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  妖怪禅師 作者:雨宮雨彦
不思議な眠り
 ミチコが突然、不思議な眠りから目を覚まさなくなったのは、ある日の授業中のことでした。

 両目を閉じ、いかにも安らかでしたが、声をかけても肩を揺らしても、どうしても起こすことができないのです。

 ついには救急車が呼ばれ、病院へ運ばれましたが、お医者さんにも手の打ちようがなく、目覚めさせることも、原因を見つけることもできませんでした。

 連絡を受けたススムが驚き、心配したのはいうまでもありません。

 この日、ちょっとした用事でお母さんは家を留守にしていました。お母さんが帰ってきたのは、もうそろそろ日の暮れるころでした。

 ススムがさっそくミチコの変事を報告したのは、もちろんです。

「それでススム、ゼロ禅師はなんと言っているのだね?」

「さっき寺へ行って相談したんだけど、禅師にも原因がわからないんだってさ」

「ははは、そんなことだろうと思った」

「でも禅師は、本を何冊も調べてくれたんだよ」

「それでもわからなかったのだろう?」

「じゃあお母さんにはわかるの?」

「もちろんさ。よしススム、すぐに出かけよう」

「どこへ?」

「ミチコは授業中に居眠りをして、こうなったのだろう? なんとまじめな生徒ではないか。私も鼻が高いね」

「お母さん、皮肉ばっかり言ってないでさあ…」

「そうだなススム、あまり時間がないのだった。さあ背にお乗り。用意はいいかい?」

 そういって、お母さんは全速力でかけ始めたのです。

 町の半分を横切り、あっという間にミチコの学校までやってくることができました。

「ねえお母さん、何を探しているの? なぜそんなにキョロキョロするの?」

「ススムも手伝っておくれ。私は花壇を探しているのだよ」

「花壇?」

「要するに花のたくさんあるところさ。教室で居眠りをしている間にミチコの魂は肉体を抜け出し、一羽の蝶になって、このあたりをフラフラ飛び回ったのに違いないよ」

「人間の魂が蝶になるの?」

「なぜかは知らないが、魂とはそういうものなのさ。私が心配しているのは、その蝶がクモの巣に引っかかって、ミチコの体内へ戻れなくなっているという事態だね」

「えっ、それは大事件じゃないか。お姉ちゃんの魂がクモに食べられたらどうするの?」

「そうなる前に発見しようというのさ」

「その魂の蝶って、どんな色をしてるの?」

「それは知らないよ。私はまだミチコの魂を見たことがないのでね。ええい、やたら庭の広い学校だな。ススム、二人で手分けしよう。私は右手を探すから、おまえは反対側をお探し」

「うん、わかった」

 お母さんと別れ、ススムは歩き始めました。

 緑が多く、本当に公園のように広々とした校庭なのです。いくらも行かないうちに、ススムの目に付いたものがありました。温室です。

 もしかしたら、ミチコの魂はあの中に閉じ込められているかもしれません。

 入口に鍵はかかっていなくて、ススムはすぐに中へ入ることができました。

 ここもあまりの緑の濃さに、ススムは驚くことになりました。床の上だけでなく、天井からもいくつもの鉢植えがぶら下げられ、花を咲かせているではありませんか。

 この場所なら、いかにも蝶が喜びそうです。なんとなく予感を感じながら、ススムは歩き続けました。

 ススムの予感は正しかったのかもしれません。

 何歩も歩かないうちに何者かに突然飛びかかられ、驚いてしりもちをつくどころか、ススムは植木の影に逃げ込むことになったのです。

 ああびっくりした。今のは一体何だろう?

 そっと顔を突き出してススムはキョロキョロしたのですが、敵はそれを、真上から笑って見下ろしていたではありませんか。

「おい小僧、どこを見ている? 私はここだよ」

「あんたはだれ?」

 ススムの両目は、宙に浮かぶ女の姿を呆然と見上げていました。真っ白な着物姿ですが、腰まである長い髪をして、体はトコロテンのように透き通っているのです。

「小僧、あそこをごらん」

 女の指さす先には、古い井戸がありました。植物にやる水をくみ上げているのです。様子から見て、何十年も昔からあるに違いありません。

「あの井戸がどうしたの?」

「私はあの中に住んでいるのさ」

「だってあの井戸は、入口に金網がはってあるよ」

「妖怪にそんなものが関係あると思うかい? それはそうと小僧、私は今日、とてもおもしろい物を手に入れたのだよ。ごらん」

 ススムは両目を大きく見開くことになりました。井戸女は、指先に一匹の蝶をつまんでいるのです。

 蝶は身動きもできません。熟したリンゴのように真っ赤な色をしています。

「小僧、おまえはこの蝶を探しにここへ来たのだろう?」

「なぜそう思うの?」

「この蝶は人間の魂だからさ。今日の午後、校舎のほうで騒ぎがあり、ついには救急車までやってきた。つまり、眠ったまま一向に目を覚まさなくなった人間がいるということさ」

「お姉ちゃんの魂を返してよ」

「ほう、これはおまえの姉なのかい?」

「ねえったら…」

 このとき、背後で突然物音が聞こえたのです。ススムと井戸女は、とっさに目をこらすことになりました。

「そこにいるのは誰だ? 姿を見せい」

 それに返事をしたのは、お母さんの声でした。

「ススム、そんな妖怪と長話をするものではないよ。さあ、そこをおどき。私はおまえのすぐ後ろにいる。井戸女に飛びかかる邪魔になるからね」

「フン、勝手なことばかり言いおって」

 腹を立て、井戸女が蝶を自分のふところへ入れるのが見えました。

「あっ、お姉…」

 しかしススムの言葉は最後まで続くことがなかったのです。彼の背後どころか、なんとお母さんは頭上から飛びかかってきたではありませんか。天井に身を隠していたのでしょう。

 さすがの妖怪も不意を突かれてしまいました。お母さんにツメを立てられ、二人してそのまま井戸の中へ落ちていったのです。

 井戸の入口をふさぐ金網など、何の役にも立ちませんでした。ススムがあわてて井戸へと駆け寄ったのは、いうまでもありません。

 でも何も見ることはできませんでした。地下深くへ向かって、暗い穴が伸びているばかりです。バシャッと水音があったほかは、何も聞こえてきません。

「お母さーん」

 ススムは首を伸ばしてのぞき込みましたが、少しして、あの蝶一羽だけがヒラヒラと姿を見せました。ススムの頭をかすめて飛んでゆくのです。

 すぐに窓を開け、ススムは蝶を温室の外へと出してやりました。

 続いて井戸の中からとうとうお母さんが姿を見せたときには、ススムの表情がどれほど輝いたことか。

「お母さん」

「ススム、蝶はどうした?」

「窓を開けて、外へ出してやったよ」

「ならいずれ、ミチコも目を覚ますだろう」

「井戸女はどうなったの?」

「あの女め、手を焼かせおって…。水の中へ顔を押し込んでやったら、とうとう蝶を解放したのだよ」

「殺しちゃったの?」

「まさか、そんなことをするものか。これにこりて、しばらくはおとなしくするだろうよ」

 ススムを背に乗せ、お母さんは再び夜の町を駆け始めました。

 病院に着くと、ススムはさっそくミチコのいる病室へと階段を駆け上がってゆきました。

 人間に姿を変え、そのあとにお母さんが続いたのですが、ドアを開けると、目を覚ましたばかりで自分がなぜここにいるのか事情がわからず、キョトンとしているミチコと顔を合わせることになりました。
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