5時のサイレン
どこからか匂うカレーの香り
夕焼け空はあんなに遠い
お母さんに怒られて帰る友達はどこか嬉しそうに笑ってた
二つにのびた影
僕らは二人、取り残された小さな公園でたたずんでいた
置き忘れたスコップ
風に揺れるブランコ
どこか異世界に紛れ込んだ倒錯感は少々切なくて…
同い年の弟は友達の後ろ姿を指をくわえて静かに見守っていた
「あーあ。ケンちゃん怒られてるね。」
緋色に照らされたこの場所は寂しいぐらいに静かで
僕は黙って弟の手を引く
そして僕らは暮れかけた町を見つめ、心の動きに耳を澄ました
暁の空はあんなに遠い…
僕は帰路地を急ぐ
羨ましさに苛まれないうちに。
「真紀くん。僕、もう家に帰りたくないよ」
『わかってる。僕も家に帰る気はないよ。』
僕らは夕暮れの公園にいる
隣にいるのは弟の一騎
弟といえど、僕らは双子
一卵性の双子だ。
姿形はもちろん声もそっくり
だが性格は正反対
弟は人見知りが激しくて少し気弱
お父さんによく似ている
それに比べて僕は神経質で子供らしからぬ子供だった
そんな僕らがなぜ公園にいるのか
…それは30分前に戻る
学校から帰れば珍しくお父さんがいた
そして叔母さんも。
叔母さんはお母さんのお姉さん
ウチの近くに住んでてよく顔を出す
「私もこんなこと言いたくないんだけどねぇ」
叔母さんは口うるさい
気弱なお父さんが何でも話を聞くから調子に乗ってるんだと思うんだけど
…そして、僕らのことを嫌ってると思う
まぁ、これは僕の憶測だから本当のところはどう思っているのかわからない
でも一騎も同じことを思っていたからあながち間違いでもないだろう
『叔母さんこんにちは』
僕はランドセルを背負ったまま叔母さんにあいさつをした
何やらお父さんが文句を言われてるみたいだったし
一騎は苦手意識が働いてるのかリビングの入り口で見てるだけ
少しオドオドしながら事の成り行きを見守っていた
「あら真紀くん、こんにちは。学校帰り?」
『はい。』
叔母さんはお茶をすすりながら僕を舐めるように見つめた
すると微かに口元が歪む
「ちょっと和希さん。真紀くんの靴下、穴が開いてるじゃない」
叔母さんはそう言って僕の靴下を指差した
僕の靴下の先端に穴が開いている
ひょっこり顔を出した親指は居心地悪そうに疼いた
「は、はぁ…。」
「やぁね。こんな状態だから母親が居ないことを噂されるのよ」
「……すみません」
お父さんは深々と頭を下げる
どうやらお父さんを助けるために間に入ったのに余計なことをしてしまったようだ
グチグチと言われ続けるお父さんに申し訳ない気持ちがわく
そしてそれと同時に憤りを感じずにはいられなかった
…靴下に穴が開いているだけでどうしてお母さんの事を言うの?
どうして叔母さんに言われなきゃいけないの?
胸のうちに感じた苛立ちは炎の様に燃え上がる
『お母さんの事と靴下は関係ありません』
気付いたら、僕は口を挟んでいた
僕自身、余計な火種の元だとわかっているのに
それでも黙って聞くことなど出来なかったのだ
「…ずいぶんと反抗的なのねぇ」
叔母さんは僕を蔑む様な目で見下ろす
僕は負けるもんかと睨み返すが叔母さんの態度は変わらなかった
「あなたがそんなんだから子供が付け上がるのよ」
「…すみません」
「まったく。あの子が見たらなんて思うか…。せっかく産んでやったのに」
「……すみません。」
叔母さんはタバコの煙をお父さんに吹き掛けるとまたグチグチと文句を言い始めた
お父さんはそれに謝り頭を下げるだけ
見ているだけでも屈辱的な光景に僕は目を背けた
「…真紀。いいから部屋に戻っていなさい」
『でも!』
「いいから。…な?」
その場に居た僕に対してお父さんはなだめるように僕の頭を撫でる
僕は言い返すことも出来ずに無言で頷いた
これ以上ここにいたら余計にお父さんの立場が悪くなるから
「……よし。いい子だ」
おとなしく言うことを聞いた僕に父さんは嬉しそうに笑った
『…一騎、いこ』
「うん」
僕は一騎を連れて二階へと上がる
一騎は少し怯えた様子だったが手を繋いだら震えが止まった
二階の自分達の部屋に着いた途端僕らはブーブーと文句を言い始める
『あのクソババァ!』
よくも毎週来ては文句を言えるものだ
お父さん曰く、叔父さんが亡くなり寂しいのだと言うが関係ない
寂しいからっていびられたらたまったもんじゃない!
僕はベットにダイブすると枕を何度か叩いた
「まっ…真紀くん、落ち着いてよ〜」
『だって!一騎だって見てただろ?あれじゃ父さんが可哀相だ』
「……そうだけどさ」
思い出しただけで腹が立つ
僕はイライラが納まらなくて拳を握り締めていた
「ま、真紀くんってば〜…」
一方の一騎は苛立ちより心配しているのだろう
目に涙を浮かべて僕を見ている
僕はその様子にため息をつき頭を掻いた
『はぁ…。もう怒ってないよ』
「うぅ…」
『怒ってないからこっちに来なよ!』
僕はベットの横をぽふぽふと叩いた
すると途端に一騎は嬉しそうにそこに座った
「良かったぁ。僕、優しい真紀くんが好きぃ〜」
へにゃっと力の抜けた笑顔を見せられると全てが馬鹿馬鹿しく思えてくる
今まで怒っていたことも、一瞬にして吹き飛ばすことが出来る威力は自分の弟ながら尊敬していた
『…もう!そんなに引っ付かないでよ〜』
ただでさえ暑くて朦朧とするのに一騎は僕の側に寄る
一騎はとても甘えん坊だった
滴り落ちる汗がうっとおしくて、何度も拭う
一騎は暑そうにしながらも僕から離れることをしなかった
『もー。じゃあお風呂でも入る?』
僕は汗で張り付いたシャツを脱ぎ捨てる
正直僕も汗を流したかったというのが本音のところ
汗で張り付くシャツが鬱陶しい
「やったー!!一緒に入る〜!」
僕の隣で一騎は嬉しそうに笑う
そしてそのままシャツを脱ぎ捨てた
「へへっ〜全部脱いじゃお」
『ちょっ…!!』
一騎は僕なんか気にも留めずズボンやパンツを脱いでいく
「じゃあ真紀くん!先に行ってるね」
満面の笑みを浮かべた一騎に僕は苦笑い
でもそんな純真さが愛しくて僕も一緒に笑った
『…うん、わかった。先に行っててよ。用意してから行くからさ!』
「へへっ!やったぁ〜!」
一騎は嬉しそうに笑うと下半身、裸のまま階段を降りていく
『ちょっ…!一騎!そんな格好で……』
僕は慌てて廊下に出るが、一騎はもう階段を降りていた
『………ったく』
たしかに父さん達がいるリビングにはドアがあるし、まだ子供だから平気かもしれないけど、危ないだろうが。
もし、叔母さんと廊下であったら何を言われるか…
僕は眉間に皺を寄せながら着替えとパンツの用意をしていた
「……………真紀くん…」
『うわっ!』
すると風呂場にむかったはずの一騎が暗い顔をして後ろに立っていた
『なんだよ!おどかさないでよ!』
気配すらしなかった一騎に思わず冷や汗を流す
『…………一騎…?』
すると一騎の様子がさっきまでと全然違うことに気が付いた
『ど…どうした……?』
僕は一騎の顔色を伺うように見上げると泣きそうな顔と目が合った
「…っ……」
僕が触れると一騎の体が震えている
『何か虫がいたの?それともその格好を父さん達に見られたの?』
僕の問い掛けに黙って首を振る一騎
すると僕のシャツをぎゅっと握り締めた
「………お母さん、僕らのせいで死んじゃったんだって…」
『えっ?』
「僕達さえ産まなければ今も生きてるって……」
一騎はそれだけ呟くとそのまま泣き崩れた
声を押し殺して泣いてる一騎なんて初めて見る
『なんで?誰がそんなこと言ったの?』
僕は優しくゆっくり話し掛ける
しかし一騎は嗚咽をあげるばかり
『……ねぇ?それさ、叔母さんが言ってたの?』
僕は一騎に言い聞かせるように聞く
すると一騎は微かに頷いた
『くそっ!あのババァ!』
僕は舌打ちするとそのまま立ち上がった
「…ぅ…っ…真紀…くん…っく……」
『一騎はここで待ってて!』
一騎の頭を撫でると部屋を出る
僕はそのまま階段を駆け足で降りた
母さんがどうして死んだのか僕達は知らない
小さい頃、父さんに聞いた時、母さんは星になったと教えてくれた
その顔があまりに淋しそうで幼心にこれ以上聞いちゃダメなのだと気付いた
…あの時の僕なんかに話しても無駄だろうから
だから僕は早く大人になりたくて頑張ってきた
少しでも早く父さんに頼られたくて…
そしたら、その時やっと母さんのことを知る権利を得られるんじゃないかと思っていたんだ
ガチャっ―……!!
僕は勢い良くリビングのドアを開けた
『叔母さんっっ!』
勢い良く入ってきた僕に父さんと叔母さんは目を見開いた
「なんだい。騒がしい子だねぇ」
叔母さんはふぅっとタバコの煙を吐く
僕はそんな叔母さんを睨み付けた
『……僕らのせいでお母さんが死んだってどういうことですか?』
「まっ…真紀!?」
『父さんは黙ってて。』
僕は立ち上がった父さんを一喝する
すると父さんはどうすることも出来ないのかオロオロしながらイスに座った
「盗み聞きでもしてたのかい?」
『…盗み聞きじゃありません。たまたま聞いてしまったんです』
「それを盗み聞きって言うんじゃないか!」
叔母さんはそう言うとゲラゲラ笑い始めた
「…いいでしょう。教えてあげます」
「ちょっ…お義姉さん!」
叔母さんは僕の方にイスを向け脚を組んだ
向かいには焦ってる父さん
僕は唾を飲み込み手を握り締めた
「…真紀くんはなんで母親が死んだと聞いてるんだい?」
『……母さんは星になったって』
「へぇー」
僕の答えに叔母さんはニヤリと笑った
「星になった…ねぇ…」
叔母さんはそう言うと父さんを馬鹿にしたような目で見ていた
「ハッキリ言えば、あんたの母親は星になんてなってない」
『…………はい…』
「ただ単に真紀くん達を産むときに心臓発作で死んだだけ。」
叔母さんの目付きが少し厳しくなった
僕は負けないように睨む
「あたしゃー止めたんだよ?産むな。自分の体を大事にしろって」
『…叔母さん』
「元々、あの子は不整脈を持ってたんだ。通常のお産でも困難なのに双子なんて……」
僕は叔母さんの顔が引きつってることに気付いた
まるで泣くまいとしている
初めて見る表情に思わず言葉を失った
「あんた達二人が生まれてこなければ今頃、美奈子はここに居たのにっ!」
「お義姉さんっ!!」
「うるさいっ!私はこの子達が大嫌いなんだっ!」
『…やめっ…!』
叔母さんは気持ちが高ぶっているのか鬼のような形相で僕の胸ぐらを掴んだ
「あんた達があの子を殺したんだよっ!!あんた達なんか居なければっ…!」
『……っ…!』
「やめてください!お義姉さんっ!」
胸ぐらを掴んで離さない叔母さんに父さんが仲裁に入る
しかし、中年女性とは思えないほど強い力に離れない
僕は恐くなって必死に振りほどこうとする
『………あっ…!』
「……一騎…!?」
するとリビングの入り口で固まったようにこちらを見ている一騎が目に入った
「……っ…」
一騎は何も言わず出ていってしまう
『一騎っ……!!』
僕は強引に引き離すと即座に一騎のあとを追った
「…一騎っ!…真紀っ…!」
後ろで父さんの声が聞こえたが振り返る余裕すらない僕はそのまま玄関を出ていった
『待って!…待てってば…!!』
僕は一騎の手を掴む
一騎の顔は涙が溢れている
「……っ…真紀…く…」
『どこまで聞いてたんだ?』
僕は一騎の手を掴み逃げようとする彼を阻止する
一騎は俯き、何も言おうとしない
『一騎っ…!』
僕が少し強い口調になれば一騎の目は恐怖に覆われた
「ぅわぁぁあぁぁーんっ!!」
そしてそれと同時に大きな声で泣き始めた
僕はどうすることも出来ず背中を擦る
『…ごめん一騎。』
僕自身余裕がなくて一騎の気持ちを考えていなかった
一騎はそんな僕を見透かすように泣き声をあげる
僕は何も言わずそのまま抱き締めた
「うぇっ……ひっ…ひっくっ…っぅ」
『ごめん。』
「…ひぅ…真紀く…っく…」
僕は一騎の肩口に顔を埋めて抱き締める
………全部、聞いてたんだね?
そんな不粋な言葉は露に消える
震える体は嗚咽を漏らし僕に抱きついていた
こうしていると僕らは違う人間なのだと気付かされる
二人でひとつなんかじゃない
たとえ同じ顔、同じ声、同じ体を持っていてもまったく違う生き物なのだ
…だからこそ、お母さんを苦しめてしまったのかもね。
心の中で、やはり聞かなければよかったと後悔している自分がいた
しかも一騎を道連れにしてしまったのだ
純真無垢な弟がこんなにも傷つき苦悩している
それだけで苦い気持ちが広がった
『……一騎…』
一騎の嗚咽はほとんど治まっていた
泣くことに疲れたのか少しぐったりしている
「…真紀…くん…」
『…ん?…どうした…?』
一騎は僕のシャツを握り締めると、ゆっくり体を離した
「…僕…もう、帰りたくない」
『一騎…』
「もう…嫌だよ…」
初めて聞いた一騎の拒絶
優柔不断で気弱な一騎はどんなことでも嫌がったり拒否をすることがなかった
その代わりいつも僕が一騎を守っていた
一番傍で………
それなのに、今一騎はハッキリと
「嫌」
だといった
あれだけインドアな一騎が帰りたくないと言った
だから僕は無言で頷く
僕自身、家に帰りたくなかったから…
『一騎…行こうか。』
「……うん…」
僕と一騎は手を繋ぐ
決して離れないようにしっかりと
そしてそのまま夕暮れの町に消えていった…
―…そして今に至る
僕達二人は公園のアスレチックの上にいた
誰もいなくなった公園はいつもより広くて寂しい
静かに僕らの周りに吹く風が身体に染みた
「真紀くん…」
『ん?』
「これからどうしよっか」
一騎は不安げに僕を見上げる
勢い良く出てきたのはいいがやっぱり不安なのだろう
僕は自分の気持ちを隠して笑った
『大丈夫だよっ!水なら水道があるし寝る場所はホラ、アスレチックの下に大きなトンネルがある!ここにはトイレだってあるんだし全然平気だよ!』
一騎を不安に思わせないようにクシャクシャと頭を撫でた
「…………ん…」
一騎はあまり納得してないみたいだ
それでも僕を心配させないように引きつった笑顔を見せている
『……一騎…』
一騎の無理した顔があまりに切なくて胸が苦しい
いつか見た顔だった
あの日も、こんな夕日に包まれていて……
蘇る
夕日が僕らを照らして、あの光景が蘇っていた
放課後、公園でいつものようにクラスのみんなと遊んでいた
とっても楽しかった
みんなで鬼ごっこしたり、だるまさんが転んだをしたり。
それなのに、永遠に続くと思われた時間は果かなく消えた
夕暮れが迫ると一人帰り、二人帰り……
気付いたら僕と一騎とケンちゃんの三人になってた
三人で砂場でお城を作ってて…
………なのに。
「健太〜もう夕飯の時間でしょ!何やってるのよ!」
公園の入り口に見えた人影
「かぁ〜ちゃん!」
それは紛れもなくケンちゃんのお母さんだった
ケンちゃんは慌てて立ち上がるとお母さんのもとに走っていく
何やら帰る時間が遅くて怒られてるようだ
僕と一騎は黙ってそれを見ている
するとケンちゃんは急いでこっちに向かってきた
「ごめんごめん!かぁちゃんが煩くてさー。オレ、帰るわ」
ケンちゃんはげんなりした顔で文句を言っていた
僕は頷き手を振る
『わかった…また明日ね』
「おぅ!じゃ、また明日な〜!!」
そのままケンちゃんはお母さんと並んで帰っていく
楽しそうに笑い、手をつなぐ二人
ケンちゃんは怒られてるのに嬉しそうだった
「……ケンちゃんのばか」
僕は一騎が呟いた言葉の意味に胸が痛くなる
ケンちゃんは嘘つきだ
文句を言っていたって嬉しいんだよね?
お母さんが迎えに来てくれて嬉しいんだよね?
一騎は僕らが誰も迎えに来てくれないことを知ってる
だから、羨ましいんだよね?
僕は寂しそうにケンちゃんの後ろ姿を見ている一騎の横顔を目に焼き付けた
「みんな、帰っちゃったね」
一騎は小さく呟いた
『…ん、そうだね』
誰も居ない公園
二つの影が伸びていく
さっきまであった温もり
公園に響き渡った笑い声は遠くの空
みんなが居た証だけが散らばっていた
僕らはそこにたたずむだけ…
何度も二人で入り口の方に振り返ったのは内緒の話
わかってるんだ
誰も迎えにきてくれないって…
胸元にぶらさがってる無機質な鍵が僕に何度も呟く
“家に帰っても真っ暗だよ”
…って。
父さんは朝早く家を出て夜遅くに帰ってくる人だから
感謝してる
僕ら二人を養ってくれてるから。
でもね、
………でも
「真紀くん…」
僕は自分の気持ちを払拭するかのように笑った
『一騎、帰ろ!』
繋いだ手だけが心の拠り所だったんだ
『ケンちゃんはお母さんが恐いから大変だよね〜』
寂しさ紛れに笑ってみせる
一騎は頷くだけ
…羨ましいなんて死んでも言えなかった
「…真紀くん?」
『えっ?』
僕は一騎の声に我に返った
「…どうしたの?」
一騎は不安げに僕を見上げる
そうだ
僕がしっかりしなくちゃ…!
『なっ…なんでもないよ?』
僕はポケットからビスケットを取り出すと半分に分けた
『…はい』
「わぁっ!ありがとう!真紀くん」
一騎は僕の隣に腰を下ろすとビスケットを頬張った
その姿がとても可愛くて健気に見えた
徐々に夕闇が迫る
でも僕にとっては早く夜が来て欲しかった
このオレンジ色した世界がどうしても好きになれなくて歯痒かったから
「……真紀…くん」
一騎はビスケットを食べ終えると僕の名を呼んだ
『…ん?何…?』
今度は何事かと一騎を見つめる
すると一騎は空を見上げていた
『…一騎?』
一騎は体を倒し、寝そべると静かに空を見つめる
「…僕ね、何度もこうやって星を掴もうとしたんだよ」
そう言って一騎は両手を空に突き出すと宙を舞った
「でもね、絶対に捕まえられないんだ〜」
語尾が微かに震えている
僕は一騎を見ることが出来なくて俯いた
『何言ってるんだよ。まだ星は見えないよ』
まだ星が浮かんでいない空は悲しく色あせている
遠くでカラスの鳴く声が響いていた
「僕、知ってるんだ。…お星様は掴むことが出来ないんだよ」
一騎は静かに語りだす
僕はそれを止めることが出来なくて黙って聞いていた
「…だってね、星はずっとずっと遠くにあるんだもん」
『一騎』
「だからね……お母さんは『もうやめろよ!!!』
一騎の言いたいことが分かって僕は怒鳴りあげてしまった
「…っ……」
一騎はひどく驚いた顔をしている
『…やめ…ろ…ってば』
それ以上聞きたくないのは僕の方だった
幼いと思っていた弟より、ずっと幼稚だった自分
それが情けなくて、笑えてしまう
「…僕、お母さんに会いたいな」
『……っ……』
もっと聞きたくないセリフ
一番聞きたくないセリフ
『…ど…ぉして?』
聞いてしまったら
言ってしまったら
何かが崩れ落ちると思ったんだ
だからいつの間にか家族の間で母さんのことはタブーになってて
『なんで…そんなこと言うんだよ…』
顔も写真でしか見たことがないのにひどく恋しいのはなぜなんだろう
「ひっぅ…だって…僕…」
一騎の目には涙が溢れていた
それを抱きしめるしか出来ない
『…一騎っ……』
一騎のためじゃなかった
僕が一騎を抱きしめていないとやりきれなかった
「僕っ…ひっぅ…お母さんに会いたいよぉ…」
『…うん……』
「っぅ…僕もっ…ケンちゃんみたいにっ…ひっく…怒られたい…よぉっ…」
『……うん…』
「っ…ひっくっぅ…一度でっ…いいからっ…抱きしめられたかった…よぉぉっ…」
あとは言葉になんかならなかった
「ぅわぁあぁぁーんっ!!!」
さっきみたいに大声を上げて泣く一騎
『…っ……』
僕まで泣きそうになって、唇を噛み締めた
なんで、会えないの?
こんなに良い子にしてるのに…
どうして…?
僕らはただお母さんに甘えたいだけなのに。
『一騎…母さんの所に行こうか?』
「ひっぅ…どう…やって…?っひぅ」
『………簡単だよ?』
僕はゆっくりと体を離すと一騎の首に手を巻きつけた
「ひっぅ…ひっく…」
『一騎…』
一騎はそれをどうするのか分からずただ身を任せている
ゴクリ…
一騎の細い首に触れた手が震えている
「…真紀…く…ひっく…」
一騎の目からは止めどなく涙が溢れていて…
『…っ…く…』
僕は一騎の首を絞めることなく座り込んだ
「真紀…くん?」
『…ごめん。一騎…ごめんっ…』
やっぱり僕は一騎を手にかけることが出来なかった
世界で一番大好きな人の命を奪うなんて僕には出来ない
それは、分かっていたはずなのに……
「真紀くん!?」
『…ぁ……っ…』
気が付いたら一筋の涙が頬を流れていた
一騎は僕が泣くところなんて初めて見たのか驚いている
…そうだよ。
出来るわけないじゃん
『ふっぅ…うぅ……』
僕が一騎の命を奪うことなんて出来ない
でも会いたいんだ!!
どうしようもなく母さんに会いたくて
『僕も…ひっく…会いたいっ!』
「真…紀く……」
『母さんに会いたいよぉっ…!』
切なる願いはきっとどこにも届かない
だって僕らは叶う事ないと知っているから
本当は寂しくて悲しくてずっと我慢していた
家に帰ったら母さんが迎えてくれて…
もう暗い家に帰りたくなかった
『ただいま』といえば
「おかえり」
という言葉が欲しかった
母さんが夕ご飯を作っている後姿を見ながら一騎と遊んで
それで一騎を泣かせて、僕は怒られる
たったそれだけのことがどうして叶わないのかな
お金持ちになりたいとか、おもちゃが欲しいとか言ってないのに
でも僕は理解し始めてる
お金持ちになるより
欲しいおもちゃを買うより
僕らの願いはずっと難しいんだって
ずっと子供のままでいるわけにはいかない
母さんは星空なんかじゃないって気づいてしまう時が来る
どうして僕は大人になるんだろう?
大人にならなければ何も知らなかったのに…
「真紀く…っ…」
『一騎ぃ…一騎っ…!』
僕らは力強く抱きしめ合って泣いた
生まれて初めて泣いた
この涙が夕日に霞んで切なく見える
そして、なぜだかもうすぐ闇が訪れる刹那の瞬間がひどく愛しかった
「真紀っ…一騎っっ!!!」
すると遠くの方で僕らを呼ぶ声が聞こえた
「お父…さん…」
『あっ…』
見れば父さんが公園の入り口に居た
「真紀っ!一騎!!」
急いで父さんは僕らのそばにやってきた
「はぁ…はぁ…はぁ」
父さんは息を切らし荒く肩で息をしていた
「お前達…ずっと…探していたんだぞ…」
僕と一騎はアスレチックの上から父さんを見下ろしていた
『…父さん』
僕は一騎と体を離す
そしてゆっくり父さんのもとに歩み寄った
『…母さんはどうして死んじゃったの?』
「真紀く…!」
『叔母さんの言うとおりなの?僕らのせいなの?』
僕は一騎が止めるのも聞かず問い詰める
父さんは困ったように眉を寄せ僕を見上げた
「母さんはな、叔母さんの言ったとおり真紀たちを産む時に亡くなったんだよ」
『…っ……』
それが事実とわかっても父さんの口から聞くのは辛かった
僕らのせいで母さんが死んじゃったのに、あんなに母さんに会いたいって泣いてたんじゃ馬鹿みたいだ
「…だがな、母さんは最後まで幸せだったんだよ」
父さんは優しく笑い一枚の写真を取り出した
「……見て、ごらん?」
僕は写真を父さんに渡され一騎と一緒に見てみる
『えっ!?』
「お父さん!!…これっ!」
写っていたのはお母さんと僕たち
生まれたばかりの僕らを抱っこして母さんは笑っていた
こんな写真初めて見る
「…もっと大人になったら見せよう。…そして全てを話そうと思っていたんだがな」
父さんは寂しそうに笑いながら僕らを見上げる
「こんな事になってすまんな…」
父さんは深々と頭を下げる
僕らはどうしたらいいか分からなくて戸惑うばかり
すると、父さんは話し始めた
「…母さんは元々体が弱くてね、妊娠すら危ういと言われていたんだよ」
『…うん…』
「だからね、妊娠したときは本当に嬉しかった。8年目でやっと授かった子供達だったんだ」
父さんは遥か彼方を見上げ懐かしさに浸っている
その瞳は当時のことを鮮明に覚えているかのようだった
「ねぇ、今日産婦人科に言ったら双子なんですって!」
「えぇっ!!すごいじゃないか!」
「ふふ…見て?まだ分かりにくいけどはっきりエコーには写ってるわ」
母さんはとても喜んでいたんだ
子供がとても好きな人だったから…
…だけど、母さんの体はそれを許さなかった
一人でも危険を伴うのだ
それを一度に二人も産むなんて死を宣告してるようなものだ
「帝王切開にしたらどうだい?先生だってそう言ってるんだろう?じゃないとキミが…!」
「分かってるわ。…でも大丈夫かもしれない。もしかしたら発作なんて起きないかもしれないでしょう?」
「だけど…!!!」
母さんは中絶も帝王切開の道も選ばなかった
周りが反対する中で自然分娩を選ぶ
私だって何度も止めた
「もしキミに何かあったら子供達はどうするんだ」
と。
だが彼女は優しく笑うだけ
「この子達には一生懸命、自身で出てきて欲しいのよ」
「え?」
「せっかくこの世に出てくるんですもの。必死になって頑張って欲しいの」
「しかし…!!」
「試練を乗り越えて生まれてきて欲しい。そして強く逞しく生き延びて欲しい…」
初めから彼女の意思は固く決まっていた
それは誰が何を言っても聞かなかった
命がけとは彼女のことを言うのだろう
私には彼女の何がそうさせるのか分からなかった
もしお産の時に何かあったときは有無を言わず急いで手術をする
それを約束に、自然分娩を決定した
『…それで、母さんは無事に自然分娩出来たの?』
僕は父さんに問い掛ける
父さんは少し悲しそうに笑いながら頷いた
「ああ、母さんは自分で言った通りお前達を自力で産んだよ」
『それならなんで!?』
産めたのなら母さんが死ぬなんて…
「母さんは、二人を無事に産み終えて産まれたばかりのお前達を愛おしそうに抱きしめた」
何度も
「愛してる」
「生まれてきてくれてありがとう」
何度も、そう呟いた
「…それなのに、お前達を抱きしめながら母さんの心臓の音は弱くなっていった」
『まさか…!』
嫌な予感がして僕と一騎はもう一度写真を見つめる
「そうだよ。…母さんはその写真を撮ってる最中、お前達を抱きしめながら息を引き取ったんだよ」
父さんは少し涙目になっていた
「…だからその写真を見せられなかった」
そう呟いて、父さんは袖で涙を拭う
『この写真…』
母さんはとても穏やかな顔をしていた
まさかこれが死ぬ寸前の人の顔とは思えない
愛しそうに僕らを見つめ頬を摺り寄せていた
「今まで、黙っててごめんな…」
「お父さっ…!」
一騎は父さんに飛びつくと嗚咽を漏らした
「ごめんな…一騎」
そう言って父さんは一騎の頭を撫でる
僕は初めて知る事実に放心状態になっていた
「…真紀…おいで?」
そんな僕を見ながら父さんは手を差し伸べる
『…っ……』
色んな感情が僕の頭を駆け巡った
何をどういえばいいのか分からなくて口が開けないほど…
それでも体はとても正直だった
『…っ…父さんっ…』
僕も一騎と同じように父さんに飛びついた
「お前には、色々苦労させたな…」
『そんなこと…ないっ…』
父さんの大きな手が僕の頭を包み込んだ
暖かくて大きくて…
それだけで今まで我慢していたものが溢れそうだ
「母さんは命がけで一騎と真紀を愛していたんだよ」
「ひっぅ…う…んっ…」
『父さん…っぅ』
「あまり構ってあげられないけど、父さんもお前達が一番大切なんだ…」
暖かな体が僕たちを包み込んで冷えた心が温まる
母さんは精一杯、愛してくれた
自分が死ぬかもしれないのに、僕らを産んでくれた
父さんは一生懸命、愛してくれた
辛い事も全部受け止め、ひたすら働いてくれた
『ごめ…なさっ…父さんっ…』
僕たちは目先のことしか見えてなかった
父さんだっていっぱい辛い事があったのに、優しく微笑んで受け入れてくれた
気弱だと思っていた父さんは誰より強くてカッコイイ人だった
…だから、母さんは任せられたのかもしれないね
たくさんの愛情の中で生まれた僕たちはなんて幸せなんだろう…
「…家に、帰ろう…な?」
母さん
僕は母さんに会いたいけど、もう少し我慢します
今の僕には、大切な家族がいるから
寂しくて悲しくて辛くなったら母さんを思い出すよ
母さんの勇気と覚悟を。
そして僕らに託した生きる意味を何度も考えてみせる
いつか、
いつか、母さんが産んでくれたこの体で天命を全う出来た時、一番に会いに行くから
だから、それまで……
『うん!帰ろう、…僕たちの家に』
見上げれば夕闇迫る空に一番星
僕は感謝と敬愛の意味を込めて手を振った…
―END
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