島のタンポポ
「……よって、遠島を言い渡す!」
なんて俺は、ついていないのだ。ごろつきの俺だって四、六時中、悪さをしているものか、あの時だってそうだ。
「おい、まてっ、まてったら」
「助けてー、誰かー」
やっと追い付いた娘の肩を掴んだと思ったらもう片方の腕を、町方にねじり上げられた。
「まだ陽も高いってのに、お上を恐れぬ不届きものめ」
「ち、ちょっとまて、俺はこの娘の巾着を渡してやろうとしただけだ」
だがまさぐった懐には、拾ったはずの巾着がない。
(別の巾着切りにやられたに違いない、俺の巾着もそいつに一緒に)
その娘のおかげでこんなことになった。
「おまえも、相手が悪かったな。村娘ならまだしも、旗本の娘に手を出しちゃあ、ただではすまんだろう」
島に置き去りにされ、岸からはなれた船から手綱を切るための匕首ひとつが放られた。
「おい、食い物もないからな、早めにこいつで楽になれよ。すぐに塩で錆びて切れなくなるぞ」
ぞっとすることを、平気で言う船頭だ。
「だれがこんなところでくたばるか」
精一杯、俺は叫んだが、波音でとうに聞こえはしないだろう。その匕首で手綱を切り、自由になった指で、くくられた足の結び目をやっと解いた。振り返って島を見上げた。
「あーあ、こんな事なら本当にあの娘をかどわかしてやればよかった」
松林がある、他は岩だらけで平地はない。
島の奥には少しだが水がしみ出ていた。砂も口に入ったが、はらばいになり、俺は思い切りすすった。確認する事もない、人や獣はいそうになかった。鳥が種でも運んだのか、その水の周りがちょっとした花園になっていた。柑子でも生えているかと思ったがそんな気の効いたものはない。茅や苔に混じり見た事もない葉ばかりで、菜はひとつも見つからなかった。
「海には魚がいるだろうが、捕らえる術もない」
時間は俺が諦めるまである。花園に仰向けになってあれこれ思案しているうち、いつしか俺は眠っていた。
顔の上を這い回る感触にとっさに平手で払った。見ると緑の芋虫だ。しかもまるまると太っている。とっさに指でつまんで、口に放り込んだ。青臭く、いやな汁も出たが食わねば死んでしまう、起き上がって夢中で集めた。一体どこからわいてくるのか、芋虫は次の日もその次の日も幅の広い青葉に現れる。しかしその次の日にはもう一匹も出てこなかった。貝や岩の下の蟹などを生で食ってなんとか数日過ぎた。ある日の事、大きな黄色と黒の模様をつけたチョウを花園で見つけた。
「ははーん、こいつがあの芋虫の親の姿か」
食えそうにない翅ばかりのチョウは気楽に花園を飛び回っていた。
「こいつらは俺よりましさ、風に乗って別の島にも行けるしな」
無性にハラが立ち、チョウを枝でたたき落とし、片っ端から翅をむしってやった。その他にも、食えそうなものは意外とあるものだ。ちいさな虫を食べにトカゲやカエルが夜にははい出てくる。しかし一番の大物は、俺が食べ残した魚の頭を狙ってくる、海鳥だ。
「この島も悪くないな」
そう思い始めた頃の事だ。花園に新しい葉を見つけた。俺は周りの草をむしってやった。
「ぺっぺっ、苦い」
葉をかじってすぐに吐き出した。それは菜ではなく「タンポポ」だった。
(そのうち根っこでも食べられるだろう)
じっくり待つことにした。他の花と同じだ、小さな芋虫や羽虫も集まってくる、タンポポを狙う虫達から葉を守り続けた。こんな島で咲こうとする花が他人には思えなかった。
(陽当たりの悪い花園だから仕方がないか)
ひょろひょろの茎の先っぽにやっと一輪の花が咲いた、白い花だ。
この島に流されて何年になるだろか、ここの暮らしにも慣れた。船頭が放った匕首は何度も手頃な石で研いで、もうすっかり薄くなっている。
ある日の事だ、彼方に舟が見えた。俺を運んできたあの船頭に違いない。
「お前、まだ生きていたのか?」
「何だと!」
「そうか、御赦免だ。迎えにきたぞ!」
巾着切りがやっと御用となり、娘の錦の巾着がでてきた、そのうちいい値がつくと思ったらしい、それがあの娘のものとわかったそうだ。御赦免状には俺へのわびなどはいっさいない、そんなもんだ。
「今更何言ってやがる。俺は残るぞ、とっとと帰れ!」
「変なヤツだ、こんなところに残ってなんになるんだ。なんにもありゃしないだろうに」
船頭のいう通りだ、向きを変えた船頭に俺はもう一度呼びかけた。
「すまん、戻ってきてくれ!」
「へへん、そうだろう。意地張るもんじゃねえぞ」
一度戻りかけた舟はまた島へ向かってきた。
近づく舟を見ているうち、不思議なもので俺はだんだん城下が懐かしくなってきた。一刻も早くその舟に乗りたくなって海に入りかけたくらいだ。
「おお、忘れ物だ」
俺は向きを変えると、花園に走り出していた。手をそっと伸ばし、白いタンポポを摘んだ。
綿毛を付けた小さな種を一つでさえ落とさぬように、とっくに用をなしていない穴の開いた懐にそっと入れた。