ある双子兄弟の異常な日常 第三部(14/66)PDFで表示縦書き表示RDF


ある双子兄弟の異常な日常 第三部
作:葉月香



第3章唯一の絶対(4)


 それから間もなく―4月も半ばを過ぎた日曜の朝のことだ。

「おっ、兄貴が寝坊すんの珍しいじゃん」

 前日、夜遅くまで遊んでいたせいで起き出すのも遅かったレイフが、パジャマ姿のままキッチンに下りていくと、ぼうっとした顔で1人テーブルに坐ってコーヒーを飲んでいるクリスターを見つけた。

「おはよう」

 レイフがキッチンに入ってくるとクリスターは一応目を上げて声をかけてくれたが、またすぐに自分の中に閉じこもってしまう。

「また夜更かししてたんだろ、兄貴。寝たりないって顔してるぜ?」

「うん…確かにちょっと寝不足かな」

 あくびをかみ殺すクリスターを眺めながら、レイフはコーヒー・メーカーに残っていたコーヒーを自分のマグカップに注いだ。

 いつも忙しいクリスターは休日でも早起きして出かけることが多い。こんなふうに2人でゆっくりと日曜の朝を過ごすことなど久しぶりだ。しかし、クリスターは何やら他のことに気を取られているらしく、レイフは少し気に入らなかった。

「なあ、クリスター」

 レイフはコーヒーを一口すすり、マグカップの中をじっと見ながら考え込んだ後、ぽつりと呟いた。

「オレってさ…もしかしてEDじゃないのかなぁ」

 飲みかけていたコーヒーを軽く吹きそうになったクリスターは、咳き込みながらテーブルの上にあったティシュの箱を引き寄せる。

「い、いきなり何を言い出すんだ、おまえは!」

 17才のやりたい盛りの高校生が勃起不全だなどと確かに恐すぎる。

 クールなクリスターを動揺させてやったことは嬉しいが、それなりに深刻な気持ちで、レイフは続けた。

「うーん、どうしてこんなに女の子と付き合うのが苦手なんだろうって、オレだってたまには悩むこともあるわけ」

 溜息をつくレイフにクリスターは眉をひそめ、自分の前の椅子に坐るよう無言で促した。

「目、覚めただろ?」

 いそいそと着席するレイフにクリスターは渋面で言い返した。

「おかげで眠気なんか吹き飛んだよ。さわやかな休日の朝にふさわしい話題とは思わないけど―何かあったのかい?」

「実はさぁ、オレ、昨夜遊びに出かけてたんだよ。映画見たり、メシ食ったり、その後ちょっと―白状すると女の子と一緒でさ、トムの彼女の友達なんだ。その子が踊りたいって言うからクラブとか連れて行ったりして―」

「要するに、デートだったんだ」

「うん…」

 レイフは耳がかあっと熱くなるのを意識した。

 クリスターには内緒のことだった。いつまでもガールフレンドのできない不器用なレイフを見かねて、トムが女の子を紹介してくれた。今までこの手の話があっても面倒だからと断っていたレイフだが、今回は何となく気持ちが動いて、会ってみることにした。実際なかなかいい子だったので、何回かデートを重ねていたのだが、昨日で呆気なく破局となった。

「ほんと、昨日まではうまくいってたんだぜ。オレも、今度こそ筆下ろし…いや、彼女くらい作るぞって気合入ってたし」

 その問題のデートも、流れは決して悪くなかったのだ。予定よりも遅くなって家まで車で送った時、ちょっといい雰囲気になって別れ際にキスをした。レイフはそれで帰ろうとしたのだが、彼女がいきなり家に寄っていかないかと誘ってきた。親は旅行でいないとか。何たる幸運と、つい魔が差して、ほいほいついていった。いや、別にやましい気持ちがあったわけではない。コーヒーだけ頂いて帰るつもりがまたちょっといい雰囲気になってしまい、気がつけば、彼女の部屋に上がりこんでいた―。

「それで?」

 クリスターがやけに冷静なのは、既にレイフの話のオチを見切っているからだろう。

「今度こそいけるかもって思ったんだけどさ、結局ミナの時とおんなじ。いざとなると気持ちが挫けて、体の方も萎えちまった。その後は気まずくなったっていうか白けたっていうか…結局振られちまったわけ」

 クリスターがいきなり席を立ち上がったのに、レイフは一瞬何を言われるかと身構えたが、彼は無言のまま戸棚を開いてコーヒー豆の入った缶を取り出し、新しいコーヒーを作り出した。

 続く数分間、レイフもクリスターも一言もしゃべらず、コーヒー・メーカーのたてる音だけがキッチンに流れた。

 庭に面したガラス戸から差し込んでくる透き通った朝の光の中、この手の話を打ち明けるには時間も場所も適切ではなかったかとレイフが後悔し始めた頃―。

「…トラウマだったりしてね」

 出来立ての薫り高いコーヒーを自分とレイフのマグカップに注ぎながら、クリスターがおもむろに口を開いた。

「ね、レイフ…アリス・ゴールドバーグって覚えてるかい?」

「アリスって…あのアリスかよ?」

 意外な名前を持ち出されて、レイフは目をぐるっと回した。小学生最後の夏に湖のキャンプ場で出会ったアリスのことなら、確かに覚えている。あれ以来レイフはアリスとは会っていないが、彼女の両親と双子の両親は今でも親交が続いていて、何年か前に一度家に遊びに来たこともあった。それに、確かクリスターは今でもアリスと時々手紙やカードのやり取りをしているはずだ。

「僕とアリスは仲がよかったけれど、おまえはよく苛められてた」

「ちぇっ、嫌なこと思い出させるなよ。ああ、確かにその通りさ。ほんとひどい女だったぜ、アリスは」

「でも、おまえは、本当は彼女のことが好きだったんだよね?」

「ば、馬鹿言うな!」

 薄っすらと笑うクリスターを睨みつけながら、レイフはふいに、あの時クリスターはアリス相手に初体験をすませたのだということを思い出した。まだあまりにもねんねだったレイフが、何も知らずに1人で寝ているうちに。

 何だかクリスターとまともに対峙していることが辛くなってきて、レイフは怒ったように頬を膨らませてそっぽを向いた。

「おまえの女性恐怖症の根っこを探っていくと、もしかしたら幼少期に初恋の相手から苛められたことが原因じゃないかと、ふと思ったりしたんだけれどね」

「くだらねー。大体、オレ、別に女が恐いわけじゃねぇし」

 クリスターから顔を背けたまま、レイフはイライラと尖った声で言い返すが、男子にタックルをかけるのは得意でも女子には手も足も出せない今の有様では、我ながら説得力がなかった。

 そんなレイフの様子をしばらく見守った後、クリスターは言った。

「…会ってみるかい?」 

 いぶかしげに振り返るレイフに、クリスターは意味ありげな顔で頷き返した。途端に、レイフの首筋辺りの皮膚がちりちりとそそけだつ。

「実は昨日、アリスから電話をもらったんだ。休暇でニューヨークを訪れているんだって。今週ボストンにも足を伸ばすから会わないかって誘われて、それなら、せっかくだから土日を利用して案内すると僕は答えた。おまえのことも懐かしそうに話していたし、一緒に来れば、きっと喜ぶと思うよ」

「は、はぁっ?!」

「別に予定はないだろう?」

「そりゃ、確かに暇だけど…」

「それじゃ、決まりだ」

 どうしてそういう展開になるのかとレイフが戸惑っているうちに、クリスターは勝手に話を進めていく。

「幼少時のトラウマを克服する1つの方法は、トラウマの原因と向き合って、自分はもう大丈夫だと認識することなんだよ」

「ちょ、ちょっと…勝手に決め付けんなよ…」

「冗談だよ、今のは。でも、アリスは確かにおまえにも会いたがっていたし、僕も、どうせなら3人一緒の方が楽しく過ごせそうな気がするんだ」

 レイフは言い返そうとして、出掛かった言葉を飲み込んだ。

 アリスとは別に会いたくなどないが、クリスターを彼女と2人きりにしてしまうのも、何となく癪に障った。子供じみたやきもちだろうか。そう言えば、アリスと過ごした短い夏の日々、自分を置き去りにして楽しんでいる2人に、レイフはずっと不満を訴えていた。今更、あの時のような道化役を演じるつもりは、もちろんない。しかし―。

「分かったよ。どうせ、できかけた彼女にも振られて暇な身だし、退屈しのぎにつきあってやるよ、畜生」

 不機嫌な大型犬のように低く唸っているレイフに、クリスターはふと柔らかな笑みを投げかけてきた。

「おまえと一緒に出かけるのも、そう言えば久しぶりだね」

「う、うん」

 実に久しぶりにクリスターのこんな親しげな声を聞いたような気がして、レイフは胸がきゅんとなるのを感じながら、大きく見開いた目で兄を見返した。

「楽しみにしているよ」

 軽く首を傾げながら、クリスターはごくくつろいだ風情でレイフに微笑みかけている。こうしていると、彼との間に溝が広がりつつあるなどと単なる勘違いではなかったかという気がしてくる。

 どうしよう。何だか泣きそう―。レイフがつい感極まって言葉も出せずにいるうちに、クリスターはテーブルから立ち上がった。

「休みの日だからって、いつまでもパジャマのままでうろうろするなよ。それから、せめてスリッパくらい履いてこい」

 寝癖のついたレイフの髪の一房を軽く引っ張りながら優しくたしなめると、クリスターはキッチンから出て行った。

「ちぇー、相変わらず母さんみたいに細かいんだよなっ」

 クリスターに触られた頭を撫で付けながら文句を言うレイフの顔は、しかし、幸せそうに緩んでいた。

「へへっ、次の休みに兄貴と一緒に出かけんの、オレも楽しみだぞーっ」

 たちまち天にも舞い上がりそうな気分になったレイフは、拳を突き上げながら、そんな雄叫びをあげた。クリスターが傍にいたら恥ずかしくなって思わず止めただろう、目も当てられないほどの喜びようだ。

 レイフが、次の休日はクリスターと2人きりで過ごすわけではなくアリスも一緒なのだということを思い出すまで、少しばかり時間がかかりそうだった。












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