Phase 004:「OBS?」
作業担当はきちんと明確に決めましょう。
ただし、その作業範囲を超えることが、必ずしもタブーになるとは限りません。
あとで調整されることもあるのです。
聖典巫女は、ひとりで誰もいない会議室にはいった。
そこは神殿の中でも小さめの会議室だった。
部屋の中心には、10席確保できる円テーブル。
席が埋まれば、部屋もそれでいっぱいと言うところだろう。
そこに、ひとり優雅なしぐさで腰かける。
「情報師団長……いらっしゃいますね」
「はい。御前に」
聖典巫女の正面の席には誰もいない。
しかし、聖典巫女の呼びかけに答えた声は、そこから聞こえていた。
「失礼ながら、念のために、このままご報告させて頂きます」
「構いません」
「では、まずは資料をご覧ください」
見えない姿がそう語ると、ふわっと聖典巫女の目の前に紙の束が現れる。
そして、ゆっくりとテーブルの上に着地する。
聖典巫女は、その束を見てからかるくため息をもらし、ページをめくり始める。
「……ずいぶんと量がありますね」
「それはもう、利害関係のある者をすべて洗いました故」
「大変でしたでしょう。ご苦労様です」
「いえ。……ではまず、ご心配なされていた、経理監査官の問題についてです」
「はい。彼が犯した禁忌、詳細に教えてください。聖典様に提出する資料に必要なのですから」
◆
生徒会長と副会長の2人が出て行った後、すぐに変身を解いて、食器を片づけ始めるカヨさん。
俺はそれを手伝いながら、しばらく考えていた結論を言ってみる。
「カヨさん」
「なんだい?」
「生徒会長って……もしかして、ツンデレキャラですか?」
「あたりー。【妹属性ツンデレ金髪縦ロールお嬢様ロリ貧乳】の生徒会長だ。すごいキャラだろう?」
「ステータス、メガ盛りマシマシですね……」
「うん。輝きまくりのスターキャラだよ。私なんて、それに比べたら平凡そのものだ」
「そんなことは……」
「しかし、そんな【攻略者皆無】の彼女をいとも簡単に口説いちゃうなんて、ロウくんやるな」
「べ、別に口説いたつもりはないんですって! ってか、普通の女性なら、笑い飛ばしておわるみたいなことしか言ってないです」
そうなんだ。
社交辞令的に、ちょっと相手をほめたりすることは、今までもあったことだ。
あんな風に取られるとは、予想外過ぎだ。
ただ、よく考えてみれば、俺が社交辞令を使った相手は、今まで大学生以上だった。
同年代に使ったことは、あまりなかったのは確かだ。
同年代で女友達なんて作らなかったからなぁ……。
「……まあ、それはともかく。仲良くなっておくのは、よいかもしれない。なにしろ、PM部に取って大事なステークホルダーの一人だからね」
「ステークホルダー?」
「うん。簡単に言えば、【利害関係者】っていう意味だ。うちの業務は、他の校内活動に関わるから、必然的に毎回、生徒会と絡むことになる。だから、生徒会長はまずまちがいなく、毎回重要なステークホルダーの1人となるわけ。業務を進める以上、生徒会との連絡は密にしないといけないわけだ」
「なるほど」
「でぇ~もぉ~、だからと言ってぇ~、口説き落とすことはないんだけどっ!」
「――イテッ!」
カヨさんに耳をかるく引っぱられた。
驚いて、マイセンのマグカップを危うく落としそうになってしまう。
「な、何するんですか。危ないですよ、カヨさん!」
「あぁ~あ。古炉奈は呼びすてで、私は『さん』づけかぁ。ひいきだなぁ」
「いやいや。ひいきとかじゃないでしょう。あれは流れでというか、ほら、その……」
「その、なんだよ?」
だから、寄るな! 寄せるな!
胸の谷間という武器で脅迫するな!
はっきり言おう。
俺は気がついた。
その攻撃に、俺は弱い!
「ほ、ほら……。俺にとって、カヨさんはいろいろと教えてくれる年上の……つまり、妹というより、姉さん的な存在だから、そんな人を呼び捨てには――」
「――それだ!」
「えっ!? どれっ!?」
「その属性いただき!」
「……はい?」
「姉属性だよ!」
ガシッと正面から俺の両肩に手をのせ、しっかりロックするカヨさん。
顔と顔の距離が近いが、これでは離れることもできない。
「私、これから姉キャラでいくから、今度から私のことは『カヨ姉』と呼んで!」
「なにゆえ!?」
「別にいいじゃないか! 減るもんじゃあるまい!」
「減りませんが……。なんで俺に、姉さんと呼んでほしいんですか?」
「だってさ、私は一人っ子だし。呼ばれてみたいという憧れもあったんだ。それに、私はロウくんをちょっと気に入っているし、ちょうどいいじゃないか」
「だからと言って――」
「なによ、ロウくん。会ったばかりの古炉奈のお願いは聞けて、同じ部活でずーっと一緒だった先輩である私のお願いは聞けないの?」
「その『ずーっと一緒だった先輩』に会ったのって、昨日ですよね……」
「ひーき♪ ひーき♪ ロウくんの貧乳ひーき♪」
「勝手な性癖、歌わんでください!」
「ひーき♪ ひーき♪ ロウくんのロリひーき♪」
「性癖追加するな! ……ああ、もう! わかりましたよ。呼びますから」
「よしきた。はい、どうぞ!」
何かしらないけど、彼女の目が超キラキラしている。
期待している。超期待している。
どーも、この人のテンションの上がり下がりの激しさはついていきにくい。
「カ……カヨ姉……」
「うっ……」
突然、カヨさ……カヨ姉は、片手で鼻から下を覆って顔を伏せる。
俺に呼ばれて気持ち悪くなった?
吐き気でもしたか?
だが、覗きこむと、目がかまぼこのようになっている。
「ロウくん……これ、思ったより効く。鼻血でそう」
「おひっ……」
なんでこの程度で、顔を紅潮させているんだ。
こっちまで恥ずかしくなるじゃないか……。
「も、もう一回、呼んで」
「カヨ姉」
「――ぐはっ! ……吐血しそう……」
「なんでだよ!」
「たまんねーな、おい……」
「なんかエロオヤジみたいになってきたぞ……カヨ姉」
「――うほっ! 不意打ちとは卑怯だぞ!」
よくわからないが、非常に興奮気味で喜んでいらっしゃる。
まあ、俺としてはもうすでに「カヨ姉」と呼ぶことに抵抗感がなくなった。
生徒会長を呼び捨てにすることを考えれば、こちらの方が気楽だ。
これで喜ぶなら、呼んでやることにしよう。
反応も面白くなってきたし、これは今なら武器になりそうだ。
「ところで、カヨ姉」
「あふっん……。な、なにかな?」
微妙に身もだえして、なんか色っぽい。
「ちょっとお願いがあるんだけど、カヨ姉」
「あん……。お、お願い? なに? 今なら胸ぐらい触らせてもいい気分だぞ」
なんと魅力的な誘惑をするんだ。
今一瞬、俺の中の天使が堕天するところだったぜ。
「カヨ姉に、教えて欲しいことがあるんだ」
「うくっ……。お、教えて欲しいこと? なに? 私の胸のサイズ? 触って確かめる?」
「……え? いいの?」
カヨ姉のうつろな瞳、寄せられた谷間に、俺の頭がクラッときた。
とたん、目的を忘れた天使が、さわやかな顔で悪魔と握手をしようとする。
まさに、その時だった。
地獄の底から響くような、重く暗い声が上ってきたのである!
「ずぅ・るぅ・いぃ・でぇ・すぅ~~~……」
たとえるなら、亡者が現世の人間を恨む悲痛な声。
天使も悪魔も裸足で逃げだす。
「――うわああぁぁぁ!」
「――ぎゃあああぁぁ!」
俺とカヨ姉は、最大音量で悲鳴をあげた。
思わず、身を引こうとするが、なにかが上着の端をつかんでいる。
――手だ。
誰かの……いや、きっと亡者が俺の服をつかんでいるんだ!
ヤバイ! 逃げられない!
堕天しかけたせいで黄泉路に引きこまれるのか!?
「た、たすけ――」
「あたしだけ、苗字はずるいですぅ~……」
「……へ?」
亡者の言い分に驚き、その正体を確かめる。
「……真直さん? い、いつの間にいたの!?」
そこにいたのは黄泉に引きずりこむ亡者ではなく、この部に引きづりこんだ真直さんだった。
短い髪をふるわせ、唇を尖らせながら、くりっとした瞳でジト目を作っている。
そしてその眼球には、いつも通りうるうるとした水滴。
「す、すいません。ずーっと、ここにいましたぁ……」
「ずーっとって、いつから!?」
「スケ先輩と一緒に入ってきていましたから……」
「……まじで?」
「ドア閉めたの……あたしですぅ……」
そういえば、確かにいつの間にかドアが閉まっていた。
俺は思わずカヨ姉と顔を見あわせる。
意図が伝わったらしく、カヨ姉は首を激しく横にふった。
だよな……。気がつかなかった。
俺とカヨ姉が、腑に落ちない顔を彼女へ向けた。
すると、彼女はモジモジとしながらも口を開く。
「す、すいません……。知らない人がいたから、隠れちゃって……」
「隠れたにしても、いくらなんでも……」
「あ、あたし、いろいろあって、目立たないようにするの得意で……」
「いや、それにしても……」
「気配、完全に消せるんですぅ」
「忍者もびっくりだな!」
「す、すいません。……でも、そんなことより、ず、ずるいです!」
これほどすごい特技を「そんなこと」呼ばわりなのか。
と思ったが、とりあえず話が進まないので流す。
「で、なにがずるいの?」
「だ、だからぁ……カヨさん、スケさん、それに生徒会長まで名前なのに……あ、あたしだけ、苗字で……仲間外れっぽいなっ……て……」
びくびくとしながら、上目づかいでしっかり主張する彼女。
どうやらここは、引きたくないらしい。
その様子が、小動物的でかわいいなと思いながらも、どこか嗜虐的な欲望がわいてくる。
そんな邪な感情を追いやりながら(ガンバレ、天使)、俺はなるべく優しくほほえんだ。
「別に仲間はずれにしてないよ」
「じゃ、じゃあ、あたしも……」
「いや、でもさ――」
「あっ! やっぱり、巨乳か貧乳か、はたまた変態しかダメなんですかぁ!? 普通は平凡だから、マニアなロウさんの好みじゃないんですかぁ!?」
「おい、こら。誰がマニアだ。ってか、せめて変態は抜け」
「す、すいません! で、でもぉ……。さっき会ったばかりの生徒会長まで名前で呼ばれているのに、同じ部活でずーっと一緒だったあたしは『真直さん』のまま……」
「その『ずーっと一緒だったあたし』に会ったのって、昨日だろうが……」
デジャブ。
「あうあう。すいません。で、でも、あたしも……部活仲間だし、そのぉ……な、名前で呼ばれたい……かなぁ……って」
「しかしさ、普通はあったばかりの野郎に、ファーストネームでなんて呼ばれたくないでしょう?」
「そ、それは……普通は……。でも、ロウさんなら……いいかなぁ……なんて」
すごい。刹那で真っ赤。
生徒会長ほど真っ白な肌ではなく、ごく一般的な日本人の肌色。
それでも、はっきりとわかるぐらい真っ赤か。
卵を落とせば、目玉焼きぐらい作れるのではないかというぐらい、カッカとしている(そのシーンを想像すると笑ってしまいそうだが……)。
しかし、まあ、なんという日だろうか。
今日だけで俺は、三人の女の子を赤面化させている。
赤面化とか言うと、なんかの能力のようだな。
ラノベ風にルビをふると【強制赤面化能力《erythrophobia》】とか?
いや、ちょっと意味が違うか。では、何がいいだろうか?
――じゃなくて!
これは、まさか、あれか?
あの伝説のモテ期か?
でも、それはないだろうな。
俺の容姿は、「いい感じのかっこよさ」だと思っている。
まあ、主観的なうぬぼれではなく、客観的にも言われたことがあるからだ。
双眸は切れ長……ではないが、まあそれなりに、クリッとしている。鼻もスケさんのような高さはないが潰れてはいない。唇もタラコとかではなく、それなりに男らしさがあると思う。体作りはしているので、太ってもいないし、痩せてもいない。髪も黒々として、ふさふさとある。身なりも、しっかりとしている方だ。
……ようするに、普通よりちょっとマシ的なポジション。
ただ、それだけに「誰もが一目惚れするような、アイドル的なかっこよさ」というのは持ちあわせていないことも重々承知している。
だから、赤面化した女性陣には申し訳ないけど、今の状況には非常に懐疑的なのだ。
「真直さん」
上目づかいの彼女に、俺は思ったままに口を動かす。
「真直さんって、もしかして俺のこと好きなの?」
「――っっっっ!」
声にならない声をだして、顔色を変える。
顔の熱は、赤を通りこして青くなる。
彼女はあわてて、その熱を両手で覆いかぶせて火消作業。
かと思うと、瞬時にソファの裏側に移動して身を隠した。
そして、少しだけすすり泣く声が聞こえる。
「す、すいません。ごめんさない、真直さん」
そこで、やっと自分の馬鹿さ加減を悟った。
これはまずった。
彼女のようなタイプに、こんな直球はデッドボールだったか。
女の子に泣かれるのは苦手だ。
とにかく頭をさげる。
が、彼女がソファの裏からでてくる気配はない。
「ロウくん、君ね……」
うなだれて頭を掻く俺に、カヨ姉の大きなため息。
「すいません。デリカシーがなさ過ぎましたよね」
「全くだよ。なんでそういうこと、すぐ気がつくんだ」
「そうですね。でも、つい、すぐ気がついてし……え? 気がつく?」
「そうだ。気がついちゃダメだろう?」
「え? 気がついちゃダメなの?」
「当たり前だ」
「なにゆえ!?」
呆気にとられている俺の肩に、カヨ姉が手をポンッとのせる。
そして、天井を見あげると、噛みしめるように語りはじめる。
「いいかい、ロウくん」
「……はい」
「昔のエライ人が言ったんだ」
「……はい」
「ラノベの主人公は、朴念仁」
「……はい?」
なんか、故事成語を語るみたいに意味不明なことを言いだしたぞ、この人。
「ロウくん。ラノベの主人公、特にハーレム物の主人公はね、女の子の想いに簡単に気がついちゃダメなんだ。たとえ気がついても、気がつかないフリをしなければならない。ハーレム状態を長続きさせるためにもね」
「……はい?」
「たとえば、今みたいに赤面して話しかけてきても『照れ屋さんなんだな』と解釈したり、大した理由もなくお弁当を作ってきてくれても『ああ、いい子なんだな』と思ったり、ツンデレで攻められても『女の子はよくわからないな』と韜晦したり、あからさまな好意を向けられても『まさか俺なんかを好きなわけないよな』と自己否定したり、読者が『これで気がつかないような鈍いやついるわけねーwww』とか思うようなことでも、気がついてはいけないんだ」
「……はい?」
「それを君は、いとも簡単に古炉奈のツンデレ好意を見破ったかと思えば、今度はカンリちゃんの純真な好意を正面から看破した! さらに姉キャラ扱いして、私をもメロメロにさせた! 君はことごとく禁忌を犯してしまったのだよ!」
「……はい?」
「これがどういうことか、わかってるかい、ロウくん。まだ、4話。物語内の日にちにして、2日しか経っていないんだよ! 早すぎる、あまりにも展開が早すぎるだろう! そういうのに気がつくのは、少なくとも話の中盤だ! これから先の話が保たないだろう! 君はそういうことを考えているのか!?」
「……はい?」
「こうなれば、話は次のステップに移行するだろう。好意に気がつけば、今度はお色気シーンが山盛りになる。それは自然な流れだ。本来は好意に気がつく前に行われるべき、着替えシーンにぶちあたるイベントや、みんなで温泉旅行(混浴)に行くイベント等も待っているだろう。君はそこで、多くの誘惑を受けるはずだ。……だけど覚えておいて欲しい。ハーレム物ラノベの主人公に許されるのは、キスとタッチまでだ!」
「……はい?」
「いいかい。本番はダメだぞ。どんなにエロい言葉で誘われようと、裸体でラッキースケベを味わおうと、性欲真っ盛りの高校生が、普通は我慢できるわけがないような状態でも、『性的になにか問題があるんじゃないか?』と疑われるぐらい頑なに我慢しなくてはいけないんだ」
「……はい?」
「なぜだかわかるかい?」
「……わかりません」
「簡単な話だ。本番という禁忌を犯せば、ただのハーレム物ラノベですまなくなり、成人指定を受けてしまうかもしれないからだ!」
「ちがーう! わからないのは、そこじゃねーよ!!」
俺はぶち切れるようにツッコミを入れた。
意味不明すぎて呆気にとられている内に、なにを暴走しているのやら。
ラノベ? 主人公? 4話目?
意味がわからんし、知りたくもない。
タブーを犯しているのは、どっちだという話だ。
俺はカヨ姉をジロッと睨んだ。
すると、舌を出して「てへ☆」みたいな顔でウィンクして返す。
くそ。むかつき半分、かわいさ半分。
それよりも今は、真直さんだ。
俺は彼女が背もたれに隠れているソファに静かに座った。
背後で、ピクンッと反応するのを感じる。
ふぅと小さく深呼吸。
こちらが緊張すれば、あちらも緊張してしまうだろう。
だから、社交場でお世辞を言う時のように、心をゆったりとさせる。
そして、なるべく柔らかく呼びかける。
「……カンリちゃん」
背後でまた、ピクンッと気配がする。
だが、逃げる気配はない。
「ごめん。俺さ、わかんないんだよ」
「……なにがですかぁ……」
細くて、今にもとぎれそうな声に、少しすするような音が混ざる。
プリザーブドフラワーでも扱っている気分だ。
ちょっとでも力を入れたら、乾燥した花が散ってしまう。
「うーんとね。中学生のころ、俺はけっこう、クラスの女子には、距離を置かれる系の男子でさ」
「……そんなに、女ったらしなのに……ですか」
あ、あれ?
このプリザーブドフラワー、なんか刺があるな。
「いや。俺、女の子とつきあったことないよ」
「じゃあ……すべて遊び、ですか……」
「いやいやいや。なんか誤解がありますよ、うん」
これは、さっきカヨ姉がハーレムがどうのとか言ったせいか。
俺が横目でうかがうと、カヨ姉は意図を感じたのかすぐに目をそらす。
名誉毀損で訴えますよ、カヨ姉。
「まあ、なんかけっこう家庭の事情ってやつで、目上の女性と話す機会は多くて、大人の会話術みたいな、世辞とか妙にうまくなったりもしてね。でも、あまり学校では親しい友人とか作らなかったんだよね」
「……なんでですか?」
「……面倒だった」
「ぷっ!」
よし!
笑った。
「だけど、どうしてもクラス行事とかで共同作業とかあるでしょう。そういうのやると、けっこう小うるさいらしいんだよね、俺。女子達に裏で『小姑』と呼ばれていたらしい」
「……くっくっくっ……」
「だからね。会ったばかりで好意を向けられることが信じられなくてね。つい聞いちゃった」
「…………」
「あ。もしかして、カンリちゃんって小姑マニア?」
「どんなマニアですかぁ、それ!」
ツッコミと一緒に彼女がふりむく。
と、ソファの背もたれに顎をのせて、彼女を見ていた俺と目があう。
くるっと180度回転して戻る彼女の表情は、あまりに早すぎて見えなかった。
笑っていたのか、泣いていたのか、照れていたのか。
でも、そのかわいらしいプリザーブドフラワーは、生き生きとしている。
「や、優しいなぁ……と思って……」
彼女の短く切りそろえられた髪を見ていると、絞りだすような声が聞こえた。
一生懸命、口に出したのだろう。
しかし、その内容は納得できない。
「優しい? 俺が?」
「は、はい。……す、すいません」
「いや、謝られてもこまるけど」
俺はソファに正しく座り直し、腕を組んで考えをめぐらす。
俺が優しさを見せた?
この2日間で?
「俺、自分で言っていても哀しくなるけど、この2日間、たぶんツッコミしかしてないよね? しかも、かなりきつめで、優しさの欠片もない感じが多いと思うんだけど」
「で、でも、それって、ロウさんが拾ってくれているってことだと思うんです」
「拾う?」
「たくさんツッコミを入れるってことは、言葉や気持ちをたくさん拾って、聞いて考えてくれてるってことですよね。くだらないことでも」
横でカヨ姉が「そうそう」と相づちをいれる。
でも、それは優しさと違う。
日常会話ならまだしも、あれだけボケをかまされたら黙っていられるわけがない。
「いや。それ、ほぼ条件反射みたいな――」
「あ、あたし、中学の頃、ちょっとクラスで無視されていたりしたんです」
いきなり重そうな告白に、思わずふりかえる。
相変わらず彼女はソファの背もたれの後ろで、床に体育座りをしながら話している。
その背中が、少し寒そうにふるえた。
「だから、かまってもらえるのが嬉しいんです。実は、九笛先輩とは中学も同じで、あたしがいじ……無視されていたのとか知っていたので、高校ではそうならないようにと、クラブも誘ってくれたりして。少し強引だったんですけど」
最後に少し笑い声がまざる。
だから、俺も少し笑う。
「確かに強引だったよな」
「はい。でもぉ……あの時にもう、ロウさん優しいなと思っていたんです」
「……ん?」
「だ、だって、ロウさんのことは、あたしが強引に引っぱってきたのに、あたしにぜーんぜん、怒ったり、文句を言ったり……しませんでしたよねぇ」
「……そうだっけ?」
あの時は、まじに怒濤の勢いで話が進んでいたので、内容をよく覚えていない。
むしろ、流されていただけのような気もする。
「それにその後も、何気なく気を使ってくれたり……その、この部に残ってくれたのもぉ……そのぉ……あたしのため……かなぁ……なんて……す、すいません!」
なんか、頭を抱えて、膝の間に埋めるようにして丸まった。
うむ。ボールのようだ。
なんか転がして遊びたくなるな。
そうしたら、困った顔がかわいいかもしれない。
……などと、いじめたくなっている俺が、優しいとは思えないのだが。
まあ、それを言ってしまうと、また俺のマニアレッテルが増えてしまいそうだし、ここは黙って納得しておこう。
「……とりあえず、カンリちゃん」
「あ、あたし、『ちゃん』付けですかぁ……」
「じゃあ、カンリ」
さっと、ボールが変形して、人間になった。
呼び捨てにしたら瞬間的に立ちあがる生態は、生徒会長と同じ反応。
だから、彼女もここから立ち去ろうとするのか思った。
でも、彼女は背中を向けたまま固まった。
その弱々しいながらがんばっている背中がいじらしい。
また、少しいじめたくなる気持ちもでてくるが、今はよき仲間として言葉を続ける。
「その代わり、俺のことも『ロウ』で呼び捨てにしてくれよ。じゃないと気がひける」
「は、はい――っ!?」
――バタンッ!
うわああぁぁ……ド、ドア!
もう、そんなに乱暴に開けないであげて!
絶対壊れる、もう絶対、HPないよ!
やめてあげてください、九笛先輩!
「はあ、はあ……大丈夫? 間に合った?」
息を乱して、周りを確認する長髪美人の九笛先輩。
そんな少し乱れた感じも素敵ですが、ドアの怨みも背負い、あえて言わせていただきます。
「いえ。アウトです」
「――!!」
とたん、その場で膝から崩れる九笛先輩。
その様子はショックを隠せないどころか、あからさまにショックを表現している。
なにしろ、わざわわざポケットからかハンカチをだして、その端を噛んでいるのだ。
でも、なぜか顔が無表情。
本当につかめない人である。
「大丈夫ですか?」
「心配してくれるの?」
「ええ。書類を」
本人は芝居するぐらいの余裕があるのだから大丈夫だろう。
けど、先輩が崩れた時に落とした書類が散ってしまっている。
そっちがなくならないか心配だ。
俺は倒れ伏してショックを表現し続けている九笛先輩を無視して、書類を拾い集める。
……というか、いつまでショック状態の芝居をしているんだ。
もう今日は疲れたから、一切ツッコミしないぞ。
「ん? これは?」
その中の一枚に、ふと目を取られる。
フローチャートか? いや、組織図か?
四角の枠内に名前が書いてあり、それが線で結ばれてツリー状に並んでいる。
さらにそれらは、枠でグルーピング化されていて、たとえば「デザイン班」や「作成A班(土台)」などと書かれている。
「これ、例の模型部のジオラマ制作のやつですか?」
俺が書類を見せながら尋ねた。
応じるように、九笛先輩が何事もなかったように立ちあがる。
「放置プレイとは、なかなか高等テクニックね」
俺はツッコミを抑え、書類をさしだす。
するとやはり何事もなかったように、書類を受けとってから彼女は首肯した。
「これはOBSよ」
「OBS?」
まさか「Oppai Boin Saiko!」の略じゃないよな。
いやいや。最後は「Suteki!」や「Sawaritai!」でもいいよな。
……って、何考えてるんだ、俺。
なんか、いつもの俺じゃないぞ。
俺の脳よ、いつもどおりに働け。
何、舞いあがっているんだ。
天使、ちゃんと欲望を抑えろ。
「……違うわよ、ロウくん」
「な、なんの話ですかあああぁぁ、九笛先輩!?」
「Organization Breakdown Structureの略ね」
「え、えーっと……直訳すると、組織を細分化した構成図みたいな?」
「そうね。全体をワークパッケージという細かい作業ごとにグルーピングして、その担当責任者や作業者を配置した構成図よ」
「ああ。ステークホルダーでしたっけ? あれの構成図ですか?」
「違うわ。ステークホルダーは、全体の利害関係者だけど、OBSはワークパッケージに組みこまれている人たちだけ。OBSに出てくるのはステークホルダーではあるけど、全ステークホルダーではないのよ」
「なるほど」
「これを理解するには、WBSも知らないとね」
「WBS?」
「……違うわよ、ロウくん」
「まだ何も想像していませんよ!」
「あ。そう言えば、そもそもWBSどころか、この部のことも説明していなかったわね」
「ずいぶんと今さらですね……」
「そうね。今日はもう時間がないから、明日にでもいろいろと説明するわ」
どうやら活動3日目にして、やっと全貌を知ることができるらしい。
よっぽどこちらの方が、じらしプレイじゃないか。
俺は、じらすのはいいが、じらされるのは嫌いだ。
「あら。ロウくんは、じらしたい人だったのね」
「人の心を読むな!」
なんか怖いぞ、九笛先輩……。
「ああ、そうだ。ステークホルダーで思いだしたぞ!」
カヨ姉が、柏手を打つように、景気よくパンッと手を鳴らしす。
そして、全員に向かって手をヒラヒラとさせて、パソコンのあるカヨ姉の席に招き始める。
「そう言えば、聖典巫女からステークホルダーの資料が送られてきたんだよね」
「聖典巫女? ああ。あのゲームのですか」
「うん。ゲーム世界側の基本的な窓口キャラなんだ。イラストだと、すごいきれいな女性だぞ。見てみる?」
「二次元女性には興味ないので……」
「つまらんぞ、ロウくん。……じゃあ、届いていたファイルを開いてみるかな……っと」
そう言いながら、画面の前に現れたバーチャルタッチパネルを操作しはじめる。
モニターディスプレイの正面に、それと重なるように空間に表示された半透明のタッチパネル。それが去年に発売された、バーチャルタッチパネルモニターだ。
画面を直接触らないのでモニターが汚れないし、さらに追加情報も表示できるのが便利なインターフェイスだ。
各メーカーがこの技術開発と市場確保に躍起になっており、投資家たちの間でもホットな話題の一つとなっている。
つまり、まだそこまで一般的ではなく、高級品なのだ。
やはり、この部室の金回りのよさは異常だと思う。
「うわ……なにこのページ数……」
カヨ姉がたじろいだ。
俺と九笛先輩、カンリが後ろから覗く中、表示されたのは「ステークホルダー情報について」というタイトルページ。
その右下には、なんと1/721ページという表示があった。
「とりあえず、全体概要図とかいうのを見てみるか」
ページをめくると、そこには手書きの人間相関図が描かれていた。
しかも、かなり壮大だ。
表示画面を最大化してみると、なんとモニター3台分でも表示しきれていない。
だからと言って全体表示にすると、文字が小さすぎて読めなくなる。
少し唸りながら、カヨ姉がまたバーチャルタッチパネルを操作する。
そして、画面に表示された「120インチ(非透過)」のボタンをタッチ。
すると、バーチャルモニターが拡がって、天井に着くほどのモニターサイズとなった。
それを見て、俺は動揺する。
「ちょっ、ちょっと、これなんですか?」
楕円の中に役職が書かれて、それぞれが関係が併記された線でつなげられている人間相関図。
それがなんと、120インチいっぱいに拡がっている。
そこに膨大な量の登場人物名が並んでいたのだ。
しかし、だからと言って、その情報が有効とは限らない。
その中の一つを俺は、指さした。
「この経理監査官という人、部下の妻と不倫関係とか書いてありますよ……」
すると今度は、カンリ、そしてカヨ姉が順番に指さす。
「こ、こっちは、領地管理官がベジタリアンとか……書いてあります……」
「それより、この副騎士団長、関係線が自分に戻って、ナルシストと書いてあるぞ」
最後に九笛先輩が、あるキャラの名前をタッチする。
すると、画面が切り替わり、そのキャラの詳細が表示された。
彼女は無表情のまま、その表示された情報に目を通しはじめる。
「英雄騎士長。その生い立ち、トラウマ、夢、趣味、口癖、自らの呼称、持っている聖剣の名前、得意な魔法、ハーレムたる彼を取り巻く女性関係、宝物、好きな色、嫌いな色、好きな食べ物、嫌いな食べ物……1キャラでA4両面ぎっしりね」
俺たち4人は、誰ともなく顔を見合わせた。
そして、一呼吸置くと、みんなの視線が俺に集まる。
「どうぞ」
「どうぞ」
「どうぞ」
3人に促される。
はいはい。わかりましたよ。
俺も言いたくてたまんなくなっていましたよ。
「――お前ら、NPCのくせにキャラ立ちすぎ!」
3人の女性は、そろって黙ったまま深くうなずいた。
下手すると、俺たちより設定が細かいぞ、おい。
「この資料は、このままじゃ役に立たないわね。……まあ、この件も含めて、続きは明日にしましょう。今日はもう遅いし、夕方から花冷えしそうよ。もう帰りましょう」
九笛先輩の提案に従い、その日はみんなそれで帰ることとなった。
ああ。しかし疲れた。
まだ、部活2日目なのに。
まったく、人づきあいは疲れるもんだ。
でも、こんな美人やかわいい女の子たちに囲まれている状態は、悪くないかな……。
まあ、そういう意味では、カヨ姉の言うハーレムか。
男が1人だけってのは、ラッキーだったかもしれないな……。
◆
「……オゥ。ミー、すっかりスリーピング! ……ホワーイ? なんか部室が真っ暗ダークネスねー。あれ、エブリバディ、どこ行ったのかな? ……んん? ドアがクローズでロックでシャットダウンね! ここのドア、インからキャンノット オープンよ! イッツ ピーンチ! もしかして、ミーはディスルームでグッドモーニング? オー ノー! しかも、なんかクールよ! いや、むしろコールドね! コールドでデスですよ! ……誰かヘルプ! マジ、ヘルプミー!!」
スケさん、いつの間にか寝ちゃつていたんですね、床で……。
私も気がつきませんでしたよ(笑)。
スケさん、しばらく作業担当を外されそうです……。