最終部 最終章 最終話(3)『夢跡』
この戦いを、大陸大戦とも、メルヴィグ王都攻防戦とも呼ぶ。
いずれにしても、被害も何もあらゆる爪痕が甚大で、政治経済全ての機能がしばらくの間大陸中で麻痺してしまうほどだった。
カンヘルが生み出した歴代三獣王の複製体や黒騎士の部隊は、獣王十騎士と後世で呼ばれる事になる騎士達や、ムスタやクラウスらといった残った豪傑らの活躍で全て防ぐ事が出来たし、当然ながらヘル=カンヘルが消滅すると共に、これらも全て露のように消滅していった。
また、戦いの途中で仮死状態となり動かなくなった角獅虎の大軍勢は、ヘルの消滅後その場で倒れ、そのまま石のように固まったまま息絶えていったという。
この場合の問題は、巨大な獣の死体の数があまりにも多すぎて、これの処分に一年以上は費やした事だろう。味方の死体もだが、角獅虎の死体の数が夥しすぎたと、メルヴィグ王国の公式記録に残っている。
本来であれば、屍体ならいずれ腐敗して朽ちていくだろうと思うかもしれないが、魔獣の骸であるせいか腐敗もまちまちだし、骨や装備品などの遺留物も多く、これの始末にも時間と労力がかかったのだという。
とはいえ、悪い話ばかりではなかった。
まず、この戦いには大陸の主要国家とその主力部隊が全て投入され、その全てが等しく消耗したという側面がある。メルヴィグ王国はともあれ、どの国も被害はおおよそ均等で、それだけにどこかの国がこの機に乗じて――とはならなかったのであった。
無論、戦いに参加した騎士達王達にそんな気は毛ほどもなかったろうが、国元に残った人間の中には、そんな邪心を抱く者もいるだろう。だが邪な考えを持っても、そもそも疲弊しきった国にそんな矮小な野望を叶える力など残されておらず、結果として全ての国家が無言の内に不可侵を守らざるを得なくなったのである。
しかもこの平和は現実的な条約として結ばれる事になり、大戦の一年後には、参加した国の王や皇帝が再び集まり、互いの国に攻め入るを禁じるとする第一次の不可侵条約を結ぶに至るのである。
これはこの時代の国家君主が平和主義だったからではなく、単に君主も民も、皆が皆、もう戦いに倦んでいたというのが正しいだろう。
また、大陸の諸国家でどれだけ平和条約を結ぼうと、大陸外からの侵略もあるのではと考えられる。
残念ながら現実とはそういうものだからだ。
だがこの時効力を発揮したのが、銀月獣士団だった。
イーリオが率いていたこの傭兵部隊には、遠く西方の地の戦士、劉飛雲徳やユキヒメ、ハナヒメがいる。
彼ら彼女らがそれぞれの故国に、大陸外の国家が大陸の国家に侵略せぬよう睨みを効かせて欲しい、と掛け合ったのである。
それぞれに大貴族であったり皇帝家の血筋である高貴な出自なのだ。
しかも般華、環の国両国にとっての大国賊である呂羽を討ち取ったという報告も付いていれば、これを無下にするわけにもいかない。
その結果この交渉と願いは聞き届けられ、大陸の外からの侵略も、当面はなりを顰める事になったのであった。
ちなみにこの三名の内、ユキヒメは故郷である環の国に戻り、最終的には女帝の地位にまで登り詰める事になる。
一方でユンテとハナヒメはメルヴィグの地に残り、覇獣騎士団に入団。この国の復興を支えていく事になったという。
そしてこの平和条約であるが、これは驚くべき事に、なんとこの後八〇年間は、完全に守られる事になるのである。
これについては老いた後で退位したレオポルト王が、後年こう語っている。
「恒久的な平和を望むのは当然なのに、何故そうしなかったかって? 人とは欲深いものだ。ヘクサニア教国やあの魔導士達を思い出せば分かるだろう? ならば数十年であれ、この平和を少しでも長く維持続ける事にこそ、意義はあるのだよ。例え明日この平和が破られようとも、これだけの間平和でいれた事を思い出せば、人はまた安らかな時代を求めるようになる」
この言葉は、事実そうなっていく。
そのメルヴィグ王国のレオポルト王だが、彼は老境にさしかかるまで大きな争いもあまりない、穏やかだが多忙な日々を送る事となる。実際、彼には王国の再建という一大事業があった。
王国自体が大戦の主戦場でもあったため、王都を含めた国の建て直しには、かなりの国力と時間が必要になった。しかも国家騎士団・覇獣騎士団は半壊どころか壊滅に近い状態なのだ。さすがに彼の政治力だけでこれを元に戻すのはかなりの無理があっただろう。
ところがそれは、意外な形で助けを受ける事になる。
それが王の結婚だった。
以前より求婚の申し出が強くあったアンカラ帝国の帝妹アイダンを、彼は妻として迎えたのである。
これによりアンカラからの支援を受ける事が正式に決まり、メルヴィグは着々と元の姿に戻っていく事となる。これだけ聞くとよくある政略結婚の一つに聞こえるだろうが、実はこれは政治のようで政治ではない話であったのだ。
そもそもレオポルトとアイダンは年の差二〇歳も離れており、いかにも自分では不釣り合いだろうと彼は最初固辞をしたのだ。
しかし以前からと述べた通り、この結婚を強烈に望んだのはアイダン本人で、曰く――「妾の見た中で一番の紳士でイケメンなのじゃ。陛下以外の殿方には嫁ぎとうない」と勝手に国を飛び出してメルヴィグに押しかける始末。
当初はアイダンの兄であるセリムも彼女を諌めていたのだが、強引というより無理矢理に近い形でアイダンはレオポルトの元に輿入れをしたのであった。
彼女の事をよく知るイーリオなどからすれば、一緒に旅をした頃と何も変わってないな――といったところであろう。
だがその副産物として、メルヴィグの復興はアンカラの助成を受けられるようになったのも事実なので、彼女の奔放さを非難する声は少なかった。いずれにしてもどこまでが彼女の真意なのかは、アイダン本人のみぞ知るといったところかもしれない。
まあアイダンからすれば、晴れて希望の殿方と添い遂げられただけで満足と言うだろうが。
ちなみにレオポルトとアイダンは、三男三女も王子や王女を授かる事になり、その意味においてもメルヴィグにとっては救国の王妃となり、長く彼女の名は語り継がれていく事になる。
却説、一方でアンカラ帝国はと言えば、奴隷制度廃止の弊害がまだ国のあちこちに問題を生じさせていたが、大戦を終結に導いたセリム皇帝の威光もあって、これも徐々に落ち着き、混乱を終息させていく事になる。
これには彼の右腕である宰相ムスタファの辣腕もあり、帝国は平和の内に内外を安定させていき、海路を含めた国交を広めていく事となった。
またこれは後の大航海時代の先駆けともなり、この後半世紀は安定した治世を送る事になる。
海路といえば、海洋国家であるアクティウム王国とカディス王国も忘れてはいけない。
アクティウム王国はフェルディナンド王朝と改めた後、クリスティオ王の元で傷んだ国土や国の建て直しに邁進していく事になる。
それはまあ誰でも予想のつく事であり、もう一つ予想通りになったのが、彼の結婚だった。
若い頃は恋多き色男として名を馳せたクリスティオ王も遂に妃を娶るのだが、それはジャジャルというジェジェン首長国の氏族長の娘であった。
結婚する直前まで、王の相談役である老婆の世話係をしていた乙女である。
彼女の事をよく知る人間からすれば、収まるところに収まったと言うであろうが、世間一般的には、クリスティオとの恋愛はあまり大っぴらに知られていなかった。
これには国の半分の人間――つまり婦女子達の間で物議を醸す事となり、さては一体どこの馬の骨が陛下をたぶらかしたのだとちょっとした騒ぎにすらなったのだが、ジャジャルの美貌を見て、彼女らは全員口をつぐんでしまったという。
それどころか、ジャジャル王妃は国政にも忌憚なく意見を述べ、またその発言や政治に対する理解も深いものがあったため、そういった意味でも女性国民は、彼女が王妃となったのを認めざるを得なくなっていったらしい。
尚、クリスティオとジャジャルの間には娘が生まれ、その名にはミケーラと付けられる事になる。
しかし予想通りにいく事もあれば、いかない事もあった。
それがクリスティオ王を支えていた、彼の片腕とも言うべき軍監のブランド・ヴァンのその後であった。
ブランドは大戦後、自ら隠居を申し出、隠遁生活に入ろうとしたのだが、ここでクリスティオ王のご意見番である老婆が、王に進言したのだ。
「ブランドを一人にしちゃいけないよ。あの子は誰かと関わっている方がいいんだ」
その老婆曰く、国土の南、独立気質の高いカタンザーロの地を彼に治めさせてはどうかと。
老婆の意見に全面的に同意したクリスティオは、何度も辞退するブランドを無理に引き摺り出し、その後色々あってブランドはカタンザーロ大公となったのであった。
尚、この地はブランドの築いた治世もあって、数百年間どの国の侵攻を受ける事もない、不可侵の地になっていった。
そしてもう一つの海洋国家カディス王国は、大戦への参加も他の国ほど熱心でなかった事やトクサンドリアの分裂もあって、大陸諸国家の中では早々と衰退をしていく事になる。
それこそが、本来は一〇〇年の平和条約だったのを、八〇年で破られてしまうきっかけになるのだから、なんとも皮肉な話であった。
だがその時代には、大戦で活躍したミケーラ・バルディの弟であるペドロも、この世を去っていたのだが。
このカディス王国から分裂し、大戦でも大いに活躍したトクサンドリア王国は、初代国王レオノールを大戦で失ったものの、後を継いだヤンの元で、国政を安定させていく。
いや、更にマッチョで暑苦しい国になっていったとも言えるのだが、それはまあ、ここで語るには及ばないだろう……。
北の大国ゴート帝国は、当然ながらハーラル帝が治めていった。
また、マグヌス・ロロという支柱を失った帝国軍だが、総司令及び総騎士長の後任には〝騎士の鑑〟ヴェロニカが就任し、ソーラをご意見番としてエゼルウルフの三体制で軍事面でも建て直しをしていく。
ヘクサニアに帝都が攻め入られ、〝獣王殺しマグヌス〟や〝北の戦女神マリオン〟という偉大な騎士達だけでなく、内政面で長く支えていたギヨーム宰相までも失い、一時は帝国も国力も大幅に減少をしてしまった。けれども新たに宰相となった、元外交官であるカルステン・ブリカらの活躍もあり、治世も軍事も徐々に安定を取り戻していく事となるのだった。
それとは別に、帝国にとって意外というか一番の大きな事件は、ハーラルの結婚であろう。
知る人ぞ知るというか国中の大体の人間が、ハーラルは兄であるイーリオと、聖女シャルロッタを奪い合った結果ふられてしまったと知られている。
それだけに早く結婚をと重臣達も言い出し難かったのだが、誰にも何も言わず、唐突にハーラルは妻を娶ると宣言したのであった。
しかもその相手が何処かの姫などではなく、臣下の一人でありイーリオの幼馴染でもあるアネッテ・ヴァトネだったのだから、尚の事周囲は驚いた。
これには長い話があるのだが、それはまた別の機会があれば語る事もあるだろう――。
では、このゴート帝国に侵略したヘクニアはどうなったかと言えば――大戦後、王も戦死、騎士団も何もかも壊滅したとあって、国は数ヶ月で滅亡。
だが国政の大半を仕切っていた黒母教の大司祭イルデブラントが、ここで妙な求心力を持つ事となる。
彼は侵攻そのものに加担しなかったのもあり、信者やオグールの民の拠り所となっていったのだ。
結果、彼の元に集まった人々をまとめあげて旧国を再興し、オグール公国と国名を戻して黒母教と共に生きながらえていくのであった。
勿論、国土はその大半を元の国々に返還し、それどころか元のオグール公国時代の版図すら多くを失い小国と成り果てるのだが、それでもしぶとくこの国は残っていく事になる。
またヘクサニアに従っていた十三使徒の生き残り、エドガー&サイモンはこの後も生き延び、悪党として西の地に渡っていったというが、その後二人がどうなったのかはここでは語るまい。
では、オグール公国から最も版図を奪ったのはどこかといえば、それはメルヴィグ王国と同じかそれ以上に彼の国によって被害を被った、ジェジェン首長国であった。
ジェジェンはアールパード大首長が長らくこれを治めていたが、古傷が悪化し位を息子の一人、ミハイロに譲る事になる。
ミハイロは若き大首長となった当初こそ、見た目通りの穏健な治め方をするのだが、幼い頃より波乱すぎる人生を歩んできたせいか、成長するにつれ苛烈な性格となっていく。
だが、時代が彼を不幸な道には進ませなかった。
彼を支える氏族らも過激な一派が戦で減ったのもあり、今やジェジェンは穏健派が主流となっていたのだ。
穏健派の氏族長らは、何事にも激しやすい大首長を諌めつつも暖かく見守り、結果として彼は穏やかなまま、人生の大半を過ごしていく事になる。
ただその一方で、宣言通り大首長の座を継がなかったもう一人の息子、ジョルト・ジャルマトはといえば――。
彼はやはり自分で言った通り、諸国を渡り歩く自由人となった――のかと思いきや、何とそれは一年足らずで中止となるのである。
何故なら彼は、義弟のミハイロや友人 (?)のハーラルらの進めもあって、小国の太守となってしまうのだ。
それはゴート帝国の国境に設けられた緩衝地帯の場所。
セルヴィスタンという国だった。
一体全体どうしてそうなったのかと言えば、それは彼が結婚し、子を設けたからである。
妻となった女性の産後の肥立ちが思わしくなく、療養のためにこの地に居着いていたのだが、それが何というかジョルトなだけに、色々な面倒事に関わったり解決したりする内に気付けば顔役となり、やがて首長格となり、引くに引けなくなってしまったのであった。
結果、彼は当初の夢を全く叶えられず、セルヴィスタン大公に封じられたのである。
尚、この国は夫婦による二頭統治制であり、出産から回復し、ジョルトと共に国を支えたのが、他ならぬレレケであった。
この夫婦の名は、ジョルト大公、レナーテ女大公として千年の後にも残っていく事になる。
ところで――
ここまでを語り、気付いた者もいるかもしれない。
今述べたほとんどの人間は、大戦の際に獣王十騎士と後に呼ばれる事になった一〇人である事に。
どうして彼らがそう呼ばれたのか。
それは彼らが大戦を生き残り、その全員が国の統治者――獣の王となったからである。
最後の最後まで英雄イーリオの傍らで共に戦ったドグが、どうして十騎士に名前を連ねていなかったのかは、そういう理由であった。
それはアルタートゥム達も同じくである。
何せ神の騎士や魂の融合による復活など、正史に記すとしてもあまりに荒唐無稽すぎて書くに書けない。彼らは一切の記録を残さず、伝説としてのみ、その名前だけが語り継がれていく事となっていった。
ただそれを、ドグや彼女らが望んだかは分からない。
しかし名もなき英雄、人々の記憶と伝説に語られる〝もう一人の〟獣王の騎士として、ドグの名は後の世にまで語り継がれたのは、紛れもない事実であった。
何もない、何も持たない――イーリオ以上に才能もなかった元盗賊の少年が、最後は世界を救った英雄となったのだから、運命とは神々ですら分からないものなのだろう。
ところでアルタートゥム達はその痕跡も残さず消え去ったのだが、それは装竜騎神やエポス達も同じで、それどころかイーリオ達にしても同様だった。
エール神、オプス女神――つまり異世界人や異世界にまつわるありとあらゆる神秘的な超科学やそれにまつわるものは、戦争終結と共に悉く消されてしまっていたのである。
今はもう、あれほどの力を持った存在は、この世界の何処にもいない。
つまりあの時までが、人と人造生物、そして人獣の騎士が輝いた、最後の黄金時代であったのかもしれない。
またエール教教会からイーリオに贈られた霊獣王の称号は、イーリオが変換する旨を教会に申し入れ、教会側も快くそれを受諾した。
これには教会の政治的思惑もあったが、むしろそれはそれで良かったのかもしれない。
同時に、銀月獣士団も自然と解散している。
そして最後になるが、イーリオとディザイロウ、そしてシャルロッタはといえば――。




