最終部 最終章 第一一話(3)『霊神融合』
「神力獣理術――〝異界結界〟」
四体のライオンが宙を飛んで消えると、離れた位置でそれぞれが杭に姿を変えて、大地に打ち付けられる。
その瞬間、ヘル=カンヘルの体に重さが加わった。
反対にイーリオ=ディザイロウ、ドグ=ジルニードルの体には、かつてない力が溢れんばかりに漲ってくるのが分かる。
「味方には強化という祝福を。敵には弱体化という呪いを。この結界の中にいれば、次元竜神に負荷を与える事が出来ます」
強化と弱体――自分たちに有利な戦場を創り出す術。
また、この結界はそれだけでなく、互いの攻撃の余波を防ぐという意味合いもある。
敵味方どちらともにあまりに強大すぎる力を持っているため、通常の攻防だけで辺り一面全てを更地にしてしまいかねない破壊力があった。だがレンアームの生み出したこの空間なら、どれだけ強大な力を振るおうとも被害を最小限に食い止める効果があるのだ。
レレケの創造したこの術に、ロッテは「いい判断だ」と言った。
「炎や氷、雷や地震。そういった超常現象紛いの術も、今のレンアームなら出そうと思えば出せるだろう。まさに大魔導士ばりのな。だが、そんなものを出してどうなる? あのカンヘルを燃やせる炎とは? あれを凍りつかせる冷気とは、どんなものだ? どれだけ魔法のような力でも、通じなければ意味がない。それよりもっと効果的なのは、戦いそのものを制御する事。それこそがイーリオとドグ、あいつらへの最良の助けとなるだろう。瞬時にそれを判断出来るとは、さすがボク様が見込んだだけの事はある」
「ありがとうございます、ロッテ様。――イーリオ君! ドグ君!」
レレケの呼びかけに、二人が吠えた。
「分かってら!」
最初に仕掛けたのはドグ=ジルニードル。
オプスが操っていたカンヘルの時には、手も足も出なかった彼だが、最早人の反射速度を遥か彼方へ置いていったような俊足で竜に肉薄。
手甲と一体化した大剣で斬り付けると、それが衝撃波を生んで人竜の巨体を吹き飛ばす。
同時に、カンヘルの胸に横一文字の血飛沫が舞った。
かなりの深傷。
「光速衝撃波を斬撃に変えただと?」
ヘルが驚きに目を見張る。
音速で生じる衝撃波をソニックブームと言い、その光速版が、光速衝撃波。
超常の人獣であれ、そんなものを発生させるなど不可能なのに、それを実現させた事自体が最早生物の域をとっくに超えている。それどころかその威力をそのまま剣に乗せて斬撃で放つという、信じられぬ攻撃を出したのだ。
さながら、光速衝撃剣とでも言おうか。
そこへ、ジルニードルの背後から飛び上がった、白銀と光の人狼。
対になった刃の双剣が、暴風となって縦横無尽に襲いかかった。
――これは!
こちらは剣閃ではなく腕の振りそのもので光速衝撃波を発生さる連続攻撃。
刃そのものは衝撃波と遅れて届くため、軌道も読めなければ防ぐ事すら不可能。さながら死の光で出来た暴風雨の中に、閉じ込められたかのようである。
こちらの攻撃による傷は浅い。しかし攻撃の回数が夥しいため、人竜は全身に数え切れない傷を負わされてしまう。漆黒の巨体から、とめどない血飛沫が噴き出した。
神そのものとも言えるあの人竜の魔神を相手に、二騎は互角以上に渡り合っていた。
ならばこのまま一気に決着をとばかりに、ディザイロウとジルニードルが更に攻撃を畳み掛けようとする。
しかし――
瞬きもないほんの一瞬で、竜の全身に出来た全ての傷が綺麗になくなっていた。それどころか、黒い巨体を濡らした己の血の痕すらも消え去っている。まるで今の攻撃全てが、なかった事にされたように。
神速の超回復――いや超再生か。
今度はカンヘルが刃を一閃、これを何なく躱す二騎だが、斬撃の軌跡は空間そのものに切断痕を覗かせる。
そこから生じるのは、多頭首長竜の首。
黒騎士の異能にカンヘルの超常、そしてディザイロウから奪った神力。
それらを掛け合わせた神の御業。
斬撃を放つたび、恐竜の首が空間の裂け目から顔を出し、それがいくつもの極帝破光を乱射する。一発一発が都市を破壊してしまう威力を持つ重粒子光線。それが横なぐりの雨のように降り注ぐのである。
さしものディザイロウとジルニードルでも、防戦する以外ないのか。
「〝最強の牙――極大〟!」
ドグ=ジルニードルの放つ、高エネルギーで創られたサーベルタイガーの頭骨。
だが、以前とは大きさが段違い。ジルニードルの獣能を、カイゼルンの駆った〝ヴィングトール〟の第二獣能で掛け合わせた有り得べからざる力により、前の数倍は巨大になったサーベルタイガーの髑髏。それが空間を斬り裂き、竜を呑み込む牙となる。
空間の裂け目から襲おうとした多頭の首長竜の大多数が、一瞬にして咬み消されていった。
だが、それで終わりであるはずがない。
残った首の周りに、闇の蓮沼が広がっていた。
中心にいるのは、漆黒の人竜カンヘル。
「〝黙示録・黒霊睡蓮〟」
沼の水面から上に向かって、暗黒の花粉が舞っている。触れるだけで次元の狭間に送り込まれる、防御不可能の破滅の結界。
更に沼からは、多頭の首長竜が、いくつも顔を出してこちらを睨んでいた。
距離を取って戦おうとすれば、首長竜の破壊光線に暗黒の花粉も飛んでくる。近付いても亜空間の花粉。仮にそれを突破出来ても、最強騎士による虚無の刃。しかも防御面では聖女の盾。
全方位全角度で隙がない。
あのオリヴィアでさえ結局これを完全には破れなかったのだ。イーリオとドグは、果たしてどうするのか――。
その時、思念通話を使ってイーリオはある人物に語りかけていた。
――ハーラル、今からほんの少しの間、僕を信じて、僕の力になってくれないかな。
歴代三獣王の一騎と戦っている最中の、ハーラル=ティンガルボーグにである。
イーリオが説明する。
ほんの数秒、自分に意識を向けて欲しいと。
数秒というのが鎧獣騎士の戦いにおいてどれだけ致命的なのかは説明するまでもないだろう。だが、駆けつけていた配下の騎士や他の十騎士らに合図を送り、ハーラルはそれに応じる。
――ありがとう。
イーリオは何をしたいのか。いや、何をしようというのか。
ハーラルがイーリオに尋ねると、説明が返ってくる。
――これは、僕もアルタートゥムの人から教わった事なんだけど……君のティンガルボーグは、千年前に破滅の竜と戦った〝原初の三騎〟の一騎〝罰の虎〟の系譜に連なる鎧獣なんだ。
――何……?
――だから僕のディザイロウとは、相性がいいんだよ。同じ原初の三騎の系譜だからね。恐らくだけど、ゴート帝国がザイロウとティンガルを帝家鎧獣にしたのも、そこに関係があるんだと思う。話を戻すけど、今さっき僕は、ディザイロウとティンガルボーグを紐付けして、ティンガルボーグの神之眼を読み取らせてもらったんだ。ディザイロウが霊神融合の力を引き出すためには、他の鎧獣の情報を認証鍵にする必要があるんだよ。
説明を聞いても、ハーラルには何が何やら分からない。
つまるところ、ディザイロウの力を引き出すために、ティンガルボーグの〝情報〟を利用させてもらったんだとイーリオが告げるも「はあ」としか返せない。
――まあ、説明するより、見れば分かってくれると思う。
暗黒の人竜・次元竜神に向けて身構えるディザイロウ。
「ヘル、お前の暗黒の力の全てを、僕が斬り裂く」
せせら笑うヘル=カンヘル。
「イーリオよ、お前が手に入れたこの世の頂点の力。それを我がものとしたこの破滅の竜に、どうやって対抗しようというのだ? 星の城すら、今や俺のものとなったというのに」
「さっき、オリヴィア様がお前を無知だと言ったけど――その通りだな」
「……何?」
対になった双剣――ウルフガンドを翳すディザイロウ。一本角が青白く発光する。
「これが天の山の力。霊神融合による、ディザイロウの獣能だ」
人狼の頭部にある一本角の冠が輝き、そこから蒼い炎が噴き出した。
それはかつてのディザイロウの、どれとも異なる蒼炎。
「認証――完了」
炎の形が変わる。孔雀のような鳥の形をした炎に。
――全神之眼のアクセス権限解除。霊粒子パワーゲイン拡張。WOS機能全解放。
イーリオの脳裏に次々と言葉が浮かぶ。その意味も、ディザイロウを纏っている今なら分かる。
やがて炎は火吹きのように吐き出されたかと思うと、一瞬で消え去っていった。
そして――
「――超力解放」
今度はディザイロウの背中から、鳥の形をした蒼炎が息吹のように吐き出されたかと思ったが、それは再び一瞬で消え去る。
あの鳥が、天の山の力なのか。
ディザイロウの目が、輝いた。
「〝覚醒鳳凰〟!」
号令と共に、背中から再び炎の鳥が出現。
いや、それは一瞬で炎の質感を持った、四本の腕になる。
「あれは……余の……!」
遠くで目にしたハーラルが、驚きに目を見張る。
そう。
それはティンガルボーグの獣能〝修羅死王〟と瓜二つだったからだ。
「ローディング完了――〝ティンガルボーグ〟」
言葉と同時に四本の腕から巨大な死神鎌が出現。
竜との体格差などまるで無視した巨大な刃は、カンヘルの周囲に展開する暗黒の沼に向けて斜めに斬撃を放った。
それは紛れもなく、変化する異能・修羅死王の一つ〝死霊〟だった。
かつてゴート帝国の帝都がヘクサニア教国軍の侵略を受けた際、ティンガルボーグがこれを放って大軍を薙ぎ払っている。
確かに威力もその範囲も凄まじい。非常に強力な能力だ。
しかしこれで、亜空間を操り万物を消し飛ばす暗黒の沼や、多頭の首長竜を倒せるとは思えない。
当然ながらヘルも同じように思ったのだろう。「何のつもりだ?」と嘲笑を浮かべて防御すらしなかった。
ところが――
斬撃終わりと共に、首長竜の首が沼に落ちていく。
それどころか、沼の水面までもが真っ二つに裂かれているではないか。
「何っ?!」
驚きも待たないで、今度は人竜の腕から鮮血が噴き出した。
黒の表皮に、赤い血。
攻撃されたヘル=カンヘルは勿論、味方のハーラルや他の騎士達も呆気に取られていた。
「この距離じゃあ、薄皮一枚斬った程度か」
残念そうに一人ごちるイーリオに、ドグがやれやれと返した。
「欲張りすぎっつうか考えて使えってんだ。活能はおめえに教えた獣騎術四法の基礎だぞ、基礎。七代目カイゼルンを名乗るんなら、間抜けな戦い方してんじゃねえ」
「師匠の教えは嫌でも覚えてますよ。でも今のは仕方ないでしょ。僕だって霊神融合・ディザイロウははじめてなんですから」
「でももけどもねえんだよ。ヤロウがぶーたれてんじゃねえ。〝カイゼルン〟を継いだんなら、はじめての力でも使いこなせっつうんだ。俺様みてえによ」
言うや否や、今度はドグ=ジルニードルが片腕を無造作に動かし、そこから巨大なサーベルタイガーの髑髏を放った。
髑髏は過たずに首長竜を咬み千切り、残った黒霊睡蓮も含めた全ての暗黒が、これで消え去った事になった。
「いや、自分みたいにって……師匠の半分はドグなんでしょ? じゃあドグがジルニードルを使ってるのと同じじゃないですか……」
「グダグダとうっせえなぁ」
師匠なのか相棒なのか。
イーリオ自身、話していると奇妙な感覚に捉われてしまう。だがそれは、嫌な感情ではなかった。
が、そんな事よりも人竜である。
神の騎士の頂点。あの古獣覇王牙団の団長オリヴィアと彼女の駆るイオルムガンドですら、完全には攻略の出来なかったこの暗黒の沼が、これほど容易く破られるとは。
そもそも、それを為したディザイロウのあの力は何だ――?
たかが他の鎧獣騎士の異能を使えたとて、それでどうして破滅の竜――装竜騎神の力を破れるのか。
「今のは一体……何をした?」
疑問の声に、人狼はそちらへ目を向ける。
「貴方は無知だ。そう言いましたよね」
「……どういう意味だ」
「ディザイロウが融合したのは天の山。この天の山には、星の城にアクセスするための独自回線がある」
「何……?」
今のイーリオは、レレケがロッテの補助を受ける事で知識を借り受けしている状態になっているように、コーザリア・ディザイロウを纏うだけで、同じく未来的な知識を一時的に理解している状態になっていた。
だから本来は分かるはずもないネットワークなどの言葉も、違和感なく口に出せているのだ。
「僕はそれを使い、貴方が掌握した星の城を、一部ではありますが貴方から奪い返した。それがまず一つ」
「つまり、俺の支配権限となった星の城を、一部だけお前が奪還したというのか」
「ええ、そうです。これは如何なる権限よりも上位に存在する、不可侵のネットワークです。それを使い、星の城が管理している全ての神之眼のデータを、ディザイロウの制御下に置いた。だからディザイロウは今や理論上、あらゆる鎧獣騎士の力や性能を、その身に宿す事が出来る。演算上では、過去現在未来全ての力を」
神之眼とは、鎧獣の体に露出してある宝石状の結石の事である。
だがその正体はただの結石などではない。異世界人らが散布したナノマシンで出来た結晶のようなもので、その目的はこの世界の生物を管理するための端末機器なのだ。
これにより全生命体のデータは全て星の城に集積されるため、星の城を制御下に置いているという事は、この世のあらゆる生き物、何よりも鎧獣騎士の情報を管理しているというのに等しかった。
だがそれを聞いても疑問はまるで拭えない。
まず全ての鎧獣騎士のデータを閲覧できたからといって、どうしてディザイロウがそれを発現出来るのか。それこそが霊神融合によるもの――なのは想像がつく答えだ。だがヘルにとってはそれも正直どうでもよかった。
それよりも疑問なのは、
「いくら幾百幾千の鎧獣騎士の力全てを用いても、このカンヘルの力が破られる事などあり得ん」
という事だ。
傲慢でも過信でもなく、事実そうなのだ。
それほどに桁も何もかもが違う存在なのが、装竜騎神であり竜の神であるはずなのに。
けれども有象無象と言える凡百――少なくともヘル=カンヘルにとっては――の力で、神の力たるカンヘルの多層世界の力を斬り裂けたのは、理解不能というより納得が出来なかった。
「あらゆる鎧獣騎士の力――過去現在未来全ての力、と言ったよね」
イーリオが告げる。
「過去も、現在も――未来も、だ。未来といっても本当の意味での時間を超えた未来じゃない。そうなるであろう可能性。それが潜在的に持っている、行き着くかもしれない先の姿」
「何……だと……」
「僕はこの獣能〝覚醒鳳凰〟を発動するにあたって最初にティンガルボーグの力を選んだ。それは罰の虎の系譜になるティンガルボーグなら、神にも届く牙に成り得る可能性があったから。つまりそうなるかもしれない可能性があるならば、それすらも具現化するのが、この力」
今現在だけでなく実際にそうなる未来でも、その異能が究極にまで達しておらずとも良い。内在的にそうなる伸び代があれば、それはディザイロウによって具現化される。
そんな無茶苦茶な――と言ってしまいそうになる。
だが千年以上もの間、あらゆる生命体からデータを収集し、解析し、それを蓄積した星の城なら、生命の可能性すらも導き出せるだろう。何より、神之眼から蓄積されたあらゆるデータさえあれば、鎧獣騎士にどういう可能性があるかも見通せる。
それがコーザリア・ディザイロウの異能。
〝覚醒鳳凰〟。
未来を刃に変える力。
可能性を剣にする力。
ならば――
とばかりに、ヘルの闘気が膨れ上がった。
己の力が破られたというのに、むしろ己への抵抗に、戦える事そのものに、悦びさえ見出しているようだ。
「神の騎士から得た最後の力、生命の可能性の力か……。成る程、己の得た最高位の力すら凌駕するに相応しいというわけだ。だが、星の城を奪い返したというのは、いささか大袈裟な言い回しのようだな」
ヘル=カンヘルが剣を持っていない方の腕を頭上に掲げた。
「三つ以上の獣能を持っているのは、それだけ容量を持つ存在でもあるという事だ。だが、このカンヘルに今あるのは、それだけではない。レラジェの能力。己以外の装竜の能力。己固有の能力。そしてディザイロウの三つの力に聖女の力。異能の数だけでも比類なき存在なのは、言うまでもなかろう。それにもう一つ重要な事がある。お前達はこのカンヘルの力を全て見たと思っているだろうが、俺がカンヘルの手の内を全て見せたなど、言った覚えはない」
掲げた腕に力が籠る。
何か――
何か分からぬが、空気が震えるような気がした。
大気に変化が起きていた。
厚い雲に覆われていた空が、雲ごと天空全体で震えていた。
「俺は俺の事を神と言った。それは比喩ではない。傲慢でもない。その証を、目にするがいい」
雲が――その黒雲が動いていた。
雲は急速に回転し、撹拌されて巨大な渦を描く。
「〝煉獄の世界蛇〟」
光の柱が、落ちた。
一瞬。
瞬きもない一瞬。
眩さが網膜を焼き、何が起きたのか理解する間もなく、激しい爆発が全てを焼き尽くした。
暴風と炎と衝撃波が、あらゆるものを消し飛ばす。
爆発音が鼓膜を貫いたのは、その後の事。爆発に巻き込まれたのではなく、余波を浴びただけで、体が消し飛ぶ。遠巻きにいても、吹き飛ばされぬようにするだけで精一杯。
やがて目を開けた時に見えていたのは、地上から生えた、巨大な半球状の雲だった。
敵も味方も呆然となる。
突如起きた、凄まじすぎる爆発。
王都郊外の一部が、完全に消滅していたからだ。
「天に浮かぶ七二基の軌道衛星リング。そこから放つ、宇宙空間からの重・重力子放射線」
爆発を背景に、人竜の神が告げる。
「それがこの世を呑み込む崩落の蛇〝煉獄の世界蛇〟。真の意味での、天からの雷霆。神の裁きそのものだ」




