Phase 007:「リスク?」
リスクは、「いや~ん。もしかしたら起きちゃうかも!」と不安になる要素です。
リスクはなるべく早めに潰しておきたいところです。
「同盟軍がエンデプラト地区に侵攻してきました!」
その報告が来たのが、夜明け前の事だった。
同盟軍――正式名【黒の血脈同盟軍】――の大規模侵攻計画は、前々から情報があった。
しかし、予想よりもかなり動きが早い。
すでに英雄騎士団が現地に向かっていて、聖典様からもたらされたリスクマネージメントに基づいて、計画的な対応もおこなわれている。
だが、聖典巫女は後悔していた。
(わたくしの判断がもう少し早ければ……)
軍備の増強を決めて、該当地区にも支援を送ろうとしていた矢先だった。
もし、もう少し早く決断していれば、このような侵攻を許すこともなかったのかもしれない。
(でも、後悔している暇はない……)
聖典様は仰った。
後悔よりも、先に動くべきだと。
発生している障害の解決が先決だと。
だから、円卓に集まったメンバーに、彼女は高らかに告げた。
「我々の望みは同じ、この国の繁栄と平和。気持ちをひとつにし、力を合わせましょう!」
その場にいた全員が、同じ気持ちで深くうなずいた。
◆
「退部届を出してくださいだそうです」
そう言われたのは、今朝方のことだった。
登校時、正面門を抜けようとすると、横から唐突に真直さんが現れた。
するとすぐに彼女は、必要最小限の挨拶と用件を伝えてきた。
そして、今時には珍しい紙の退部届を渡された。
「これを放課後、部室に持ってきてくださいとのことでした。九笛先輩からの伝言です」
彼女らしからぬ、少しの緊張もない、つまる感じもない、機械的な物言い。
そこには好意どころか、友達としての空気もない。
しかも、こちらが驚いている間に、踵を返して去って行った。
とりつく島もないぐらいだ。
しかし、嫌われることは前提だったが、ここまでとは。
見事に嫌われたものだ。
まあ、いろいろなカミングアウトもしたし、「君をいじめたい」と言っている男性に近づきたくないのもわかる。
でも、やっぱりショックだ。
おかげで、今日は一日、授業が頭に入らなかった。
それどころか、放課後になっても、気分はまったくあがらない。
いや。気が重くなって下がる一方だ。
昨夜も少し泣きたい気分だったが、今夜は確実に枕を濡らす。
これでも俺、本当はナイーブなんだからな。
「……まあ、自業自得か」
放課後になってから、俺はまたPM部の前に来た。
退部届は、書いてきた。
書いてきたのはいいけど、そもそも俺は入部届をだしていない。
生徒会長は「提出された」みたいなことを言っていたけど、それはたぶん九笛先輩あたりが適当に書いたものなのだろう。
しかも、偽名の「山田太郎」で。
そういうわけで、入部届など本当は無効。
つまり、退部届は必要ないのだ。
まあ。それでも、「けじめ」というやつかなと思った。
もちろん、「山田太郎」の名前で書いている。
……とは言え、顔を見せるのはさすがに気まずい。
あれだけ啖呵を切ってでてきたのに、のこのこと顔をだすなど男の恥。
まあ、この退部届は、ドアにでも挟んでおけばいいだろう。
俺は、まだ表側はきれいなドアを見た。
このドアの裏側は、かなり傷だらけになっている。
そりゃ、あれだけ激しく開け閉めされれば仕方ないだろう。
蝶番もかなり弱っているのではないだろうか。
……あれからどうだ、ドア。
乱暴にされていないか?
がんばって、長生きしろよ。
それで悪いけど、退部届を預かっておいてくれないか。
そうドアに心で語りかけ、そして扉の隙間に退部届を差しこむ。
……その瞬刻だった。
風を巻きながら、ドアが高速で開く。
――バンッ!
ド……ドアァァァァ!!!
だ、大丈夫か!?
俺を残して死ぬな、ドア!!
「いきなりゲッチュ!」
その後に、聞き覚えのあるエセ英語。
それが耳に入ったかと思うと、いきなり手首をつかまれて引きずりこまれた。
「――なっ!?」
前のめりで転びそうになりながら、部室に連れこまれるのは、これで二度目だ。
しかし今回、俺の手首を握っていたのは、クルクルカールの金髪と、むかつくほどきれいな碧眼の男だった。
「ウェルカム、ロウくん」
「いてて……。いきなり何するんですか、スケさん!」
俺は手首を掴む手を切りはなし、本気で睨んだ。
だが、相手はどこ吹く風と、ニヤニヤとしている。
そして、後ろ手にドアを勢いよく締める。
くっ!
我が心の友、ドアを乱暴に扱いやがって!
……って、今はそれよりも自分の心配が先だ。
「どーいうつもりです?」
「ユーがバッドなんだよー。ビコーズ! マイ プリティ シスターやフレンズを泣かしたそうじゃないか?」
いつものかるい調子で、彼は俺の背後を指さした。
その先は、薄暗い部室に会議テーブルと椅子が並ぶ、会議コーナーだ。
そして、席に着いているのは、昨日と同じ女性4人。
どの女性も、みんな仏頂面で黙して、こちらを見ようともしていない。
どう見ても不機嫌だった。
まあ、これは確定だろう。
これは女性陣による、生意気な男の弾劾の場。
要するに、つるし上げだ。
くそっ。
またこのパターンか。
好意で言っても、伝わらなければ悪意になることもある。
逆恨みという言葉が、正しいのかわからない。
しかし、俺から見れば、逆恨みされている気分だ。
こんなのに、つきあっていられない。
「俺は言われたとおり、退部届を持ってきただけです」
俺は近くにあった荷物棚に、退部届を無造作に置いた。
そして、すぐに背を向ける。
「それじゃ、失礼します」
「ノンノン。それはキャンノット」
驚いたことに、俺の前にスケさんが立ちふさがった。
手をかるく横に開き、通せんぼのポーズだ。
「まだ、ユーをリターンさせるわけにはいかないんだよー」
「……どいてくださいよ」
さすがにその態度にはカチンとくる。
俺は少し乱暴に、スケさんの体を横に追いやろうとした。
ところが、その前にスケさんの手が俺の服をつかむ。
つかまれたのは、ブレザーの奥襟と袖。
――これは、組み手だ!
そう思った瞬間、体が反応する。
これでも護身術の一環で、週に1~2回だが柔道も習っている。
だから、まったくの素人ではない。
……ではないはずなのに、俺の腰はあっという間に宙に浮いていた。
しかも、かなりふわりと。
「くっ!」
気がつけば、見事な払い腰で尻もち状態。
いや。引き手を離されていないので、尻もちと言うほどではない。
しかし、かっこ悪くも、スケさんの前で釣られている状態だ。
俺はあまりに予想外のことで、茫然自失となりそのまま固まってしまう。
「中間太助は、そんな目立つ容姿で、しかも変態ですけど、今までいじめられたことがないのです」
生徒会長が、すっと席を立った。
「一番の理由は、単純に強いからですわ。とても見えないかもしれませんが、柔道、合気道、空手の段位持ちですのよ」
そう説明しながら、生徒会長は口角をあげる。
これは、完全にバカにしている。
「ちなみに得意技は、寝技ですわ」
「寝技…………うわわわわわあああぁぁっ!」
俺はあわてて立ちあがり、スケさんから距離を取る。
幸い、スケさんが追いうちをかけてくる様子はない。
ああ。スケさんは、かわいい男の子にしか興味がなかったんだっけか。
俺は平然を装いながら、ズボンの裾を叩く。
が、俺の内心は煮えくりかえっている。
まさか、スケさんがこれほどとは、想像さえしなかった。
なにしろ、掴まれた深緑のブレザーも破けた様子などない。
つまり、ほとんど力をかけずに投げられたわけだ。
それだけに、いろいろと、してやられた感が強い。
悔しさと恥ずかしさで、顔が赤くなるのを抑えるのが大変だ。
「ソーリー……」
小声でスケさんが呟いた。
「珍しく、マイ シスターに頼まれてね。バイオレンスは嫌いだけど、久々のマイ シスターのお願いごとを断ることはできなかったんだよー」
「え? 久々の……お願いごと?」
俺はスケさんの言葉で、ポンッと怒りを飛ばしてしまった。
久々にお願いごとをした。
あの生徒会長が、スケさんに……。
つまり生徒会長は、久々に兄に甘えたわけか。
……そうか。そうか。
あはは。なんだ。良かったじゃないか……。
甘えられる時に、甘えておかないとね。
相手がいなくなった時、絶対に後悔するから。
「ちょっと。なにニヤニヤしているんですの!」
生徒会長に叱られて、俺は初めて自分の口元がゆるんでいることに気がついた。
あわてて顔の頬を突っぱらせる。
そして、自戒。
「そのような男だから、あなたは……」
「……すいませんね」
なんで俺が、この生徒会長のことを喜んでやっているんだ。
理解されない好意には悪意が返る。
さっき後悔したばかりじゃないか。
今までもいろいろと痛い目は見ているのに……。
お人好しのバカか、俺は!
……うん。バカだな、俺。
いまだに「変態だけど、兄と仲よくできるといいな」とか思っている。
「こちらに座りなさいな。お話がありますの。それほど長くはかかりませんわ」
「……はいはい。もう好きにしてください」
見事に負けた上に、駄々をこねるのはかっこ悪い。
俺は素直に従うことにした。
いくらなんでも、命を取ったり、肉体的苦痛を与えられたりはしないはずだ。
どうせ嫌味などで、精神的苦痛を与えられるぐらいだろう。
それなら今夜、枕を濡らせば済むことだ。
VWB側を上座とすれば、下座側のお誕生席。
長方形に並べられた会議テーブルの先端に、俺は座らされた。
4人は上座側に離れて座っている。
この距離感も、なかなかやるせない。
「では、はじめます」
そう言いながら、九笛先輩が立ちあがり、生徒会長が席に戻った。
議事進行は九笛先輩らしい。
「実は昨日、ロウくんが帰った後に、我々4人でロウくんの処遇と対応策について相談しました」
「はぁ。それが、今日の課題ですか?」
「ええ。課題は、『ロウくんの退部』ですが、これは『認めない』ことで解決できます」
「おひ……」
俺は眉をひそめた。
「俺の意思の尊重は? それに俺が辞めても、それにどんな障害が? 人数は部活動として最低限足りていますよね? むしろ、俺が残ることで雰囲気を壊すリスクを負いますよね?」
この高校のクラブ活動に必要な最少人数は5名。
幽霊部員の3年生を入れれば、ぎりぎりクリアのはずだ。
つまり、俺が辞めたところで、害はないはずである。
「それに俺が辞めるという課題を『認めない』で拒否しても、辞めるというリスクは残ったままですよ?」
「……ロウくん」
九笛先輩が、離れたところからながら、まじまじと見つめてくる。
何か知らないが、驚いているらしく、口が少し開きっぱなしになっている。
「……なんですか?」
「リスク、課題、障害の使い方が正しいですね」
「……そうですか? たまたまです」
「し、質問です!」
そこで、スパッと手を挙げたのは真直さんだった。
その姿勢は少し身を乗り出すようで、彼女にしては積極的に見える。
「使い方……そ、その心は?」
なんの問答だよ……と、突っ込みたいのを我慢。
すると、九笛先輩が真直さんにうなずいてみせる。
「3つの違いでいいのかしら?」
「あ、はい」
「まず、【リスク】は潜在的問題。要するに、これから起こりうる問題。可能性100%未満の問題ね。
それに対して【課題】は、顕在的問題。発生する可能性100%。確実に起きる問題になるわ。
これが解決できず、問題が実際に起こってしまったのが、【障害】という状態ね」
その丁寧な九笛先輩の後に、千枝宮先輩が続ける。
「ちなみに、これを【タスク】という作業に落として解決していくわけ」
その説明に、真直さんがフンフンとうなずき、会議用テーブルに埋め込まれた液晶パネルにキー入力していく。
前に九笛先輩から講義を受けていた時より、かなり真摯で積極性を感じさせる。
ここまで来て、俺はなにか違和感を感じ始める。
議題の内容、千枝宮先輩の口調、真直さんの前向き加減……。
なんだろう、この空気は……。
「ちょっと話が脱線しましたが、ともかくあなたは、我々のリスクになったのです」
「ん? だから、俺が辞めれば……」
「それだと、課題解決になりません。それに我々が心配しているリスクは、あなたが思っているものと違います」
「すいません、九笛先輩。正直、わけわからなくなってきました」
「話は簡単です。我々は、あなたというリスクを解決したい。そのために話し合いをして、意思統一を図り、新たなプロジェクトを立てることにしました」
「……え? 新たなプロジェクト?」
「ええ。そうです。これが、新たに生まれたプロジェクトです」
九笛先輩が、ビシッと音がしそうなぐらいの勢いで、VWBを指さした。
とたん、そこにバーンと大きめの文字が表示される。
「…………な…………な……なん……なんじゃあぁぁぁ、こりゃああああぁぁぁぁ!!!!!」
そこに表示された内容に、俺は過去最大音量のツッコミを解き放った。
第一部最終回の話が、長編になってしまうリスクがあるため、少し分解して短い話として掲載しました。
これにより、リスクが解決されました………………かね?(笑)