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謙虚、堅実をモットーに生きております! 作者:ひよこのケーキ
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 あ~、疲れた。ずっと机に向かっていただけなのに、全身疲労感でいっぱいだ。勉強って集中すると体力を使うよね。
 学校の授業では、1日に1限くらいは捨て枠の教科があるけど、夏期講習にはそれがないからなぁ。本当に休み時間しか気が抜ける時がない。しかも他の受講生達の勉強に取り組む熱気に満ちた空気。
 これまで何度も夏期講習、冬期講習、春期講習と受けてきたけれど、受験本番まで残り数ヶ月の今回は、いつも以上に受講生達のやる気がひしひしと肌で感じられた。講師の話を一言も聞き漏らすまいと全員前のめりで講義を受け、当然だけど講義中にうたた寝をしたり私語をしたりする受講生はひとりもいなかった。
 その様子に気圧されて、ここで私だけ落ちこぼれるわけにはいかないと、1日中必死に授業を受けていたから、すっかり肩が凝って重く鈍痛がする。同じ学校の生徒だったら、貼り出された順位表やら人の噂やらで大体の相手の成績も把握できて、その中での自分の位置付けもわかるけど、他校生の場合はそれがわからないから、全員が自分よりも頭が良く見えて余計に焦るのよねぇ。
 私が首を回しながら自分の肩をトントンと叩いていると、塗布タイプの肩こり湿布薬を塗っている受講生を見つけた。いいな、あれ。私も帰りに買って、明日から持ってこようかな。
 行きは車で塾の近くまで送ってもらっているけれど、帰りは寄り道をしたいので迎えを頼んでいない。
 先にコンビニでお菓子を買うか、湿布を買いにドラッグストアに行くか。できれば私がポイントカードを作っているドラッグストアが近くにあるといいんだけどなぁ。お財布にポイントカード入っているよね?
 私は塾を出て歩きながら、カバンからお財布を取り出してポイントカードがあるかを確かめると、ついでに携帯電話の着信もチェックした。あ、受信メールあり。
 誰からかな~と開いてちょっと後悔した。着信メールは鏑木からだった。
 反射的にうげっと声が出そうになったけれど、開けたからには一応読んでおくか…。
 メールには本日の若葉ちゃんとの出来事が書かれていた。若葉ちゃんとは約束通り、隣合って夏期講習を受けたらしい。へ~。
 そして若葉ちゃんが持参した手作りクッキーを、休み時間に一緒に食べたらしい。そのクッキーは素朴ながらもサクサクとした軽い食感とバターの風味が豊かな、素材本来の味を活かしたおいしいクッキーだったと。なにこれ、食レポ?
 それから若葉ちゃんの中学時代の同級生も同じ予備校にいて、ふたりきりだったはずが思わぬ邪魔が入ったとか。まぁ、若葉ちゃんの家から近い予備校だから、そういうこともあるかもねぇ。
 しかし長いな、このメール…。そして細かい。日記か。
 まさかとは思うけど毎日この長文報告メールがきたりして?!鏑木ならやりかねない…。うえ~、面倒くさい。
 私は鏑木の日記帳じゃないんだけど。こういうのは友達にでもって…、そうか。鏑木には恋バナをする友達がいないから…。本人は否定しているけど、鏑木には円城しか友達がいないもんね。鏑木は恋愛ぼっち村の裏山に不法入村して住み着いているけど、住民票は友達誰もいない村にあるんだな。きっと鏑木はその村で星の王子様に出てくるいばりんぼの王様みたいに、家来が誰もいないのに偉そうにふんぞり返っているんだろう。やだ、想像したら涙が…。
 するといきなり手の中の携帯がブルブルと震えて画面が切り変わると、鏑木の名前がどーんと表示された。ぎゃあっ!
 後で冷静になって考えたら、留守電になるまで黙って放置しておけばよかっただけの話なのに、たった今心の中で貶しまくっていた相手の名前を見てパニックを起こした私は、頭が真っ白になった。どうしよう、どうしよう!とりあえず電源切っちゃえ!

“もしもし”

 って、ぎゃあーっ!間違って通話ボタン押しちゃった!

“もしもし、吉祥院?”

 あわわわわと動揺する私をよそに、聞こえてくる鏑木の声がどんどん不機嫌さを帯びてくる。

“吉祥院!”
「はい!」

 私は直立不動で電話に出た。

“返事が遅い!”
「申し訳ございません!」

 私は素直に謝った。

「それで、なにか御用がございましたでしょうか」

 後ろめたい気持ちが、私を下手にさせる。

“さっきメールを送ったんだが、読んだか”
「はい」
“返信がきていないぞ”
「…塾が終わったばかりで、たった今、読んでいたところだったんです。鏑木様の受けている講習は、もう終わったのですか」
“ついさっきな。だからメールを送ったんだ”

 終わってすぐにあの長文メールを打ったのか。友達がいないから…。
 あれ?でも若葉ちゃんは?

「高道さんは?」
“帰った。本当はこの後でどこかカフェにでも寄って帰りたかったのだが、高道がスーパーで買い物を頼まれていたのでムリだった。今日は野菜の特売日らしい”
「一緒に付いて行かなかったのですか」
“あまりしつこくしてもな”

 若葉ちゃんと同じ夏期講習に申し込んだり、今でも充分すぎるほどしつこいと思うけど。自覚がないって怖いな。

“それにスーパーまで車で送ると言ったら、駅前に自転車を止めているからと辞退された”

 なんだ、しっかり誘っているんじゃないか。

「でも今日は1日、高道さんの隣にいられたのでしょう?良かったじゃないですか」

 若葉ちゃんの隣に座って仲良く授業を受けるなんて、瑞鸞では絶対にできないことだ。

“まぁな。同じ予備校に高道の中学の同級生がいて、朝はそいつらに高道が囲まれてほとんど話せなかった時には、計算が狂ったと思ったが”
「あ~、久しぶりに会った友達同士で盛り上がるのは、よくある光景ですよね」
“同級生達と中学時代の思い出話をする高道が楽しそうだったから、そこに割って入って、無理に引き離すわけにもいかなかったしな”
「そういうことってありますよねぇ」

 ただ久しぶり~元気~と盛り上がっている当人達はいいけど、その中で自分だけが部外者で内輪話にも入れずぽつんとしている時って、居心地が悪いんだよね。私も何度か経験があるけど、気を使って話の輪に入れてくれる場合はいいけど、完全に置いてけぼりの場合の時ってどうするのが正解なんだろう。一応微笑みながら黙ってその場にいるけどさ。話が終わるまで時間潰しに携帯をいじっているのも、感じが悪いかなぁとか色々考えちゃうのよね。ああいう時こそ、誰かからメールや電話がかかってこないかなと切実に願うよ。
 でも鏑木はその状況でよく若葉ちゃんの隣の席を確保できたな。普通だったら若葉ちゃんの隣の席は、その同級生達に取られていたはずだ。

「予備校には鏑木様が先に着いていたのですか?」
“いや。朝は予備校の前で待ち合わせをして一緒に入った。本当は家まで迎えに行くつもりだったのだが、それは悪いからと高道に断られた”

 ストーカー気質に救われたな、鏑木。ストーカー運が強い。
 あっ、そうだ。一番重要なこと。

「瑞鸞の生徒はいませんでしたか?」
“いなかった”

 良かった。鏑木が事前に調査していたとはいえ、万が一のことがあるからね。

「これで安心して夏期講習が受けられますね。どうでしたか、授業は」
“なかなか聞き応えのある興味深い内容だった。高道のことを抜きにしても講習を受けることにして良かったと思う”
「そうですか」
“予備校に関して言えば、勝手がわからず困ったことがいくつかあった”
「たとえば?」
“昼食だな。昼休憩の時に初めて食堂がないことを知って困った。まさか食堂がないとは考えてもみなかった”
「予備校は学校とは違いますからねぇ」

 予備校の中には、カフェテリアや食堂があるところもあるらしいけれど、鏑木と若葉ちゃんの予備校には残念ながらなかったらしい。ちなみに私が通っている塾にもない。だから私も午前と午後の通しで夏期講習や冬期講習を受ける時には毎日お弁当を持っていっているし、時々はおいしそうなパン屋さんで惣菜パンを買っていったりしている。

「それでどうしたんですか?」
“高道が近くにコンビニがあるというので、一緒に買いに行った”
「鏑木様ってコンビニに行ったことはあるんですか」
“バカにするな。コンビニくらい行ったことがあるに決まっているだろう”

 いやぁ、鏑木だったらコンビニに行ったことがなくても不思議じゃないなと思って。

「だって鏑木様がコンビニで買う品物が想像できなくて。一体コンビニでなにを買うんですか?」
“…その時は喉が渇いていた時だったから、飲み物を買ったな”
「へぇ」

 定番中の定番だな。

“ただコンビニで弁当を買ったのは初めてだったけどな”
「でしょうねぇ」

 私はよく夜食用にコンビニでおにぎりとかを買ったりするけど、鏑木家の御曹司には縁のない食べ物だものね。お腹が空いたらきちんとしたレストランに行けばいいんだから、あえてコンビニ弁当を食べる必要がない。

「お弁当はなにを選んだのですか」
“主菜や副菜が数種類入った幕の内弁当みたいなものだ”

 まぁ、無難だよね。

“店員の、温めますかの意味がわからなかった”
「ぷっ」
“笑うな”
「すみません」

 レジで固まる鏑木を想像したら、つい…。

「それで?」
“高道が、お弁当を電子レンジで温めるか聞いているんだよと教えてくれた”
「そうですか。で、温めてもらったんですか」
“温めてもらった”
「へぇ」
“そしたら漬物まで温まっていた”
「ふっ…」

 日頃から厳選された良い物ばかり食べている鏑木が、生温かい漬物を食べたと思うと笑える。

「今度は漬物が入っていないお弁当を選んだらどうですか」
“もう、コンビニ弁当は食べない”

 残念ながら庶民の出来合い弁当は皇帝の口には合わなかったようだ。いっそ変わった具材のおにぎりを買えばよかったのに。
 鏑木にツナマヨ味のおにぎりを食べたことがあるかを聞いた私の声は、車道のクラクション音にかき消された。

“なんだ。聞こえないぞ”
「いえ、なんでもありません。高道さんも鏑木様と同じお弁当を買ったんですか?」
“高道は自分で作ったという弁当を持ってきていた”
「あら、じゃあ高道さんはお弁当があるのに、鏑木様の買い物に付き合ってわざわざ外のコンビニまで来てくれたんですね」
“そうだな。高道は自分もデザートを買いたいからと言っていたけどな”
「そうですか」
“コンビニのデザートも初めて食べたけれど、こっちはそれなりに美味かった”
「良かったですね」
“コンビニ限定の、パティスリープロデュースのデザートがあるのを吉祥院は知っているか”
「もちろん知っていますよ」

 私を誰だと思っているんだ。

“プロデュースといってもパティスリーで売られているケーキと同じクオリティを求めたらかなり質は落ちるけれど、割り切って食べればあれはあれでおいしいと思った”
「それはそうですね」
“まぁ、その後で食べた高道のクッキーの方がおいしかったけどな”
「あ、そうですか」

 ナチュラルな惚気にイラッとした。

“高道の手作り弁当も、野菜の煮物や魚の入った栄養バランスのとれたおいしそうな弁当だったぞ。ほうれん草入りの出し巻き卵もきれいに巻けていたから俺が褒めたら、ひとつ分けてくれたんだ。これがしっかり出汁の味が出ていて、冷めていても実においしかった。高道はお菓子作りだけではなく、料理も得意のようだ”
「へー」

 若葉ちゃんが料理が上手なことは、私も知っているけどね。それよりも、人のお弁当をそんなにじろじろと観察するなよ。

“それと…”

 強力な電波を出している建物の近くを通ったのか、ノイズが入って鏑木の声が途切れた。

「ごめんなさい。聞こえませんでした。なんでしょう」
“…ちっ。さっきから音の聞こえが悪いな。これじゃ埒があかない。お前、今どこにいる”
「え…」

 一瞬の間の後、

「家ですけど」
“見え透いた嘘をつくな。さっきから車が通る音が聞こえているぞ!”

 だって悪い予感しかしないんだもの。
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