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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

モノジェニック・ムービー

作者:双桑綴
証言は主観、映像は独白、世界はひとつじゃない。(初稿:2012年)
◆証言1 鱗谷 瓦(画家)

 映画館に入るときは必ず瓶詰めのペプシ・コーラを鞄に忍ばせていく。炭酸の音はわずらわしいから、本編前のコマーシャルが終わるまでに飲み干すようにしている。冒頭のシーンがはじまるのに備えて、僕は空いた瓶を口にくわえ、奥歯で圧を加える。すると鉄のような風味の唾液が、喉元から込み上げてくる。飽きの来ない、体液の味だ。僕はひたすらそれを繰り返して、気づけば映画は終わっている。
暗く広い部屋でフィルムと向き合うとき、僕らにはすべての意識を画面に集中させる義務が生じる。それは製作者に対する最低限の敬意である。どんな駄作であっても、真剣な鑑賞なくして批評は成立しない。むろん自分が関わった作品であれ、鑑賞態度は同じものを心がけている。
 関わったとはいえ、この映画に関して言えばそれはもう十年も前のことになるが。
 藤堂愉快は僕の友人であり、故人であり、そして映画監督だった。
 彼女は気高く狂っていて、とても美しかった。前衛表現の第一人者として評価され、海外での知名度も徐々に高まりつつあった矢先、患っていた精神病を悪化させて自らこの世を去った。
そしてこの映画『シュヴァンク』は製作期間に十年をかけた藤堂の遺作である。
 僕が担当したのは「背景」の提供だった。僕は二年と半年をかけて、縦四メートル・横一六メートルの絵を十二枚仕上げた。納期が示されない妙な依頼であった。そして、映画の概要も聞かされなかった。背景画をどう利用するのか、僕はさまざまに想像した。しかし彼女は「何も想像せず自由に描いてくれ」という注文をした。僕はその通りにした。

 僕は着席し、初めての鑑賞に胸を躍らせた。藤堂はこの映画を遺して自殺した。彼女は僕のアトリエを訪れて、油絵具のチューブを三本拝借していった。そしてその中身を喉と性器に詰め込んで、電車に飛び込んだ。最寄り駅だったので、僕は彼女の臓物を拾いに出かけたものだ。混乱していたのか、駅員や警察の動きはずいぶんのろかった。そのとき拾った顔面の一部、比較的損傷を免れた上半身、挽肉にされた下半身は、たしかラップで包んで冷凍保存してある。
 さて、上映が始まるようだ。
 館内が暗くなって、僕はコーラの瓶を開けた。

 僕の描いたキャンバスを背にして、男が微笑んでいた。
 彼は右手にペプシ・コーラを持っている。僕は一瞬不思議に思って手元を確認した。妙な気分だ。男は画面の右奥に目を遣った。何かを見つめている。カメラがズームアップすると、そこには女性の人形が座っていた。精巧な作りで、美しい。生白い肌と艶のある黒髪、どこか虚ろなその表情は神秘的だった。しかしどこか、既視感がある。妙なことだ。カメラが引いて、男が人形に近付いていく。僕は奥歯で瓶をかじり、映像に没入していく。
 男はしきりに人形に話しかけていた。当然ながら反応はない。それでも男はにこやかに話す。彼女のことを人として扱っていることが見てとれた。しかし映画の演出としては、人形として描かれている。人形を愛してしまった狂った男がそこにいた。
 背景が変わるごとに、男の話す内容が変わった。会話内容から察するに、最初の場面は二人の出会いで、その次は外でデートをしていた。それから食事の場面になった。男は相変わらずの微笑みをたたえながら彼女にパスタを食べさせていた。彼は湯気の立ったペペロンチーノを人形の口に押しあてている。麺がブチブチと千切れて下に積み重なり、人形の口はオイルソースでベタベタと汚れた。思わず顔をしかめるような光景だった。男は食事の場面ではじめて、人形の彼女に苦言を呈した。どうやら喰い方に不満があるらしかった。
 彼は憤りながら、うろうろと画面を移動しはじめた。首をかしげたり腕を組んだりして、何か思案しているように見える。しばらくすると背景が切り替わった。今度は男がステーキを持ってきた……。人形の口に押しつけたところで、ステーキは潰れて画面を汚すだけだ。彼は発狂したように人形にフォークを突き出していた。
 反応のない人形に、彼は怒鳴り散らした。
「君は好き嫌いが多すぎる。それとも、僕が作った料理は食べられないっていうのか?」
すごい剣幕で唾を飛ばすが、当然ながら人形はピクリともしない。彼は顔を真っ赤にして頭をかきむしった。会話に反応がなくても無頓着なのに、食事シーンでは要求が高い。一貫性がないようにも見えるが、狂人とはこういうものなのだろうか。
 それからシーンが幾度か切り替わったが、全部食事シーンだった。選ばれる料理は、段々とグロテスクなものに変わっていく。濁ったスープ、虫の佃煮、ウサギの脳味噌。いきなりこんなものを見せられたら観客は発狂する。僕はほとんど過呼吸のような状態になった。しかし不思議と、周りは静かだ。藤堂作品に慣れているコアなファンは、耐性が違うのだろうか。
 僕は瓶をかじりつづけていた。いつもより歯を立てる。集中するのが難しい映画だった。どことなく既視感があるのも問題だった。こんなコンセプトの映画、観たことも聞いたこともないはずなのだが。
 いやがらせのような食事シーンがいよいよ最高潮の盛り上がりを見せたのは、痺れを切らした男がおもむろに衣服を脱ぎ始めた場面だった。
 そういえばここまで性的な描写がなかったな、と勘付いた僕だったが、男の動きは不自然だった。人形との絡みというより、何か別の行為の準備をしている。
 男は包丁とガスバーナーを持って画面に登場した。
 その秘部にカメラがズームすると、ペニスはやや勃起しているようだった。
 人形は無言でたたずんでいる。
 そして男は非言語的な音声を吐き散らすと、包丁をペニスの根元にあてて、一気に切り落としたのだった。

 僕は「ひィ」と叫び声をあげて目を覆った。しかしそれは映画に対する冒涜である。僕は必死で目を見開いて、経過を追う。
 物凄い量の血が吹き出ている。男は傷口をバーナーであぶった。悲鳴が大音量で再生される。出血が強引に止められて、酷い火傷に変わった。男は顔を紫色にしながら、今度は切り落としたペニスをバーナーで焼き始めた。カメラがズームする。こんな作品、何故世に出せたのかわからない。段々と焦げ目がついて、ペニスはこんがりと焼けていく。いくらなんでも現実にこんなことが行われたはずがないし、巧みな演出と視覚効果に決まっている。しかし僕の眼には限りなくリアルに映った。男の苦しみも、本物の響きを持って振動した。焼き終わった男は人形の口にそれを押しつけた。それでも咀嚼しない人形に憤って、男は画面の隅へ人形を蹴り飛ばした。

 映画は、そこで終わりを迎えた。
 僕の口の中で、瓶が粉々に砕かれていた。
 タオルに血を吐きながら、僕はゆっくりと呼吸を整えた。
 藤堂愉快の遺作は、想像を絶した。

 映画館を出て見ると、どういうわけか街中を女人形が歩いていた。
 目をこすっても頭を叩いても、そこらにいるのは人形である。男はそのままに、女だけがみんな人形に刷り変わっている。吐き気のする光景だ。僕は嘔吐した。人形が僕を見下ろして顔をしかめた。別の人形が男と歩きながらこちらを見ていた。人形が、人形が、人形がいた。

 僕は狂ってしまったのだろうか。
 映画の中の、彼のようになってしまったのだろうか。
 精神科医の元へ、自然と足が向いた。


◆証言2 藤堂 愉快(映画監督)

【遺書全文掲載】
 私はね、狂う為の薬が欲しかったので飲んでゐたんだ。
かかりつけの医者に処方を頼んでゐた。
 私がトーシツだって、ファンも知ってゐるし。病気に頼って作ってきたところ、あるので。
だからまったく抵抗はなかった。薬を調整されて、自分がゆっくり狂っていくのも解ってゐた。
でも、狂えば狂うほど、どんなものが作れるのかワクワクしてゐたよ。
 だけど脚本もろくに進まなくってね。ヤク中だからしょうがないよね。
けっきょく、私の遺作は『マヰエル』だし、こうしてみるとポピュラーな映像作家に落ちつゐちゃったなあと思う。
でもねもう少し、最後に考えてゐることがあって。
 死そのものを遺作にしたいと、私は思ってゐる。


◆証言3 遊佐 佑央(外科医学生)

 双桑という医師が僕の研究室を訪れたのは、ちょうどいまから二年前の夏のことだった。
 教授の知人ということだったが、学生を品定めするような彼の視線は、みんなの顰蹙を買っていた。それに彼は精神科医で、そもそも畑違いだった。
 彼は僕らに「アルバイトをしないか」という話を持ちかけてきた。精神科医の斡旋するアルバイトだ。胡散臭い。ほとんどの奴はろくに反応すらしなかったよ。僕を除いてね。
 彼が藤堂愉快の知人……いや、担当医だったという話を聞かなければ、僕だって彼のことは無視していただろう。しかし僕にとって、それはとてつもなく重要なことだったんだ。
 藤堂愉快は邦画界におけるシュールレアリスムの巨匠だ。歴史を変えた存在だと言ってもいい。それくらい、彼女の作品はそれまでの邦画とは異質な刺激に満ち満ちていた。彼女は数年間東欧をさまよっていたというから、その影響もあるかもしれない。彼女が言うにはその期間の記憶は曖昧でほとんど頭に残っていないそうだが、おそらく無意識に作用しているのだろう。
 軽度の統合失調症をわずらっているという話は有名で、彼女は人前に出ることをひどく嫌った。唯一心を許している担当医が居るという話だったが、まさかその人物が僕の眼の前に現れるとは。
 僕がいちばん知りたかったのは、彼女の死の真相だった。
 彼女は、体内に油絵具を詰めて電車に飛び込んだのだ。
 世間は彼女を狂人扱いした。「芸術家なのだから、変わってゐたのだろう」――彼女のような文体で得意げに一般論を述べた論客を、僕は憎んでいる。
 死後、彼女の遺書が世間に公表された。
 彼女にしては安直な表現方法だった批判する意見が多くあった。
 僕も少し、幻滅した。
 しかしああなってしまった時点で、彼女はすでに壊れすぎていたのだと思う。精神病が重くなるにつれて、彼女の作る映像はより難解になっていった。ミーハーなファンが淘汰されたのは、僕にとっては心地よい環境だったけれど。

 話を聞いてみると、どうやら双桑はモルモットとして僕を使うつもりはないようだった。
「モルモットにするのなら、もっと使いやすい奴らは幾らでもいる」
 精神科医が精神病でないと証明することはできないのだから、精神科医に精神病と判定された者が精神病である保証などどこにもない……という言説がある。僕の眼に、彼は狂人として映った。だがそれは良い意味も含む。藤堂愉快と、近いにおいを感じたのだ。彼が彼女の知人であること、心をゆるした相手であることに、納得した。
「君には、外科医見習いとして鍛えたその腕前を遺憾なく発揮してもらいたいんだ」
 彼はそう言って契約の詳細を説明した。そのあまりに大きすぎる報酬に、僕は疑心暗鬼になった。と同時に、どうしようもなく抗い難い、金銭の理不尽な求心力にやられてしまった。
求められたのは屍体の修繕だ。不肖ながら僕も外科医の卵。それに近いことをやったことがないわけはない。個人の仕事でそれを請け負うのは、そして依頼するのは限りなくブラックだと思ったが、僕は迷った末に承諾した。
 僕が承諾する旨を伝えると、双桑はかなり気を良くしたようだった。大学の近くにある高い鮨屋に連れて行かれ、僕はたらふく呑まされた。このときはとても幸せな気分だった。彼は藤堂作品について造詣が深く、非常に話が合った。
「彼女とのセックスは最高だったよ」
 酔いの心地よさが臨界点に達した頃、彼は唐突にそう切り出した。
 藤堂のプライベートへの言及が多かったから予感はしていたが、どうやら彼と藤堂は恋愛関係にあったらしい。
 彼女は病の面で彼に依存していた。心を預けるのにも抵抗がなかったのだと推測するのは、それほど難しいことではない。僕はこのときすでに双桑自身の魅力を認めていたから、彼の言葉を聞いて感じたのは少しの嫉妬と大きな好奇心だった。
「やはりそういう関係にあったんですか」
 僕が切り返すと、双桑は若干ながら頬を引き締めた。
「なんだい。不快かね」
「ファンですから多少の嫉妬はあります。でもそれ以上に好奇心が大きい」
「そうだろうね。彼女は『女』としても面白かった」
 彼は傷だらけの口元を少しゆがめ、僕の目をまっすぐに見た。
「『女』としての彼女は、いったいどんな人間だったんですか」
 板前に差し出された茶をすすり、僕は呼吸を整える。
「内面はほとんど見せてくれなかった。だけど、セックスが最高だったんだ」
 彼は遠い目をして言った。愛していたんだな、と僕は思った。言葉だけを捉えればひどく男性的な愛に思えるだろう。しかし彼の眼は、穏やかな愛を語っていた。

「厳密に言えば、あれはセックスなんかじゃなかった」
 彼は空になった徳利のそこを見つめていた。その視線のさきには、ただ空洞と暗闇があった。
「彼女は性をモチーフにした作品を数多く作った。しかし、彼女にとって性は対象でしかなかった。彼女自身の中に、性別は存在しなかった」
「性行為は、しなかったということですか」
「一般的にそう呼ばれているものと、異質だったということだ」
 彼は笑いながらそう言った。彼の笑いは一切の低俗を廃した、綺麗な狂気だった。藤堂の映画から溢れ出るものと、同様の。 
「彼女はセックスに関わるとき、いっさいの自我を放棄した。人形になりきっていたんだ」
「人形、ですか」
「彼女の作品の中でも重要なモチーフだ」
「遺作の『マヰエル』はまるで人形劇でした。勧善懲悪モノのような舞台設定なのに、全員狂って終わりましたが」
 双桑は深くうなずいて、胸元で組んだ両手に目を落とした。
「私は、人形になりきった彼女のからだを愛でた。人形として、愛した。そこに彼女は居なかったが、彼女は精神よりも肉体であることを望んでいた。だからそれは彼女そのものだった。私はゆっくりと彼女を眺め、愛撫し、優しくキスをした。それが私たちにとってのセックスだった」
 僕の頭に、人形を用いた数々の名シーンが想起した。そこに登場する人形たちが、彼女の姿とオーバーラップする。
「彼女は統合失調症のほかに、不妊症を患っていてね。詳しくは語ろうとしなかったが、子どもを作れないからだらしかった。ノンセクシュアルな態度はそこからきていたのかもしれないな」
 彼女が彼だけに見せたであろう表情の数々を、僕は想像した。彼に見せた表情すら、彼女の中のほんの一面に過ぎないだろう。しかし僕はそれすら伺い知ることができない。ファンはいつでも、片想いを強いられた存在だから。
「彼女は死ぬ前に、あることを私に頼んだ」
「それは、彼女の死に深く関わることでしょうか」
 ああ、と頷いて彼は僕の目を見つめた。奥まで見透かしてしまうような視線だった。
「君には、それを手伝ってほしいんだ」

 来週、指定された日、僕は器具を持って彼の家へと向かう。
 作業が終わるまでは決して外出しないよう命じられた。
 彼女に対する冒涜は許されない。二人のあいだで、暗黙の了解が交わされた。

 僕らが、彼女を遺すのだ。


◆証言4 双桑 綴(精神科医)

 鱗谷という自称画家は常に挙動不審だった。
 私は精神科の開業医であるからして、妙な言動をする患者の相手など日常茶飯事である。しかし彼の症状は私の経験をやや上回って特異だった。
 彼は「女性がすべて人形にしか見えなくなった」と話した。人を人として認識する何かが壊れているのだろう。この分野ではまったくの異聞譚ではない。男性はそのまま人間として見えることで、人形と人間が混在する異常な世界になってしまったと、彼は嘆いた。
「先生、独り芝居ですか」
 同席していた助手の柚原が口を挟む。彼女はしばしば辛辣な言葉を口走るが、今日はいつも以上に不躾な態度だ。精神病患者に冷たいツッコミを入れてはいけない。彼らも症状に自覚的だからここを訪れるのだ。後日、口をすっぱくして教えてやらねば、
 双桑は柚原をひどく恐れた。彼女の態度ではなく、人形と同室すること自体が不快なようだった。柚原は彼に怪訝な目を向けて、私が指示する前に診察室から消えた。今日最後の診察だから、人手が減ることにさほど問題はない。彼との会話内容を考えれば、むしろ幸いかもしれない。
 彼は画家を自称していたが、実績はほとんど皆無だった。彼は丁寧に写真を見せて示してくれたが、前衛映画に使うという背景を何枚か描いただけだった。まさに無名画家の作品といったもので、根拠のない自己陶酔がキャンバスにこびりついていた。
 原因に心当たりはあるかと彼に尋ねると、思いもよらない名前が飛び出した。
「藤堂愉快の映画を観た。それからそうなった」
 背景というのも、彼女に依頼されたものだったらしい。
 ……藤堂愉快と言えば、私の患者でもある。彼女は十年も前に亡くなったが、私が診てきた中でもっとも気高く、そして美しい狂人だった。私は彼女の生み出す芸術に心酔するあまり、もっと狂気をと、投薬をはやった。
彼女の症状は次第に重くなり、やがて自ら死んだ。その責任の一端が私にあることは、私自身がいちばんよくわかっている。
私は彼女の狂気をもっとも身近で見つめてきた。
どんな映画ファンにもひけをとらない知識を自負している。
 しかしながら、彼の説明する作品には何故か心あたりがなかった。

「あなたの顔に見覚えがある」
 と鱗谷は言った。実を言うと、私も彼に見覚えがあった。しかしいつどこで見たのか、さっぱり思い出せなかった。それは彼にとっても同様らしかった。
 私は藤堂愉快かかりつけの精神科医として、多少ながらメディアに露出したこともある。だから彼からの既視感については説明できるのだが、一方で彼は完全な無名画家だった。彼が関わったと主張する映画も正体不明で、すべてが彼の妄想である可能性が高かった。だからこそ、私の抱いた既視感が心にひっかかった。
「いつ、どこでその映画を観たか覚えているかな」
「このあいだ、やっと公開されたんだ」
「そんな話、聞いたことがない」
死後十年が経ったいま彼女の遺作が公開されようものなら、話題にならないはずがない。
 そして彼の言及したようなシーンが実在するとしたら、到底上映許可が下りるとは思えない。
 懐疑的になった私は彼を激昂させないように注意しつつ、虚言かたまりから事実らしきものを固めていった。
「監督は本当に藤堂愉快なのか?」
「はい。間違いなく。僕が間違えるはずもないし」
「どこの劇場で観た?」
「世界の変化にショックを受けたからか、はっきり覚えていなくて」
「夢か何かだったという可能性はないかな」
「そんなことはありえない。今でも観られる場所を知っているし」
「劇場を覚えていないのに、どういうことだね」
「わからない。でも、僕のアトリエで観られる。関係者だから、フィルムが送られてきたのかな。わかりません」
 彼の言い分が二転三転するので、私は牽制の意を込めて彼を睨んだ。
「最初から、自分の家で観たんじゃないのか」
「いえ、たしかに劇場だった。他の人の姿もあったように思うよ」
こういった人間の記憶はところどころ矛盾していて、聞いているだけで苛々とする。
 精神科医を何十年もやっていてこれではいけないと思うのだが、精神科にかかるような人間には不快な人種が多い。おそろしく自己中心な思い込みと世界への嫌悪をこじらせた阿呆。狂人は魅力的だが、気違い気取りの凡夫はただただ面倒でつまらないのだ。そういった人種には、これといった病名を与えることができない。
たどたどしく記憶を矛盾させていく目の前の男も、同様だった。
 いや、藤堂愉快について軽々しく嘘を並べたところが気に喰わなかったせいかもしれないが。
「じゃあ、そのフィルムとやらを持って来てくれないか。私も観てみよう」
「それは、困る」
 ほら来た、すぐに前言を撤回するこの習性こそ、虚言癖の性である。
「僕は彼女を、持ち出したくない」
「嘘をついていては君の症状は解決しないぞ」
「違うんだ。そうじゃない。本当のことを言っているだけなんだ。観たいのなら、僕の部屋にくれば良い」
「……そうか。じゃあ今から行ってやろう」
 最後の診察だから、時間的な問題はない。治療としての行動を超えて、藤堂愉快作品を騙る偽物を暴いてやろうというのが強い動機だった。
「わかった。案内するよ」
 私は彼を医院の外で待たせ、戸締りをして車に乗った。
 彼が案内する道はどことなく見知った道だったが、具体的にいつ通ったのか思い出せず、私は不快感にもだえた。そういえば彼の顔を見たときも、似たような印象だった気がする。
医院を出てから四つ目の信号を右折して、彼の指示した路地に入った。
私はふと、自分が「何かを忘れている」と思った。
鞄や車内を見まわして推理したが、手掛かりは得られなかった。
もっと手の届かないどこかに、その源があるような気がした。

 新築マンションの陰に隠れた陰鬱なアパートが、彼の住み家だった。バブル黎明期に大量生産されていそうな、単調なデザインと無難な機能性。全国津々浦々でこういった建築が景観を汚し続けているのだろう、などと考えたところで別の住人と目があって気まずくなった。
2階のいちばん奥が、彼の部屋だという。
「同じアパートに人形が住んでいるなんて、気味が悪くてたまらないよ」
 彼は階段を昇りながら愚痴のような言葉をこぼした。
 たしかにいま見かけた住人は女性だったが、やはり人形に見えているのか。
部屋の前までくると、肌がざわついた。
ホラー映画のような演出はないにしろ、生活感とはかけ離れた物々しさがただよっている。家主が精神を病んでいるからだと考えれば、さほど不思議なことではないが。
「じゃあ、入ろうか」
「うん。開けてかまわないよ」
「いや、どういうことだ」
「鍵を持っているのは双桑さんだ」
「意味がわからない」
「ポケット」
彼の指さした上着の右ポケットをまさぐると、錆の浮いた鍵が出てきた。
「気持ち悪い真似を」
私が苛立つのも気に留めず、勝手に忍ばせておいたのだ、と彼は不敵に笑った。
私は鍵を差し込み、右に回して、開錠した扉を手前に引いた。
悪臭を孕んだ空気があふれだす。鼻に手をあてて、私は入室する。扉が閉まり、真っ暗になる。
なんとなく手をやった場所に、室内灯のスイッチがあった。

 明滅を二度往復して、部屋が照らされた。
 一見散らかっているが、何かを意図があって並べられたような椅子と机がある。妙な場所にカーテンがあると思ったら、吊るしのスクリーンだ。プロジェクターも床に転がっている。廉価なホームシアターセットにも及ばない、貧乏臭い上映設備である。
「さっさと準備しよう」
 金をかけずに作られた為か、随所に粗雑な痛々しさが垣間見える。しかし、要素を抜き出せば、映画館と言えなくもない内装であるように思えた。
「そこに座って、観るんだ」
 鱗谷は冷蔵庫からペプシ・コーラを取り出して飲み干した。呼応してに私の喉もこくりと鳴る。
 部屋の隅に目を遣ると、見覚えのある顔が腐っていた。たしか、遊佐といったかな。それなりの男前だったように思うが、蛆がわけばみんな不細工になるものだ。
「さあ、はじめます」
 彼はペプシ・コーラの瓶をガリガリとかじりはじめた。そのノイズを聞くと、何故だか私は落ち着いた気分になった。沈んで沈んで、集中できる気がした。
「『シュヴァンク』」
 照明が落ちて、私は席に腰かけた。スクリーンの光が、舞い遊ぶ埃を淡く描いた。部屋の真ん中に、ぼんやりと映画が浮かんでいる。私はそれを、見つめる。
それは鱗谷が話したとおりの映画だった。
 そして紛れもなく、藤堂愉快の作品で――いや、彼女そのものが、そこに、在った。
 私は彼女との再会を、涙を流して喜んだ。

 遺作『シュヴァンク』の最終場面を見届けて、私は画面から集中を解いた。
 口が血まみれになっていたので、脇にあったタオルでぬぐった。タオルは変色した血の染みでまだら色に汚れていた。ガラス片がたくさんひっかかっていた。
 私は、思い出したことを悟る。思い出したのか何度目になるか記憶していないが、やはりここは改めて思い出したという他ないだろう。これまでに相当な回数、思い出していることは確かだ。床には無数のペプシ・コーラが転がっていて、砕けたガラスがきらきらと光を反射している。
私は念のためを思って、自らの下腹部をなぞった。堅いものに触れる。衣服を剥ぎ、室内灯をつけると、ペプシ・コーラの瓶が埋め込まれた穴が確認できた。
いま一度、部屋を見渡す。本当に汚れている。事件現場みたいだ。そしてとても臭い。異臭の原因は遊佐君ではなく、奥の部屋からみたいだ。暗くってよく見えないが、ものすごい量の食べ物が、積み重なって腐っている。彼女が食べてくれなかった、エトセトラ。
 私は人形に会いたくなった。
 会いに行くには、奥の部屋に行かなければならない。なんだか足元がおぼつかなくて、転がっていた遊佐君を蹴飛ばしてしまった。人形を作り、撮影に付き合ってくれた熱心なファンは、どろどろの眼窩をこちらに向けて睨んでいるように思えた。

 そこに居ると知っていたので、私は迷わず冷凍庫のドアを開けた。
 継ぎ接ぎだらけの狂人は、美しさを永遠に凍らせている。
 口腔と性器にこびりついた油絵具は、どんな化粧よりも彼女を際立たせている。

 藤堂愉快が死を以て用意した芸術を、私は独占したい。独占する権利がある。
 私ほどに芸術と向き合える人間が、幾らゐるのか。
 ゐないから、彼女は私を選んだに違いない。
 性別を切り落としたあの日、無性生殖を覚えた。
 私はいつでも二人になれる。三人にも、四人にもなれる。
 そうだ、映画を観よう。
 ひとたび合流した私と僕を、もう一度丁寧に切り離していく。

 機材をセットし、タイマーを2分後に合わせる。
 上映のブザーを鳴らそう。ペプシ・コーラを切らしてはいないか。
 幕が上がる。私は、性別を忘れる。性という概念を自分から取り外す。

 これはセックスじゃない、映画なんだ。


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