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レベル0の異世界旅行記 作者:飛鳥
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17/22

番外1.発展先の話

本編その後、ヒューダ視点です。
 「へたれ!」
 「うるせえ」
 「ほんっとに君って」
 「黙れ」

 気安さが徒になった。遠慮の欠片もなく飛んでくる罵声と失笑に、逃げるように度数の高い酒を呷る。逃げるように、ではなく事実として逃げているんだが。
 狼狽えながら消えたミハルを見送って帰った途端にこの仕打ち。こいつらにはきっと人の心がない。
 人が、好きな女に再会できるかどうかを深刻に懸念しているというのに。

 「お兄ちゃんのばーか!へたれ!私が今日の貴重な時間を折角譲ってあげたのに、告白できなかったとか!」
 「だからさあ、無事再会を果たすために告白しろって言ったんじゃんか。強烈なインパクトっていったらそれでしょ」
 「それで断られて気まずくなったらどうすんだよ、それこそ本末転倒じゃねぇか!」
 「鼻に噛み付く方が気まずいとか思わないのかねー」

 訳知り顔でつまみを口にするアルトを、殺意を込めて睨み付ける。馬鹿にするように鼻で笑われて、空いた手が剣を探した。
 ミハルの性格を思えば、曖昧に濁しておいた方が戻ってくる確率は高いだろうという算段だった。どういうつもりだと殴り込みに来る姿が容易に浮かぶ。
 大体な、と多少酔いの回った頭で指を突き付ける。

 「おまえに言われたかねぇよ」
 「僕が何さ」

 余裕綽々といった風な顔が癇に障った。

 「告白できないのはアルトも同じだろうが」
 「はあ?」

 隣でティティがテーブルに伏せる。余りの勢いにぎょっとした。
 机が酷い音を立てたが、もしかして頭突きが炸裂したんだろうか。哀れなのは罪のない机である。こいつの頭、鋼鉄製かってくらい硬いんだ。
 長い髪から覗く耳の赤さに不安が過ぎる。腐れ縁の男を振り返る前に、不吉な言葉を鼓膜が拾った。

 「僕、もう告白済みだけど」
 「はあ!?」

 椅子が倒れた。けたたましく滑った家具に構わず身を乗り出すヒューダは、埋まる勢いでテーブルに額を擦り付ける妹の姿を余すところなく捉えている。この反応は、真実だ。

 「いつだ!」
 「結構前。まだ返事は貰ってないけど、ちゃんと明言してるに決まってるじゃない。やだなあヒューダ、超心外。君みたいなヘタレと一緒にしないでよね。どさくさに紛れて抱き締めたりしてるムッツリスケベとさあ」
 「……お兄ちゃんがミハルにおっけー貰えたらお返事してあげる」
 「ちょっとヒューダ、ミハル次いつ来るって!?」
 「俺が知るかよ表出ろおまえッ!」

 とりあえず接近した頭を殴り飛ばす。
 アルトがティティに惚れているのは街公認の周知の事実だったが、まさかきっちり告白を終えているとは思っていなかった。
 見た目より、いや、見た目通りアルトは抜け目がないのだと忘れていた。失言は多いし色々取りこぼす男のように見せてはいるが、大事なところでは外さない。
 それは様々な場所で発揮される。例えば、ミハルを警戒していた当時とか。

 「…………」
 「あ、まーたゴチャゴチャ考え出した」
 「知ってる?後悔って反省する以外には役に立たないんだよ、お兄ちゃん」

 こいつらがカップルになったら自分の胃はどうなるんだろうか。今とそう変わらないとも思うが、万が一度を増して結託し始めたら穴が空きそうだ。
 残りの酒を胃にぶち込んで、酔った振りをしてティティに代わりテーブルに伏せる。ドスドスと爪が刺さるレベルで突付かれたが、無反応でいたら飽きたのか二人で盛り上がり始めた。肴は主にヒューダの悪口である。
 目を閉じて過去を反芻する。夜中に布団の中で何度もしている作業だ。しようと思わずとも、することがなくなればいつでも浮かぶ。
 罪悪にまみれてヒューダを見上げる頼りない顔。乱れた黒髪を整えることもせず、澄んだ目は揺れに揺れて、泣き出す一歩手前、絶壁の縁に爪先立ちで立っているような、今にも折れそうなミハルの姿。
 それまでだって惹かれていた。警戒していたからこそ目に入る回数は多かったから、人一倍ミハルを知っていた。ティティより兵長よりアルトより、一番彼女を注視していたのは自分だ。
 ミハルは平和を体現するような寂しがり屋の猫だ。何でもないようなすました顔をしながら、人の顔色を窺っている。受け入れられればほっとしたように笑って、人の拒絶に反発を覚えながら自分を責める。
 猜疑がなければ、ティティに向けるものと遜色ないほど構い倒していただろう。ヒューダの面倒見の良さは生来の気質である。もたもたと手間取っている様子を見ると、相手が誰であろうと横から手を出してしまう。身近な人間に対するほど、それが顕著になる。
 甘やかしてやりたい気持ちを無理矢理押し殺しながら接した結果があれだ。
 ヒューダはミハルの傷を思い切り抉って塩を塗り込んだ。ただでさえ臆病で身を引きがちな猫を、懐き始めた柔らかい瞬間に蹴り飛ばした。
 彼女がそこから逃げようとするのは当然で、誤解だったと知った途端に覚えたのは身の毛がよだつほどの慚愧だった。
 許されるとは到底思えなかった。全くの親切で妹を救った相手に自分がしていたことを思えば、謝罪の言葉など組み立てられるわけがない。
 誰も自分を責めないことが一層苦しかった。勝手なものだ。責めるなら、それはきっとミハルである。それはそれで、底なし沼も顔負けに沈み込むのだろうに。
 何かできないものかと深慮して、行き着いたのが贈り物という手段なのだから情けない。
 誤解が判明した翌日から、ティティに染色の方法を教わるために兵長に事情を話して時間を作った。
 まさか妹があんなにスパルタだとは──薄々察していたが、端で見ているよりずっと思い通りにならない作業に焦りが増した。この瞬間にもミハルは街を出てやしないかと。
 だが、カフェで目撃したミハルに声を掛けるつもりは、本当はなかったのだ。
 それまでも何度か見掛けてはいた。しかし謝罪の言葉は構築できていない。きっかけにするはずの贈り物の完成などまだまだ先だ。ヘタレと呼ぶなら呼べ。
 しかし、思わず声が出たのである。
 机に広げられた周辺国の地図。クリーム色の細い指が辿る都の地。考えを察せられないはずがない。
 気まずい中でさっさと会話を終わらせようとするミハルに焦燥は増した。元々まっすぐに視線を合わせる女ではなかったが、分かりやす過ぎるほど目に表情が出るのでそれが気に障ったことはなかった。それが、このときだけは違った。
 笑わない目とはああいうものを言うのだ。適当に終わらせて切り捨てようとする諦念の瞳。いっそ立場も考えずに怒鳴り付けたい気分だった。できるはずもなくて、去っていく後ろ姿をしばらくは追うことすらできなかったが。
 ミハルの世界とやらに転移した後、どんな形であれあの無感情の目がなくなったのには心底安堵した。同時に、落ちたのだ。あんな目を二度とさせてなるものかと思わずにはいられなかった。

 「……ねえヒューダ。ミハルからさ、自分はおかしいんだとか何とか、聞いた?」
 「聞いた」

 寝た振りをしようかと思ったが、どうせ起きていると確信しての問いだろう。姿勢は変えないまま素っ気なく返す。いつもの態度なのでアルトが気にするはずがない。

 「おかしいってなんのこと?」
 「自分がおかしいのは自分が一番知ってるって。僕、あれが一番きいた。ミハルとは思えない声してさあ……悲鳴みたいな怒った声も罪悪感ハンパなかったけど、石みたいなミハルに比べればずっと良いや」
 「良くないよ。アルトくん何してるの」
 「だ、だって」
 「告白のお返事発表を一年遅延させて貰います」
 「そんなティティさん殺生な!」

 ちなみにティティを救出するためにミハルを怒鳴ったアルトの暴挙については、筆舌に尽くし難い仕置きを食らっている。結果としてヒューダも同罪なので同席したが──いや、思い出すまい。魂まで傷付いた記憶など。
 あれに比べたら告白返答の遅延なんぞ、子供に殴られるようなもんだ。

 「一応、それについては納得してたぞ。おかしな能力持ってるのは自分の個性だとよ」
 「ほんと?良かった。僕はさー、やっちゃった上にまたやっちゃったし……これから挽回しないといけないなーって思ってんだけど……うーん、どうしたら良いかなあ」
 「ミハルってば何にも怒ってなかったよ。良い子だよねー」
 「うう、そんなドSなティティも好き……」

 こんな力なければ良かった。
 水が滴るような自然さでこぼれ落ちた一言は、ミハル以外の誰にも納得できない言葉だ。
 異世界に行きたい、転移がしたいという意味じゃない。勿論できるものならしてみたいという好奇心はあるが、そうではなくて、ミハルに助けられ続けた人間としてである。
 いっそ理不尽なほど己を低く見積もるのは、その能力で割りを食ってきたからだろう。その辺りの機微は他人に分かるものではない。
 けれど、ヒューダたちとの出会いを全否定するのに同意するなんぞ、冗談じゃなかった。

 「お兄ちゃん、ミハルが来たらちゃんと好きだって言うんだよ。逃げられちゃ駄目なんだからね!」
 「いやに食い付くなおまえ……」

 執拗な揺さぶりに辟易して身を起こす。頼りない眦を精一杯に吊り上げた妹の考えることは、複雑過ぎて自分には理解し難い。
 現段階でミハルと最も親密なのはティティだ。この妹の性格なら、むしろ兄に親友を渡すまいと行動を起こすものだとばかり思っていたが、何やら思惑があるらしかった。
 そのいち、と細い指を真っ直ぐに立てて。

 「お姉ちゃんって呼んでみたい」
 「うわあ、ミハルって僕のお義姉さんになるんだ!」
 「何を自分の告白が成立するもんだと決め付けてんだアルト」
 「ヒューダお、に、い、ちゃん!」
 「舌出せ」
 「ナイフ止めてナイフ下ろして」

 そのに!とマイペースに指が足された。

 「宿屋さん近くのパン屋さんに行ったのね。私よりちょっと年上の女の子がいたの、知ってる?今はお嫁に行ってて、たまに顔出してるくらいみたいだけど」

 不愉快そうな表情のティティというのは珍しい。
 問いに答えるべく記憶を探る。栗毛の気の強そうな女が売り子をしていることがあったはずだった。妙にティティをライバル視しているようだったが、ティティは華麗にスルーし続けていたような。基本的には親が店を切り盛りしているので、あまり面識はない。
 確か、弟がいたはずだ。ティティと同じ年の。一時期はアルトが粘着質に牽制していて同情を覚えたことがある。あいつ別に下心なかったんだけどな。

 「偶々帰って来てたの。世間話してたらね、ミハルさんって付き合ってる人いるの、だって。それでミハルがどんな人か事細かに聞かれてね」
 「あれあれえ?もしかしてぇ」

 小さく鼻を鳴らして、立てた指をびしりとヒューダに突き付ける。

 「もしかしたら家族になるかもしれない人だしだって……間違いなく宣戦布告だよねええええ!ふふふ、今まで何言われても何とも思わなかったけど、こればっかりは許さなぁい!」
 「おい、想い人こんなんなってるけど良いのか」
 「ブラックなティティも可愛いよね。冷たい目がたまんない」
 「ほんとブレねぇよなおまえ」
 「何ほのぼのしてるの!」

 ドン、とまたテーブルが虐めを食らう。そいつが何したってんだ。
 興奮の面もちでギラギラした視線を向けた妹から僅かに距離を取りつつ、いつの間にか酒が注ぎ足されていたグラスを避難させる。

 「作戦会議です!別にミハルがお兄ちゃんとくっ付かなくてもミハルが幸せならって思ってたけど、いざ別の子と家族になるって考えると凄い悔しい!イヤでも頷かざるを得ない告白を皆で考えましょう!」
 「あ、ティティお酒飲んだでしょ。駄目だよ弱いんだから」
 「ああ……それでこのテンションなのか。アルト、さっさと残り全部飲め」
 「僕が死にますよ」
 「何を、ほのぼの、してるのおおおおお!」
 「だってなあ……」

 ヒートアップする妹には悪いが、あまり危機感はない。
 自分たちといない間のミハルが何をしていたのかは、ある程度耳に入っている。警備兵の同僚が、やけに事細かに報告を上げてくるからだ。今なら分かる。あいつらはヒューダの育ちつつある恋心を獣の嗅覚で探り当てていやがったんだろう。
 その中にある、パン屋の息子との接触のワンシーン。旨いパンに感動したミハルが滅茶苦茶に褒め千切ったらしい。惚れたというなら恐らくそれが切っ掛けだが、その後の接点はほとんどない。息子は基本的に店番ではなく配達を受け持っているので、そもそも会う機会など通りすがりくらいなものだ。
 その程度であの面倒くさい猫を手懐けられるとは思えなかった。心の迷いが晴れた今であればともかく、他ならぬヒューダがぐちゃぐちゃにしたミハルの心に入り込めたとは、到底。
 念のため、次回来訪したら一人でパン屋へ行かないよう遠回しに誘導しておこうとは思うが。

 「作戦会議ですッ!」

 そんなヒューダの内心が汲み取られるはずもなく、大事なことだと言わんばかりに二度目の絶叫を上げながら妹が立ち上がる。ふらついた身体をアルトに支えられながら。

 「アルトくん、イヤでも頷かざるを得ない告白を立案して下さい!」
 「ううん、酔った勢いでの無茶振りも可愛いなあ」
 「すげえな。俺はそこまでは無理だわ」
 「告白が成った暁には、即座のお返事プレゼントッ!」
 「そうだなあ、まず公衆の面前で押し倒すでしょ。そんで、この場でゴニョゴニョされたくなければYESだけ返せって言ってから告白すれば確実だよ」
 「おい、おまえの欲望のために人を犯罪者に仕立て上げるな!」

 公衆の面前じゃなければアリか、とちらっとでも思った内心を察せられたらしい。アルトが粘っこい笑みを見せてきたので、瓶の口を突っ込んだ。こぼすな、掃除が大変だろうが。
 しばらくすると酩酊した。どれだけ前後不覚に陥らせても次の日にはケロっとしているアルトだ。死にはしないだろう。
 静かになったアルトを不満そうに見ていたティティが大人しく席に着いた。据わった目がこちらにターゲットを移す。

 「で、お兄ちゃん策はあるの?」
 「俺は何の戦いに出るんだよ」
 「恋愛って戦争でしょ!」

 手元のグラスにちらりと視線を落とす。これを飲ませたら潰れるは潰れるだろうが、妹の酒の弱さを考えると身の安全を保証できないよな。
 深い溜息を吐いて妹に向き合った。これはある程度満足させるまでは粘着するだろう。または勝手に落ちるか。

 「ケースバイケースだろ。まだ何も考えてない」
 「せーっかく急いでリボン仕上げて貰ったのにさー、てっきり渡すときに告白もするんだと思ってた」
 「さっきも言ったけどな、もう一回来させる方が優先だ」
 「そうやって悠長に構えてる人ほどうっかりトンビに横からかっ浚われるのです」
 「誰がさせるか」

 笑い飛ばすと、奇妙なものを見る目を寄越された。

 「何か強気だね。勝算あるの?」
 「ねえよ。ひとまず次回の反応待ちだな」
 「うーん、見込みは十分だと思うんだよね。好きな人聞いたときの反応からすると」
 「……そういう話してんのか」
 「あったりまえでしょー。親、友、だもん」

 優越感を露わに胸を張る。
 ヒューダより親密であることが自慢したいらしいとはすぐに分かった。同性だから入門がしやすかったんだろうとは言わないでおいた。多分、だからどうしたと勝ち誇られるだけだ。
 先を促すと、勿体ぶってうふふと笑う。

 「最初はねー、いないよーって笑ってただけだったんだけどねー。異世界から来たって教えて貰えた日には、ちょっと赤くなっちゃって」

 可愛かったあ、ととろけたように目を細めた。本当にミハルが好きで堪らないらしい。
 ティティはヒューダとは違い誰にでも愛想が良いし、特別悪感情を持つこともない。自然と人の良いところに目が行く、極めて善良な人間だ。頻繁に覗く毒舌は正直さの代償である。本人にはてんで悪気はない。
 代わりに、誰か一人に固執するというのも珍しいことだった。分け隔てない慈愛を振り撒く妹と自分は似ていないと思っていたが、好意のベクトルが似るのはやはり兄妹だということだろうか。
 なお、アルトは見た目より親交の垣根が高いので実は難しい男である。大切な人間とその他を明確に分離させているのだが、ヒューダが知る限り、その枠組みの中に新参者が入るのは随分久しいことだった。

 「でも、恥ずかしがり屋さんだから、中々認めないだろうなあ」
 「……障害も大きいしな」
 「うん。移住してとは言えないもんねえ。ミハルにはご家族がいるもの……大切なんだって」
 「そうだろうな。今ならあいつ見てりゃ分かる」
 「怒った癖にぃ。ミハル可哀相だったよ」
 「知ってるっつうの。……おまえ、俺のあの反省具合を見ててまだ畳み掛けんのか……」
 「ええと、お墓を超えて来世まで、だっけ?」
 「そういうところは見習うなよ頼むから」

 最近こいつの毒舌に拍車が掛かっていると思ったら、親友経由だったとは。
 ティティは天然で敵を刺すタイプ。ミハルは吟味した上で言葉をチョイスし、刺した上で捻るタイプ。パワーアップする可能性が大いにあり得るのでまずい。
 隔離はできないだろうか。できないだろうな。お互い依存度が高いようだし。
 早々に諦めて耐性を作ろうと決意する。心の防御力を上げるにはどういう鍛え方をすりゃ良いんだろう。

 「こっちからミハルの世界に自由に行けりゃ問題ないんだが、その内できるようになるか?何度も来れるようになれば可能そうだが」
 「お兄ちゃんはあっち行ったんだよね。私も行きたいー」
 「あいつが行き来の確信持てるようになりゃ行けるだろ。それまでは頻繁に来るようにどうにか……」
 「いつかさ」

 ぺたりと頬をテーブルに付ける。

 「いつか、ずーっと一緒にいられるようになったり、するかなあ……」
 「……さあな」

 頭を撫でてやると、眠そうに瞬きを繰り返した。
 そういえばと向かいを見ると、アルトの姿が消えている。床にでも転がったんだろう。物音に気付かなかったとは、自分も相当酔っているらしい。

 「ティティ、ここで寝ても俺は運べないからな。自分でベッドに入れよ」
 「んー……」

 むにゃむにゃとした返事が床に落ちる。気は進まないが、今日はこいつも床だな。
 ふらりと椅子から立ち上がると足がよろけた。掛け布を探すのが面倒だ。ティティの分は寝台から持ってくるとして、アルトはなくても構わないか。服は着てるんだから。
 静寂に落ちた室内、落ち着かない頭でぼんやりと考える。
 飲み会。今ここにミハルがいたら、きっとまだ騒いでいるか、それともティティの世話でもしているのか。
 酒に頬を赤らめた彼女はマタタビに酔った猫のようだった。常に置いた線を、跨ぐまでは行かずとも踏み付けて、普段より幼い顔をした無防備な猫。
 二度の豪勢な食卓はどちらも自分が空気を壊した。近い内にもう一度場を設けて、今度は遠慮なく酔わせてやりたいと思う。異世界人という境界線を取っ払ったミハルが、純粋に楽しめる場所を提供したい。──まあ、建前だが。

 「……いっしゅうかん、とか何とか」

 七日で一週間。内、二日間が休みだと聞いた。来るならその内のどこか。戻ると約束させたからには、七日以内には来るはずだ。
 多少の不安はないでもないが、来るだろうという奇妙な確信が胸に落ち着いている。

 「どうすっかなあ……」

 囲い込むには、まずティティをけしかけるのが手っ取り早そうだ。あの猫には生意気にも翼が生えているようなので、気に食わない環境に置けば逃げる可能性がある。
 がっちり捕獲するかどうかは正直迷うところだった。彼女には異世界に家族がいるし、本人は友人がいないなどと言ったが、それが全てでもないだろう。なげうつような真似はさせたくない。
 それより、まずは手懐けるべきだ。下手を打って逃げられるより、休みのたびにこの世界を訪れるよう癖を付けさせる必要があるだろう。
 恋愛が戦争だというのなら、戦闘には自信がある。戦いは猪突猛進なだけでは上達しない。先を読んで、誘導して、切り込む。そういう駆け引きが重要だ。本来、それはアルトの最も得意とするところだが。
 転がるティティに掛け布を落として、明かりを消し、据え置きのソファに転がる。目を閉じて思い出すのは、やはり泣きそうに歪むミハルの顔だった。それを、満面の笑顔に変えてやりたい。

 「堅実なんだよ、俺は」

 ヘタレと言うなら言え。駆け引きに関してはアルトに軍配が上がるが、そもそもの戦い方が違うのだ。アルトは隙を見て逐次消耗を狙うが、ヒューダは大きな一振りでしとめるのがスタイルである。
 酒精が回る。意識が回転しながら落ちていく。ミハルに連れられた際の感覚はこんなだったな、と思い出す。
 ふいに物音がした。いつの間にか閉じていた目を薄く開けると、霞む視界に映る、短期間で随分と馴染んだ顔。
 背景の明るさに、とっくに太陽が昇り切った時間帯だと知る。仕事休み取っといて良かった。
 大きく目を見張った幻想に、ぼんやりとしたまま手を伸ばし──。

 「qあwせd」
 「……ん?」

 沸騰するように真っ赤に染まった顔が、盛大に引き攣る。頬に触れた指から伝わる、柔らかい肌の感触と温度。
 ……温度?

 「何だミハル、随分早いご帰還じゃないか」
 「──ッ!」

 寝起きの大音声は耳に辛かった。
 響き渡る金切り声に、ヒューダと同じく爆睡していたらしい雑魚寝の二人が飛び起きて──後はまあ、割愛する。主にティティとの麗しき友情が続くことになったので。
 あいつは本気で兄の恋愛を応援する気があるのか、と思いながら、緩む口元を抑えることはできなかった。

 「……ヒューダ、気持ち悪いんだけど」
 「これが笑わずにいられるかよ」

 ミハルは気付いただろうか、そう何度も訪れたわけではないこの家の、ヒューダの目の前に転移したという事実が何を示しているのか。
 何はともあれ、後顧の憂いが早速一つ減った。後はどう動くかだ。
 早速こちらを鋭く睨む猫に、ヒューダは別れの森と同じ顔で笑った。ミハルの髪を彩るリボンに満足を覚えながら。
ひとまずここまで。
また何かネタが浮かんだら番外編は増えるかもしれません。
ありがとうございました!
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