第四十七話 君の名を呼んで 後編
「ギル!!」
落ちていくギルの耳に響いてきたのは確かにルリの声だった。自分の名を呼ぶその声を噛み締めるように目を閉じた。幻でも構わない。最後に彼女の声を聞けて、逝けるのだから。ギルはそう思いほんの少し微笑んだ。
「何にやついてるんだ! いい加減目を開けろ!!」
その怒鳴り声にギルはハッとした。
(え!? 何だ!? 死んでない?)
そう思い、恐る恐る目を開けると、ギルはふわふわと宙に浮いていた。飛行機に乗って颯爽と登場したルリが、落ちる寸前のギルのマントを、危機一髪で掴んだのだ。そんな理解の範囲を超えた状況に、瞬きを繰り返しながら呆然としていると、再びルリの声が上の方からした。
「いいか、ゆっくり下に近づけるからちゃんと着地しろよ!!」
ルリはロープで体を飛行機に固定していたが、かなり前のめりになっていて今にも落ちそうな状況だった。このままではルリも落ちてしまう。
ジュールは出来る限り飛行機を地面へと近づけた。ギルの体は地面からまだかなり離れていたが、ルリの腕は限界だったらしく、「離すぞ!」という簡単な合図と共に下へと放りだされてしまった。
「いってえ……」
一応、合図があったことから、地面に上手く着地することが出来たが、それでも足がジンとした。地面にしばらくうずくまっていると、隣にひらりとルリが降りてきた。ギルとは違いそれは見事な身のこなしであった。ギルは何だか悔しくなってルリのことを横目で見た。
「……ぎりぎり無事だったようだな。それにしてもあんな所から脱出しようとするなんてお前は馬鹿なのか?」
ため息をつきながら、ルリはギルが出てきた塔の窓を見上げた。空には着地場所を探して旋回する、ジュールの乗った飛行機が見えた。ギルは少し赤くなって、思わず黙った。しかし、意を決したようにルリを見つめて口を開いた。
「……俺を助けに、来たのか?」
「観光しに来たようにでも見えるか?」
「……見えません」
ルリに冷たく返されて、ギルは思わず怯んだ。それと同時に、助けに来てもらって嬉しい思いと、情けない思いでいっぱいになった。へこんだような顔をしたギルをちらりと見ると、ルリは再び軽くため息をついた。
「本当はもっと早く着くはずだったんだが、夕立のせいでエンジンに支障がでてな、修理に手間取ったんだ。……まあ無事で良かったよ。シルヴィアも心配していたんだぞ」
「そうか……シルヴィアが。……お前にも心配かけたな。すまない」
「そうだな。心配した」
ルリの素直な反応に、ギルは思わず顔を明るくした。しかしそれは一瞬の幸せだった。
「もしものことがあったら戦争だしな」
ルリが心配していたのが、自分の事ではないと分かるとギルはがっくりと肩を落とした。慣れているとはいえ、やはり悲しいものだった。そんなギルを見て、ルリはようやく肩の力が抜けたかのように柔らかく微笑んだ。
「嘘。お前のことも心配した」
その言葉にギルは思わず赤面した。それは火を噴きそうな程真っ赤な顔だった。何か言おうとしたが、思考が停止してしまい、言葉に詰まっているようだった。
そんなギルの表情を見て、ルリは再び微笑んだ。
しかし次の瞬間、ルリは途端に険しい顔になって身構えた。腰の短剣に手を添え、息を凝らした。そんな彼女の様子から、ギルも異変を感じとったのかルリと背合わせで身構えた。
「囲まれてるな」
「どうするんだ? こんなに大勢。俺は武器もないし」
ルリはまだ余裕がある様な顔をしてギルの背中をちらりと見た。短剣を握りしめる手に力がはいった。
「お前に危害は加えないだろう。私だって一応一国の王女なんだ、そう簡単に攻撃できないだろうよ」
「けど……!!」
「分かってる。だからって簡単に捕まる気はない! だが、もう逃げも隠れも出来る状況じゃない」
「じゃあ……正面突破、か」
「そうだな。せいぜい気をつけろ! 怪我するなよ!」
「そっちこそ! 絶対無事でいろよ!!」
背中合わせのギルには見えなかったが、ルリは自信に満ちた表情で頷いた。
「もちろん。アーサーと約束したからな」
そして、ルリ達が勘付いた通り、柱や、他の建物の陰から何十人もの衛兵達が姿を現した。塔より高い建物は無いが、意外に死角が多く、姿を現した衛兵ですべてなのか判断がつかない状況だった。ルリは大きく息を吸い、大声で相手を牽制した。
「我が名はテルル・グーテンベルク。グーテンベルク第一王女!! イネス第二王子ギル・ウォーリア・イネスの婚約者だ!! そうと分かって害すのなら、こちらも容赦はしないぞ!!」
このセリフに、ギルはもちろんのこと、彼らの周りを囲んでいた衛兵達もギョッとした。それもそのはずだ。衛兵達は塔にいるイネスの王子を見張るように命令されていただけで詳しい事は何も聞かされていないのだ。
しかし、ここで彼らを逃がしたら自分達の立場が危ないという事だけは理解していたのだろう。衛兵の一人がルリの問いかけに恐る恐る答えた。
「こちらは貴女方を害すつもりはありません。ギル殿下、おとなしく塔へお戻りください。そして、テルル殿下、あなたは何も言わずここから出て行って下さい」
ルリはその衛兵の答えに大きくため息をついて、彼らを睨みつけた。青く美しい、猛獣の瞳。衛兵達は思わず背筋が凍りついた。そして、『小国の小さな王女』であるはずのルリに恐怖すら抱いた。
しかし、ルリのすざましい威圧感に押されながらも、衛兵たちは彼女達に向かってきた。彼らはルリ達を傷つけるつもりは一切なかったが、その一方でルリは一切手加減をしなかった。
ルリは手や足などを集中的に狙い、最低限の怪我を与え、相手の戦力を削いでいった。衛兵達を軽やかにかわし、一撃を与える姿はとても華麗で見事なものだった。蝶のように舞い、蜂のように刺す、と月連合軍の士官学校時代評されたルリの撃剣。実戦で使うのはこれで二回目であった。
ギルもギルで、残りの衛兵の急所を突いたり、相手の勢いを利用して投げ飛ばしたりと、いつものヘタレ返上とばかりに活躍していた。腐っても王子様である。その身のこなしは日々の鍛錬の賜物の他ならなかった。
「これでほぼ全員かな」
息一つ乱さず、ルリは地面に這いつくばる衛兵達を見渡した。そして、赤く染まった短剣をポケットからだしたレースのハンカチで拭い、鞘におさめた。
「ぜー、何で……ぜー、お前は、そんなに平気そうな顔出来るんだよ」
ギルは息切れしながら、ルリの方を見た。
「このくらいで息切れする方がどうかと思うが」
「冗談じゃ無い!! 一体どんな体力してんだよ。そんなに小さくて細いくせに!!」
「そう言えば、前回よりも辛くなかったな。少しは体力がついたのかもしれないな」
前回とは対黒い風盗賊団のことであるが、何も知らないギルは「前回?」と首を傾げるだけであった。
「で? どうすんだよ。これから」
「ふむ……。飛行機は二人乗りだしな。ジュールが来たら、とりあえず城外へ出よう。上手くいけばディア殿下達と合流できるかもしれない」
「ディア……って、兄上がこっちへ向かってるのか!? 冗談だろ!?」
「そんなに驚くことか? あと、シルヴィアもおそらく一緒だぞ」
あり得ない、と散々騒いだあげく、頭を抱えてギルは前のめりになった。ギルの脳裏に浮かんだのは、何故かドレスのままロバにまたがる兄の姿だった。
その時飛行機を着地させる場所を見つけることができたのか、ジュールが二人の方へ駆け寄ってきた。その姿に気が付き、ルリが軽く手を上げた瞬間、近くの建物の陰から何かが光った。
「危ないっ!!」
そう叫びながら、突然ルリの目の前に飛び出して来たジュールが、大きな破裂音と共にグラリと前のめりになり膝をついた。ルリはその瞬間を映画のコマ送りのように感じて、目を見開いて呆然とした。
銃を放った男は、先ほどの衛兵の残党だった。自分のしたことに対し、恐れおののきガクガクと震えていた。ギルはハッとしてすっかり戦意喪失したその男から銃を取り上げて、一発殴った。殴られた男は頬を押さえながら、震え縮こまってしまった。
「そんな顔するくらいなら、何でそんなもん使ったんだよ」
ギルは怒りに満ちた顔でそう小さくつぶやき、ルリとジュールの傍に駆け寄った。苦しそうに横になっているジュールの腹部からは血が止めどなく流れていた。傍にいたルリは自分の着ていた上着を脱いで、彼の傷口から溢れ出す血を止めようとしていた。彼女は決して泣いてはいなかった。手からこぼれおちる砂を、何とか留めようと必死になっている、そんな姿をしていた。
「ギル!!」
ルリの必死な大声に、いままで倒れたジュールを呆然としながら見つめていたギルは我に返った。
「ギル、近くの……城の医者を呼んで来い! 何ボケっとしているんだ! 早くしろ!!」
ジュールを撃ったのも紛れもない城の人間だった。しかし、今はそんなことを言っている場合では無いことをギルだって分かっていた。ギルは小さく頷くと、城の見える方を目指して勢いよく走りだした。自分のせいで起こったこの事態に胸が張り裂けそうになりながらも、ただ今は力の限り走り続ける事しかできなかった。
「死ぬな……死ぬなよジュール。絶対死んだりしたら駄目だ」
ルリは呪文のように、自分自身をも励ますかのように、そうつぶやき続けた。
「私の為に死ぬなんて絶対に許さないからな……。そんなの……うれしいなんて思わない。一人残されたって悲しいだけじゃないか……」
ルリの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。視界が急に歪んだルリは少し驚いたような顔をした。彼女は自分が泣いていることに気付かなかったのだ。ポタポタと止めどなく流れ落ちる雫が、赤い色を微かににじませた。ジュールの顔は溢れ出す赤とは対照的にみるみる青くなっていった。
「ジュールしっかりしろ! 目を開けろ! ジュール!!」
ルリは心の中で何度も祈った。誰か助けてくれ、誰でもいいから彼を助けてくれ、と。一人、誰も頼ろうとはしないで生きてきたルリ。しかし彼女にだって分かっていた、周りの大勢の人に見守られて、助けられて、生きてきたということを。
「助けて……蒼……」
ルリは消え入りそうな声で、愛しい人の名を呼んだ。いつも、どんな時でも必ず傍にいて微笑んでいた彼の名を。
走り続けたギルは城の正門辺りまで来ていた。しかし、衛兵がピリピリした様子で、大勢うろついている為、思わず足が止まってしまった。しかも、ギルをさらったあの二人まで落ち着かない様子で門の前を行ったり来たりしていた。しかしもう時間がない。やり過ごすことは出来ないと判断したギルが決意を固めて足を踏み出したその時、大きく正門が開かれた。門の向こうに見える複数の旗を見て、ギルはあっと息を呑んだ。
それは紛れもなく、イネス王国の紋章であった。
ギルが心底安堵した様子でそれを眺めていると、若く、勇ましい声がした。その聞き覚えのある声にギルは耳を疑った。
「我が名はディアロス・フィーリア・イネス! イネス王国第一王位継承者! 今ならそなたたちの過ちを見逃してやらぬこともない。しかし逆らうと言うのなら粛清は免れんぞ!!」
一気にその場の空気が張り詰めた。ディアの威圧感も言葉の選び方も、王となるべき人間に相応しいものであった。ギルは耳と同時に目も疑った。騎士団を従え、馬上から辺りを見下ろしていたディアが、ギルの想像に反して男装、正確には正装をしていたからである。金糸の刺繍が細かく施された、黒を基調にした服に、赤いマントが良く映えている服装であった。いつもはクルクルに巻いている長い髪は、無造作に後ろで一つに結ばれていた。
ギルが呆然として、言葉を失っている間に、今回の事件の首謀者である男達は気が抜けた様子で地面に座り込んでいた。自分達がうつけだと信じていた第一王子の本当の姿を目にして、完全に戦意を喪失したのだろう。そもそも第一王子がうつけでないと今回の計画は成り立たないのだから、彼らにはもうどうする事も出来なかったのだ。
あっという間にこの場を制圧すると、建物の陰に隠れていたギルを目ざとく見つけ、ディアはにこりと微笑んだ。
「まったく世話のかかる弟だね。お兄ちゃんは心配したぞ」
その切り替えの速さに、ギルはいままで自分が騙されていたことを思い知らされた。他国の人間だけでは飽き足らず、実の弟まで騙し続けるとはとんでもない兄である。
「ギル王子!!」
ディアの後ろにいたシルヴィアは颯爽と馬から飛び降り、ギルの元へと駆け寄った。ディアはその様子を心底面白くなさそうな顔をしながら眺め、自身も馬から降りて弟の方へ向かった。ルリ達の帰りを待ち切れなかったアーサーとカトルも一緒に来ていたらしく、彼らも馬から降りて、心配そうな顔をしてギルの近くへ来た。
「ギル王子……ご無事で何よりです。怪我は? どこも痛くはありませんか?」
「シルヴィは過保護すぎ。男なんて傷の一つや二つあった方が箔がつくって……」
「ディーは少し黙っていて!!」
シルヴィアが彼の愛称を呼ぶのは幼い頃を除いては、本当に怒っている時だけである。それがわかっているのでディアは渋々口をつぐんだ。先ほどの威厳はどこへやら、といった感じである。
ギルはそんな二人のやり取りに少々圧倒されながらも、ハッとした様子でシルヴィアの腕を掴んだ。
「こんなことしてる場合じゃないんだ! ジュールが!! あいつが大変なんだ!! ル……テルルを庇って怪我をして。とにかく早く医者を!!」
テルル、という言葉に反応してアーサーはギルに詰め寄った。
「姫は!? それで姫は無事なんですか!?」
「あいつは無傷だよ。今ジュールの傷口の止血をしてる。いいから早く医者を!! あいつが死んだらどうすんだよ!!」
そう言った本人が「死」と言う言葉の重さに耐えられなくなったのか、真っ青な顔になった。シルヴィアは自国から連れてきた救護兵をすぐさま呼びつけ、ギンナルの人間にも医者の要請をした。念のためにディアとイネス騎士団をその場に残して、ギル達は馬に乗り、ルリ達の元へ向かった。
倒れている大勢の衛兵の中に、ルリ達の姿を見つけるや否や、ギルやアーサーは急いで馬から飛び降りた。シルヴィアやカトルもそれに続き、馬から降りた。
「姫様!!」
アーサーの声に顔をあげたルリを見て、一同は一瞬声を失った。涙で真っ赤になったその瞳はあまりにも痛々しい姿であった。救護兵はジュールに近づき、脈をとったり、呼吸を確認したりした。その様子をルリはただ心配そうに見つめる事しか出来なかった。
「急所は外れていますが……危ない状況ですね。早くちゃんとした設備のある場所で処置をする必要がありそうですね」
「た…助かるのか? 助かるよな!」
ルリの必死の問いかけに、救護兵は難しい顔をした。今の状況では、彼に助かると断言することは出来なかったのだ。ギルやアーサーはルリのあまりにも必死な姿にいたたまれなくなった。
「……力は尽くします」
「頼む。助けてやってくれ……こいつが助かるなら私は何でもするから!!」
そう言った直後ルリは自分の言葉にハッとした。
『あなたが助かるなら何だってするわ』
そう言って寂しそうに微笑んだあの人。そうだ。私も今、あの人と同じ気持ちなんだ。これが、あの人の気持ち。私の事を何よりも大切に思ってくれていた人の心。
どうしてそんなことに今更気付くのだろう。あの人は何よりも、誰よりも私を愛していてくれたのに。
ルリは強く目を閉じて、ようやく絞り出したかのような小さな声で呟いた。
「母様……」
その小さな祈りの様な囁きを聞いていたのは沈みゆく夕陽だけであった。
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