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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

十月三日

作者: ししおどし


 彼女はカレンダーを買うと必ず、印をつける。


 十月の三の日を、赤いペンで丁寧に囲む。

 彼女が印をつけるのはその日だけで、あとは全部真っ白のまま。

 あたしと彼女の共用スペースでなく、彼女の部屋に飾るために買った、カレンダー。

 それをリビングのテーブルの上に広げて彼女は、儀式のように丸をつける。


 彼女の誕生日じゃないし、あたしの誕生日でもない。

 あたしの知ってる限り、その日が誕生日のひとは、彼女のテリトリーには存在しない筈だ。


 何の日だかちっとも分からないから、毎年毎年、カレンダーを買い換える時期になると、彼女にその意味を尋ねるのが習慣になっていた。


 誰かの誕生日?

 あ、分かった、記念日だ。

 もしかして、大事なひととの、大切な日?


 強い口調にならないように、軽い風を装って、静かに距離を詰める。

 教えてくれなきゃ許さないなんて、強い口調で責めることなんて決して、出来なかった。

 だって、恋人以上友達未満のあたしたちの間には、いくつもの遠慮が横たわっていたから。

 奇跡的に成立したあたしと彼女の関係は、少し力を加えれば一瞬で消えてしまいそうだったから。

 壊さないように慎重に、割れ物に触れるように繊細に、そっと抱きしめなきゃいけない。

 激しく揺らせば、欠片も残さず砕けてしまうと、思っていたから。

 あたしたちの世界が揺れない程度の柔らかさで、そっと彼女に手を伸ばす。


 ないしょ。


 けれど彼女はいつも、伸ばした手をふんわりと、退けて笑う。

 人差し指を唇にあてて、可愛らしく微笑んで、ないしょ、と囁くだけ。


 だって、気になるんだもん。


 深追いは出来なかった。

 だけど諦めきれなくって、唇を尖らせて、拗ねたふりをして甘えてみせたこともある。


 うふふ、なーいしょ。


 それでも彼女は決して、あたしの疑問に答えてくれることはなかった。

 ないしょ、ないしょと節をつけて歌うように囁いたあとは、抜け目なくあたしを甘やかしてどろどろに溶かして、有耶無耶にしてしまう。

 気づいた時にはカレンダーは年が明けるまで、あたしの知らないどこかに仕舞われてしまって。

 やがてあたしの見えない場所に飾られる頃には、日々に追われてすっかりと、カレンダーのことは忘れてしまう。


 思い出すのは、十月三日が目前に迫ってから。

 最初の一年は、何の日なのか見極めてやろうと、注意して観察していたけれど。

 当日が来ても特に彼女が変わった行動に出ることはなかった。

 誰かに連絡を取る様子もないし、物思いに沈む風でもない。

 いつもと変わらない一日を、いつもと同じように過ごす。

 気にしているのはあたしだけで、その日が丸をつけた日だなんて、彼女は全く気づいてないみたいに振舞う。

 その年だけじゃない。

 毎年毎年、忘れたように恙無く、十月三日を終えてしまうから。


 だからそのうち、本当に何でもない日なのかと、思うようになっていって。

 カレンダーを買うたび、十月の三日に彼女が印をつけるのが、当たり前になっていって。

 何の日なのって、あたしが聞くところまで含めて、習慣みたいになっていって。


 高校を卒業して、三年間一緒に暮らした寮を出てからも、あたしたちの関係は密やかに続いたままで。

 誰にも見つからないように、大事に大事に抱きしめて、秘密を増やしていって。

 月日が重ねられてゆくにつれて、危うさは薄くなっていったような気がしていた。

 少し強く抱きしめたって、壊れないような気がしていた。

 ずっとずっとこのまま、毎年彼女がカレンダーに丸をつける姿を、見つめていられる気がしていた。


 そうして。

 あたしたちが出会って、七年目。

 彼女にとっては、二十二回目の、十月三日。


 何の前触れもなく、彼女は。

 この世界から、消えてなくなった。

 まるでそれが、決まったことであるかのように。




 年の瀬。

 カレンダーを買ったあたしは、一人で暮らす冷たい部屋の中、カレンダーに丸をつける。


 ばか、ばかばかばか。


 もう三回目になるのに、数字がうまく囲めた事は一度もなくって、ぼたりぼたり、落ちた雫でただでさえ歪んだ線が、みっともなく滲んでゆく。

 消えてしまった彼女は、まだ見つかっていない。

 携帯も財布も置いたまま、どこにも行けるはずがないのに。

 まるで連れ去られてしまったかのように、その痕跡を欠片も残してはくれなかった。


 ばかばか、ばか。


 あれが彼女からのSOSだったことに、気づいたのは全てが終わってからだった。

 わざわざ、あたしの見えるとこで、これみよがしに印をつけた彼女は、柔らかく笑うのは得意なくせに、素直に助けてって言えない面倒で可愛い女の子だってこと、あたしが一番よく分かってた筈なのに。


 口さがない人たちは、もう彼女は生きてはいないって言う。

 どっかで死んでるに違いないって、訳知り顔で彼女を世間話に利用する。

 ひどいのになれば、自分でその道を選んだんだって、友人のふりで彼女を貶める。


 そんな訳無いのに。

 彼女の消えた部屋の、クローゼットの奥。

 捨てられずに残ってた、十年分のカレンダー。必ず十月三日につけられた、赤い丸。

 最初の三年分は丸が少し歪んでいたのに、あたしと出会ってからものもは、不自然なほどに力が入った綺麗な丸だった。

 こんな不器用なSOSをずっと叫んでた彼女が、自分で消える訳がない。

 たすけて、たすけて、たすけて。

 今になって彼女の声が、聞こえてくる。

 もう少し早く気づいてれば、あの日、絶対に彼女から離れはしなかったのに。

 いつも通りの一日だって、油断なんてしなかったのに。



 すっかり歪んでしまった赤い丸を、どうにか完成させる。

 全く意味のない行為なのかもしれない。けれど彼女が記憶から薄れてしまうのが怖かった。

 いつか彼女が帰ってきた時のために、彼女の跡を刻んでおきたかった。

 彼女のSOSをなぞっていれば、いつか彼女が何かから助けてほしかったものの、正体が見えてくればいいと、儚い希望に縋りたかった。


 だから。

 どうにか体裁を取り繕った滲んだ赤を、指でなぞっていると、ふいに。

 カレンダーが淡く光り出しても、何かに引っ張られるような感覚を覚えて、部屋の景色が歪みはじめても、あたしは驚かなかった。

 そういうことか、と理由も分からないのに納得して、その引っ張る先に彼女がいるのだと、確信する。


 連れてけ、連れてけあたしを、彼女のところへ。


 命じるように念じれば、一気に部屋が遠ざかってゆく。深い深い穴に落ちているような、引き上げられているような、奇妙な感覚に襲われる。

 気持ち悪さをぐっと奥歯を噛んで堪え、掴んだままのカレンダーを、ぎゅっと胸に抱きしめた。


 待ってて、今度こそ、助けるから。


 どこか遠い、果ての向こうから。

 彼女のすすり泣く声が、聞こえた気がした。

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