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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
最終部 最終章「銀月の狼と人獣の王たち」
737/743

最終部 最終章 最終話(2)『冬銀月』

 力の限界。


 これに加え、心にも動揺を与え、限界を早める。


 そうすればいくら不屈で不撓のイーリオでも、脆く崩れ易くなるのは自明の理。


 この瀬戸際の状況でのヘルの言葉は、まさにそのための奸計だった。

 カンヘルという未だ最強最大の武力を持っていながら、それでも姑息な弄言を使う事を、ヘルは卑怯とは思わない。それどころか、それこそが〝黒騎士〟である自分の証でもあると思っていた。


 戦う事に喜びを見出す自分がいる。だがその戦いとは、全知全能を用いるもの。

 誇りだの正々堂々だのなど子供の戯言よりくだらない。持てる知恵は悪意であろうとも使い切る。


 それこそが黒騎士の戦い方なのだ。


 今告げた真実が思惑通りに届けば、武力だけではなく知恵と心においても、イーリオ達は敗北を喫する事になるだろう。


 己の信じていたものの真実――。


 おそらく残されたアルタートゥムに、それは本当かとイーリオは尋ねるはずだ。

 返ってくる言葉は一つ。本当だ――そう返すしかない。何故ならそれは、真実だから。


 その結果、イーリオらの心は間違いなく崩れる。少なくとも、揺らぐのは確実だ。


 そうなればもう勝敗は決したも同然だと、ヘルは薄笑いを浮かべていた。


 イーリオもドグもレレケもシャルロッタも、黙したままで一言も発しなていない。

 とても――長い沈黙に思えた。

 実はほんの数秒程度の空白であったのに、それほどに長く感じられた。


「そんな事は知っている」


 静けさを破るように放たれた言葉は、反発で吠えるものでも狼狽えて震えるものでもなかった。

 むしろ平静そのものといった声色だった。


「勘違いしてるのはお前だよ、ヘル。エール神が全部の元凶なんて――とっくに知っている」

「何……?」

「エール神と会った時、レレケが全部見抜いているよ、そんな事」


 人狼越しではあれど、僅かな気の揺らぎも、たじろぐ変化もない。正真正銘平然としていた。



 イーリオ達が天の山(ヒミンビョルグ)に乗って宇宙に行き、星の城(ステルンボルグ)に入城した時の事だ。

 ディザイロウ復活の後、「エポス達の目論見を打ち砕いてきてくれ」と告げたエール神に、レレケが尋ねたのだ。「最後に一つだけ」と。

 これは物語の中でも、はっきりと記されている。


 彼女はそれまでに得た知見と借り受けた知識を己の思考で整理し、一つの結論を導いていた。


 そもそもエール神も魂の庭園を行おうとしていた。

 そして鎧獣(ガルー)とは、L.E.C.T.(レクト)という悪環境下でも活動出来るように造られたものであり、どう考えてもその時点で、魂の容れ物という機能と役割は組み込まれていたはずである。

 となると、そもそもの大崩壊を齎したのは、エール神ではなかろうか。

 それに、無数にあるという並行世界の中、この世界だけでそんな地球規模の大災害が都合よく起きるものなのか。他の多層世界でも起きているのなら別だが、エールもアルタートゥムも、そういう話し方ではなかった。

 そこから考えて導き出される答えは一つ。

 崩壊そのものが、超科学によって人為的に引き起こされたものであり、それをしたのがエールではないか――という事。


 その問いに、エールはその通りだと答えたのだ。


 だからイーリオ達は、この事を既に知っていた。


 知っていて尚、彼らはエール神やアルタートゥムを信じるという結論に至ったのだ。



「何故だ。何故これを知っていながら、エールやアルタートゥムに与する! 奴らこそ真の大罪者! 紛う事なき諸悪の根源なのだぞ」


 思いもよらない反応に、ヘルが声を荒げた。


 まさかそんなはずはない。


 自分達が信じていた至高神こそが、実は最初の破滅を引き起こしたはじまりで、それが敵側と変わらないのなら、どうしてそんな神を信じられると言うのか。


 予想外であったし、むしろヘルの方が揺らいでいる。動揺している。


「聞いた時は驚いた。でも、エール神はそれを悔いて僕らに手を貸すと言ったんだ」

「そんな浮薄な言葉を信じたというのか! そもそも奴らは、異世界側の法律が変わったから方針を変えただけの尻軽なのだぞ。また異世界側の都合が変われば、今度は前以上の崩壊を起こさんとも限らんではないか。もう一度世界を思うがままにするために! だから俺は世界を守るためにも、この世界を魂の庭園にしようと言っているのだ! 分からんのか。ここが奴らにとっても魂の移住先なら、奴らも無闇な行動は起こさなくなるのだぞ。しかもその主導権をこちらの世界にいて長くこの世界と共に生きてきたこの俺が握るのだ。下手な介入も起こさせはせん。この俺こそが、この世界を守る守護者なのだ! この世界を奴ら異世界人から守る希望なのだ。なのに貴様らは、同じ世界の住人である俺よりも、別の世界のあんな者達を信じるというのか!」

「ああ。エール神は介入をやめると言っている。こちらの世界との道を、完全に閉ざすと。だから僕に、星の城(ステルンボルグ)を破壊する事も許可したし、天の山(ヒミンビョルグ)を犠牲にする事も許してくれた」

「何の根拠もないそんな言葉を、信じるのか!」

「根拠なら、ある」


 イーリオ=ディザイロウが、レレケ=レンアームの方を向いてあれを出せますか、と告げる。

 彼が頼んだのはレレケではなくロッテにだった。ロッテはイーリオが何を言わんとしているか察知し、「分かった」と応じた。


 唐突でありながら実に自然な流れで、カンヘルとディザイロウ達の間の空間に、半透明の窓が広がった。

 空間投影ディスプレイである。


「何だ……」


 映像には、森が映っていた。


 広い森林。


 どこかは分からぬが、このニフィルヘム大陸の何処かだろう。


 やがて森からどんどん視界が一箇所に縮まり、一匹の獣を写した。


 それは、背中に青色の筋が入ったシカ。

 ツノの形はスイギュウのものに似ている。足元に毛があり、口吻は短い。

 何というシカなのか。見た事のない種類だった。


「これが何だ」

「そのシカは、この世界にしか存在しない」

「は……?」

「だから万獣の庭園は勿論、諸獣目録にも載っていない。それどころか、星の城(ステルンボルグ)のデータベースにも、そんなシカは存在していない」


 イーリオが言った後、空中ディズプレイが消えた。


「何が言いたい」

「分からないか? 全ての生物を管理し、全ての生物を制御してきたはずの神之眼(プロヴィデンス)星の城(ステルンボルグ)をもってしても、生命はその制御下を飛び越えてしまうんだ。どれほど完璧で完全とも思えるような叡智と技術があっても、生き物はそれすら掻い潜って、進化をみせる。乗り越えて見せるんだ」

「予想外の突然変異のようなものだろう。それが何だというのだ。それのどこに、エールを信じるに足る証があるというのだ」

「エール神はこう言った。――どれだけ神のような力を振るっても、生命は必ずそれを超えてくる。命を、魂を思うがままにする事など、文字通りの驕りであったのだ。エール神などと自らを嘯いている内に、我々は目が曇っていたのだろう。この青いシカはその証だ。これを見付けた時、我々はこの世界への干渉を中止する事を決定した――」

「何を言っている……。こんな突然変異のシカ一匹の映像のどこに、信じられる要素があるのだ!」

「お前には分からないのか。生命や生き物を見て、その力強さに心打たれる思いが! その思いを感じられたら、そこに偽りなんてない事が! 万の言葉より生命の強さにこそ、その何億倍もの説得力があるんだ!」

「分かるものか。分かるはずもない! いや、俺の言葉こそ何故分からない! イーリオよ、俺のイーリオよ、分かるだろう? 分かってくれるはずだ、なあ?!」

「お前の言いたい事なら分かる。その上で僕の言葉が分からないなら、お前はやはりオリヴィア様の言った通り、ただの無知な愚か者だよ、ヘル・エポス」


 武や知恵だけではない。


 この時イーリオは初めて、心でもヘルを凌駕した。


 黒騎士と出会ってから、何度も勇気を挫かれ、希望を踏み躙られ、強さを弄ばれてきたイーリオが、初めてこの男の全てを、真っ向から跳ね返した瞬間だった。


「ザマぁねえな、真っ黒ヘボザコ野郎」


 ドグ=ジルニードルが、大剣を担いで笑う。


「馬鹿弟子にまで言い負かされるなんざ、もうおめえは終わりだよ」

「ちょっと、師匠……ん? 今のはドグ?」

「どっちでもいいだろ。同意見って事だよ、同意見。それじゃあこの長ぇ戦いにも、幕引きといこうぜ、相棒」


 サーベルタイガーの騎士が、大剣を前に突き出す。


 イーリオ=ディザイロウは、それに己の剣を合わせた。



 相棒――。



 これもドグとカイゼルンの同意見なら、これほど嬉しい言葉はなかった。何よりそれは、奇跡のような瞬間でもあった。


 六代目カイゼルンが、七代目カイゼルンを相棒と認めたのだから。


 そして歴史上一度たりともなかった、二人のカイゼルンの共闘も。


「僕にはもう、霊輝花(ハイリガーブルーメ)の力はない。でも、お前を倒せる力がないとは言っていない」


 イーリオが力強く言い放つ。

 その覇気に打たれてか、ヘルの駆る人竜が、この日初めてたじろぐ姿を見せた。


 彼我の体格差は子供と大人以上もあるというのに、白銀と黄金に輝く人狼騎士に、漆黒の人竜が警戒するように構えを取らされている。


 レレケ=レンアームが術式を展開。

 周囲の障壁シールドを更に強化した。

 だが同時に、背中から嫌な電子音。耳障りなそれを聞いた時、思わずレレケは背中を振り向いていた。


「振り返るな!」


 だが――ロッテからの叱咤の声。


「ボク様は何のために最後までいる。お前に使われるためだ。お前の道具となるためだ。だから躊躇うな! 振り向くな! お前はただ、あの二人だけを見ろ!」

「――はい!」


 涙声で、レレケが応える。


 シャルロッタも、祈る。ただ、祈る。

 二人を信じて、二騎の獣を信じて。

 彼女は祈った。


 ディザイロウが腰だめに構えをとった。

 ジルニードルも胸を逸らして構える。


「最後だ」


 イーリの声を受け、人竜も剣を構えさせられる(・・・・・・・)

 長く深い息を吐くヘル=カンヘル。

 竜の息吹は、まるで深甚たる神秘の風のよう。


 ここにきてヘルから滲み出ていた怯みは、余す所なく消え失せていた。

 腹を括った、とでも言うべきか。

 さっきまでの狼狽に浸された怯懦はない。神の力に昂る驕慢さもない。


 ただ一振りの剣――。

 純粋無欠の騎士に、彼は戻っていた。



 三獣王・黒騎士に。



 最後の――九年前から続く因縁の最後の決着の時。

 倒す術はあるとイーリオは言ったが、ヘルがその前に言ったように、霊神融合(コーザリア)で得た力はもう残り僅か。おそらく勝機はたった一度だけ。

 やり直しは効かない。それで全てが決まる。

 ドグとて同じだ。いつ強制解除になり、再び冥界へ戻されるか分からない。


 それでも二人に、後悔も恐れもなかった。


 イーリオが告げる。


 声には出さず、思念通話でもなく、けれども心の声で、思いを通じ合った〝相棒〟なら、もう言葉はいらないと分かっているから。


 ――僕が戦えるのは、この一度だけ。


 ――上等じゃねえか。一度もあれば充分だ。


 ――そうだね。その、ドグ……それに師匠……。ありがとう。


 ――けっ、しんみりした事言ってんじゃねえよ。てめえは七代目のカイゼルンなんだ。堂々としていろ。


 ――うん。


 ――そんで、勝つのが当たり前なんだ。百獣王カイゼルンは無敵無敗。お前は七代目なんだからよ。


 ――……うん!




 狼の目と虎の目で、声にならぬ心の声で、言葉を交わし合う二人。


 それが最後のはじまりだった。


 二騎が同時に、左右へ動く。

 左に霊狼(スピリットウルフ)

 右に大剣牙虎(マカイロドゥス)


 直後に、ドグが吠えた。


「忘れてねえな! 俺様の言った事!」

「はい!」


 ――起点となるのは雷動閃(ブリッツゲヴィッター)

 いつかの日に、カイゼルン・ベルはイーリオにそう言った。

 足の動き、踏ん張り、腰のバネ。だがそこに、獣としての感覚を入れる。回転の動きを。それはヴァン流の回天闘(ソリドロートロ)

 だがそれだけでは駄目だ。完全なまでに騎士の剣で、比類なきほどに獣の牙と爪を持ち、しかし己すらも欺くかのような人の知恵と技巧をこの一瞬に全て解き放つ――。


 それこそが、六代目百獣王カイゼルン・ベルの編み出した究極の武技。



 〝百獣剣(アレス・ティア)〟。



 ディザイロウ、ジルニードル。


 この時二騎が、同時に同じ獣王合技アンミッションストゥンを放った。


 目に見える合図などない。何を出すかなども言っていない。

 けれども二人は、この二騎は、完全な阿吽の呼吸で、同じ技を放った。


 前代未聞。

 おそらく歴史上かつてなく、今後も二度と起きないであろう、百獣剣(アレス・ティア)の同時発動。


 目にも止まらぬ全反射攻撃(オールカウンター)に、ヘル=カンヘルは己の持つ最高の武術と最大の力で迎え打つ。

 しかもそこには、この世の全てを斬り裂くと言われる万物両断ヴェルト・シュナイデンに、爪を巨大化させる黒死無双ニグレ・エァルケーニヒ、そしてそのいずれかに、虚無の次元剣、黙示録(アポカリプス)を乗せて。


 擦れば互いに致死。


 しかし当てねば相手は倒れない。

 けれども当てるには、こちらも敵の攻撃に身を晒さねばならない。


 まさに退くか退かぬかの生死の攻防。


 二つの究極技に、竜の神の力で呑み込もうとするヘル=カンヘル。


 この時、勝敗を決めたのは、ほんの僅かな動きの揺らぎ。

 武の極地にいる者同士にしか分からない、針の穴のような一瞬。

 多層次元の剣を、ドグ=ジルニードルが彼ならではの勘で――盗賊時代から築き上げた野生で――嗅ぎとる。


 己の目の前。巨大爪の剣襖。

 そこに亜空間が潜んでいる事に。


 この激しくも一瞬の攻防で、ジルニードルは僅かに体軸をずらし、竜の剣を躱そうとした。


 それが、綻び。


 この機を見逃す、黒騎士ではない。


 乱れとは言えぬ、そんなものですらない動きのぶれ。


 そこに差し込まれた、人竜の光。暗黒の力。



 破壊光線・極帝破光(シリウス)



 あまりの桁違いの技や能力の数々に、装竜騎神(ドラケニュート)の標準的な殲滅武装の存在感が薄れていた。それをここで放つ、ヘルの類稀なる戦闘の才。

 回避不能の極限の機。

 異能を出す暇すらない。何故ならそれこそが、竜を得た黒騎士の真価だから。

 元々の武術の才能は当然ながら、最も己に適合するよう創られたのがこのカンヘルなのだ。

 だからオプス女神も、自身の母体に他のエポスではなくヘルを選んだのである。


 黒い光が、大剣牙虎(マカイロドゥス)の騎士を呑み込んだ。

 姿が消える。あのカイゼルンが、あのドグが。


 が――


 そんなはずはなかった。


 黒の光で消されたと思ったそれは、幻。


 威力や持続時間に違いはあれど、強者であっても免れ得ない瞬きの夢。


 ヴィングトールで見せた、幻像の粒子。



 輝化(スプレンデス)



 直撃したと思ったジルニードルは、既に虚像。本体はすり抜け、反転する形で次の技を放とうとしている。


 ところがそれを、ヘルは見抜いていた。

 極帝破光(シリウス)はむしろ囮。放った反動で反転したジルニードルに体を強制的に向き直させる。つまりディザイロウとジルニードル、二騎と正面から向き合う形だ。


「何度も同じ手を喰うかっ」


 猛る黒騎士。

 例え如何なる異能を刃に込めても、多層世界を斬り裂く〝黙示録(アポカリプス)〟の前には全てが無力。

 天の山(ヒミンビョルグ)と融合して得た〝冬の力〟とやらがなければ、防御とて無意味。

 確かあれは三つあるとイーリオは言っていた。二つは既に使い切っている。つまり最後にもう一つあるという事。おそらくそれが奴の必勝の一手。ならば回避不能の攻撃を畳み掛ければ、その手を出さざるを得なくなるはず。ましてやそれが、己の相棒を守るためなら。


 だからヘル=カンヘルの狙いはこの時、ディザイロウではなくジルニードルであり――シャルロッタだった。


 攻撃の軸を巧みに誘導し、直線上の先にシャルロッタを入れていた。


 彼女を守るためになら、イーリオは必ず力を使う。

 だがそれすらも、実は囮。シャルロッタを狙ったように見せかけて――実の狙いはジルニードル。


 おそらくシャルロッタが狙われるのはイーリオも読んでいる。そのための対策がないはずがない。

 ならばそれすらも囮にし、ヘルはジルニードルを標的にした。先ほどかけた攻撃はその伏線。同じ位置に向かわせたのも計算の内。

 躱される前提で、シャルロッタを射程に入れた攻撃を放つカンヘル。



神力獣理術(ゴッターシュパイエン)――〝虚像幻影身ファルシュ・ドッペルゲンガー〟」



 神すら欺く最高術士の幻術。

 シャルロッタの姿は虚像。以前にも似たような状況があった。まさにそれを再現させてみせる。

 亜空の剣が異世界に(いざな)ったのは、削り取られた大地だけ。


 ここでレレケ=レンアームの背から、爆発音。

 術式の過剰発動で、ロッテがオーバーヒートを起こしたのだ。


「ロッテ様!」

「……――……」


 返事はなかった。

 つまり、今までのような術はもう出せないという事。この場の障壁も破れてしまう。


 ならば――!


 レレケはロッテの補助なしに、巨大な力を制御しようとした。持てる限りの力で。

 レンアームの纏う鎧に――霊授器(アルーデル)に亀裂が入る。徐々に砕ける。それでも彼女は、術を止めなかった。


 読み通りに、カンヘルは再度技を放とうとするジルニードルに向けて剣を振り下ろした。竜の異能を走らせた剣。けれども神ではなく、騎士の剣。無双無比の剣。


 全てはヘルの計算通り。


 千年の武の集積、ここに極まれり。


 イーリオは相棒を助けようと、動きを変えるはず。それこそが勝利に至る一手。


 ところが。


 相棒を助けるために動くはずのディザイロウが――動きを変えなかった。

 いや、出していた百獣剣(アレス・ティア)は中断している。技を途中で制止したのだ。

 それはつまり――


 ――最高の武技を囮にした?


 竜の耳に、声が届いた。



「〝天地をヒンメル・ウンド・エールデ喰らう(・フェアシュリンゲン)〟」



 光を纏った髑髏ではなく、闇のような漆黒のサーベルタイガーの髑髏が、ここで放たれる。


 剣だと思わせた。技だと思わせていた。

 しかしドグカイゼルンはこの土壇場で、己の持つ最強最大の獣能(フィーツァー)で、決めにかかったのである。


 ――愚かな!


 内心でヘルは笑った。勝利に笑った。

 ジルニードルの亜空間へ飛ばす牙は、カンヘルの〝黙示録(アポカリプス)〟の下位互換。これが易々と防がれたのを、もう忘れたと見える。


 カイゼルンらしくない失態。いや、この極限中の極限だからこそ、そんな失態が起こるのだろう。

 黒い髑髏を認識したと同時に、ヘル=カンヘルも〝黙示録(アポカリプス)〟を竜喰らいの王(サウロファガナクス)の口から放っていた。

 これは剣でなくとも出せるのだ。ただし斬撃に乗せた方が当て易いし周りも巻き込めるから剣から出していただけの事。

 果たしてイーリオが最後の力を出して、カイゼルンを助けようとするのが早いか。それともカイゼルンが亜空間に消えるのが先か。

 どちらにせよ、イーリオ達は完全に詰んだ――かに思えたその時、



「〝反転(ウムケールン)〟」



 ドグの声、黒い髑髏の発動とほぼ同時に近い。


 そしてその髑髏が――


 髑髏の黒が――


 まるで乾燥した表皮が風でめくれあがっていくように、黒色が薄皮一枚で剥がれていく。


 中からあらわれたのは、純白の髑髏。


 光でもあるが、むしろそれは白。

 髑髏が雪よりも透明な、輝く白に変わっていた。


 ――!


 だがそれがどうした?!

 第二獣能(デュオ・フィーツァー)の応用技など、今更出してどうなる?


 多層次元の断層は、純白のサーベルタイガーの髑髏ごと、全てを彼方へ消し去ろうとした。




「〝滅びを喰らうフェアファル・フェアシュリンゲン〟」




 白の牙が、黒の断裂に牙をたてた。

 その瞬間、亜空間の断裂が雲散霧消していく。


 目を剥くヘル。そのまま白の髑髏は、カンヘルの左肩に喰らいついた。


 ――何ィ?!


 信じられなかった。

 まさか黙示録(アポカリプス)がイーリオの手によってではなく、こんなカイゼルンの出来損ないに破られてしまうなど――。


 だがここで諦めるヘルではない。牙をその身に受けながら、それでも異能を使い、全てを迎撃しようとする。


 ところが――力がでない。


 獣能(フィーツァー)を出そうとしても、竜は何も反応しないのだ。


「一体いつ、ディザイロウだけがてめえ用の力を持っていると言った?」


 ドグの声。


霊神融合(コーザリア)で得た一度きりの力だ。てめえの多層次元を操る力、黒の力の全てを封じるのが、この俺様の最終獣能(エンデ・フィーツァー)滅びを喰らうフェアファル・フェアシュリンゲン〟――だ」


 カンヘルの力を一度だけ、ほんの少しの間だけ、完全に封じ込める浄化の牙。


 ディザイロウとは別の、もう一騎の破滅の竜撃滅用の異能。

 それが、ジルニードルの最後の力。


 全てはこの時のため。


 獣王合技アンミッションストゥン獣能(フィーツァー)も共闘も、この力の存在を気取られぬようにするための布石。


 ドグとカイゼルンが魂の融合を受け、現生に戻ってきた本当の理由。

 それが、たった一度の、この瞬間を作るため。


 既にジルニードルからは、白煙が漏れ始めている。

 力の全てを、使い切っていた。


 だが――彼に作戦などない。

 イーリオにもない。レレケにもない。


 しかし彼らは何も言わずとも、全てを相棒達に委ね、相棒達に合わせ、相棒達を信じて動いていた。


 シャルロッタが祈っている。

 皆が祈っている。

 その想いを受け止め。


 繋ぐ力などなくとも、白銀の人狼騎士への願いは、届いている。


 この戦いに終止符を――。


 大陸中の思いが、願いが、祈りが、目に見えぬ力となってディザイロウの剣に宿っていた。



 振り下ろされた刃――ディザイロウが剣を突き立てている。



 人竜の頭部に、破邪の剣を。



 力を出そうと、体を動かそうと必死で踠く人竜。

 しかし特別な力など何も発動しない。残されているのはただ竜の肉体のみ。


 頭部からの剣を引き抜きざま、竜の額にあった竜の結石(ドラコナイト)を砕くディザイロウ。

 蜻蛉返りをうち、とどめの一撃を放とうとする。


「貴様なぞに――!」


 そこへカンヘルの猛反撃。至近からの凄まじい攻撃。


 血飛沫が飛ぶ。

 鎧が――ディザイロウの霊授器(アルーデル)が砕かれる。

 だがイーリオは怯まない。


 黒騎士は激怒していた、激怒しながら、無我だった。ただ本能のままに、剣を出した。

 異能が使えぬなどどうでもいい。そんなものがなくとも、俺はヘル・エポス。俺は神。俺は無敵無敗の黒騎士なのだ。

 ただそれだけが、ヘルの脳裏を占めていた。


 目の宿るのは殺意のみ。純粋な闘争本能に混ざって、イーリオへの偏愛と執心が、直後の動きを読み取らせる。

 イーリオならば、ここで己の最強の剣を出してくるはずだ、と。

 こんな瞬間こそ、最も重要な場でこそ、イーリオは己の持っている最大最強の力を振るってきた。ならばそれは今のはず。


 人狼の体の動き。目線。全てがヘルの読み通り。

 間違いない。オプスを倒したあの技だ。


 〝破裂の極星ベアスエンダー・ポラリス〟を、空中で放とうとしている。


 この最後の最後で、武人としての差が、明暗を分けた。

 千年の研鑽と九年の練磨。どちらに軍配が上がるかは自明の理。


 そう。


 年月ではないのだ。

 読み切った方でもない。

 相手への感情に捉われず、ただあるがままの動きに身を委ねたのがどちらだったか。


 本能のまま、ただ突き動かされるがまま。

 イーリオ=ディザイロウは剣を振るった。


 己の編み出した絶技ではない。


 自身がはじめて覚え、最も得意としたあの技。


 黒母教の寺院で黒騎士と戦った際に放ったあの技。




 レーヴェン流・蜃気楼斬ルフトシュピーゲルング




 運命を分けた閃光の瞬間。

 ディザイロウの剣が――カンヘルの胸を貫いていた。


 ガフッ


 大量に吐血する人竜。だがまだ倒れない。敗北には至ってない。

 白の髑髏が、消えかかっている。このままでは、カンヘルの闇の力が戻ってしまう。



「三つ目の――最後の――〝銀月の冬(フィンブルヴェトル)〟」



 蒼く輝く人狼の幾何学模様。

 剣を突き刺したまま、イーリオが告げる。万感の思いを込めて。




「〝狼の冬(ウールヴヴェトル)〟」




 ディザイロウの背後に出現した、巨大な――カンヘルよりも巨大な白銀の狼。

 幻想の雪を纏う、終わりの獣。


「お前も異世界も、全てを彼方へ消し去る――これが最後の、剣だ」


 吹雪が巻き起こった。

 空に翳りはないのに、曇天など出ていないのに、そこに吹雪があった。

 吹雪の先に、黒く覗く空洞。


 光よりも早く、白銀の巨狼がカンヘルの喉笛に咬みつく。


 人竜は動けない。


 吹雪を感じたその瞬間から、竜の刻限(とき)のみが凍結されたかのように、微動だに出来なくなっていた。


 まるで確定した現実を行使するように、巨狼は竜を咥えたまま、吹雪の先へと消えていく。

 ヘル=カンヘルの胸に、ディザイロウの剣を突き刺したまま――。


 何か、声が聞こえたような気がした。


 それはおそらく、ヘルの最後の言葉だったのだろう。だがそれはもう、届かない。

 世界の何処にも、何処の世界にも、永劫に届く事はない。


 声も残せず。

 断末魔すら聞かせる事もなく。


 その存在を全てを否定して、狼は消え去った。


 竜と共に。


 やがて、吹雪が消えた。

 戦場から、神も、神にまつわる全ても消えた――。

 その只中で佇む人狼。


蒸解(ディゲスティオン)


 鎧化(ガルアン)を解くイーリオ。

 同じ声が、目の前でもあった。


 金色の髪になったドグと、彼の最後の半身、ジルニードル。


 まるで砂上の楼閣のように、粒子となって体を消滅させていくドグとジルニードル。

 魂の融合と復活の代償は、ジルニードルにも犠牲を強いたのだ。だがそれはこのつがいにとって、不幸な事ではなかったのかもしれない。


「じゃあな、馬鹿弟子――俺様の相棒」

「うん」


 何とも締まりのない別れだった。あまりにも普通で、飾らない言葉だった。


「まあ何だ、今度こそ本当に、俺様ともこれっきりだ。……後は上手く生きろよ。俺様の事なんざ、忘れてな」

「忘れないよ。ドグの事も、師匠の事も」

「けっ――どこまでも言う通りにしねえ野郎だ。だから馬鹿弟子ってんだよ」


 それが当然かのように、屈託のない笑顔を浮かべるドグ。



 忘れるものか。


 忘れるはずがない。


 死んだって覚えているよ。



 だって君は僕の、最高の英雄(ともだち)なんだから。



 言葉にせず、口には出さず、イーリオは胸に強く刻んだ。

 泣いているのだろう。別れが寂しいのだろう。

 けれども胸を張って真っ直ぐに前を向ける。どれだけ頬が濡れていても。


「じゃあな、相棒」


 ドグとジルニードルが、光となって消えていった。


 黒騎士同様、何も残さず。


 けれども全てを残して。




 こちらへ近寄ってくる、声。


 レレケ。


 シャルロッタ。


 そして沢山の友人、仲間達。


 ディザイロウが、鼻先をイーリオの手に当てて促す。


 ほら、と。


 イーリオは手を振った。

 それがこの戦いの、本当の終幕となった。

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