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猫になって君にキスをして
作:水沢 莉



白い、しっぽの先が黒い猫


俺は猫だ。
名前は「聡史」だ。

正確に言えば、本当は人間だ。
何でだろう。
分からないけど、朝起きたら猫になっていた。


朝日が射し込む。
今日は日曜だ。
時間の心配をする必要は無い。
だから日曜は好きだ。
その好きな日曜に目覚ましよりも先に目覚めてしまうと、これほどガッカリな事は無い。
そのガッカリな日曜に今日は当ってしまった。

カーテンの隙間から漏れる陽光。
いつもの朝日……のはずだ。
なのに何故だろう。
異常に眩しい。

布団にくるまれたまま伸びをする。
目一杯チカラを入れて。
丸まった身体がブルブルっと震える感覚が好きだ。
いつもの伸びだ。
なのに何故だろう。
異常に気持ちがいい。
背骨がかなり反り返る。

朝日から目をそらす。
目を閉じ、もう一度布団の中で丸まる。
今日は休み。二度寝三度寝気にする事は無い。
包み込む布団の柔らかさがものすごく気持ちいい。
鼻先に触れる髪の毛が邪魔だ。
毛深い手で払いのけるもいつまでも絡み付いてくる。
もう一度払うも、髪の毛はやっぱり鼻先を撫でる。

髪の毛?
鼻先に当たるほど長く無いはずなんだけど。
まぁいい。抜け毛かなんかだろう。

毛深い手?
まぁ元々毛深いほうだ。
んでも今日の毛深さは異常だ。
こんなに毛深かったか、俺。

腕を見る。
毛深い…というよりもむしろ腕のどこを見ても毛だらけだ。
訝り、腹の方へ目を移す。
腹も足も毛深いじゃん。
目をこする。
ひんやりと柔らかい手のひら。
目の前に肉球。
……あ?
…肉球?

「なんじゃこりゃーー!」

自分の毛深さ…いや、全身ふっさふさに毛だらけだ。
正確に言えばふっさふさでは無くバリバリに近い毛並みだ。
毛並みって。

驚いた。
飛び起きた。言葉通り。
ものすごい跳脚力だった。
1メートル以上はベッドから跳ね上がっただろう。
そのまま床へ落ちた。
見事な着地だった。


…とにかく、俺は猫になった。
自分の意思では無い。
勿論だ。

しばらく部屋の中を歩きまわった。
そうする事しかできなかった。
早足で玄関へ行き、キッチンへ行き、バスルームへ行き…ワンルームなので歩くスペースは限られているのだが、そりゃあ、そわそわと。
しかしまるで足音がしない。
キャットウォーク。
混乱しながらも、これがそうか…と感心する余裕はあった。
単純な自分の脳に、我ながら呆れる。

鏡の前に立ち、全身をチェックしてみた。
どう見ても、そこにいるのは猫だった。
左手…左前足を上げてみる。動く。
ケツに集中する…しっぽがピンと立った。
まさかな…思いながらも恐る恐る声を出してみた。
予想はしていたが「にゃー」と聞こえた。
自分の意思で鏡の中の猫が動いていた。
……やっぱり俺だった。
白いバリバリの全身に、しっぽの先が黒い猫。
逆だろ…。
ってそうじゃない。何で俺が猫なのかまるで検討がつかない。
一体どうなってるんだ。
しばらく途方に暮れた。

しかしこうしていても仕方が無い。
とにかく猫になってしまった。

「にゃーにゃにゃー…」

どうしよう…と言ったつもりだが、耳に入るのは猫語…と言うのか?
とにかく猫の鳴き声だった。

カーテンを開けよう。
という訳で出窓を見上げる。
床上十数センチから見上げる視界は意外と高い。
いや、見上げる視界に限らず、全てのものが結構デカい。
出窓へ集中する。
知らずに足…後ろ足が足踏んでいるのが分かる。ケツが振れる。
前足と後ろ足を踏ん張る。
(ていっ…!)
簡単に出窓に上がれた。さすが猫だ。

青いカーテンに手をかけるが、引こうにも旨くいかない。
ムシャクシャして引っ張ったら、爪が引っかかりしばらくカーテンと格闘した。
やっとの思いで引いたカーテンの外には、いつもと変わらない朝の風景が広がっている。
向かいのアパートのベランダに鳥が鳴いている。
そのまた向こうの工場の煙突からは勢いよく煙があがっている。
降り注ぐ朝日。
いつもよりかなり眩しいが、それも何ら変わり無い。
青い空には白い雲が薄っすらと横たわっている。
見下ろす道路には朝露に濡れた草が風に揺れている。
いつもと同じだ。
しかし一つだけ違うのは、彼女と別れた次の日の朝だという事だった。

もう一度鏡の前へ戻る。
猫だ。どう見ても。
それから1時間、そうやって鏡の前に座っていた。
目を閉じて念じたりもしてみた。
(戻れ…!)
数回繰り返したが、目を開けばそこには白い、しっぽの先が黒い猫がいるだけだった。
頬をつねろうにもつねれない。
仕方なく叩いてみる。
肉球の感触が気持ちいいだけだった。


…とにかく俺は猫になった。
どうしようも無い。
人間に戻れるのか、ずっとこのままなのか。
しかし考えていても仕方無かった。
玄関へ行って引き返した。
鍵なんて外せない。
出窓へジャンプした。
この鍵ならなんとかなるだろう。
再びジャンプして鍵に前足をかける。
そのままぶら下がる。
身体が落ちるのと同時に窓の鍵は開いた。
窓に前足をかけ、力を込める。
身体が通れる幅の隙間が開いた。
頭を出し、外の空気を吸い込む。
何となく生臭い。

部屋にいても仕方無い。
どうせ猫になってしまったのだ。
外に出たって何か変わるわけでもないだろう。
でもこうしていたって暇だ。
暇っていうか…一人猫になった自分をどうしていいのか分からずに、このまま部屋にいる気分にもなれなかった。
意を決して隣りの家の屋根へジャンプした。
思いのほか軽々と飛び移れた。
そのまた隣りの平屋の屋根へジャンプ。
そして傍の車のボンネットへジャンプ。
地面へ着地。
地かに両手両足に伝わる土のひんやりとした感触に少し戸惑うも、道路へ出る頃にはその感触にも慣れた。
俺の環境適応力は大したものだ。

アスファルトの匂いがキツイ。
まあ仕方無い。
道路の隅で左、右、どっちへ行こうか迷っていると、佐々木さん家のペコ…飼い猫が電柱の影からこちらを窺っているのが見えた。
じっと見ている。
背中の毛が若干立っていた。
喧嘩なんてまっぴらだ。
戦い方など全く知らないのだ、猫の。

慌てた俺は、とりあえず左へ向かった。
風が吹く。
頬に触れる初秋の風は、少しひんやりと気持ちがいい。
鼻先がくすぐったい。
長く伸びた髭が風に合わせて揺れていた。









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