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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
最終部 最終章「銀月の狼と人獣の王たち」
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最終部 最終章 最終話(1)『原罪』

 天が裂け、大地が砕ける。


 大気はそれそのものが激しい衝撃を広がらせるだけの天幕となり、如何なる強者であろうとも立ち入る事を許されない禁足地へと、彼らの戦場を模様替えさせていた。


 この戦いこそが真の終局。

 今までの終末戦争(ラグナロク)のような激しかった大戦争すらも、全てこのためだけにあったかのような凄絶さ。


 だがそれでもこれは――騎士対騎士の戦いである事に変わりはないのだ。


 にも関わらず、これに比肩し得る戦いなど考えられないほどの、荘厳さすらあった。


 この戦いの目撃者となれた者は、ある意味この上なく幸福なのかもしれなかった。同時に、かつてないほどの恐怖も感じていただろう。

 気付けば戦いを見ている誰の目からも、知らず知らずの内に涙が零れていた。

 何に心が震えているのか。泣いている誰も、己の心の情動が分からない。どうして涙が溢れるのか。怖しいのか、それとも昂っているのか。


 一つだけ確かなのは、この決戦こそ神話の最後であるという事。


 凄まじすぎる闘争であるにも関わらず、これで周囲に被害が出ていないのは、ひとえにレレケ=レンアームと補助となっているロッテの術式のお陰である。彼女らが障壁を張り巡らせていなければ、四方一帯全てがとっくの昔に更地になっていただろう。


 その戦いの主役。



 イーリオ=ディザイロウ――霊狼(スピリットウルフ)



 ドグカイゼルン=ジルニードル――大剣牙虎(マカイロドゥス)



 そして、



 ヘル=カンヘル――竜喰らいの王(サウロファガナクス)



 狼と、虎と、竜。



 人狼の剣は、全てが極技。

 動きは獣合技(ミッション)で、獣王合技アンミッションストゥンすら織り込んでいる。最早究極奥義級の技ですら、通常の攻撃となっていた。


 同じく人虎も、全てが絶技。

 神の騎士たるドグと神の騎士の子であり人類の到達点であるカイゼルン。

 その両者が一人の人間となった彼の戦いは、イーリオ=ディザイロウと同じかそれ以上。

 いや、騎士としての単純な戦闘力なら、イーリオをも上回っていただろう。


 だが人竜はこの両騎を相手に、一歩もひけをとっていない。それどころか押しているようにさえ見える。


 いや待て。

 ヘルは一度カイゼルンと相打ちになったではないか。しかもその戦いの勝敗というなら負けに等しかったと聞く。単にヘルが蘇ったから彼が勝ちとなっただけであったと。

 ならばイーリオと共闘している今、二人を相手に互角になるのは怪訝(おか)しいではないか。

 カイゼルンがドグと融合しているから、彼が弱体化したとでもいうのか?


 無論、そうではなかった。


 イーリオがかつてないほどに戦闘力を高めているように、ヘルもまた、能力の全てが更に高みへと至っていたのだ。


 戦いながら成長している――。


 そういった側面もあるだろう。

 だがそれ以上に、ヘルとカンヘルとの相互作用が、黒豹の鎧獣(ガルー)・レラジェの時のそれを遥かに上回っていたのである。


 つまりは戦いの化学反応であり、相性の良さの顕在化とも言えるだろう。


 イーリオにとって今のディザイロウこそが離れられぬ半身であるように、ヘルにとってのカンヘルも、彼が最も実力を出し、更にそれを高めてくれる武装であり我が身そのものなのだ。

 しかもカンヘルは、黒騎士レラジェの時に使っていた様々な異能も発動出来る。それを織り混ぜるだけでなく、ディザイロウから奪った力で飛竜(ワイバーン)の群れを出現させて撹乱させたり、多頭の首長竜を自在に召喚したり、挙句イーリオらの攻撃はシエルの盾で悉く防いでしまうのだ。


 読めない上に手数は数多。

 攻撃の組み合わせは無限かと思えるほどで、その上防御は絶対。


 かといってそこに気を取られてばかりだと、今度は多層世界で斬り裂く次元の刃〝黙示録(アポカリプス)〟が襲ってくる。


 互いに油断や隙などあるはずもないのに、むしろヘル=カンヘルの攻撃が多彩ゆえ、均衡が崩れるのは時間の問題だと思われた。



「〝覚醒鳳凰(グリンカムビ)――エアレ〟!」



 ディザイロウの腕から炎の鳥が噴き出る。

 直後、人狼の拳が大地を割った。

 いや、大地を盆のようにして掴み、持ち上げた。


 カンヘルは回避するも、無数に湧き出ていた飛竜(ワイバーン)や首長竜らは全て、叩かれた虫のようになって裏返しにされた大地ごと沈められてしまう。


 史上最大の怪力――〝翠牛王〟エアレの可能性の力。



「〝覚醒鳳凰(グリンカムビ)――ウルヴァン〟!」



 今度は人狼の体毛から、炎の鳥が噴き出た。

 炎は再び一瞬で消えるが、体毛が細かな粒子として放出されていた。

 それは大地の底へ呑み込まれていく生成竜らへ纏わりつき、それらの体を穿ち砕いていく。


 神の騎獣と呼ばれる原始麒麟――〝麒麟帝〟セリム=ウルヴァンの神秘の未来。



 十騎士達の〝可能性〟を形にし、神へと抗う力とするディザイロウ。

 演算で見えるあらゆる可能性ならば、それは全てディザイロウによって現実となる。

 まさに未来を無限と捉える力。即ち、多層世界そのものを表した異能と言えるかもしれない。


 だがそんな力を目の当たりにしても、ヘル=カンヘルは動じない。

 そこへ今度はドグが、細胞創造で剣陣を突き刺しながら、サーベルタイガーの髑髏も複数召喚。

 牙の全てにプログラム細胞死が組み込まれた、死に至る()撃である。

 しかもこれら全てを撹乱にして、己で直接斬りつけようともしている二段構え。


 カンヘルが生み出した竜の群れ全てが、ディザイロウによって消された直後だ。阻むものは何もなければ回避以外に道はなく、回避の動きもドグカイゼルンが読んでいる。


 しかし、剣閃数撃。


 目にも止まらぬなど、最早陳腐な形容と化してしまう連続剣で、亜空間の裂け目を生み出し、髑髏の大半を消滅させた。

 しかもそこには、レラジェの時に使った万物を呑み込む黒い塊。

 〝万物支配ヴェルト・ヘルシャフト〟も出現させている。

 これは亜音速で飛来する暗黒の牙である。


 ジルニードルからすれば躱すのは容易いが、その先で待ち構えているのはドグカイゼルンの読みの更に上を読んだ人竜の騎神。

 チェスのように追い込まれてしまうサーベルタイガー。

 だがこれに対し、亜空間へ送り込む髑髏〝天地をヒンメル・ウンド・エールデ喰らう(・フェアシュリンゲン)〟で迎撃。

 カイゼルン・ベルとしての戦闘経験がヘルを上回ったように思えたのだが――


 カンヘルと黒いサーベルタイガーの髑髏の間に、光の障壁が広がる。


 霊的効力における最大防御壁が、亜空の牙を完全遮断。


 聖女シエル由来の盾である。


 人竜を呑み込むどころか、擦り傷一つ負わせる事も叶わない。


 結果、ジルニードルだけでなくディザイロウも、痛み分けのようにカンヘルから距離を取らざるを得なかった。



 対峙する二騎と一騎。


 やはりここでも、実力は拮抗しているのか――と思いきや。


 ディザイロウの左肩、ジルニードルの右膝から下が、爆発したように血飛沫をあげて弾け飛んだ。


「なっ――!」


 驚いたのは周囲の者ら。

 身体を欠損した両騎は、むしろこうなったのが当然のように、平然としていた。

 すかさず、レレケが術式を放って二騎の回復と鎧部分の再生を行っていた。


「チッ」


 舌打ちはドグカイゼルンから。

 イーリオも、いつどの瞬間に被撃したのかは分かっている。それでいながら躱せなかったのだ。


 ドグ、そしてカイゼルンと組んでも、実力は向こうの方が勝っているという事か。


 その最大の要因は、なんと言っても――


「ったく、てめえとシャーリーの力が邪魔なんだよ。ウザすぎだ。まんまと力を奪われやがって……ったくよぉ」

「今更そんな事言われても……」

「間抜けだ、っつってんだよ。――で、分かったか?」


 だらしない佇まいだったドグ=ジルニードルだったが、僅かに空気が変わる。


「はい。胸の中央、鳩尾みぞおちの部分です。そこから発動の信号シグナルが出ています」

「どれくらいだ?」

「一秒もないでしょう。普通であれば、不可能です」

「ヘッ――普通であればか。おめえも言うようになったな、馬鹿弟子」

「そりゃ、師匠の弟子ですから」

「馬鹿、おめえはまだ勘違いしてんのか。おめえが弟子なもんかよ」

「え?」

「ただの弟子じゃねえ。おめえは俺様の一番弟子だ、馬鹿ッたれ」


 六代目のカイゼルン・ベルには多数の弟子があった。

 教えた人間の数はかなりにのぼるが、一番弟子だと認めた人間はただの一人もいなかった。生前、イーリオを後継に指名したが、それでも最後まで、彼を一番弟子だとは言わなかった。

 ドグと魂を融合させているとはいえ、それでもこの言葉に心震えぬはずはない。

 イーリオの胸に様々な思いが去来するのは、当然であろう。


「感動に浸ってんじゃねえぞ。お話の時間は終わりだ。――レレケも聞いてたな? おめえにも手伝ってもらうぜ? いけるか?」


 ――ええ。準備は出来てます。


 思念通話の声。

 人狼と人虎が、互いに目で頷き交わした。二騎が身構える。


 ヘル=カンヘルに隙はない。

 これほどの巨体なのに、動きも敏捷さも感知も何もかもが、この世のあらゆる存在の中で最も鋭敏。まさに全てが完全な存在だった。


 だが完全になるためには、それなりの代償が必要になる。


 それこそが、完全に生じた不完全。完全であるが故の、綻び。



「〝覚醒鳳凰(グリンカムビ)――ヴァナルガンド〟!」



 ディザイロウが駆ける。

 最速の騎士、クリスティオのヴァナルガンド・アンブラが乗り移った、可能性の速度。


 それは一筋の光の速さとなる。

 だが生物の認識を超えた速度域の中であるにも関わらず、人竜はこれを正確に補足。ディザイロウが駆け抜けた際の抜き打ちざまの斬撃を、過たず迎撃。寸分の狂いなく叩き落とした。

 かに見えたが、それは囮。

 イーリオの影に隠れて、ジルニードルが躍り出た。


「芸がない!」


 ヘルが吐き捨てた。

 サーベルタイガーの刃を――レーヴェン流の隠武(ファシュテイク)を――容易に回避。そこへ次元断裂を込めた剣。


 振り上げたその瞬間――



 ドクン



 カンヘルの全身を、何かが駆け巡った。

 時間が――動きが――周囲の景色が――緩慢に流れ出す。


 これは、脳内麻薬……なのか?


 いわゆるセカンドウインドやランナーズハイと呼ばれる状態になっているのか。戦いに多幸感を覚えた故なのか――だがやはり違和感の方が大きかった。

 周囲の時間も遅くなっているように感じられるが、どこかヘルの意識と肉体が分離しているような、ままならなさの方が強かったからだ。


 ――!


 そこで気付く、人竜である己の足元。

 踵の部分、または足の先にと、小さな光がまとわりついている事に。


 それは幼獣。

 光を放つ仔ライオンが、人竜の足に噛み付いていたのだ。


 無論、そんなものなど怪我ですらない。そもそも噛み付かれた事にすら気付けないほどだったのだから。


 けれどもただの幼獣でない事ぐらいは、一目で分かる。

 こんな事をするのは――こんな得体の知れないものを放つのは――。



神力獣理術(ゴッターシュパイエン)――〝獅子天使の聖毒レーヴェンエンゲル・ギフト〟」



 レレケ=レンアームの術式。

 感知の網を掻い潜れるほどに儚げで小さく、戦いの場に似つかわしくないからこそ誰にも気付かれない術。

 カンヘルが払い除けようとするが、腕も足も言う事を効かない。

 まるで己の全身が麻痺をしているような感覚。


 が、周りもゆっくりとなっているため、即座に何かが起きるわけではないと感じる。


 しかしそこへ、ディザイロウの姿。

 何故だか人狼の動きも遅く感じたが、それでも他よりは数段速い。


 ――何をしようというのか。俺を倒そうとでもいうのか。貴様の剣も動きも、笑えるほどに見えているというのに。


 意識だけが早くなった今、どのような攻撃でも容易に弾き返せると思えた。ところが、やはりカンヘルの腕は言う事を効かない。自身の意思ははっきりしてるのに、人竜の肉体のみが置いてけぼりを喰らった恰好だった。


 レンアームの創造術式・〝獅子天使の聖毒レーヴェンエンゲル・ギフトとは、相手の鎧獣騎士(ガルーリッター)の肉体を一時的に麻痺状態にさせるというもの。

 ところがカンヘルの場合、あらゆる術に対する耐性が強いため完全な麻痺には至らず、意識だけが戦闘中の高速化された状態で残されてしまったのだ。


 むしろ強靭だからこそ起こった、予期せぬ不確定事態イレギュラー


 だが耐性があればこそ、麻痺の効果時間はほんの一、二秒あるかないか。

 ほぼないに等しい時間だった。


 けれどもその奇跡の間こそが、この時のイーリオにとって最も必要で、黄金よりも価値のある空白の時だった。



 ディザイロウが牙を剥く。


 ――まさか。


 人竜の胴体に、人狼による咬撃(ビィーデ)


 剣でも技でもなく、この千載一遇の好機に、まさか獣騎術(シュヴィンゲン)の初歩中の初歩。


 しかし嘲笑いたくとも、ヘルには笑えない。体が、指一本たりとも思い通りに動かせないからだ。

 めり込む牙。まさか破壊神たる竜が咬みつかれるなど、思いもよらぬ事態であったろう。


 が、次の瞬間、一瞬で麻痺の感覚が消え失せる。意識が、肉体と同期する。


 直後、カンヘルは咬み付いていたディザイロウを引き剥がし、ジルニードルにも牽制の刃を振るう。


「何の真似だ、今のは」


 ディザイロウもジルニードルも、吹き飛ばされた時に傷は負ったものの、大したものではない。それよりも、ここで咬撃(ビィーデ)など、一体何の狙いがあっての事なのか。

 そのイーリオに向かって、後方から叫ぶ声。


「どうだ?!」


 レンアームの背後で翼の機械となっている、ロッテだ。


「はい!」

「よし! 権限を委譲すると命令しろ!」

「はい。権限の半分を、ロッテに委譲します!」


 レンアームの背後で、四枚の飛行補助装置フライトユニットが激しく明滅する。

 そして――


「何……だ……?」


 人竜の体に、異変が起き始めていた。

 今度は麻痺ではない。もうライオンの幼獣も消し飛ばしている。

 だがヘルにとっては、明らかに何かが怪訝(おか)しかった。


「力が……抜けていく……? いや、抑え込まれて……いる?」

「黒騎士ヘル、お前が奪ったディザイロウの力とシエルの力を、封印した」

「……何だと? 何を……何をした?!」

「ヘル、貴方の次元竜神(カンヘル)は完全だった。完全で究極で完璧だった。だがいくらカンヘルが完全であっても、貴方自身は完全じゃない。貴方が不完全であるが故、その完全に綻びが生じたんだ」

「不完全……? 何を言っている」

「貴方はカンヘルを完全な存在にするため、僕の力とシエルを吸収した。けれども本来これらの力は同居出来るものじゃない。それを無理矢理、カンヘルという器に入れたんだ。だから無理が生じた。貴方も気付いてなかっただろう。ほんの僅かな一瞬だけど、力を使おうとする際、発動の兆しがあらわれてしまう。シエルの力がその一瞬だけ剥き出しになるんだ。力を取り込みすぎた事への弊害だ。言ってしまえば、それはシエルが僕達に残してくれた竜を討つための道標みちしるべ。僕はそこに、ディザイロウの牙でくさびを打ち込んだんだ」


 剥き出し――即ち、セキュリティフリーになっているという事。

 ほんの一瞬だが、竜の持つ〝力〟に影響を及ぼす事が可能な瞬間が、生まれていたという事。


「楔……?」

「ディザイロウの三つの力とシエルの力を僕の側の星の城(ステルンボルグ)に紐付けし、発動自体に制限をかけた。それが楔だ。お前が奪ったのは元々ディザイロウのものだから、難しい事じゃない。そして最終権限を僕とロッテ様の二人に分けた」

「……!」


 確かに――何かに蓋がされたようにカンヘルにあったはずのディザイロウの三つの力とシエルの力が恐ろしく弱まっている。言うなれば、枯れかけた井戸のような感覚だ。


 つまり今のカンヘルは、カンヘルだけの力しか残っていないという事。


「あの一瞬……あの刹那すらない一瞬で、この俺にここまでの事を仕掛けるとは……。まさに今のディザイロウは、我が次元竜神(カンヘル)に対抗するためだけの獣というわけだ」


 ヘルの見立ては正しい。

 天の山(ヒミンビョルグ)星の城(ステルンボルグ)も、この戦いや装竜騎神(ドラケニュート)をずっと観測している。その上で対抗手段を創造し、その最適化された力を、ディザイロウに宿したのだ。


「だがそれは貴様の持つその剣のように、諸刃の刃であろう。分かっているぞ。今ので貴様は、大部分の力を消耗してしまったのだという事を。カイゼルンの出来損ないも、疲弊度合いはかなりだろう。そっちは力が尽きれば魂ごと消滅する、だろう? 貴様らは己が存在を削りながら己自身を犠牲にして、俺を削った。だが、その代償も当然ながら大きい」


 これもその通りだった。


 ディザイロウが可能性の力〝覚醒鳳凰(グリンカムビ)〟を使えるのはもう数える程。ジルニードルとて、どれくらい保つのか。


「それに後ろの鎧獣術士(ガルーヘクス)よ。お前の術が切れるのも時間の問題だ」


 レレケが思わず、背面の飛行補助装置フライトユニットに意識を向けた。機械であるため、息切れもないし血も流さない。けれども様子が変わっている事に、彼女も気付く。


「ボク様の事は心配するな。お前は術に集中しろ」

「でも――」

「さっきも言ったのを忘れたのか。お前こそ、時に誰よりも非情にならねばならんのだ。お前が自ら、その道を選んだんだぞ」


 レレケとロッテの密かな会話。

 急造ではあるものの、どこかでレレケはロッテを己の師のような存在だと感じはじめていた。

 生涯の師であるホーラーとは、また別の意味において。

 けれどもそこにも、終わりが来つつあるというのか。


 神そのものの力まで失ったヘル=カンヘルだったが、それでもやはり焦りはない。

 むしろまだ底の見えない余裕さえ伺える。


「貴様らは二つ、大きな間違いを犯している」


 暗黒の人竜の目が、恐ろしげな輝きを放った。


「一つは今言った、力を削った代償だ。確かに貴様らは、俺が貴様らから奪った力を使えなくする事に成功した。しかし俺にはまだカンヘルの、竜の神(ヤム・ナハル)と黒騎士の力がある。それにだ、ようは貴様らを倒しさえすれば、全ての星の城(ステルンボルグ)の権限も再び俺のものとなるだろうし、そうすれば奪った力も自然と俺に戻ってくる。場合によれば、抑え込んでいる力が切れるのを待つという手もあるだろう。いずれにしても貴様らは、もうこの時点で既に詰んでいるのだ」


 オプス神が騎士(スプリンガー)だった際に戦った時ですら、ディザイロウの〝繋ぐ力〟がなければカンヘルを倒す事は出来なかった。

 だがそれは奪われて、もうない。

 つまりカンヘルを倒す事は事実上不可能だと、ヘルは言っていた。


「それにもう一つ」


 ヘル=カンヘルが、剣を下ろす。


「貴様らは俺やオプスを悪として否定しているが、お前達に協力し力を貸しているエール神も、本当の意味で味方だと言えるのか?」


 この声は、遠くにまで広がるように響いていた。


「知らぬようだから教えてやる。そもそもこの世界に混乱を齎した真の巨悪とは――俺達を悪だと言うのなら――それはエール神であり、その手先であるアルタートゥムだ」


 何を言っているのか。

 連合軍の者達、十騎士らが怪訝に思った。今更何を嘯こうというのか、と。


 だが、この世に魂の隷属を強要させようとしている存在は、〝真実〟をやめない。

 おぞましき、本当の歴史を――。


「全てのはじまり――この世の混乱の何もかもは、古の大崩壊〝煉獄の崩落〟からはじまった。それを引き起こしたのは――即ちこの世界を一度破滅させた元凶は、エール神だ」


 イーリオもドグもレレケも、シャルロッタも――誰も何も言わなかった。表情も変わらない。いや、凍り付いているのか。




 ヘルは語る――。


 この世界にある神話。


 神々の起こした天変地異、煉獄の崩落。


 それは現実に起きた大災害である。


 巨大隕石の衝突――。


 連動して起きたスーパープルーム――。


 地殻の大移動――。


 本来は一つ一つが世界規模の大災害であるのに、それが同時多発的に起きた超規模災害。


 だが問題は、災害の後だった。

 あまりの桁違いの大破壊により、この世界は毒性の高いプルートイオンという粒子で満たされてしまったのである。


 これを浄化するため、エール神達を中心にした異世界側の企業によって、鎧獣(ガルー)という人造生物が、この世界に生み落とされる事となる。


 どうして鎧獣(ガルー)だったのか?


 それはとりもなおさず、大災害により刷新された人類社会に、この人造生物を定着させるため。

 そのためにエール神は、この不自然極まりない人造の生物兵器を、さも自然の営みの中にあるかのように、社会にの中に組み込ませなければならなかった。

 そのための手段の一つが、神之眼(プロヴィデンス)という生体端末。

 これの説明はもう不要だろう

 そしてもう一つ。

 さっきも述べた通り、惑星規模の大破壊により、大気中には毒素であるプルートイオンが充満していた。これを除去するため、エール神はバロメッツという植物を繁殖させる。

 この植物はプルートイオンを吸収して成長するのだ。

 このバロメッツの葉を食べて育つのが、人工的に改造されたカイコの一種アムブローシュ。アムブローシュがバロメッツを食べる事ではじめてプルートイオンの毒素は無毒化される。

 そしてアムブローシュの排泄物を加工して創り出したのがネクタルである。

 それを鎧獣(ガルー)は食料とする。

 いわば、植物が光合成により二酸化炭素を酸素に変える仕組みのようなものである。

 この循環によって世界は徐々に健全となり、鎧獣(ガルー)もまた人類社会の溶け込んでいった。


 何のためにこんな事を?


 決まっている。魂の容れ物である鎧獣(ガルー)を、世界に増やすため。

 鎧獣(ガルー)が増えれば増えるほど、異世界人を受け容れる準備は出来上がっていく。それが狙いだった。


 そして――


 これらの仕組みは、超災害があったから為されたのではない。

 この世界を破壊した超々規模災害もまた、計画の一端。


 つまり、この世界を一度破滅させた存在こそが―― 



 エール神。



 エール・インコーポレイティッド。



 煉獄の崩落は、神話では破滅の竜の仕業とされているが、事実は違う。この世界に破滅を齎したそもそもの元凶は、エール神であり、アルタートゥム達。


 それは後にオプスやエポスらが引き継ぐ事になる、〝魂の庭園〟を実現させるためにだった。

 千年前は、まだエール神ことエール社こそ、魂の庭園の主導者だったのだ。それが異世界側の都合で変わるまでは――。




「分かるか? 貴様らが神と崇め、力を与えてもらっているそのエールこそ、異世界企業のエール・インコーポレイティッドこそ、全てのはじまり、全ての破滅の元凶なのだぞ。俺達エポスではない。むしろ俺達エポスは、歪められたその計画を正しく改め、運用しようとしているにすぎん」


 ヘルが語る内容を完全に理解出来た者は少ない。


 だがイーリオ、ドグ、レレケ、シャルロッタには通じている。


「どうなのだ、イーリオよ。この世界に破壊を齎した神を、貴様らは信じるのか。今の話を聞いても、俺と戦う事が正しいと言うのか」


 突き付けられた真実。


 信じていた存在こそが、巨悪であった事への衝撃。


 この時ヘルは、人竜の中で密かに笑っていた――。

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