Phase 005:「プロジェクト?」
プロジェクトとはなんでしょうか?
真っ白な壁に、大きな窓が3つもならぶ一室。
銀色の糸がまぜられた赤いカーテンは、すべて窓の上に巻きあげられている。
そのおかげで柔らかい陽射しが、窓ガラスをぬけて、燦々と部屋へ射しこんでいた。
本当ならば、窓を開けはなって、新鮮な風を部屋いっぱいにとりいれたいところだった。
しかし、それはできない。
ひとりで使うには大きな執務机の上には、その天板を覆い隠すほどの書類の束が積んである。
万が一にもそれらが風で飛ばされれば、大惨事となる。
この書類の一枚一枚には、ステークホルダーたちの個人的な情報が山ほど書きこまれているのだ。
窓を開ける前に、必要な情報だけをまとめ、他は焼却するなり処理しなければならない。
(でも、これだけの書類を整理するのに、いったい、いつまでかかるのかしら)
先を考えると鬱になる。
大きな執務椅子に腰かけていた聖典巫女は、肘のせに肘を立て額を覆った。
――コンコン
柔らかいノック音が響いた。
聖典巫女が、入室を許可する。
すると、一人の女官がはいってくる。
「これはまた……」
編みこまれた長い髪を揺すりながら、女官は彼女の前の書類の山を眺めて眉をひそめた。
そして、その書類の向こうの顔色に気がつく。
「少しお休みになられては……」
女官の言葉に、彼女は滅多にしない苦笑いを見せる。
「そうも言っていられぬのです、執務官」
彼女は、執務官の顔を見た。
なるほど。先ほど鏡で見た自分の顔よりも、執務官の方が健康そうだと思う。
生きていれば自分の母親と同じぐらいの年であろう執務官の方が、むしろ若々しく見えさえもする。
「なにしろ、聖典様におしかりを受けてしまいましたから」
「な、なんと……。聖典様がお怒りになったのですか!」
驚愕する執務官を安心させるように、聖典巫女は静かに首をふる。
「いいえ。おしかりと言っても、注意をいただいたのです。先日、あなたにも手伝っていただいたステークホルダーの情報は多すぎると。プロジェクトに必要な情報だけをまとめるようにと仰せです」
「また、その【プロジェクト】とかいうお考えですか。しかし、それならば、最初からそのように、きちんと聖典様も説明してくだされば良いものを……」
「我々の知識が足らないのです」
「し、しかし――」
反論しようとする執務官を彼女は手ぶりで抑えた。
「聖典様も仰っていました。もう少し詳細まで正しく伝えるべきだったと。聖典様自身も手落ちがあったと仰ってくださいました」
「さ、左様でございましたか。さすが聖典様。ご自分の過ちを省みて、お認めになることができるとは。わたくしごときが、出過ぎた事を申しました」
「そのために今回は、作成例や必要項目が書かれた書式も頂きました。執務官、申し訳ないのですが、また手伝ってもらえますか?」
「もちろんでございます。書記官ら先日のメンバーも、また呼んで参りましょう」
執務官は、頭上で合掌したまま頭をたれる。
この国の上位の者に対する挨拶だった。
聖典巫女は、それに対して片手で掌を向ける。
頭あげて返事を確認すると、執務官はすぐさま踵を返す。
「執務官……」
聖典巫女は、その背中に声をかけた。
執務官は、また慌てて踵を返す。
「はっ。なにか?」
「執務官、プロジェクトで一番大事なことはなんだと思いますか?」
聖典巫女の言葉に、執務官は首をひねる。
「申し訳ございません。わたくしごときではわかりかねます」
「聖典様曰く、【コミュニケーション】だそうですよ」
「コ、コミ? ……な、なるほど……?」
「わたくしは、皆とうまくコミュニケーションがとれているのでしょうかね……」
聖典巫女は、執務官ではなく、遠い誰かに向かって問いかけるように、天井の先に向かって呟いたのだった。
◆
「PM部とは、【プロジェクト・マネージメント部】の略です」
会合開始の一言目。
九笛先輩が、活動3日目にしてやっとネタばらしをした。
俺はなんとなく予想がついてはいたが、横ではカンリが「おおぉ」と感嘆の声をあげている。
でも、その語尾で「おぅ?」と首をひねっていたから、たぶん意味はわかっていないのだろう。
ということは、彼女は何の説明もなく、この部に強引に連れてこられたのか。
九天先輩は、本当にむちゃくちゃやる人のようだ。
半分呆れながら、俺は九笛先輩に目線を戻した。
場所はもちろん、いつもの部室。
実はこの部室、25畳ほどの広さがある。
弱小の部としては大きすぎるし、それ以前にこんな大きな部室を持っているところは他にないらしい。
この部室は、もともと部活の共同物置だったそうだ。
それが何かの事情で廃止され、ちょうどその時に部室を欲していたPM部に割りあてられた。
しかし、普通ならばもっと大人数の部と、部屋を入れ替えられていただろう。
ところが、どの部もこの部屋になるのは嫌がったという。
なんでも物置時代から、ここには幽霊がでるというのだ。
目撃証言も、多々あるらしい。
この物置で崩れた荷物に潰されて死んだ生徒の幽霊だとか、失恋してここで自殺した女性との怨念だとか、いろいろな尾ひれがついて、噂は広まっている。
しかも、PM部が使用し始めてからも、「部室の窓に幽霊を見た」などの目撃証言が続いているというのだ。
そのせいなのか、めったにここで他のクラブや委員会と会議が行われることはないそうだ。
部屋には大きな会議用テーブルとイス、そしてVWB――バーチャルホワイトボード――や全天型プロジェクタまでそろっている。
それなのに、まったくもったいないことだ。
そんなくだらない噂のために……。
しかしながら、その設備も今日は会議で活用されている。
10人程度座れる会議テーブルには、部員の九笛先輩、カヨ姉、カンリ、そして俺が席についている。
今まで一度も見たことがない、三年生の部員はやはり来ていない。
また、スケさんは風邪で休みだそうだ。
しかし、風邪をひけたんだな、あの人。
馬鹿と変態は、別物なのか。
それから、もう1人。
なぜか部員でもないのに席に座っている者がいた。
「九笛先輩。始める前に、ちょっといいですか?」
俺は、手を挙げて発言した。
そして、九笛先輩と目があってから、その部外者の1人に視線を向けた。
「なんでこの場に、生徒会長が?」
視線の先には、あの金髪チョココロネが腕を組んで、さもあたりまえのように着席していたのだ。
「大守さんは、生徒会長として部活動の視察をしたいそうなの」
「ええ。お邪魔して申し訳ないと思ったのだけど、わたくしとあなた方は、これから多くの学校行事を一緒にやっていくことになりますわ。
去年、副会長として活動していたとはいえ、わたくしも生徒会長一年生。今後のためにも、あなたたちのことをもう一度、きちんと知っておくべきだと考えたわけですの」
さも当然のように言った最後、生徒会長は俺をチラッと見た。
その頬がほのかに赤い。
その赤さが、俺の中の何かをくすぐってくる。
「そうですか。わかりました。まあ、こんなすてきな生徒会長と同席することに異論は全くないのですが」
「すっ…すて……き……」
おお、おお。
今日もきれいに赤くなったぞ。
楽しいのぉ、楽しいのぉ〜。
「か、会議中にくだらないおべっか使わないでいただけますかしら! まったく真面目に取り組む姿勢が見られませんわ!」
「すいませんでした、生徒会長」
「それにその呼び方! わたくしを――」
「この場で呼び方を変えていいんですか?」
「え? ……あっ。うっ……。もういいですわ!」
先回りして言うと、ドギマギして言葉を失い、2つのチョコロールが前かがみになる。
うーん、やはり楽しいのぉ。
なんか昨日あたりから、俺の中で新しい何かが目覚め始めている気がするなぁ。
俺に実は、こんな属性が隠れていようとは……。
ちなみに、俺は生徒会長――コロナ――の好意に気がつかないフリをすることにした。
先日のカンリの時と同じような過ちを犯さないようにするため。
そして、気がつかないフリをした方が楽しそうなためだ。
……などと言うとカッコイイが、実はわかっているのだ。
モテ期なんて幻想だということを。
甘え、憧れ、遊び……要するに利用している。
でも、それでいい。
俺も楽しめているから。
お互いさまの関係。
つまり、うまくいっているということだ。
よく「人間はわかりあえる」などと言うけど、それはある程度までの話だ。
いくらコミュニケーションをとっても、相手を理解しきるのは無理である。
相手を理解しあうことじゃなく、相手を利用しあうこと。
それこそが、円滑なコミュニケーションだ。
これはオヤジ様の教えでもあるけど、概ね同意。
……っと。あまり思い出したくない顔が浮かんできてしまった。
頭を戻そう。
「では、話を戻すわ。……まず、そもそも【プロジェクト】とはなにかという話だけど、カンリはわかるかしら?」
「あ、あうあう。プ、プロジェクト……です? も、もちろん、聞いたことありますです」
動揺しているのか、カンリの両手が意味不明にフヨフヨとゆれている。
「そ、そうそう。な、なんか昔の番組で、プロジェクトなんとかってありましたです。いろいろなプロの人が集まって、みんなで何かやっていたので。
……たぶん、語源は【プロフェッショナル】な【ジェクト】……みたいな?」
「惜しいわね。分解方法は正しいわ。
【PRO】は単語の前につくと『前方へ』の意味。ビジネス用語では、【PROACTIVE】という言葉があるけど、これは『事前対応の』『先を見越した』という意味で同じ語源ね。
【JECT】は、『投げかける』みたいな意味らしいわ。たぶん、データディスクなどを取りだす時の【EJECT】と同じ語源ね」
九笛先輩は会議用テーブルの上に置いてあった全天型プロジェクタを指さした。
「このプロジェクタも語源は一緒ね。投影機、つまり、前に映しだす物。
そう考えればわかると思うけど、【プロジェクト】は、『前に投げられた物』、言い換えれば『未来の設計図』というようなイメージね。
ちなみに、プロジェクタには、計画者という意味もあるわ」
九笛先輩は、VWB――バーチャルホワイトボード――に専用ペンを向けた。
VWBは、バーチャルタッチパネルモニターと同じ仕組みだ。
何もない空中にモニター画面が表示される。
そこに専用ペンで書きこむことで、VWBに書きこみができるわけだ。
しかし、いちいちペンで書かなくても良い。
九笛先輩は、VWBにペンを当て「プロジェクト」と喋った。
すると、VWBのペンがあたった部分に「プロジェクト」と文字が並ぶ。
同じように、その横に「定常業務」と音声入力で書きこんだ。
「プロジェクトに対して、【定常業務】という言葉があるわ」
今度は、ペンを「定常業務」の下あたり当てた。
「定常業務というは、そのまま日常的な業務、要するに毎日の仕事ね。
それに対して言うなら、プロジェクトは非日常的な仕事と言えるかもしれないわね。
実際、定常業務とは切り離されて考えられ、パラレルに動くことになるわ」
彼女の言葉に合わせて、VWBに話したとおりの文字が並んでいく。
しかも、「ことになるわ」などの口語は、AIプログラムが「ことになります」と文語に修正してくれるという気の利きようだ。
俺とカンリは、会議用テーブルの各自の席に、埋めこまれた画面を操作して、その内容を自分のノートアプリケーションにコピーし、整理していく。
授業のノート取りと、やっていること同じ。
こうしておけば、自宅で復習する時にすぐ確認できる。
タメになる話を聞いているのだから、今後のためにも頭にいれておきたい。
……と、やっとこの辺りで、俺は違和感に気がつきはじめる。
「米国に【プロジェクトマネジメント協会】という団体があって、そこでプロジェクトとは『独自の製品、サービス、所産を創造するために実施される有期性の業務である』と定義されているわ。
でも、これだとわかりにくいから、先の定常業務との違いで簡単に説明するわね」
……この辺りで違和感最大値。
俺がふと正面のカンリを見ると、彼女もちょうどこちらを見ていた。
そして、たぶん同じ事を感じているのだろうと、お互いに訝しげな顔で首を傾けあう。
「一番の違いは、有限であること。要するに締切がある仕事なの。
定常業務は基本的に常設で継続的であることにたして、プロジェクトは期間が設けられていて、終了すればプロジェクトチームは解散となるのが普通よ。
また、これはわたしの意見だけど、プロジェクトには、定常業務にない有機的な変化があることが特徴だと思うわ。具体的に言うと……」
そこで俺は我慢できずに挙手をした。
「先輩、質問です」
「はい、どうぞ」
俺は席を立つと、カンリを一瞥した。
すると意志を感じたのか、彼女が首肯する。
それに後押しされ、俺はなるべく真摯な顔を九笛先輩に向けた。
そして、心の底から心配している声を絞りだす。
「先輩……。何か……何か辛いことでもあったんですか!?」
「……はい? 何かとは?」
「体調が悪いとか、すごい心配事があるとか……」
「そ、そうです! 変です、先輩!」
腰をあげたカンリが、珍しく強い口調でハキハキと言った。
彼女も不安なのだろう。
「カンリまで……。わたしの何が変なの?」
「だ、だって、先輩……まったく……まったく、ボケてないじゃないですか!」
「そうですよ!」
俺も不安を続けてぶつけた。
「先輩、まったくギャグがはいってませんよ! 一体、どうしたって言うんです!?」
「な、なにか不治の病です!?」
「俺でよければ、相談ぐらいのりますよ!」
「…………」
数秒の間。
その後に、「ブーッ!」と吹きだしたのは、隣にいるカヨ姉だった。
「ププッ……。あ、あらあら。二人とも、気持ちはわかりますけど、桂香ちゃんもPMの時は、意外とまじめなんですよ。気持ちはわかりますけど……。ホント、気持ちはわかりますけど……プッ!」
ちなみに今のカヨ姉は、生徒会長がいるためか、委員長モード。
しかし、委員長モードにはあるまじき吹きだし方をしてしまっている。
それに対して九笛先輩は、無表情で眉間を指で押さえた。
「2人とも、わたしをなんだと思っているの?」
「なんだと言われても……。なあ、カンリ?」
「そうですね……。先輩は昔から成績首位で、頭がいいけど、つかみどころがない人で……」
「確かに、美人だけど、つかみどころがないよな……」
「つかみどころがなさすぎです。そう。なんだと言われたら……」
「こう、するっと指から抜けていく感じの生き物……あっ!」
「ああっ!」
「「――スライム!」」
俺とカンリの声が完全にシンクロ。
思わず顔を見合わせて、指をさしあう。
呼吸ぴったり。
しかも、タコとかじゃなく、もっとモンスター的なものを思いつくあたりすごい。
「ブー――ッ!!!」
とたん、もう我慢できないと言わんばかり、カヨ姉の微笑が崩れた。
彼女はそれを隠すように、テーブルにうずくまって声をもらして笑いはじめる。
その横では、コロナも顔を覆いながら、激しくチョココロネを上下にゆらしている。
よく見れば、涙も浮かべて。
抱腹絶倒状態。
「そう。ロウくん、カンリ……。二人とも、そーいうことを言うわけね……」
九笛先輩が、両手テーブルについて、頭をたれた。
長い髪が前に垂れ、表情は確認できない。
しかし、その両肩は小刻みに震えている。
ヤバイ……。
これは怒らせた。
俺はまた、カンリと顔を見合わせてから、慌てて頭をさげた。
「ご、ごめんなさい!」
「す、すいません!」
俺に続き、カンリも頭を深々と下げた。
それはもう、2人とも、深々と。深々と。深々と。
九笛先輩の両肩の震えからは、ものすごく何かが爆発しそうな雰囲気が漂っている。
あれが爆発したら、きっと7代先の末裔まで呪われる。
しかし、恐れおののいているのは、俺とカンリだけだった。
残り2人の笑い声は、まだとぎれない。
なに、この恐れを知らない人たち。
「クックッ……。まあ、そんなに怒らないであげなさいな、美人のスライムさん」
「プッ……。そうですよ。かわいい後輩のお茶目ではないですか、成績首位のスライムちゃん」
「ちょっ! コロナもカヨ姉も、お願いだからあおらないで!」
俺は2人に手ぶりをくわえて、黙ってお願いと消火活動。
このままだと、俺は絶対に今夜、眠れない。
夢に見る。下手したら、夢枕に先輩が立っていそうだ。
それに、自分たちが言い始めてしまったこととはいえ、スライムはさすがにひどすぎた。
「コホンッ……」
わざとらしい咳払いを一つ。
九笛先輩は、ちょっと目尻がひきつり気味の顔をあげた。
「見事に話の骨を折ってくれましたね、ロウくん」
「す、すいません……」
「せっかく、少しはタメになる情報を載せ、『おお。この小説、勉強になるな!』と思わせて、PVをがっぽり稼ごうとしたのに、台無しじゃないの」
「ちょっ! そんな生々しい話したら、それこそ台無しでしょうが!」
「あらあら」
「カヨ姉のマネしてもダメ!」
「あうあう」
「カンリのマネしてもダメ!」
「おほおほ」
「コロナのマネをしてもダメ!」
「ちょっと! それのどこが、わたくしのマネですの!?」
「うほうほ」
「誰のマネだよ! ってか、全部無表情すぎ!」
「…………」
「…………」
「……このぐらいボケれば、2人は満足かしら?」
「ほー――んと、すいませんでしたぁ!」
「ご、ごめんなさい!」
俺とカンリは、また深々。
これは、かなりご機嫌が悪い。
「ええ。その通りよ。かなりご機嫌が悪いわ」
「だから、読心術はやめて!」
「この際だから、この機嫌を損ねる原因をすっきりさせるために、はっきりしておきましょう」
九笛先輩の持つペンが、VWBに向けられた。
つづく……
という感じで終わりました。
今までの半分ぐらいの分量にしようと思ったら、気がついたら同じぐらいの分量になっていましたので、テーマを分けて半分に切った形です。
プロジェクトとして見ると、計画性が皆無ですね……。