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第三十六話 力無き者たち
 


「まったくあの変態は。急に家へ引き籠るなんて、何を考えているんですの?」
 とある病院。というか、いつもの病院の廊下を、黒子はスタスタと歩いてゆく。
「あんなメールを支部へよこして、ホントに心配したんでのよ?」
 黒子が思い返すのは、風紀委員(ジャッジメント)第一七支部に届けられていた、とあるメール。翔が送ってきたそのメールには『しばらく旅に出ます。探さないで下さい』という内容が書かれていた。のだが、心配した黒子がすぐに翔の自宅へと電話を掛けてみればクロコが応対し「翔は自室に引き籠っている」と教えてくれた。
 なので黒子は今、翔の事はとりあえず後回しにしておいて、負傷して治療を受けたという初春の病室へと足を向けていた。
「失礼しますわよ。初春? 大丈夫ですの?」
 少女らしい小さな手の甲でスライドドアを軽くノックして、病室の中へと足を踏み入れる。
 そうして未だ日常の内に居た黒子が目にしたのは、ベッドの上で肩を落とし、青ざめた顔の初春だった。
「白井、さん……?」
 目を見開いた初春が、ゆっくりと顔を上げた。
 得体の知れぬ恐怖に、今まさに喰われた――そんな表情で、初春は茫然と黒子の方を見つめる。
 その膝の上には、ノートパソコン。
 ――いったい何が? 
 不穏な空気を察した黒子は、初春に駆け寄り問い掛ける。
「どうしたんですの初春っ? 何か、あったんですの?」
「白井さん……。わたし、……わたしっ」
 震える声で悔いるように、初春は言葉を紡いでゆく。
「わたしっ、せっかく翔先輩が守ってくれたのに自分からっ――昨日の事が、‘ここまでのモノ’だったなんて、私、思ってもみなくてっ。でもっ、私、翔先輩の力に成りたくてっ。なのにっ――」
 次第に錯乱していく初春。
 要領を得ないその言葉に、黒子はとりあえず初春を落ち着かせようとしたが、
「初春っ、落ち着いて下さいなっ。何が――っ!?」
 初春の肩を掴んだ拍子に見えたノートパソコンの画面。
 そこには――、
 ‘御坂美琴の死体が、映っていた’。


 ―第三十六話 力無き者たち―


 沈んだ空気が満ちる病室。
 初春から一通りの事情を聴いた黒子が、ふと漏らした。
「では、お姉様のクローンは実際に居て、そのクローン達が1万人も殺されてきた、と」
「はい。そして、実験はまだ行われていて、あと一万人のクローンを虐殺すれば第一位は絶対能力レベルシックスへと進化する。そう、記載されていました……」
 一応は落ち着きを取り戻した初春が、口頭でそう伝えた。
 実際の資料はもう闇の中だ。
 事の真相を探る為に使っていたノートパソコンは逆ハッキングを受け、フリーズ、今は合成樹脂と金属で構成された無用な箱と化していた。
 そして今現在、そのノートパソコンに画面に映っているモノは、
「‘これ以上深入りすれば、お前もこうなる’と……」
 重く、黒子が言った。
 画面に映るのは、その警告文とクローンの死体。
 それは、翔が初春に見せたくはなかったであろう無慈悲な現実。
「翔先輩は、きっと私に‘これ’を見せたくはなくて、だから守ってくれたのに……なのに私っ、情報捜査なら大丈夫だろうって、誰にも負けないって、そんな自惚れで自分からっ、せっかく翔先輩が守ってくれたのにっ」
 初春の声がまた切迫してくる。
 翔への懺悔か、それとも昨夜の恐怖が蘇ったのか――いや、どちらもで、初春の肩は震えているのだろう。
「初春……」
 黒子はその怯えた背中を撫でてやりながら、思考は現状の理解に飛ばしていた。
 初春のハッキング能力。
 それは学園都市随一と言っても過言ではない。
 その初春に逆ハッキングを仕掛け、ここまで叩きのめした。電子戦ならば不敗を誇っていた初春に黒星を与えたのだ。
 もし相手が能力者だったとしても――いや、たとえ相手がレベル5の電撃使いエレクトロマスターだったとしても、こと電子戦に掛けては、初春をここまで追い詰める事など出来ないだろう。電子戦以外の何か――‘学園都市の全てを掌握する程の力’でも持っていない限り。
 そしてもう一つ気になったのは、先日交戦したファイブオーバーという駆動鎧パワードスーツ空間移動テレポートとの相性が良かった為に一蹴の元に伏せてみせたが、普通なら機甲旅団でさえも太刀打ち出来ないような戦力だ。そして、研究所での出来事は表沙汰になっていない。
 たしか、翔は以前に「警備員(アンチスキル)にさえ圧力を掛ける程の相手が黒幕だ」と言っていた。
 そんな相手はごく限られてくる。
 圧倒的な戦力を有し、絶対能力レベルシックスに関わる実験を推し進め、初春のハッキングさえ弾き返す相手。
 それらが繋がるモノと言えば、一つしかない。
「彼は、まだ戦っていましたのね……」
 那由他の襲撃から、その姿を見せ始めた一連の出来事。
 思えば、幻想御手事件に一枚噛んでいた翔。AIMバーストという‘予期せぬ敵’が現れたのでうやむやになったが『木山春生と翔が、明確に敵対していたモノ』は、ソレではない。
 彼が未だに戦っているであろう相手は――
「統括、理事会。……彼は‘学園都市そのもの’と……」
 その深刻さに、黒子の表情は重くなる。
 いくら法を守る側に居るとはいえ、相手をするには大き過ぎる相手だ。しかし、相手が統括理事会というならば、初春を電子戦で叩きのめす事も、御坂美琴のクローンを二万人も虐殺するなんていう馬鹿げた実験を行える事にも、納得がいく。
「そんな相手と……くっ、あっさり騙されていましたの」
 昨日の朝の、美琴の様子。
 事の中心に居ると思っていた彼女が余りにも普通だったので楽観視していたが、しかしそれは、ただ単に、クローン虐殺の情報を美琴が掴めなかっただけなのだろう。そして翔は、その情報を既に持っていた。だから、初春を置いて駈け出したのだ。
 レベル5の力を持ってしてでも、危ういその状況へと。
「……まったくっ! 何度言えば、彼の独断先行は直るんですのっ!?」
 やりきれない感情が湧き、思わず吠えた黒子。
 その声に、初春の体がビクッと震える。
「白井さん……でも、翔先輩は――」
「わかっていますわよっ。彼は貴方を巻き込むまいと行動した。事態は一刻の猶予も無く、アンチスキルもあてにはならない。そして、相手はあの第一位。クローンを連れて逃げるくらいしか選択の余地が無い状況だった」
 そうなのだと、理屈では分かるが、
「ですけれど、わたくし達に何も知らせず、それを一人で抱え込むなんて――」
 酷い。
 単純にそう思った。
 初春だって、翔の事が心配だから帰れと言われても後を追ったのだ。
 そして、自分だって翔の事を心から――
「初春。ちょっと待っていて下さいな。わたくしも初春も――誰も、彼一人が苦しむ事なんて望んでいないと、そう伝えてきますわ」
 たった一人で大きな敵を見据え、抗おうともがく大切な人。
 そんな彼を、このまま放っておく事など出来はしなかった。



「と、啖呵を切ったは良いものの……いったいどうすれば、彼は一人で突っ走るのを止めてくれるのか」
 とあるマンションの廊下。
 木山家の玄関前で、黒子は一人頭を抱えていた。
 威勢よく彼の家まで来てみたが……今までずっと変わらずに、心の内を隠してきた翔の事。ちょっと聞くだけで口を割るとは思えないし、独断先行を止めるとも思えない。今までだって、何度も口を酸っぱくして言ってきたのだ。
 では、いったいどうすれば?
「やっぱり、‘ソレ’くらいしかありませんわよね」
 半ば諦める様な、けどどこか、羞恥を帯びた表情で黒子は漏らす。
 思うのは翔の事。
 いつもはヘラヘラとしているクセに、ここ一番では例え自分の命を危険に晒す事になろうとも譲らない。そんな彼の事を近しくも親しくも思う。が、こんな時にその性格はやっかいなだけだ。
 そんな翔をどうにかする方法。
 ここに来るまで、色々と思考を巡らせてみた。が、出た結論は、意外と単純なものだった。
 仲の良い知人だろうと、風紀委員のパートナーだろうと、彼は言う事を聞いてくれない。なら、それよりさらに一歩、彼との関係を進めれば良い話。
 隠し事など不要だと、自分にもっと寄り添っていてくれと――、
 ‘そんな関係になってくれ’と、一言申し出れば、彼の頑なな心も折れるかもしれない。
「う……」
 その情景が頭に過って気おくれする黒子だが、火照った頬の熱を冷ますように、首を振った。
「いえいえ。もうここまで来たのですから覚悟を決めませんと。それに――」
 ‘そういう間柄の人’が帰りを待っているのなら、彼だって危険な独断先行を慎むかもしれない。そうなれば身を案じていつもいつも気を揉む事だって無くなる。
 直感的にだが、黒子は半分確信めいてそう思った。
 それは、平穏に身を置くモノの定め。
 ――誰もが、全てを捨てて立ち向かえるほど身軽ではありませんのよ?
 那由他という子に襲撃された時、彼の妹はそう言っていた。
 思い返してみれば、あの時から既に彼はクローンの事を知っていたのだろう。
 だけれど、幻想御手事件より後に、彼の方から統括理事会と思われる敵に牙を剥いたのは、たった二度。ここ数日の彼の言動を鑑みれば、『自分からどうにかしよう』という意気込みが無い。どちらかといえば消極的の様に思う。
 聞いてみなければ実際のところまでは分からないが……立ち向かう相手の大きさに、皆に迷惑を掛けてはいけないと一人で思い悩み、ある時は見過ごせず動いてみたが上手くいかない。
 きっと、そんなところなんだろう。
「相変わらず、不器用というか、頑固というか」
 嘆息しながらも、一人思いあぐねている彼の重荷を、少しでも代わりに背負ってあげたいと黒子は想う。
 彼にとってのそんな存在でありたいと、そう思った。
 一歩を踏み出すのなら、今が好機なのだろう。
 なにより、自分の心はもう――
「それは分かっていまけれど……こう、いざ事となると、いくらわたくしでも――」
 彼の家の前。
 チャイムを押そうと黒子の手は掲げられるが、その細い指先は頼りなく揺れる。
「……は、はうっ! やっぱりダメですのっ」
 ボタンに触れそうになり手を引っ込める。
 いつもの堂々とした黒子からは、とても想像が出来ない姿だ。
 まぁ、そうなるのもしょうがないかもしれない。男勝りな性格のままお嬢様学校へ入学し、今まで異性を異性として意識した事など無かったのだ。
 まして――
「う、う~ん。でも、いったい彼に何と言えば良いんですの?」
 少し考えてから、黒子はその艶やかな唇で呟いた。
「……こ、『恋人になってやるから言う事を聞け』とか、ですの……?」
 思わず口から出てしまった――そんな感じで、黒子の頬が赤く染まった。
 そのまま上がってしまったテンションで一人慌てる。
「でっ、でででもっ、それでは何か、気持ちが嘘みたいで嫌ですのっ。わたくし、本当に彼の事を大切に――って違いますわっ! とりあえず彼の独断先行を止めるのが優先事項ですからそれでもオーケーのハズッ!」
 ガッツポーズでもして気を紛らわせ、恋する乙女は本心から目を背け、ちょっと強がってみるが、
「でも、彼にわたくしの気持ちがちゃんと伝わらないのは――」
 嫌だ。
 そんな想いがハッキリと脳裏に過った。
 そして、それを自覚し、黒子の頬はさらに赤くなる。
 思いの丈を打ち明けようと頬を紅色に染めながらも頑張る少女。
 そこだけ見れば大変に愛らしい姿なのだが……実は、そんな一連のやり取りを玄関前でもう十回くらい繰り返していた。
 ハタから見ると完全に不審者だった。
 どこかの女学生がストーカーでもやっているように見えるかもしれない。
 というかそう見える。絶対見える。先ほどスレ違った住人などは明らかに好奇の目を向けていたから。まぁ、通報にまで至って御用となっていないのは黒子の肩にある腕章のおかげだろう。
 黒子自身にしても、今の自分は随分と情けない姿を晒していると自覚していたが、
「あ~、もうっ。本当に、いったいなんと切り出せば良いものか……わたくし、こんなこと初めてですし……」
 簡潔に「アナタの事が好きです。付き合って下さい」と言ってしまえば良いのだろうが、その光景を頭に浮かべただけで黒子の頬は火照ってきて、正常な思考など何処かに飛んでいってしまう。彼をどうやって自重させようか? そんな事は二の次で、告白の場でどんな風に言葉を紡げば良いのか、それだけで頭がパンクしそうになる。
「……う、う~。か、考えていてもラチがあきませわっ! こうなったら当たって砕けろですのっ! 後は野となれ山と成れ、ですわっ!」
 そう勢い付けてドアの方に振り向き(同じ様なセリフを言ってはチャイムを押す手が震える事十一回目)、黒子はハタと気付いた。
 木山家の玄関のドア。
 それが微かに開いていて、その隙間から幼い少女が極上のニヨニヨ顔を浮かべている事に。
「あら、黒子お姉様。ご機嫌麗しゅう。……どうしたんですの? 急に固まってしまって?」
 分かっているクセに平然と首を傾げたクロコ。
 逆に黒子は、油の切れたロボットみたいにギギギギと体を動かして、少々幼い同じ顔の少女を指差した。
「あ、あああ、貴方っ、いつからそこにっ!?」
 もしや今の独り言を聞かれたのでは? 黒子はそう思っただけで顔から火が出るかと思った。が、事態はそれより最悪だった。
「いつからって……それはもちろん、例の如く最初からですのん。お兄様が部屋に引き籠っているのでクロコがゴミ出しのお手伝いでも、と思って廊下に出てみれば、黒子お姉様が勢い込んで玄関前までノシノシやってくるのが見えましたから。なので、黒子お姉様がチャイムを押すのに躊躇って告白のセリフを考える一回目からですのん」
「って!! やっぱりそこからですのっ!?」
 そうなるとなにかもう色々と恥ずかし過ぎて黒子の顔は真っ赤っかだ。
 さっきの独り言なんかはまだマシな方で、上から目線女王様で告白して彼を支配下に置こうverとか、彼の事を心から心配している健気な乙女で告白して彼に自重して貰おうverとか、色々と考えて我ながら面白い一人芝居をやっていた様にも思う。
 そんな場面を見られたとあっては、
「な……な……なな……」
 言葉が出ない。
 黒子の頬は朱を帯びたまま口だけがパクパクと動いて、思考はそのまま完全にフリーズしてしまった。
「まぁまぁ、黒子お姉様ったら。相変わらずのツンデレ反応も大変お可愛いですけれど、そんな事ではお兄様へと気持ちを伝える前に日が暮れてしまいますわよ? さ、まずはお入りになって下さいですのん」
 真っ赤になって「あ……う……」とモジモジやっている黒子の手を掴み、小さな妹(見た目だけ)はルンルン気分で木山家の中へ入っていった。



 つづく……
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