『おいおい、いつまで寝てるんだぃ! もうおてんとさんがあんな高いとこまで昇っちまってらぁ。さぁさぁ起きた、起きた! 旅はまだまだ長いんだぜぇ、毛むくじゃらぁ!』
「わう…。………?」
相棒・イッスンの大きな甲高い声にたたき起こされ、アマテラスは渋々返事をして体を起こした。
しかし、自分を起こした張本人の姿が見当たらない。
今までに何度かイッスンの声はしても姿が見当たらないということはあった。
しかし実際は周りの草と同化していただけだったり、アマテラスの下敷きになっていただけだったりと、見えなくても常にイッスンは近くにいた。
意地悪で隠れていても、自慢の鼻ですぐにかぎ当てることだってできた。
でも、今回は違う。
どれだけ辺りを見回しても、体の隅々を調べてみても、いろんなところをかぎ回っても、イッスンの姿はない。
「………?」
不思議そうに首をかしげるアマテラス。その目にはかすかに心配の色が浮かんでいる。
落ち着かない様子でうろうろと歩き回っていると、永遠と続く草原の真ん中で何か光るものを見つけた。
イッスンを探さなくては、という先ほどまでの目的も忘れて、その光るものの近くへ一気に駆けて行く。好奇心が強すぎるのも困りものである。
思っていたよりも目的地の距離は遠く、たどり着くころにはさすがのアマテラスも少々息が上がっていた。
光るものの正体は小さな湖だった。
湖の隣には涼しそうな木陰を作る木もあり、結構な距離を疾走した後の一休みをする場所にはぴったりだ。
少々期待はずれなオチではあったが、アマテラスにとっては嬉しい結果となった。
水を飲もうと顔を湖に近づけると、ふいに湖に写った自分の顔と目が合った。
イッスン曰く、情けなくてポアッとしてるらしい自分の顔。しかし、アマテラスにはいまいちポアッとしてるという意味がわからない。
首をかしげて自分の顔を見つめていると、またすぐ近くからイッスンの声が聞こえてきた。
『こういうのをポアッてしてるっていうんだよ!』
半開きになっていた口を閉じ、また辺りを見回す。でも、やっぱり見つからない。においもしない。
「くぅん…」
アマテラスらしくない弱々しい鳴き声が、広い広い何もない草原に消えていく。
耳を寝かせ、湖の隣に寝転ぶ。
そしてもう一声、消え入りそうな小さな鳴き声をあげる。
その瞬間、背後に人の気配を感じた。
いきなり感じた人の気配に驚いて、寝ていた耳をぴんと立て警戒の態勢に入る。
「ちょっとアマテラス君! ミーだよ! 寝ぼけてるのかい?」
聞こえてきた声は、イッスンとはまた違った慣れ親しんだ声。
「まったく…ユーは相変わらずマイペースだね」
そう言ってウシワカは苦笑し、アマテラスの隣に腰を下ろした。金色の長い髪が草の上に広がる。
…彼はいったいあの小さな帽子?にどうやってこの長い髪を隠していたのだろう、などとアマテラスはぼーっと考えていた。
「…? どうしたんだい、アマテラス君。ぼーっとして」
ウシワカがアマテラスの顔を覗き込む。しかしアマテラスの思考は相変わらず上の空だ。
その様子を見てウシワカがまた苦笑する。
「タカマガハラの復興で疲れちゃったかな? …それとも、ゴムマリ君がいないから寂しい?」
…すっかり忘れていた。自分がタカマガハラにいること。イッスンはもう自分のそばにいないこと。
少しだけ、自分の忘れやすさを恨んだ。
「…わん」
「声が聞こえたって? ははっ、ホントにユーはゴムマリ君のことが好きだね」
「わふ…」
「…まだ、会えないかな…。ここが元に戻って、平和になって、ナカツクニから妖怪が消えたらいつかきっと会えるよ」
「…わぅ、くぅん…」
元々無表情なアマテラスの感情を読み取るのは難しい。簡単に読み取れる者といえばイッスンくらいだろう。
しかし、きっと今のアマテラスを見れば誰もがその感情に気づくはず。
無表情でなにも変わりないように見えるが、寝た耳に、しなだれた首に尻尾。
全身で悲しみを表している。
「アマテラス君…」
アマテラスが白野戌と呼ばれていた時代、それ以前からの付き合いであるウシワカも、ここまで感情をあらわにしたアマテラスを見るのは初めてだった。
話しかけることもできずに、うつむくアマテラスを眺めることしかできなかった。
心配するウシワカの視線を背中に浴びながら、アマテラスは湖の水を眺めていた。
波の無い湖面は鏡のように自分と空を映し出し、湖面に映った空は厚い雲に覆われている。たぶん今頃ナカツクニでは大雨が降っているだろう。
空はアマテラスの心をそのまま表す。アマテラスの心が沈めば、大雨や嵐なんて簡単に発生してしまう。
「わうぅ…」
いきなりの大雨で困っているであろうナカツクニの人々を思って、アマテラスの心はまた沈む。
一層、雲が厚くなった気がした。
「!」
一瞬湖面がゆらりと波立った。波はどんどん大きくなっていき、やがて湖面はアマテラスの顔も空も映さなくなった。
その代わりに映し出されたもの、それは―――――
「わん!!」
先ほどとは打って変わったアマテラスの元気な声に、その場から立ち去ろうとしていたウシワカが振り返る。
「わん! わぉん!!」
「どっ…どうしたの、アマテラス君!? 何か湖にいたのか…い…」
湖に映るそれを見て、ウシワカは目を丸くした。
「ゴムマリ君…だよね?」
「わん!」
湖面に浮かんだ白髪白髭の小さな老人の姿。
一見しただけではイッスンの祖父であるイッシャクにしか見えないのだが、その見覚えのある緑色の服と笠からイッスンであることがうかがえる。
そして何よりも、アマテラスがその老人を見て喜んでいることが、老人がイッスンであるという一番の証拠だった。
「…歳とったねぇ、ゴムマリ君」
神様の住むタカマガハラと人間の住むナカツクニでは、時間の進み方が違う。
アマテラスやウシワカにとってまだ始まったばかりのタカマガハラの時間、しかしナカツクニでは膨大な時間が流れていた。
ウシワカの脳裏に嫌な確信が浮かんだ。
―アマテラスは、イッスンに会えない―
ただ、アマテラスを少しだけ地上に連れて行ってあげればいいだけなのだが、タカマガハラの現状は一刻も争う危険な状態。
タカマガハラが朽ちれば、ナカツクニもいずれ滅びる。
甘い考えは許されないのだ。
「くーん…」
アマテラスの心配そうな声に、ウシワカは我に返る。
こんな暗い考えは捨てよう、前向きに考えなくちゃね、と自分に言い聞かせ心配そうなアマテラスに笑いかける。
「なんでもないよ。あ、ゴムマリ君どこか行くみたいだよ」
湖に映るイッスンは先ほどまで描いていた絵を片手に持ち、いつの間にか外に出ていた。
イッスンの周りに映る草に大粒の雨の玉が光っている。やはり大雨が降っていたようだ。
ぼぅ、と空を見上げていたイッスンがいきなり口を開いた。
『なんだいなんだい、さっきまで泣いてたと思ったら、もう笑顔になりやがって。せっかくイッスン様が絵を描いてやったっていうのによぅ。
ノーテンキさはそのままかぃ。まぁ、ずーっとしけったツラァされてるとこっちの気分も滅入るってもんだがなぁ』
姿は変わってもイッスンはイッスン。口調も声もアマテラスと旅した当時のままだ。
「相変わらず失礼なヤツだね、ユーの相棒」
「わん!」
「あはは、別にほめてないよアマテラス君」
少々失礼な会話をしている二人をよそに、イッスンは天に向かって話し続ける。
『なぁ、アマ公。最近雨が多いんだぜ?泣いてばっかりいねぇで、自分の仕事がんばったらどうだぃ?オイラだってがんばってるんだい。
…お互い、ちょっと寂しいかもしれねえがなぁ、前向いてがんばってこうぜ。なぁ、相棒!
これは景気付けにとっときなぁ!イッスン様の力作だぃ!!』
そう言ってイッスンは手に握っていた絵を、天高々と放り投げた。丸まっていた絵が空中で開く。
そこに描かれていたのは長い旅路で出会った人々の笑顔に囲まれる、アマテラスとイッスン。
若干イッスンが美形に描かれているのはご愛嬌。
その絵は空に舞い上がった後、風によってさらに高く舞い上がり天を昇っていく。
『いつまでもめそめそしてんなよ、けむくじゃらぁ!』
その言葉を最後に、湖面は激しく波立ちイッスンの姿をかき消した。
そしてまた、鏡のような穏やかな湖面に戻り、アマテラスとウシワカと空を映し出す。
違っていたのは、そこに映っている空が灰色ではなく爽やかな青だということ。
「はぁ、ゴムマリ君も相変わらずだねぇ」
「わふ!」
「うん、まぁそれがいいんだけどね」
二人は顔を見合わせて笑う。
はじめの悲しい雰囲気は雲と共にどこかに飛んでいってしまったようで、今二人の間には穏やかなやさしい空気だけが流れている。
「…がんばらないとね、ミーたちも。ゴムマリ君には負けてられないよ」
「わん!!」
「その意気だよ、アマテラス君!」
「わぅ! わぉん!」
「ちょっ…突然走り出さないでよ! ストップだよ! アマテラスくーん!」
いきなりやる気を出したアマテラスに引きずられながら、二人は湖から離れていった。
もうそこに未練はないようで、振り向くことは無い。
『やっぱり、オイラがいないとだめだな、毛むくじゃらぁ!』
そう言われた気がして、アマテラスの足がまた速くなる。イッスンがいなくても大丈夫だとでも言いたそうに。
ちょっとだけ、イッスン離れをできたアマテラスだった。
さて、追記と言ってはなんだが、実はイッスンの投げた絵はどういう奇跡かこのタカマガハラに届いていた。
湖の隣にぽつんと立つ木、そこにひっそりと引っかかっている。
アマテラスがその絵を見つけて、ナカツクニに行きたいと駄々をこねるのはもう少し後の話。
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