〈テュポーン〉捕獲作戦 東京迷宮_2012
「〈テュポーン〉っていったら、ギリシャ神話の中では世界を滅ぼしかけた悪神だ」
エルフ田がそんな風に解説をしてくれる。
「公社、例の〈泥沼階層〉のボスにその名をつけたってさ」
「へえ」
門脇莞爾は気のない返答をする。
「それで、その〈テュポーン〉を倒すと出てくるエネミーには、〈ゴーゴン〉と命名、っと。
こっちもギリシャ神話由来だね」
「〈ゴーゴン〉?」
莞爾は首を傾げる。
「メデューサではなくて?」
「メデューサは、英雄ペルセルスに倒された個体名だ。
種族名だと、やはり〈ゴーゴン〉になる」
エルフ田は真顔で解説をしてくれる。
「元はといえば美貌で知られた三姉妹だったが、それが女神様の癇に障って醜い姿へと変えられたんだ」
「三姉妹ってことは、たった三人で種族扱いなのか」
「まあ、神話だからね。
その辺はかなりいい加減」
エルフ田はそういって肩をすくめる。
「新発見のエネミーに神話から名前をつけるっていうのは別にいいんだけど、比較的メジャーなギリシャ神話から即引用してくる公社の安直さは、ぼくも正直どうかと思うよ。
でだ、〈所沢迷宮〉のエースくん。
ここからが本題なんだが、その〈テュポーン〉やら〈ゴーゴン〉やらを、なんとか生きたまま捕獲できないものかと、公社は考えている」
「生け捕り、ねえ」
莞爾は表情も変えずにいった。
「それはエネミーの性質によるかな。
極端に打たれ弱かったり、環境の変化に弱かったりするんでなければ、なんとかできるとは思うけど。
でも実際のところは、実地に試してみないことにはなんともいえない」
こんなものを生け捕りにしていったいなにをするんだろう、と、渡された資料を斜め読みしながら莞爾は思った。
「それはそうだよねえ」
莞爾の言葉に、エルフ田は深く頷く。
「ぼくたちは肝心のエネミーも、まだ直に見ていないわけだし」
〈泥沼階層〉は今年の二月にはじめて完全に攻略をされた特殊階層である。
攻略を担当したパーティはかなり健闘したようだったが、攻略の最終局面で全十七名のうち三名の人命が失われていた。
その際、その他にも四肢欠損を含む重傷者が何名も出ている。
相手のエネミーが強すぎるのか、それとも探索者たちが準備不足だったのか。
資料の内容をチェックしながら、莞爾はそんな疑問を持った。
「最後の最後で、しくじった感じなのかなあ、これ」
疑問を、口にしてみる。
「いや、この内容をしくじったというのは、かなり酷でしょう」
エルフ田はそういった。
「この〈ゴーゴン〉のスキル、初見殺しもいいところだし。
事前になんの情報もなくてこんなエネミーに遭遇して、それでこの被害状況だったら、むしろかなりよくやっていたことになると思うよ」
「……目を合わせるだけで金縛りになる、か」
莞爾は資料の中にある記述を確認して、軽く顔をしかめる。
「確かにこれは、初見殺しかもなあ」
普通の人々にとっては、と、莞爾は心の中でつけ加えた。
「元勇者様としては?」
エルフ田が、確認してくる。
「やる自信はあるかな?」
「このエネミーを殺せっていうのなら簡単だけど」
莞爾は答えた。
「おれ、毒とか呪いの類はすべて無効化する体質らしいから。
ただ、生け捕りってことになるとなあ。
こちらに関しては、実際に試してみないことにはなんともいえない」
「成功は保証できないけど、やるだけやってみるってことだね」
異世界から迷宮経由でこの世界にやってきた自称エルフはそう応じる。
「では、そのつもりで準備を進めておきましょう」
莞爾は十八年間も別の世界で勇者をやりきって、今年になってからこの世界へと帰還を果たしたという経歴の持ち主であった。
それから数ヶ月を現代社会に順応するための一種のリハビリ期間として費やし、姉の千種の助言もあって、八月から探索者として働きはじめた。
元勇者としての能力もあって、以来莞爾は探索者としての頭角を現し、ごく短期間のうちに最深探索記録を更新し、それどころか現在に至るまで毎日記録を更新をし続けている。
さらにいえば、莞爾一人の働きによって発生するドロップ・アイテムを回収、販売をする専門の企業までを立ちあげ、日々膨大な量の物資を迷宮から取得して流通させていた。
いろいろな意味で破格な、前代未聞な探索者として名が広がりはじめている今日この頃である。
そんな莞爾に対して、迷宮を管理する不可知領域管理公社が注目をするのも当然のなりゆきであり、こうして他の探索者では不可能な依頼がなされたわけであった。
「〈テュポーン〉に〈ゴーゴン〉か」
エルフ田と別れたあと、莞爾はすぐに転移魔法を使って自宅として使用している所沢のマンションに帰る。
「そんなものを生け捕りにして、なにをしようっていうのかなあ」
疑問に思っていたことを、小さく口に出していた。
まさか、活け造りにして食べるわけでもなかろうし。
それから数日、莞爾は迷宮内に入っておこなう普段の仕事のあと、公社から〈所沢迷宮〉の一室に招かれて〈泥沼階層〉について詳しい情報のブリーフィングを受けて過ごした。
今年の一月から二月にかけて、鵜飼瑠美という探索者の発案と主導によっておこなわれた〈泥沼階層〉の攻略について、最終局面について重点をおいて映像資料や実際にパーティに参加した人々の証言なども交えてあれこれとレクチャーされたわけである。
公社の側も莞爾の元勇者としての能力は知っているはずなのであったが、莞爾はまだこちらの世界で公然と活動をしはじめてから日が浅く、そのため、まだまだ多くの者は莞爾の能力その他について半信半疑で判断を保留している状態であった。
莞爾自身がそうした扱いに抵抗をするわけでもなく、むしろ従順に従っていたのでなおさら不信の目をむける者が減らなかった。
莞爾にしてみれば、別の世界にいた時分からこうした半端ない扱いをされることに慣れっこになってしまっていたので、改めて反抗をする気にもならなかっただけのだが。
「決定的な証拠なんて、しばらく待っていれば否が応でもあがってくるんだから、それまでは好きなようにさせておけばいいや」
というわけである。
公社側の準備もあって、莞爾たちが実際に〈泥沼階層〉へと赴いたのは九月に入ってからであった。
〈泥沼階層〉は千葉県にある〈印旛沼迷宮〉内にあり、莞爾とエルフ田は公社が用意した車両に朝早くから乗り込んで、数時間をかけて千葉県印旛沼へとむかう。
莞爾なりエルフ田なりの転移魔法を使えは一瞬で移動できるのだが、この世界で転移魔法を使用できるのは今の時点ではこの二人だけであり、当然のことになるがその存在自体がそもそも周知されていない。
莞爾にしてもエルフ田にしても、この世界に順応することを基本方針として定めているので、こうした際にはあくまで周囲が当然視する方法に従うことにしている。
朝早くに所沢を出発し、〈印旛沼迷宮〉に到着したのは午前十時を過ぎていた。
〈印旛沼迷宮〉は〈所沢迷宮〉と並んで、三十三ある迷宮のうち、都外に存在する例外的な迷宮である。
駐車場に降りた莞爾は、周辺を見渡して、
「所沢以上になにもない、寂しい場所だな」
という感想を抱いた。
その駐車場には、すでに十トントレーラーが何台か停車している。
無事に〈テュポーン〉とやらを捕えることができたら、それに載せて搬出する予定であった。
「このトレーラーで間に合うのかな?」
事前に見せられた映像資料を思い起こして、莞爾はそんなことを思う。
そうこうしているうちにこちらの公社職員が莞爾たちの方にやってきて、小柄な老人を紹介してくれる。
例の〈泥沼階層〉攻略パーティに参加していた早川軍司という探索者で、今回は〈泥沼階層〉まで莞爾たちを案内してくれるという。
「なんかこれ、ぴったりとし過ぎて着心地があまりよくないなあ」
迷宮内にあるロッカールームで、公社が用意をしてくれた保護服を着用しながら、莞爾はそんな感想を述べた。
「完全防水仕様だからね、これ」
同じように着替えていたエルフ田が教えてくれる。
「これを着ていないと、あの階層ではかなりひどいことになるそうだ」
迷宮に入る前の段階ですでに特殊な能力を身につけていたせいか、莞爾とこのエルフ田とは、普通の探索者のようにスキルや累積効果などの恩恵を受けることができなかった。
それで困ることはほとんどないのだが、他の探索者のように〈フクロ〉のスキルを使いこなして瞬時に着替えるなどという真似はできないことになる。
その名の通り、泥沼でできた階層というわけか、と、莞爾は思った。
「んでは、わしはお二人を〈泥沼階層〉まで運ぶだけでええんだな?」
迷宮に入る前に、早川老人がそう確認してきた。
「ええ、それで十分ですよ」
莞爾がなにかいう前に、エルフ田が答えている。
「早川さんはぼくらを〈フラグ〉でその階層に運んでください。
それに、無事に〈テュポーン〉なり〈ゴーゴン〉なりを捕獲することができたら、それらを〈フクロ〉に収納して駐車場のトレーラーまで運んでください」
「それだけでいいんなら、楽なもんだが」
早川老人は口の中でごもごもと不明瞭にそんなことをいった。
「本当に、お前様方二人だけで、あれに挑むんだか?」
「挑むのはほとんど彼一人になるはずです」
エルフ田はにこやかな態度でそういいきった。
「ぼくはねえ。
記録係兼予備戦力ってところかなあ」
なにをとぼけていやがるかな、と、それを聞いていた莞爾は思った。
このエルフ田が持つ魔力は、驚いたことに莞爾のそれに匹敵するということを、莞爾は知っている。
魔法だけに限定すれば、このエルフ田は、莞爾自身にできることはほとんどこなせるであるはずだった。
「それでは早川さん、案内の方をよろしくお願いします」
莞爾はそういって、早川老人をうながした。
迷宮に入ると、早川老人はすぐに足を止めて、
「そんでは、いきますぞ」
と莞爾たち二人に宣言をした。
そして次の瞬間には三人は〈泥沼階層〉の中に立っている。
「おお、本当だ!」
エルフ田が能天気な声をあげた。
「腰のあたりまでずっぽりとぬかるみにはまっていて……って、門脇さん!
いきなり氷結魔法を使わないでください!
われわれまで氷にはまって抜け出せなくなるではありませんか!」
「もしそうなったとしても、そのときはおれがなんとかするよ」
この階層に出現したのと同時に莞爾は周囲の状況を把握、まわりに多数のエネミーが存在するのを確認して無詠唱の攻撃魔法を全方位にむけて発動していたのであった。
「ひゃっ!」
周辺の泥濘に氷の彫像と化したエネミーが無数に浮いているのを認めて、早川老人が悲鳴のような声をあげる。
「今の一瞬で、これやったんか?」
「そういうことですね」
莞爾は平静な声でいった。
「エネミーのことはこちらに任せて貰って構いません。
〈テュポーン〉がいるのは、あちらですか?」
「ああ、そうだ」
表情を引き締めてから、早川老人がそういった。
「あそこを抜けると、大きな広間になっておる。
その中央に、あいつさがおる。
以前は、広間に入っただけでは、攻撃はしてこなかった」
「では、さっさとそっちにいってみかしょう」
天気の話でもするかのように軽い口調でそういい、肩に木製らしい棒状の物体を乗せた莞爾が、先頭にたって進む。
「うん、確かに広いね」
広間に入ると、莞爾はそういった。
「で、以前は、あれを攻撃すると、〈テュポーン〉襲いかかってきた、と」
中央部分に鎮座している物体を指差して、莞爾は早川老人に確認をした。
「んだ」
早川老人は神妙な顔をして頷く。
「だから、なにか仕掛けるときはくれぐれも慎重に……って!
いってるそばからなにしておるか!」
早川老人がいい終えるよりも早く、莞爾はやはり無詠唱の魔法攻撃をその物体に対してぶっ放していた。
その物体は瞬時に蛇体を展開して、莞爾たち三人に四方八方から襲いかかる。
「大丈夫ですよ」
莞爾は平静な声でそう説明をした。
「こっちもすでに魔法で結界を張っていますから」
四方八方から襲いかかって来た無数の蛇体は、莞爾たちに届く前、たっぷり十メートル以上は空間をあけて、そこでまるで見えない壁にゆくてを遮られているかのように留まっている。
「ふぁ」
早川老人が、目を見開いて周囲を見渡して、驚きの声をあげるた。
「うーん。
こんなに全周囲から攻められると、暗くて仕方がないなあ」
エルフ田がそういうのと同時に、三人の周辺が光源もなにもないのに、不意に明るくなる。
「撮影に支障をきたすじゃないですか」
「とりあえず、このまま結界を限界まで狭くしていけばいいかな?」
莞爾がエルフ田に訊ねた。
「それでいいんじゃないっすかね」
エルフ田も気軽な口調でそう返す。
「なにか予想外のことが起こるかもしれませんけど、そのときはそのときということで」
「それでは、そういうことで」
莞爾がそういった途端、見えない壁に遮られていた蛇体が急激に後退していく。
いや。
見えない壁がずっと移動して、蛇どもをもろとも押し返しておるのだ、と、その様子を目撃していた早川老人は悟った。
蛇どもはそのままずっと見えない壁に押し込まれ、しまいには広間中央部分のごく狭い領域にぎっしりと密集して、そこの中から出られないようになる。
「早川さん。
あれ、丸ごと〈フクロ〉の中に収納することはできますか?」
なんでもないような口調で、莞爾はぽかんとして口を開けている早川老人にそう訊ねた。
「お、おう」
早川老人は、そういって頷く。
「試してみるわ」
試してみた結果、〈テュポーン〉はあっさりと早川老人の〈フクロ〉に収納することができた。
三人はさっそく一度迷宮を出て、捕獲した〈テュポーン〉を駐車場で待機しているトレーラーの荷台に移すことにする。
トレーラーの荷台は、この作戦のためにわざわざクシナダグループが用意したコンテナになっている。
頑丈なだけではなく、このコンテナの中を低温にすることもできた。
念のため、零度前後にまで気温が下げられたその中に、早川老人は〈フクロ〉から捕らえたばかりの〈テュポーン〉をあける。
一気に重量が増えたせいで、トラクターのサスが一気に沈み込んだ。
コンテナの中に閉じ込められた〈テュポーン〉は、蛇の特性があるためか、低い気温の中に放り込まれて意外に大人しくしているようだ。
「しかしあんなもん、なんに使うんだ?」
「さあ?
研究目的じゃないですかね」
莞爾とエルフ田は、呑気にそんな会話を交わしていた。
「以前のときは、あれほど苦労しておったのに」
早川老人はといえば、小声でそんなことをぶつくさといっている。
「今の、五分とかかっておらんぞ」
「とりあえず、公社からいわれていた依頼のうち、一個は片付いたということで」
そんな早川老人の様子にも気づかない風で、エルフ田がいった。
「この調子で残りひとつ、〈ゴーゴン〉捕獲の方もちゃっちゃとやっちゃいますか」
「やるのはほとんどおれだけだけなんだけどね」
莞爾が、そういい添える。
三人はそのまま迷宮へ、その中の〈泥沼階層〉へとむかう。
そもそも、休憩を必要とするほど働いている実感がないのだ。
「今回は〈ゴーゴン〉の捕獲が目的ですから、前座は一気に吹き飛ばしちゃってください」
ゲートへと歩いていく道すがら、エルフ田が莞爾にそんなことをいった。
「いわれなくても、そうするつもりだけどね」
莞爾はあっさりとそういって頷いた。
「さっきみたいに生きたまま捕獲するよりは、そうする方がずっと手っ取り早いし」
早川老人は複雑な表情でそのやり取りを聞いていたが、なにもいわなかった。
先ほどと同じように迷宮に入り、早川老人の〈フラグ〉によって〈泥沼階層〉へと移動する。
通路に出現したところで莞爾が周辺のエネミーすべてを攻撃魔法によって瞬殺し、広間に入っていくのも先ほどと同じ。
「エルフ田さん」
広間に入ったのと同時に、莞爾がそう告げて、動いた。
「早川さんのこと、頼みます」
そういい終わった次の瞬間、莞爾はそのまま矢と化した。
早川老人が気がついたときには、莞爾は中央部に到達していて、そこで手にしていた棒状の物体を一閃する。
そのときになってようやく莞爾が動いた軌跡をたどるようにして泥濘が跳ねあがり、泥沼は大きく左右に別れた。
なんじゃ?
と、早川老人が疑問に思うよりも早く、莞爾は〈テュポーン〉が反応をする前に、純粋な物理攻撃のみで地表に出ていた部分をすべて粉砕していた。
「はぁ?」
早川老人が、大きな声をあげる。
「なんじゃそりゃあ!」
そのときになってようやく、莞爾が動いたことによって発生したソニックブームによって盛大に吹きあげられた泥水が、ばたばたと周辺に降り注いできた。
「あとは、出てくるはずの〈ゴーゴン〉を捕まえるだけですね」
ビデオカメラを構えながら、エルフ田がのんびりとした口調でそんなことをいう。
「しかし、ここまで泥をはねあげてくれると、視界がかなり悪くなりますねえ。
ちゃんと写っているのかな、これ」
このエルフ田は、早川老人とは違い、莞爾の行動について意外には思っていないようだった。
「捕まえてきた」
莞爾は、先ほどとと同じように〈ゴーゴン〉を結界の中に閉じ込め、それを肩に担いですぐに帰ってきた。
「早川さん、またお願いします」
「お、おう」
早川は反射的に頷いて、自分の〈フクロ〉の中に収納する。
目隠しをするように、目の周辺にガムテープをべっとり貼りつけられた〈ゴーゴン〉は、結界の中で虚しくもがいていた。
なんだかな。
と、早川老人は思う。
世の中は広いし、強い探索者はいくらでもおるもんじゃの。
〈ゴーゴン〉もトレーラーのコンテナの中に無事に収納し、今回、公社から依頼された案件はすべて無事に終了した。
莞爾とエルフ田が、
「お疲れ様でした」
とかなんとか、世間的に早川老人を労って、そこで解散となる。
早川老人もこの件では公社から相応に割りのよい報酬を貰っているので、それで文句はない。
ただ。
すべてを含めても、ものの三十分もかかっておらん。
莞爾たちが去ったあと、〈印旛沼迷宮〉に取り残された早川老人は、内心で理不尽な思いを持て余していた。
静乃やら他の探索者やらにはなしたとしても、誰も信じやせんじゃろうな。
とも、思った。