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第三十七話 君に贈る花の色 後編
「あれ、姫様。どうされたんですか?」

 ルリは前にも一度だけ来た事があった、ジュールの研究所である古い倉庫に来ていた。なにやら大きな機械の修理をしていた、つなぎ姿のジュールは真っ黒だった。オイルや、金属の匂いが辺りに立ち込めていた。ルリはその大きな機械を見つめて目を丸くした。

「驚いた。こんなものまで作っているのか、お前は」
「これがどんなものか分かる姫様にも驚きですよ」

 本当に驚いたような声で、ジュールはルリの方へ向かって来た。そして、自分がいじっていた機械を見上げてまぶしそうに微笑んだ。

「やっぱり違うな」
「え?」

 ルリは、ジュールの笑顔と蒼の笑顔がやはり違うものだと思い、にがにがしく笑った。似ていても、結局は違う人間なのだから、当然なのだが、ルリはジュールの笑顔のなかに蒼を見出したかったのだろう。

「それで?何か御用ですか?」

 ジュールは首をかしげて、純粋にそう尋ねた。ルリは少し眉間にしわを寄せて、考え込んだ。特に用事があったわけでもないのだ。

「なんとなく、な。あ、これお土産だ」

 そう言って、屋台で買ったドライフルーツの詰め合わせを一袋彼に手渡すと、ルリはそこら辺に無造作に置かれていた木箱に腰掛けようとした。しかし、それを見て慌てたジュールは、倉庫の端にある棚から、キレイな刺繍の敷物を引きずりだして、そこにひいた。ルリは軽く礼を言ってそこに座った。

「なあ」
「何ですか?」
「ジュールは祭りに参加しないのか?」
「人ごみは苦手で、それに贈り物を渡す相手もいませんしね」

 はは、とジュールは自嘲気味に力なく微笑んだ。そして、ジュールもルリの近くの木箱にゆっくりと腰をかけた。

「なんだ、いないのか?」
「そうですね、日々研究ばかりに気をとられてしまって……今は彼女が恋人って所ですかね」

 そう言ってうれしそうに、布をかけた大きな機械の方を見た。そして、少し考えて言葉を付け足した。

「でも、好きな相手ができたら、すぐに伝えますよ。好きですって」

 ルリは少し驚いて、パッと跳ねる様にジュールの顔を見た。

「すぐに?」
「ええ、素直さも時には必要ですから。大事な事はちゃんと伝えるべきなんですよ、きっと」
「そういうものか……」
「言わなくて、言えなくて後悔することはたくさんありますから……」

 言わなくて後悔する事。ルリはいつも冷たくあしらっていた婚約者の顔を思い浮かべた。ルリは彼に好きだと言った事は一度もなかった。プロポーズを最終的に受けた時でさえ、好きだとは言わなかった。

「お前は……後悔した事があるのか?」

 ジュールは悲しそうに微笑んで、「そうですね……」とだけ小さくつぶやいた。




「姫様なら先ほど出て行かれましたよ?」

 ギルやアーサー達がジュールの研究用の倉庫に着いた時にはすでに彼女の姿は無かった。一足遅かったのだ。やっぱり来ていたのか、とギルは少し機嫌の悪い顔をした。

「どこいったか分かりますか?」

 アーサーは不安でたまらないといった顔をして、ジュールに尋ねた。そんなアーサーの様子を見て、ジュールは顔を曇らせた。ルリが何も言わず勝手にここへ来たとは考えていなかったのだ。

「え……ええと、あ!そういえば、『一番空に近いところはどこだろう』っておっしゃてたんで、ルルクの丘を教えたんですが、もしかしたらそこかも……!」
「ルルクの丘ですか……」

 ルルクの丘はグーテンベルクでも見晴らしのいい丘で、多くの美しい花が咲き誇る場所である。位置としてはここからそう遠くない。

「っりがとうございました!!それでは失礼します!!」

 アーサーは大声でお礼を言い、倉庫を後にした。三人も、ジュールに軽く会釈をして、アーサーの後に続いた。ギルは走りながら、アーサーに聞いた。

「その丘ってどこにあるんだ?」
「歩いていけるところですよ。ここから近いんです」

 四人がしばらく走り続けると、丘が見えてきた。ギルはそれを見て急に立ち止まった。ギルが立ち止まったので、シルヴィアも立ち止まった。しょうがなく残りの二人も足を止めてギルを見た。

「どうしたんですか?急に立ち止まられて」

 シルヴィアが表情を変えずにギルの心配をすると、ギルはキッと前を見据えた。そして一言だけ口にした。

「俺を一人で行かせてくれないか?」

 アーサーは渋ったが、シルヴィアにも頭を下げられ、またカトルの「いいじゃないか別に」の一言でいやいや折れた。ギルは簡潔に礼を述べると、丘を全速力で駆け上がって行った。

「カトル様が許可するなんて意外でした……」

 まだむくれているアーサーにカトルは黒い笑顔で笑いかけた。それを見て、アーサーやシルヴィアは「まさか」といった顔をした。

「今から後をつけても、一応、一人で行かせたことにはなるでしょう?」

 彼は心底楽しそうに、最上級の微笑みを浮かべた。




 薄暗い花畑で、ルリは、空にぼんやり輝く丸い淡い黄色を眺めて立っていた。手にはレースのついた白いハンカチが握られていた。ハンカチに視線を何度も落としては、また空を見上げた。そのたびに、長く綺麗な金色の髪とまつげがさみしそうに揺らいだ。

 ようやく頂上に着いたギルは息を切らしながら、何も言えず、ただ彼女を見つめていた。

 その時、ルリがギルの方を見た。眉間にしわを寄せ、ため息をついた。

「何だ?王子が供も付けずに、不用心だな」
「なっそれはこっちの台詞だっ!何してんだよこんなところで!」
「私は強いからいいんだ」
「俺も強いからいいんだよ!!」

 そうか、とフッと微笑むと、ルリは再び空を見上げた。

「ぼんやりと輝くあの黄色いのを、出来るだけ近くで見たくて、この丘へ来たんだ」
「黄色いの?ああ、『神の卵』か」
「『神の卵』?」
「俺の国ではそう呼んでる。お前の国では違うのか?」

 ルリは再び空を見て、少し考え込んだ。そして、少しいたずらそうに笑って、こう返した。

「ああ、私の国ではアレは『月』という」
「『月』?ふうん、初めて聞いたな。大体どこの国でも『神の卵』って呼んでるからな」
「あそこには何か住んでいるのか?」
「は?何かって…神話では、アレは次代の神様が生まれる卵だって話だけど。大体あんなところに生物が住めるわけ無いだろう?」
「そうか……」

 ギルは月を眺めるルリを見て、何だか今にも空へ飛んでいってしまう気がして仕方が無かった。そうだ、こんな思いに駆られた事が前にもあった。

 彼女はいつも、ここにいるようで、いない。心だけどこか遠くにある、そんな感じがたまにするのだ。

「私は、素直じゃないんだ」
「?」
「ジュールが言ってた。素直さも時には必要だって、言わなくて、言えなくて後悔することがたくさんあるって」

 ギルはジュールの名前に一瞬ムッとした。「あおい」に似てるという、あの男。

 ルリは手に持ったハンカチをジッと見つめ、それから空へと鳥を放すかのように、ふわりとハンカチを風に乗せた。白いハンカチは空へのぼって行くかの様に、高く高く、舞い上がった。

 まるで、月に届きそうな勢いだった。

 ギルはその瞬間、ハンカチに刺繍された花の色が目に入った。

 それは鮮やかな青色だった。


「…本当にそうなのだろうか、後悔するんだろうか?」
 
 ルリはハンカチが見えなくなった後も、ずっと空を見上げていた。

「さあな、分かんねぇよそんなこと」
「『あの人』は確かに、最後にたくさんの言葉をくれた。それは、後悔したくなかったからなんだろうか……」

 そうか、あいつも『あの人』と同じなのか、後悔したくないから、バカみたいに素直なんだろうか、と心の中でぼんやり蒼の顔を思い浮かべた。

 『あの人』とは「あおい」のことなのか。ギルのまぶたに裏には、ハンカチに刺繍されていた花の青さが焼きついていた。ルリが思った『あの人』とは、蒼とはまったく別人であったのだが、そんなことはギルには分かるはずがなかった。彼は何かを決心したように、空から目線を外し、ルリの方を見た。



「俺はお前が好きだ」

 自然とその言葉が出てきた。ギルとルリは正面から向き合って、見つめ合った。ギルの強く握った手は、少し震えていた。ルリは一瞬、少し驚いてから、表情がスッと消えた。

「私は……私がその思いに対する答えを出す事はできない」

 ルリは目を伏せて、ゆっくりと言った。髪が風でなびいて、表情をほんの少し隠した。

「俺は、好きだ」
「私は…」
「好きなんだ」
「……」

 ギルはその言葉しか出てこなかった。心の中をずっと占めていたその言葉が、とめどなくあふれでてきたのだ。ギルの澄んだ空色の青い瞳がまっすぐにルリの瞳を捕らえた。

 ごまかしのきかない、まっすぐな純粋な思い。

 ルリはため息をついて、ゆっくり口を開いた。

「私はお前の気持ちに応えられない」
「!……」

「私はテルルではない。私の本当の名はルリだ。ルリ・セレネ・エラトステネス」

「……は?」

 ルリは、精神交換のことや、自分のことをかいつまんで話した。ギルはしばらく唖然として、黙っていたが、唇をかみ締めて、固い意思が宿った目をした。そして、ルリの肩を掴んで、叫んだ。

「俺は!お前が誰とかそんなことどうでもいい!『お前』が好きなんだ!今、俺の目の前にいる『お前』が好きなんだ!お前がどこのどいつで、どんな奴なのかなんてどうでもいい!今、ここにいる、『お前』のそのままの気持ちが知りたいんだ!!」

 上手く言いたい事が、整理できていないようにも思えたが、その気持ち、その言葉はルリの心の奥に響いた。何者かは関係なく、ただ、今この時を共に過ごしている彼女を好きだという言葉。

 ルリは何だか気が抜けたような顔をした。そして、自分の肩に乗ったギル手を払いのけると、呆れたように微笑んだ。

「お前は、本当に不思議な奴だな。いつも核心をついてくる」
「な…何言って…」
「私はテルルではないルリだ。でも実際は『ルリ・セレネ・エラトステネス』でもないんだ」
「?」
「だけど、私は私なんだな、そうだよな。少し、地に足がついた気分だよ」

 ルリは空を見上げて思いっきり背伸びをした。ギルはルリの意味不明な言葉に首をかしげて、それからハッとして食いかかった。

「おいっちょっと待てよ!!答えがまだだぞ!!」

 ごまかされてなるものか、といったようにギルは慌てて言った。

「ん?ああ、えーと、こういう時は何て言うんだったかな…確か」

 ルリはあごに手を当てて考え込み、ああ!と言いながら手をポンと叩き、答えを返した。


「お前の事は弟みたいにしか思えない」


 この無邪気な言葉にギルは撃沈した。しかしこんなことで諦める彼ではない。すぐに立ち直ると、ずっと気になっていた事を聞いた。

「ま…まあ今はそれでもいいけどな、ところで『あおい』って誰だ?」




 この後、ルリの答えを聞いて、ギルが再び撃沈したことは言うまでもない。

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