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おてんば伯爵令嬢のやんごとなき結婚 作者:ピヨ/七海ちよ
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03.「大丈夫ですか?」



 王子妃の一日は、優雅なようで忙しい。
 ファニアは目が回りそうな日々を過ごしていた。

 彼女とシルヴェリオの結婚が決まったのは急なことだった。婚礼の一年前に書簡が届き、正式に婚約したのがその半年後。その間に王宮から教師役が派遣され、結婚式での作法を叩きこまれた。
 そして結婚した今も、ファニアは勉強漬けの日々を送っていた。

 王族の人間、王子妃としての心構えや礼儀作法を仕込まれ、来る国民や貴族に向けてのお披露目への準備と打ち合わせをこなす。これまで苦手としていたダンスにも改めて指導が入り、シルヴェリオの妃として相応しい振る舞いを身に付けるよう、努めている最中だった。

 ヴィルジネ王国の慣例として、夜会での貴族に対するお披露目が終わるまでは、王宮内の与えられた居室で妃はひっそりと生活する。その間に、今のファニアのように妃として必要なことを身に付けるのだ。
 お披露目が終われば、多くの貴族が祝福や挨拶と言って、政治的な意味合いを持って妃のもとを訪ねるようになる。その客人を丁重にもてなすのも、妃にとって大事な役割と言えた。

 勉強漬けの日々を過ごす中、ファニアは正直に言って疲れ果てていた。
 体力はある方だが、ダンスを初め堅苦しい礼儀作法はファニアの苦手とするところである。上達はあまりにも遅々としたもので、気力が根こそぎ奪われ、毎日くたくたになっていた。

「大丈夫ですか?」

 そう思案気に問い掛けてくれるのは侍女のミーナである。ふんわりとした亜麻色の髪の、可愛らしい少女だ。王子妃であるファニアの身の回りの世話をするメイドは物々しいほどいるが、常に側についてくれるのは彼女と、黒髪を隙なく纏めたしっかり者のオルガである。彼女もミーナと年頃は変わらないが、雰囲気から彼女の方がずっと大人びて見える。

「本日は先生方の都合により、午後からの予定が入っておりません。ごゆるりとお過ごしください」

 オルガの言葉が、神の救いのように響いた。ファニアは自身に宛がわれた部屋の長椅子に腰掛け、肘置きの部分にしなだれかかる。

「こんなに大変だとは思わなかった……」

 いや、大変だろうとは思っていた。自身に王子妃などという大役が務まる訳がない、とも。だからこそある程度覚悟はしていたのだが、全く想像していない方向の『大変さ』がファニアにのしかかっていた。

 ファニアの生まれ育ったコルティ領は地方にあり、のどかなところである。領民との距離も近く、多くの人と気安く言葉や笑顔を交わしていた。
 そのため、ファニアは貴族らしい堅苦しさとは無縁に育った。何しろ、剣を握って兄との稽古で勝利しても、笑って褒めてくれるような父に育てられたのである。

 だからこそ、王宮での生活は慣れないことばかりで居心地が悪く、気疲れすることばかりだった。畏まった態度で接せられるのも、接するのも、ファニアは慣れていない。
 幸いなのは、そばで仕えてくれるオルガとミーナが、それぞれ優しく気にかけてくれていることだろう。私室で彼女たちといるときだけは、心が安らいだ。

「そろそろ食事の用意も整うでしょうが、午後からはどうお過ごしになられますか?」

 そうミーナに問われ、ファニアはふと窓の外へ目を向ける。季節はようやく秋を迎えよう、という頃。涼しくなり、間もなく冷たくなっていくだろう風が、緩やかに流れ込んでくる。
 窓の向こうには、白い雲のかかった青い空が広がっていた。

 故郷であるコルティ領の野原が、早くも恋しくなっていた。重苦しいドレスを脱ぎ捨て、心のままに駆け出したら、どんなに心地いいだろう、と思う。

 けれどファニアはもう、コルティ領主の『お嬢さん』ではない。恐れ多くも王子殿下の妃となったのだ。自覚を持って行動しろ、と長兄に何度も言い含められて、ここへ来た。

 この婚礼がすでに決まったことで、駄々をこねてもどうしようもないと理解していた。だから不安や億劫なことは考えないようにしていたのだ。気持ちが沈むようなことから目を逸らそう、と。
 しかし、こうして疲れ果てると、ついつい弱音を吐きたくなってしまう。

 ファニアは王子殿下の妃になりたいなんて、けして思ったことはなかった。自身では不相応だと感じている上、八年前のことで恩義は抱いているものの、失礼ながらシルヴェリオのことを男性として魅力的に思っている訳ではない。

 彼女の男性に対する唯一の好みは『自分より強いこと』だった。
 現在王国騎士団に所属する次兄、三兄がまだ領地で暮らしていた頃、剣を交えて五分の勝率を誇っていたファニアに『そんな男が早々いるか』とはいつも厳しい長兄の言葉である。

「今日は疲れたから、部屋でゆっくりしようかな」

 吐き出したくなる弱音を飲み込んで、ファニアは笑ってそう答える。ぼんやり椅子に腰かけて空でも見上げ、早く時間が経つよう祈ろうと思った。


  ◇◆◇


 シルヴェリオが夫婦の寝室を訪れるのは、三日に一回ほどの頻度だった。それ以外の日は、彼個人の寝室を使用しているらしい。
 彼はいつも穏やかで、柔らかく微笑んではファニアに日々のことを尋ねる。寝台に向かう前に、同じ長椅子に腰掛け、少しの会話をするのがお決まりの流れとなっていた。

 どのように一日を過ごしたか、困ったことはないか、欲しいものはないか、などなど。ファニアはそう尋ねられるたびに、しどろもどろになりながらその日のことを語り聞かせる。

「――午後からはのんびり過ごしました。久しぶりにゆっくりできた気がします」
「そう。それはよかった」

 元々穏やかな性格なのだろう。シルヴェリオはお世辞にも分かりやすいとは言えないだろう、ファニアの報告に根気よく耳を傾け、うんうん、と相槌を打つ。
 無事語り終えたことに安堵した彼女が一息つくと、シルヴェリオの指がそっと彼女の目元に触れた。

「少し詰め込み過ぎていたみたいだね。もう少し加減するよう、頼んでおくよ」
「あ、いいえ。確かにちょっと疲れはしましたが、大丈夫です」

 疲れ果てていたので、午後からの予定がなくなったことをありがたく思ったが、そうなると今度は余計な暇ができる。これまで趣味らしい趣味といえば剣しかなかったファニアは、突然暇な時間を手に入れても持て余してしまうことが分かった。

「それならいいけど……あまり無理はしないで」

 優しい声。心のこわばりを溶かす、甘ささえ感じさせるようだった。
 二人の結婚は、シルヴェリオの働きかけで突然に決まった。ファニアが彼に見初められたのだと言われるが、そこにあるのは所謂恋人たちの隣に横たわる、愛と言われるものではないと思っている。

 彼はいつも優しい。穏やかで、緩やかで、いつだってファニアを包み込むような目で見ている。けれどそれだけだ。急な求婚に駆り立てられるような情熱を、シルヴェリオから感じたことは一度もない。
 随分好意的に見て、彼の目は庇護対象に向けるそれが、一番近いように思う。

 仮にもし、シルヴェリオの中に『愛』と呼ばれるものがあるとするなら、一体それがどこで生まれたというのだろう。唯一の接点であった、八年前の初対面のことすら、彼は覚えているかも怪しいのに。
 そう思えば、やはりこの結婚は愛が理由ではないのだと思った。

「ファニアも疲れているみたいだし、寝ようか」

 立ち上がったシルヴェリオに手を引かれ、二人そろってランプの明かりを消し、寝台に向かう。彼はこの寝室を訪れる際にメイドも従者も下がらせるので、ランプの明かりを消すことが、夫婦で行う唯一の作業だった。

「おやすみ、ファニア」

 同じ寝台に寝転がれば、毎日のように彼の唇が彼女の額にそっと触れる。これにももう、すっかり慣れてしまっていた。
 これを合図に二人は口を噤み、仰向けになって、或いはこちらに背を向けてシルヴェリオは寝息を立て始める。

 これでいいのだろうか。たぶん、何だかよくない気がしている。

 妃の役目、夫婦の営み。それはどちらも子を成すことを指している。
 いくら剣ばかり振るい、末の妹に気を使いすぎた兄たちによってそういうことから遠ざけて育てられたファニアでも、額に口づけて同じ寝台で眠るだけでは子どもができない、ということくらい分かる。

 だからきっと、男性しか知らない、やらなければいけない何かがあるはずなのだ。誰とでもできるようなことではなく。夫婦でしかできないことが。

 そう思いつつも、夫婦の夜の生活についてつまびらかに話すことは恥ずべきこと、という認識はある。ファニアは面と向かって、そのことについてシルヴェリオに尋ねることができないでいた。
 それにもしかして、彼は身体が弱いから、早く休まなければいけないのかもしれないし。今は子どものことを考える余裕もないのかもしれない。

 そう、言い訳のようなことを考えつつも、何のために結婚したのだろう、と思う。ファニアは、結婚とは共に生き、新しい家族ができることだと思っていた。けれど、そんな兆しは全くと言っていいほどなく、彼との関係もそう親しいものとは思えない。

 そっと溜息をついて、ちらりとシルヴェリオに視線をやる。諦めて、彼女も目を閉じた。


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