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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
最終部 最終章「銀月の狼と人獣の王たち」
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最終部 最終章 第一〇話(3)『絆』

「聖女様をわざと捕まえさせる?」


 ヘル=カンヘルがシャルロッタを呑み込む前。

 つまり敵の目を盗んでの中――。


 話し合われる、イーリオとディザイロウの救出作戦。


 その方法がないか、レレケと背部ユニットに魂を移したロッテ、それにシャルロッタが知恵を借りるため、ブランドに説明をした時の事――。

 話を聞かされ、連合軍の仮面の軍師――今は鎧獣騎士(ガルーリッター)なので仮面は分からないが――ブランドは我が耳を疑った。


「そうだ。ボク様とレレケが連携して術を練り、それを事前にシエルに付与しておく。シエルも形だけの抵抗は必要だろうが、あくまで形だけ。呑み込まれてもすぐに吸収されぬよう、術によって庇護膜を施し、それの維持に全力を傾けてもらう」

「まさか……竜の内側からイーリオ様とディザイロウを助け出すとでも……」

「さすが察しがいいな。その通りだ。だからわざとシャルロッタに注意を向くようこちらから仕向け、これが罠だと気付かれぬように、こちらの全員で連携を取る必要がある。そして軍師であるお前には、それを実行する策を考えてもらいたい。そういう話だ」


 だが、仮に上手く体内へ入っていけたとして、そして吸収されぬようにしたとしても、それはどういう状態で何をどうするのか。

 原理というか、情報が不充分であるのとそうでないのとでは、対処は大きく変わるだろう。

 そもそも、自分達とはかけ離れた神の領域とも呼べる超科学の攻防に、ただの人間であるブランドが口出し出来る余地などあるのか。

 ブランドが尋ねたそれらの当然の疑問に、ロッテが答える。


「シエルの術に上乗せする形で、ボク様の補助バックアップを受けたレンアームも術を出す」


 レンアームはシャルロッタが吸収されないように保護皮膜と擬態の術を。

 シエル自身はイーリオとディザイロウを見付け、救い出す術をそれぞれに発動させると言った。


「そしてイーリオとディザイロウを確保後、シャルロッタらを〝異物〟化させる」

「異物化?」

「吸収が不可能なものとしてカンヘルに認識させるんだ。そうすれば異物の侵入による反作用が起こり、更にそれをこちらから増幅させる事で、強引に体外排出を促せるはずだ。――ただ、それでもおそらく足りないだろう」

「と言うと?」

「物理的に排出を促す必要があるという事だ。衝撃のようなもので吐き出させるというか――」

「つまり……赤子が呑み込んだものを吐き出させるのに似ている――そんなところでしょうか?」

「ああ。そうだ。だが、実際に衝撃を与えるような方法は難しい。衝撃と言葉にするのは簡単だが、そもそもどの程度の加減ならシャルロッタらを吐き出せられるのか分からないし、例えばこちらが与える威力を間違えれば、中にいるシャルロッタらにまで被害を及ぼしてしまう可能性もある。だから強引に吐き出させると言っても、攻撃などの衝撃を与える方法ではなく、何か別の手段で外部から吐き出させるような方法を考えねばならんという事だが――」


 例えるなら、手を触れずに箱の中身を取り出して欲しい――。


 そんな手品紛いの方法を要求されているという事だ。


 言わんとしている事は理解したが、この状況でのそれは無理難題に近い。

 だが、ロッテは分かっている。

 無理難題を解くのに必要なのは、知識や技術ではなく、閃きの如き人の知恵であると。そしてレレケも認めるブランドの頭脳は、既にその答えを見出そうとしていた。


「聖女様が吸収されないように術を行う、と仰いましたよね。その術が奴に気付かれる心配はないんですか?」

「術そのものに擬態をかける。不可知、不可視の術も同時並行して行うという事だな。レンアームならそれも可能だ」

「成る程……。では、それを他にも施すのは可能ですか?」

「追加でか? ああ、ボク様が術を拡張・強化するから可能だろう。何か考えがあるのか?」


 一秒か二秒、獣の顔で考えを巡らせ、ブランドは答える。


「イーリオ様とディザイロウの確保までの段取りは分かりました。その前に仕込みます。アルタートゥムのニーナ様、あの方の獣能(フィーツァー)に協力してもらいましょう」

「続けろ」

「あの方の〝糸〟――単分子ワイヤーと言いましたか――異世界の技術ですよね。あれを物理的に切断するのはほぼ不可能だとも聞いてます。それを事前に、聖女様の体に巻きつけておきます。そしてそのワイヤーを、先ほどお話された術で、ヘル・エポスに認識されぬようにします」

「それはつまり、ワイヤーを使ってシャルロッタを引っ張り出すという事か」

「はい。ニーナ様と共闘されたセリム陛下から、あの単分子ワイヤーはニーナ様の意思で切断する対象を切り替えられると聞いています。セリム陛下はそれを使って、水辺の角獅虎(サルクス)の大軍を殲滅させたと。衝撃で吐き出させるのが無理なら、引っ張り出す、いえ釣り上げるというわけです」


 シャルロッタとそれを外から引っ張り出す役目。この両者を誤ってワイヤーで切断されぬようにしてもらえば、それは竜でさえも噛み千切る事が不可能な〝糸〟となる。それを使ってイーリオ達を引っ張り上げるというのが、ブランドの考えだった。


 ブランドの案に、ロッテはしばし考えを巡らせるように沈黙した。


「単分子ワイヤーなら、不可知化さえすればあの竜の神(ヤム・ナハル)であっても、勘付かれる可能性はほぼない……いや、確実に気付かれないだろう。で、引っ張り出すタイミングも、レレケが合図すればこれも可能だ。成る程、単純で強引だが理に適っている」

「この場合引っ張り出すのですから、ヤン殿下のエアレのような、力のある鎧獣騎士(ガルーリッター)が適任になるのでしょうか」

「いや、力はあまり関係ないはずだ。あっても邪魔ではないが、そこはシエルの術の効果もあるから、ある程度の力さえあれば……そうだな、中級以上の鎧獣騎士(ガルーリッター)の腕力があれば引っ張り上げられるだろうな。むしろ力よりも体力の方が重要だと考えられる。持久力と耐久力、この二つが高い騎士こそが、この場合望ましい。何せいつどの瞬間に力を踏ん張るかなど、やってみなければ分からない。だから絶え間なく踏ん張り、しかもワイヤーを握り続ける事の出来る騎士こそ、最も適任だと言える」


 さすがはあのカイ・アレクサンドルが自分の後継にと認めた、連合一の智者であるブランドだと、レレケは感心した。自分では咄嗟にここまでの考えは浮かばない。やはり彼を頼って良かったと。


 だがここで、これには大きな問題があるとそのブランドが言った。ロッテもそうだなと同意する。

 一体何が問題なのかとレレケが問うと、


「問題とは、この引っ張り出す騎士こそ、最も危険な役目だという事です」


 物理的に体内から引っ張り出そうというのだ。

 引っ張る役の立つ位置は、どう考えてもカンヘルの目の前にならざるを得ない。

 そんなもの、どうぞ殺してくださいと言ってるようなものだろう。引っ張り出そうとした瞬間に殺されるのは、目に見えている。


「だから少なくとも二名以上、いや、もっと数がいるかもしれない。一人目が殺されてもすかさず二人目にワイヤーを託し、引っ張り出す。二人目も殺されたら三人目、そして四人目という風にな」


 ようは誰かを犠牲にする事を前提にした救出作戦という事だ。


「そんな……」

「元より、犠牲も出さずに体内に取り込まれたイーリオらを助け出せるはずもない。むしろブランドの策が、一番犠牲が少ないとさえ言えるかもしれん」

「いえ、もっと準備があり時間があれば、より確実で最良の策を出せていたかもしれませんが……今はこれぐらいしか思い浮かばずに申し訳ありません。勿論、その引っ張り出す役目には、私も加わります。いえ、私に一人目の役を任せてください」


 しかしロッテは、それは駄目だと却下した。


「この作戦の指揮、動きを把握して最良の手を打つためには、お前は絶対に最後まで残ってもらわなければならん」

「しかし――オリヴィア様は囮役としてカンヘルと戦わなければなりません。これはオリヴィア様でなければ不可能です。それに黒騎士達の抑えに、ニーナ様も動けません」

「そうだ。レレケも術の使用者としてそれに加える事は出来ない。持久力、耐久力、何よりも心の強さ――勇気という最後の適正を考えれば、お前を除いた各国の王族ら八名に、命を賭けてもらうしかない」


 それは、八名の王や皇帝達が犠牲になる作戦。





 そうして時間は、今この瞬間に戻る――。


 単分子ワイヤーを握り、次元竜神(カンヘル)の前で力を込める人馬騎士のジョルト=アリオン。


 目には見えない不可視の糸を両腕に巻きつけ、例え腕が千切れ飛んでも離さないという決死の覚悟を抱いていた。


 ――誰も犠牲になんかさせねえ。俺一人で、必ずイーリオ、おめえを引っ張り出してやる。


 それがどれだけ無謀で愚かな決意か、それを分からぬジョルトではない。しかし愚者の無謀こそ、時に神の思慮さえ超えた一手になるという事もある。


 そこへ突如、上向けに仰け反っていたヘル=カンヘルの巨体が、弓のしなりを反転させたように、くの字に体を折った。


 確かな手応えが、ジョルト=アリオンの両手に伝わってくる。


 ウマとシマウマの混合種ハイブリット馬斑馬ゾースの中で、ジョルトは脂汗を滲ませていた。





 その一方で――


 竜喰らいの王(サウロファガナクス)装竜騎神(ドラケニュート)、カンヘルの体内に入ったシャルロッタは、視界ではなく術による視覚――鎧獣術士(ガルーヘクス)と同じ環重空間(ウムヴェルト)でイーリオを探っていた。


 何処にいるのか。まだ無事なのか。


 吸収されて――今はどうなっているのか。


 何も分からないだけに不安に圧し潰されそうになるが、彼女は諦めない。

 イーリオとディザイロウを信じて、必死でその姿を探していた。


 半ば意識だけの存在――いわゆる霊体とでも言うべき状態になっていたシャルロッタだが、その霊体の胸には、光が輝いている。



 彼女の首にかけられたそれは、イーリオの母の形見であるペンダント。



 二人が出会うきっかけとなったもの。



 実物そのものはレレケに預けており、これは彼女とレレケの術によって具現化したものである。

 これを目印に、術の紐付け(リンク)を行っているのだ。つまり首飾りこそ、彼女を守る盾でもあるという事。


 やがてシャルロッタの意識体が深い水底の更に奥へと進むような感覚で潜っていくと、霊体化した首飾りに呼応するような瞬きで、薄ぼんやりした灯火を見付けた。

 この見ている景色も現実のものではなく、全て霊的意識の中でのビジョン。だがそれは、時間的、観念的に現実と同期した幻像幻視でもあるのだ。


 全力でそこへ向かうと、そこには肉の壁に体のほとんどを埋もれさせた恰好の、イーリオとディザイロウが意識を失い眠っている。

 発光していたのは、イーリオにも下げられている首飾り。同じものである。


 一つしかないはずの同一の物体が存在しているのは、このイーリオやディザイロウが、シャルロッタと同じ霊体を具象化したものだからだろう。


 ――イーリオ! ディザイロウ!


 声にならぬ声で名を呼ぶも、彼らの目は開かない。反応すらなかった。

 最早手遅れだとでも言うのか。


 最悪の予想が、彼女の思考に翳りをさす。


 そこに語りかける声。


 霊体という曖昧な状態なのに、まるで背後から語りかけられたような感覚。


 振り返ったそこにいたのは、もう一人の自分、シエルだった。

 彼女(シエル)が、彼女(シャルロッタ)に語りかける。


 ――大丈夫。


 そうしてシエルが前に進み出てイーリオ達の前に浮かぶと、両腕を開き、全身から光を放った。


 すると――。


 光に照らされた肉壁は、乾燥した泥のようになってぼろぼろと崩れていくではないか。


 驚くシャルロッタを尻目に、イーリオとディザイロウの体が徐々に露出していく。

 やがて肉壁が全て崩れきると――彼らは解放された。


 おぞましげな戒めから解き放たれた一人と一体を、シャルロッタ、シエルのそれぞれが抱きかかえる。


 ――イーリオ! ディザイロウ!


 声にならぬ声。


 長い長い呪いから解き放たれたように、その声に呼び覚まされた一人と一騎は、うっすらと目を開けた。眠り姫を王子が助けるのではなく、眠り王子を姫が助けたような恰好だった。


 ――僕は……。


 ――助けに来たの、イーリオ。


 ――シャルロッタ……。それに、シエル……。


 目覚めたばかり、しかも全くの意味不明な状況なうえに同じ姿の彼女が二人。にも関わらず迷いもせずに、イーリオはシャルロッタとシエルの二人を、間違える事なく認識した。

 それに少しばかり驚いた表情を浮かべるシエルだが、嬉しさと――ほんの少しばかり寂しげな笑顔を彼に向ける。


 ――時間がないわ。



 そのシエルが告げる言葉に、シャルロッタが頷く。



 ――シャルロッタ、イーリオとディザイロウを抱きしめて。


 ――分かった。



 シエルがディザイロウを離した後、彼女の全身が、先ほどよりもっと強烈な光を放ちはじめた。

 霊体どころか現実の領域まで崩させてしまいそうな、世界にヒビを入れる勢いの光を。



 ――シャルロッタ。



 眩さに目を細めるシャルロッタに、シエルが呼びかける。



 ――何?


 ――イーリオと、ディザイロウを、決して離さないでね。


 ――うん。



 だがシャルロッタは、どことなくシエルの様子に違和感を感じる。



 ――シエル……?


 ――私ね、嬉しかったの。


 ――え?


 ――私は貴女を守るためだけの存在。聖女なんて呼ばれたけど、そんなのは仮初め。ただの空っぽの造りもの、それが私だったもの。


 ――そんな事……!


 ――イーリオも、貴女も、私を認めてくれた。シャルロッタの鎧獣(ガルー)としてではなく、〝私〟として。


 ――……。


 ――私ね、幸せだったわ。だって最後の最後で、私の全部が報われたんだもの。だから後悔はしてないの。


 ――何を……何を言ってるの? ねえ……? 何を。



 シャルロッタもイーリオも、嫌な想像が浮かぶ。ディザイロウも、悲しげに喉を鳴らした。



 ――ありがとう、ディザイロウ。ありがとう、イーリオ。私、世界で一番、幸せだったよ。


 ――だから、何を言ってるの? ねえ、シエル!


 ――シャルロッタ。



 同じ顔の二人が、同じでも違う二人が、非対称な表情を浮かべて、互いの目を見つめる。



 ――私本当はね、貴女の事、嫌いだった。


 ――……。


 ――だって私が大好きな人は、本当は私じゃなく貴女の事を愛しているんだもの。同じ体なのに、同じ人間なのに、どうして私じゃないんだろうって。でもね、今は違う。貴女がいたから、私も幸せになれた。私が挫けそうな時、一番支えてくれたのはイーリオでもディザイロウでも、他の誰でもない。貴女だった。貴女は、私の全部。私そのもの。私が世界で一番嫌いだったけど、それ以上に大好きだった、私の、私。



 おそらく、千年という永い永い歳月の中で、今彼女は最も喜びに溢れた顔をしているのだろう。

 悲しみも苦しも全部抱えた上で微笑む事が出来る、そんな満たされた笑顔を。



 ――私、あなた達に出会えて、シャルロッタといられて、本当に幸せだった。


 ――何をするつもりなの? ねえ、貴女も一緒だから、シエル!


 ――ありがとう。


 ――シエル!


 ――私の事、忘れないでね。



 光が、全身を包み込んだ。

 シャルロッタの、イーリオの、ディザイロウの全身を。


 彼らを救うため、誰かが犠牲にならなければならない。

 それは外のジョルトだけではない。人竜の中にいる内の、誰かもだった。


 その事に気付いた時には、シャルロッタの意識は遠くに飛ばされていった後だった。


 シエルがイーリオ達を逃がそうと最後の力を解き放ったのと同期して――。


 その力が効果を発揮したのか。

 外のヘル=カンヘルが、くの字に折った体を更に苦しげに、深く抱えるように沈ませる。激しさのあまり、止めようとしても止められない嗚咽と、それでも堪えようとする人竜。


 ――今です!


 レレケの思念通信。

 ジョルト=アリオンが両腕に力を入れた。

 手応え、反動。

 まるで巨大な獲物を釣り上げようとした時に似て、激しい抵抗が人馬の腕を持っていこうとする。


 ――抵抗があるのはカンヘルのものだ。それを堪え、ほんの僅かな〝機〟を逃すな!


 ロッテの言葉に心では頷くも、声にはならないジョルト。

 少しでも気を抜けば、腕がバラバラに千切れそうだったからだ。とても声を出せる状態ではない。


「おのれ……っ! 小癪な真似を……!」


 嘔吐感を無理矢理に抑え込もうとしつつ、憎悪だけをヘル=カンヘルが吐き捨てる。

 この忌々しい抗いを断ち斬らんと、人竜が腰に戻した曲剣に手をかけて引き抜いた。


 まずはジョルト=アリオンを始末しようというのだろう。そうくるのは当然分かっていたのだが、それでもどうしようもなかった。


 避けなければ、両断されてしまうのは明白。けれどもジョルトに動ける余裕はない。少しでも気を抜けば、一気に自分まで呑み込まれてしまいそうだったから。


 ――クソったれ……!


 体だけでなく心までも脂汗をかいているといった必死さだが、どうにもならない。

 嘔吐感のあるせいか、いささか緩慢な動きでカンヘルが曲剣を振りかぶった。


 そこへ――



突撃ロース!」



 突然の怒号。

 地軸を揺るがすような、馬蹄の轟き。

 ジョルト=アリオンの背後から、津波のような群れが、押し寄せてきた。


「なっ……!」


 アリオンだけを避け、猛烈な勢いで人竜へと突撃をかけたのは、一〇〇騎以上にもなる人馬の部隊。アリオンに似た姿、アリオンと同系統の武装。


 ジェジェン首長国の騎士団〝一角騎馬衆イディナローギー〟の騎士達だった。


 話を聞きつけたのだろう。

 いや、ロッテあたりが通信を意図的に広げていたのかもしれない。


 ジェジェンの騎士達は自分達の持ち場を離れ、己らの主君を守るために、ここへ駆けつけてきたのだった。


 人馬の群れは全員が全員、自らの体を投げ出すように人竜へ体当たりをかける。


 いささか弱っているのもあるだろうが、さすがの人竜もこれには足元をぐらつかせ、翳した剣をあらぬ方向に振り抜いてしまった。


「よしっ、お前達その調子だ! 命を惜しむな! 全員で当たれ!」


 人馬の内、指揮官騎にあたる一本角の兜を被った騎士が、号令をかける。


「クルサーン……! おめえ、何を」


 クルサーンとは、指揮をとっている人馬の中にいる、騎士(スプリンガー)の名前だ。彼は現在の一角騎馬衆イディナローギーの首領であり、ジョルトの長年の友だった。


「何って見たまんまです。俺達が御曹司を守る盾になりますから、御曹司はその間にイーリオ様を助け出してください」

「盾――だって? 何を言ってやがる……! んな事は頼んでねえ。てめえら全員、さっさとこっから離れろ。今すぐだ」

「――うるさいですよ」


 大首長(ジュラ)の息子。つまり国の王子にあたるジョルトに対して放つ言葉ではない。思わず「ああ?!」と聞き直すジョルト。


「あんたが命を張ってんだ。俺らも命を張るのは当然でしょう。俺らだけ逃げろと? 何言ってんだはこっちの台詞ですよ」

「馬鹿っ。おめえらなんざ、一瞬で全滅させられちまうに決まってんだろ! んなのは無駄死にってんだ。一秒二秒時間を稼いだところでどうにもならねえ。分かったらさっさと離れろ!」

「その一秒二秒のために命を張るんですよ、俺らは」


 言ったそばから体勢を立て直したカンヘルが剣を薙ぐと、今度は体当たりにもぐらつく事なく、半数以上の人馬騎士が血肉の粉塵と化して消滅する。威力の桁が違いすぎて、最早死体さえ残らない。


「――だから言ってんだ! ここは俺の戦場だ! おめえ達はさっさと戻れ!」


 月と虫ケラどころではない実力差に、思わずクルサーンも生唾を呑み込む。だがそれでも彼は、そして一角騎馬衆イディナローギーたちは怯まなかった。退きはしなかった。


「いいから、御曹司は自分の事に集中してください」

「だから――」

「だから黙ってろよ!」


 今度は激しく叫ぶクルサーン。


「ジェジェン人は友を見捨てない! そうじゃないのかよ! あんたは何だ? あんたはジョルト・ジャルマトだろう?! アールパード大首長(ジュラ)の息子で、俺の――俺達全員の親友ダチのジョルト・ジャルマトじゃなかったのかよ?! その親友ダチが命懸けてんだ。それを見捨てろと?」

「クルサーン……」

「あんたは俺達全員の友だ。でもな、俺達の憧れでもあるんだ。――だからよ、分かってくれ」


 そう言ってジョルトを一瞥すると、クルサーンもまたカンヘルに向かって突撃をかける。


 だが、大半を失った以上、体当たりも弱くなるしどれだけ不屈の闘志をもってもそれで覆るような相手でもない。


「ゴミ虫どもが」


 ヘル=カンヘルが吐き捨てると、もう一振りで残りの全員も地上から消え去った。


「クルサーン!!」


 目の前で散る、己の部下であり友である数多の命。

 それも、自分ジョルトの命を守るために、無惨に散っていったのだ。


 激しい怒りが、ジョルトの全身から噴き出した。怒りと絶望と、それ以上の憎しみが。


 ――イーリオ!


 けれども決定的な手応えは、まだ感じられない。


 そして再び、今度こそはとカンヘルがジョルト=アリオンを潰そうとした。

 が――



「〝明日は明日の風が吹くワズ・カン・シューナー・ザイン〟!」



 巨大な光の刃が、カンヘルの巨剣を弾き返す。


 ジョルトの目の前に、サーベルタイガーの騎士が降り立った。


「あんた……っ!」


 ジョルトを守るため、アルタートゥムのニーナが駆けつけてくれたのだ。

 それにも驚きだが、それ以上にニーナ=セルヴィヌスの姿に、ジョルトは絶句した。


 片腕は千切れ飛び、全身至る所が抉られている。

 もはや元の体毛の色が何色だったかなど分からない。赤黒い色が己の血なのか返り血なのかも判別がつかぬほど、壮絶な外見に成り果てていたのだ。


 今のジョルトに確認する余裕はないが、ニーナ=セルヴィヌスが戦っていたのはあの黒騎士の複製体の軍団。黒騎士軍である。では何故ここにいるのか。


 決まっている。


 彼女がたった一騎で、黒騎士の軍団を殲滅したからである。


 あの、三獣王最強の鎧獣騎士(ガルーリッター)、その数十もの数の部隊を、彼女だけで。


 それ自体が形容し難い事でもあるが、いくら彼女とて、それを無傷なままでは不可能だったという事だ。しかも破滅の竜の一体を倒した後でとなれば、尚の事なのだろう。


 既に白い煙が立ち昇りはじめている。

 即ち、彼女の完全な消滅が、すぐそこに来ているという事。


「安心しな。そのワイヤー一本だけは、俺が消えてもすぐにはなくならねえようにしておく」


 ジョルトをチラリと見て、その場に膝を屈するニーナ。


「ったく……これが限界か……。ま、充分楽しんだしな。それに――」


 今度は別の場所、遠くの方に視線を送ろうとするが、既に首さえ動かせない。

 最後に目に焼き付けたいと思ったが、どうやら叶わぬようだと苦笑するニーナ。


 ――この姿を見せずに済んだんだから、上出来よね。


 心の中で、いつものフワフワしたニーナに戻り、彼女は遂に崩れ落ちた。


 自分の国の騎士達。

 そして神の騎士の一人までも、己のために命を懸けた――。


 ――これに応えなくて、どうすんだよ!


 ジョルトは叫ぶ、心の中で。

 咆哮する。己の全てをこの一瞬に賭けて。

 魂を、命を、燃やした。燃やし尽くそうとした。


 それが繋いだのか。


 それとも、これこそが奇跡なのか。


 今までにない、はっきりとした手応え。

 両腕にのしかかる、確かな重み。


「今だ!」


 反応を知ったロッテが叫んだ。


 だがそれと同時に、悪意もこれを理解していた。

 強烈な違和感と不快感。何としてもこの行動を阻止せねばならぬと。


 カンヘルが剣を振るう、五度目。


 オリヴィアはまだ首長竜の相手をしている。

 残りの十騎士は全員、歴代三獣王の相手だ。

 レレケも術の最中。

 新たな助太刀や援軍も、もうない。


 ジョルトの思いが先か。それとも人竜の剣が先か。




 だがそこに、奇跡のような逆転は起きなかった。




 この剣は、魔神の剣。絶対的支配者の剣。


 掴むべき未来に先に手をかけたのは――奇跡に届いたのは、ジョルトではなく――やはりカンヘル。


 奇跡は起きない。


 神頼みは通じない。


 何故なら敵が神だから。


 だが、奇跡ではなく積み重ねた思いなら――紡いできた人の営みに神の助力が加われば、或いは――



 奇跡を超える希望となるのかもしれない。



 その時


 何かが――


 目に見えぬ何かが、カンヘルの剣をもう一度弾き返した。


「なっ――!」


 それは幻ではない。


 新たな存在でもない。


 だが確かに〝それ〟は、ジョルト=アリオンを守り抜く、最後の盾となった。


 〝それ〟の正体を知るオリヴィアがぽつりと漏らす。


「間に合ったか」


 そして――

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