第三章 14 ガザ
銃口の冷たい感触に不似合いな女の声が耳に届く。
「この銃、トリガーが甘いの。死にたくなかったら、大人しくしててちょうだい」
背後から銃口を突き付けている女は間違いなく、ニルヴァーナの主任プログラマーだった。
その時、初めていつその声を聞いたかを思い出した。
「あんた、確か昼にも会ったよな?」
「ええ、非常階段の場所を教えてあげたわ」
女は冷静で、銃も震えてはいなかった。
「その時に俺の正体に気付いた?」
ガザも冷静だった。
相手が殺す気があるなら、さっさとトリガーを引いているはずである。隙を伺うチャンスはいくらでもあっる。
「まさか、とは思ったけどね。
あそこに人がいる時点で不自然だったわ。あの辺りは昼間は誰もいないのが普通の事だし。この区はそういう所よ。
確信したのは、ニルヴァーナに最近登録した会員を調べてからだけどね。
しかし、まぁ、派手に壊してくれたのね。招待したのは私だけど。
とっても高かったのよ。あの娘。
社の経費で落とすの苦労したし、2割は自腹で払ったのに」
『あの娘』と言うのは、あのビーストの事らしい。
サラはナイフの存在に気付いたようで、ガザの腰にあるナイフ二本を抜き取った。
金属が床に転がる音が聞こえる。
サラが出来るだけ遠くに捨てたのだろう。
「俺があのオートマタに殺られるとでも思ってた?」
ガザの質問に、彼女は軽く笑い声をたてた。
「そうだと良かったんだけど、あなた、利用価値があるみたいだし」
「今、殺す気はない?」
「そうね。あなた次第よ」
「俺はあんたに殺されるのもごめんだが、あんたに利用されて上司に殺されるのもごめんだ」
「私に利用された時点で組織に捨てられるのね。可哀想」
少しも可哀想とは思っていない口調だった。
「さて、本題といきましょう。
馬鹿な事は考えないことね。
私を殺したら、あなた達が一番恐れている事態が起きるわ」
光のショックは徐々に良くなってきているが、まだ視界がぼやけていた。
「なんで逃げなかったんだ。あんたにとって不利益な事ばかりじゃないか」
「取引の為よ」
ようやく、目が慣れ始めてきた。
何か気をそらせるものを探す。
足元に陶器の破片が転がっている。
少し、音をならせばいい。気をそらすには充分だった。
一か八かやってみるか。
ガザは相手に悟られぬよう、平静を保った。
「例え、貴方と私が今と逆の立場でも、私は貴方達より優位よ。
私を殺せば、スキャンダルは漏れるわ」
女が言葉を紡ぐ間を狙い、ガザは足元に転がった陶器の破片をそっと蹴った。
彼女の集中が途切れた瞬間を見逃さず、ガザは素早く銃を握ったサラの手首を残った右手で掴んだ。
細い手首だった。それに似合った力でサラは必死に抵抗したが、ガザは銃を握りサラの腹を力をこめて蹴る。サラの手から銃が離れた。
彼女の体は蹴られた衝撃で壁に打ち付けられ、ガザは奪った銃をそちらに向けた。
銃を突き付けたまでは良かったが、やはり素人だ。
「立場は逆転したが、それでも自分が優位だって言い切れるか?」
女は激しくむせ、血反吐を吐きながらも立ち上がり、何かを探すようにジャケットの懐をまさぐる。
ガザはトリガーを躊躇う事なく引いた。
サラの右肩に弾丸が擦り、服に鮮血が滲む。
彼女は壁を背に床に座り込んだ。
弾丸は外れたのではなく。わざと殺さないように右肩を狙った。
さっきの言葉が気になったからだ。
「おかしな真似するな。
懐の物を捨てろ」
彼女は苦痛に口を歪ませながら、銃を捨てた。
念の為、二丁用意していたのだろう。
呆れるほど、用心深い。
ガザはサラに近付き、捨てられた銃を蹴った。
彼女は唇についた血を、指で拭いながら、好戦的な眼差しでガザを見返えす。
その様は、不気味で美しかった。
「丸腰で銃突き付けられても、あんたは自分が優位だって言い切れるのか?」
彼女は額に脂汗を滲ませていたが、口角を釣り上げて微笑んだ。
「さっきも言ったでしょう。私が死んだらスキャンダルが漏れるって。
貴方が私を殺した瞬間、貴方は私に負けるの」
「なんで、あんたが死んだら情報がもれるんだ?」
「言えるわけないじゃない。自らタネを明かしたら意味がないでしょう」
ガザは女の左上腕部に銃を向け、ためらう事無くトリガーを引いた。
乾いた音が響き、女は短く叫んだ。腕からまた血が滴って指に伝う。
さっきよりも深い傷を受けたはずだ。
これでも、この女は自分が優位だと言い切れるのだろうか?
「猫と鼠で取引は成立しない」
彼女は痛みに呻きながらも微笑んだ。
バーチャルネットで見たあの曖昧な笑顔と一緒だった。
「いいえ。手足の貴方とするのは取引じゃないわ。
要求よ。
貴方が鼠なの。分かるかしら?
私が取引するのは、電警とあなたの上司よ」
ガザは一瞬戸惑った。
さっきの一撃は、相当な痛みを与えたはずである。普通の女なら取り乱すだろう。
痛みに耐えてはいたが、彼女は冷静で高慢だった。その自信はどこからくるのだろう。
その時、背後から、銃声が響いた。
「やめて!」
またしても女の声。叫びに近い声だった。
新手のオートマタかと思い、振り向くと、思いもしなかった人間が視界に映った。
「これ以上、サラに何かしたら、あんたなんか殺してやる」
肩で息をしながら、天井に向けた銃口を震えながらガザに構えなおす女は、キアラ・シーブリングだった。
サラは深いため息をついて呟いた。
「逃げてって言ったのに」
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