し進むと、蛍・烏賊さんとすれ違った。
足元に蛍の光が舞っている。

また何処からか、ムーディな曲が耳毛を揺らす。
『きっと、あたしのため残しておいてね〜最後の踊りだけは〜♪』
ラストダンスは私と…ああ…一体ここは、昭和何年目をやっている町なのだろう。
もしも猫のままいるはめになったとしたら、俺は間違いなくこの町に住むだろう。
こうやって演歌とシャンソンなどを聴きながら、ボロ商店の屋根の上に寝転がりながら、
向かいの軒先に笑う寅さんのオロナミンを見ながら、ぼーっとして一日を過ごすのだ。
時折この商店街を通り、あのちっちゃな駅に向かう紗希の姿を見つけて猫の俺は言うんだ、「にゃにゃ」と。

何だか…
秋の夕焼けとこの昭和な雰囲気に圧されてだんだんと寂しくなってきた。
やばい。

しかし何で俺はこんなに古い歌を知ってるんだ。
さっきの太川たかし、越路猛吹雪、そして魚屋から漏れる『桜色吐息』、金物屋から流れる『兄弟大船』、全て口ずさめる。
…紗希か。
そういえば紗希は演歌が好きだ。
何故か分からないが、演歌・歌謡曲・フォークソングなんかが好きだ。
CD売り場なんかに行くと、必ずと言っていいほど、『昭和50〜70年代、懐かしのヒット曲』というパッケージのCDばかりを手に取り、じっと眺めている。
アパートに行くと大体いつも『天城越えだ』が流れている。
そのせいで俺も古い曲をよく知っているのだ。
紗希がこの町に住もうと思ったのも、なんとなく分かる。

商店街を抜けると、田んぼ沿いのあぜ道に掘っ立て小屋が建っている。
馬場町集会所だ。

集会所の前にある錆びれたバス停にドリンクさんの姿が見えた。
バス、今日はもう来ないよ?
と思ったら、ガガガ…と後ろからバスのエンジン音。
来た。
「今日の最終でーす」
運転席を見ると、SATOMIさん。おおぅ。

夕飯前の時刻、集会所から大音量のカラオケ音が漏れてくる。
爺さんの声がする。
『爺さまが叩くじょんから節の〜〜』
この町の住人は、よほど太川たかしが好きなのだな。

閉まりきっていないそのドアから中を覗き込むと、爺さん数人と婆さん数人が床に座り、一人の爺さんがマイクを持ち、『大望郷じょんから』を熱唱している。
マイクを持つ手が時折ひどく揺れ、口元を離れる。
その度にマイクを通す声が途切れる。
レコードのようだ。

「ふるさと恋しや〜はないちもんめ〜!」
座る爺さん婆さんが、『あ〜あ〜あ〜』と手を合わせ熱唱する。
最後の『あ〜あ〜』の部分でマイクを持った爺さんの入れ歯が、スポーンと吹っ飛んだ。
あろうことか、その入れ歯は、前に座る婆さんの頭の上でバウンドし、その後ろの爺さんの光る頭の上に乗っかった。
マイクを持つ爺さん、かまわず、太川たかしを震えながら熱唱。

「にゃ」(ぶぶ)
笑っているのは俺だけだった。
どうして皆笑わないのだ?
吹っ飛んだんだぞ、入れ歯が。
しかも爺さんの頭の上で、爺さんが揺れるたび、カチカチと動いているのだぞ。
唄う入れ歯か。
ぶぶぶー!!

爺さん婆さん連中に混じり、散らばるカラオケテープを片付けている若い女の後ろ姿が見える。
「にゃ?」(あれ?)
見覚えのある背中。
見覚えのある髪型。
もしや。

「さ、夕ご飯の時間になるから帰ろうね!」
爺さん婆さんに振り返り、帰りを促す声の主は紗希だった。
「にゃにゃ」(紗希じゃん)
何をしてるのだ、紗希はここで。
「紗希ちゃんよ、あと一曲歌って帰ろうや」
吹っ飛んだ入れ歯を何食わぬ顔で別の爺さんの頭から取り上げ、そのまま自分の口の中にカポリと収めた爺さんが紗希に催促した。

「んだ、もう一曲歌おうや」
「しょうがないなぁ。何にする?」
「太川たかしの『西酒場』がいいな」
「んだな、それだな」
「歌うべ」
ホントにこの町の住人は、太川たかし好きだ。

「じゃ、それ歌ったら終わりね」
紗希がテープをセットする。

「西のぉ〜〜酒場通りにはぁ〜〜」
爺さん婆さんの大合唱が始まる。
「長い〜〜髪の女が似合う〜〜」
爺さんからマイクを貰った紗希が続ける。
「ちょっと〜〜お人よしがいい〜〜 くどかれ上手なほうがいい〜〜」

「……」
俺は爺さん婆さん、紗希のカラオケ交友会が終わるのをドアの前で座り込んで待った。
「あーー、やっぱりすっきりしたい時は、太川たかしよね!」
「んだ、んだ」
「また来週もやっぺな」
「そうすっぺ」
「んじゃ、またない」
「またない」

どっこらしょと立ち上がる爺さんと婆さんがこちらに向かってくる。
「にゃにゃ」
俺はドア横に逸れ、皆が出るのを待った。
最後の婆さんのケツを見送った後、ドアから集会所を覗き込んだ。
道具を片付ける紗希の姿。
「久しぶりに歌ったけど、やっぱり太川たかしは最高ね」
鼻歌混じりにテープをケースに収め、四角いカラオケ機械を部屋の隅に「よいしょ」と運んで、一つ伸びをする。
「はぁ…でも日曜に爺ちゃんたちとカラオケって」
苦笑しながら肩を落とす。
「にゃ…」(紗希…もっと別の予定は作れなかったのか…)
紗希は少し天然だ。
ま、仕方ない。
「昨日は水族館行きそびれたしさ」
「にゃ…」
肩を落とし、薄汚れた窓から外の夕日を見る紗希の横顔が寂しい。
「本気で太川たかしに会いに行こうかな」
「……」
他に言うことはないのか。

「さて帰ろっかな」
“西の〜酒場どおりにはぁ〜”と鼻歌を歌いながら、紗希がドアへ近づいてきた。
「にゃ」
何故だか分からないが、俺は反射的にドアの影に隠れた。
何となく後ろめたい気持ちがあったのかもしれない。
水族館行きをぶち壊し、貴重な若い女の休日を、爺さん婆さんのカラオケ大会に費やさせてしまったのだ。
「あたしももっと演歌勉強しないとな。爺ちゃんたちに教えられない」
「……」
定期的に教えてるのか、紗希…。
むしろ教えられるのは、お前のほうじゃねーのか?

「今日、何食べようかなぁ」
サンダルに足を突っこみ、カーディガンのボタンを締めながら、紗希が集会所の鍵をかける。
チャリンと音を立てる鍵をジーンズのポケットに収め、砂利道を歩きだす。
「にゃにゃ」(紗希)
長く伸びる紗希の影。
その頭の部分を追いかけるように俺も後に続いた。

「聡史、何してるんだろ…」
“わたし待〜つわ いつまでも待〜つわ…”
二人組デュオの唄を小さく口ずさみながら、とぼとぼと歩く紗希の頭の影が、うつむくと同時に少し短くなった。










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