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  砂漠の薔薇 作者:望月満
act 2 夜半の月、砂上の旅
scene 15
 彩乃もその口元をうっすらほころばせる。
 軽く頭を下げている水蘭が顔を上げると同時に彩乃は視線を横へ移動させ、視界に入った海棠の姿を静かに見つめた。
「兄者。ありがとう、ね。あたしは、いつも兄者に、助けられて、ばかりっ――」
 言葉を最後まで言い終わらぬうちに、彩乃は苦しげに咳き込み始めた。
「彩乃ッ! 大丈夫か!?」
「あっ、あぁ……。だ、いじょうぶ、だよ」
 彩乃は必死に咳を我慢しながら、やっとそれだけ言う。
「水蘭」
 海棠は彩乃から向かいに座る水蘭へと視線を上げた。水蘭は背筋をまっすぐ伸ばしたまま、姿勢良く正座をして海棠を見返した。
「彩乃の喉をうるおしてくれ。少しは楽になるだろうから」
「承知いたしました」
 水蘭は「失礼いたします」と瞼を伏せながら彩乃に告げ、瞼を閉じた彩乃の喉の上にそっと手を置いた。水蘭の白い手が彩乃の喉に重なるとともに、先ほどとと同じく水蘭の手の下が青白く発光しはじめる。今回はすぐに水蘭も手を引き、同時に光もすぐにおさまった。
「――彩乃、大丈夫か」
 海棠は彩乃の顔を覗き込むようにして見つめる。瞳を閉じたまま彩乃はゆっくりと深呼吸をし、やがて緩やかな動きで瞼を上げた。
「……あぁ。ありがとう。おかげで、すごく喉が楽になったよ。本当に迷惑ばかりかけてすまないね。兄者」
「何を言っているんだ。これくらいのこと、迷惑でも何でもない。それに某は水蘭を呼び出しただけであって、ほとんどの事は水蘭がしたことだからな」
 海棠は彩乃に労わるような笑みを向けながら、「まだ体調も完全に治ってはいないのだから、ゆっくり休め」と言った。彩乃も自分を見つめる妹思いの兄に微笑みかけ、すっと瞼を下ろした。
 やがて規則的な寝息が聞こえ始め、それと同時に海棠は大きく息をついた。そしてそれまでその顔に張り付けていた、何の不安も心配も見せない笑みを剥がし、その下から海棠の本当の気持ちを表した表情――絶望と悲嘆に暮れるような悲しげな顔――を露わにした。
 海棠が悲しげに顔を歪める中、部屋にいた者たちは一斉に感嘆と安堵が混ざったような吐息をはきだす。
 その中から代表するようにして、部屋の隅に座る男性が小さく声を上げた。
「……すごいな。魔術とは本当に万能の力なのか」
 男は感心するように海棠と水蘭を見つめる。――明らかにその視線はほぼ水蘭に向けられていたが。
 男の問いを聞いた海棠は男へと向き直ると、ゆっくりと首を振った。
「そうではありません。簡単な治癒はできますが、魔術といえど彩乃の病を完全に治すことは不可能です」
 海棠は視線を膝の上に落とすと僅かに首を振り、悲しげに口を小さく動かした。その口調には憂いや無念や絶望などといった、負の感情ばかりがにじんでいる。
 そんな海棠の悲愴をくみ取ってか、部屋の隅に座る男も顔を伏せ声のトーンを落とす。
「やはり、魔術でも治せぬものはあるのか……」
 男の言葉に海棠は俯けていた視線を上げると、
「いいえ」
 小さく首を振りながら否定の短い言葉を口にした。その言葉に驚いて、男は先ほど伏せた顔をすぐに上げる。その視線は、深い悲しみに溺れているにしては明るくまっすぐな、まるで希望を見つめているかのような光を宿した海棠の瞳に向く。
「それは、今の君には使えない魔術なのかな?」
「――はい。しかし、手に入れる(・・・・・)つもりです。それを手にすることはとても難しいかもしれません。……いいえ。とても言葉では言い表せないほどつらく、厳しく難しいことでしょう。しかし、某は彩乃の病を絶対に何があっても治したいのです」
「…………。そうか」
 男は布団の上ですやすやと安定した寝息を上げながら眠る彩乃を見て、優しく静かな微笑みを浮かべた。
「彩乃殿は、良い兄をお持ちのようだな」
「いえ。某は、兄として当然のことをしているだけにすぎませんから」
 微笑みながら彩乃を見つめる海棠。その瞳には、悲壮の光が確かに煌めきを放っていた。

「……父様」
「うん? 何だ、海棠。こんな夜半にそんな真面目な顔をして」
「某は、決めた。これ以上、彩乃に苦しい思いをさせるわけにはいかないんだ」
「……というと、やっぱり〝あれ〟に頼るつもりか?」
「あぁ。もう頼りの綱は〝あれ〟しかないんだ」
「しかし……何もお前が危険な目に会う必要はない。縁起でもない話だが、お前がそうすることで私はお前と彩乃の二人を失ってしまいかねない。それに――もし〝あれ〟が手に入らなければ、お前は彩乃の死に目に会うことはできなくなるんだぞ」
「縁起でもない話はなしだ。これは某の意思だ。もうあと四年で彩乃も二十歳になってしまう。もっと速く出発するべきだったのだろうが、魔術の完全な取得までに時間がかかりすぎてしまった。某は、もうこれ以上待つことはできない。――たとえ某が彩乃の死に目に立ち会えなかったとしても、可能性がある限り彩乃を救うために某は〝あれ〟を求める」
「海棠。お前はもっと自重(じちょう)したほうがいい」
「そんなこと、分かっている。しかしもう――時間がないんだ。時間は某や彩乃のために、止まってくれはしない。残酷なことにな」
「…………。本当に、行く気か? 〝あれ〟を見つけるのは、そう容易いことじゃないぞ」
「それは百も承知している」
「――そうか。そんなに決意が固いなら、私は止めない」
「あぁ。ありがとう、父様――」


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