第一章 1
死霊使い。既に魂が死に絶え抜け殻と化した器に仮初の生命を吹き込み、それを自分の手足のように使役する魔法使い。
その命を弄ぶかのような背徳的な性質からしばしば邪法とも揶揄され、他の魔法使いからはもちろん、一般の人間達からも疎んじられた存在。
そんな魔法使いが何故医術使いまでこなして、何食わぬ顔で医務室にいるのかメルは不思議で仕方がなかった。
死霊使いと医術使いは生命を扱うという似たような立場ながら、その両者は全くもって相反している。
わかりやすく言えば光と闇。本来決して交わることのない二つのはずだった。
ところがその二つを、目の前の男は当たり前のように共有している。
当人曰く、『才能さえあれば誰だってできるよ』ということらしいが、メルは到底納得できなかった。自慢にしか聞こえなかった。というかそもそも、何でこのような男が学院で先生として普通に働いているのか不思議で仕方がなかった。
黒髪のざんぎり頭に丸渕のメガネ。それぐらいしか特徴のないこの優男は、魔法使いのくせに、もっと言えば死霊使いのくせに常日頃から神書を肌身離さず抱えている。格好だって牧師が着ているケープをただ黒く染めただけのようなもので、見た目から言えばほとんど教会側の人間である。
フィアドナ教の一部の過激派によって、教会と魔法界の関係が急速に悪化した現在。それでも尚神書を片手に持ち歩こうなどという行為は、いつ魔法界への反逆ととられてもおかしくなかった。それこそ、魔法学院免職ぐらいならすぐにでもなりえるはずである。
が、この男は何のお咎めもなくここでこうして机に向いながら、普通に先生をしている。
本当、首を傾げることばかりだった。
それでなくても、性格的に破綻しているのに。医務室の管理なんて、この人だけにはやらしてはいけないのに。
メルは異常な医務室を見ながら、ずっとそんなことばかりを考えていた。
***
骸骨がひらひらと踊っている。
骸骨が上品に紅茶を淹れている。
骸骨が器用に肩を叩いている。
フェローネが、にこにこと笑っている。
「……そんな事ばっかりやってるから、僕以外の生徒が滅多にやってこないんですよ」
メルはいつも通りの光景に、いつも通り愚痴をこぼした。
いつ見ても酷い。
今、医務室はある種の地獄と化していた。本来動くはずのないものがカタカタと身体を軋ませながら当たり前のように動き回り、華奢な手を使ってはいどうぞ、と礼儀正しくティーカップを渡してくるわ、フェローネの後ろでは、良くできた孝行息子のように骸骨が一定のリズムを刻んで肩を叩いているわ、その様子を父の暖かい眼差しでフェローネが見守っているわ、しまいには壮絶に激しいステップを踏みながら、人間では到達不可能と思われる超絶ダンスを骸骨が汗ひとつ掻かずに踊って見せるわ、紅茶が悔しいほど旨いわ、思わずおかわりを頼んでしまうわで、普通ならまず間違いなく卒倒してしまいそうな光景がそこには展開されていた。
(何度見ても見慣れない……。って別に見慣れたくもないけど。紅茶は美味しいけど)
生者よりも死者の方が生き生きと働いているという、とんでもない光景。
おかげでどんなに体調の悪い生徒でも余程の場合以外はここには来ないし、来たせいでトドメになったという例まであるらしい。
最悪である。
とはいっても、医務室でサボろうという愚かな生徒が激減したというのもまた事実ではあるが。
とにかく彼がここに赴任してからは、確実に医務室は本来の形を失いつつあった。今ではもっぱら、フェローネの私室である。
「ん?僕は別に君が来てくれるだけで十分満足しているよ。何せ君は全校生徒分の面白さを秘めているからね。
それに誰も来ない方が平和でいいと思わないかい?こうやって、好き勝手出来るからね」
『あ、そこはもういいから次はこっちお願いね』などと肩たたき骸骨に指示を出しながら、フェローネはそんなことを言う。
順序が逆だ、とメルは思った。
好き勝手やってるから誰も来なくなったのだ。
メルは紅茶をすすりながら、心の中で異を唱える。
「まあ、一人診てあげる度に僕のお給金が少しづつでも増えるというなら話は変わってくるけどね。もしそれだったら僕は、彼らをここから喜々として立ち退かせてあげるだろう。そしたらありきたりな普通の医務室に早変わりさ。でも残念ながらそれは有り得ない」
フェローネはわざとらしくため息を吐き、やれやれと首を振る。
その間ベッドに腰掛けていたメルの元へお茶汲み骸骨が三杯目のおかわりをもってきたが、さすがにもういいとそれを丁重にお断りした。本当、働きものである。
「学院は君達からなんだかんだで金を巻きあげている割には、全部正当な使い道で済ましてしまうから結局の所、資金はそんなに貯まってないらしい。というよりもほとんど赤字みたいだからね。本当、間抜けだよ。
少なくとも僕だったらもっと上手くやれるんだけど。ま、それはいいさ。
とにかく、そんな夢みたいな話がまかり通るはずがないんだ。
だから誰も来なくていいよ。もちろん君も。特に君の場合、全校生徒分面倒くさいからさ」
にこっと、朗らかな笑みを見せるフェローネ。その表情からは邪気がまったく感じられず、むしろ聖人君子にしか見えない。
その様子に、メルは心底呆れ返る。
この笑顔をまったく崩さずにこれだけの毒が吐けるなんて、余程腐りきっているんだな、とメルは思った。
「そんなことばっかり言ってると、いつかクビになりますよ……?」
むしろなれ。
とメルは心配という意味合いより、嫌味的ニュアンスで忠告する。
しかしフェローネは、
「僕は大丈夫だよ」
と一言返しただけで全く気にもしていない様子だった。
その証拠にさっきから神書を、堂々と机の上に拡げている。他の先生に見つかったら普通なら大問題だというのに。
しかしメル自身もまた、自分で言っておきながらなんとなくそう思っていた。
きっとそれは有り得ない。
恐らく、彼でなかったら即刻クビな事象でも、『僕は』大丈夫なのだろう。
絶対に、何かがあるのだ。
(もしかして、先生ってお金持ちのボンボンなのかな)
なんて愚にもつかないことを考えて、すぐにそれはないなと首を振った。
有り得ない。
だったらこんなにも、金の亡者のはずがない。
(まあどうでもいいや)
結局、メルは思考を停止した。
考えていてもしょうがない。何せ相手は年齢含め、性別以外が全て不詳で覆われている男なのだ。
自分について語っている所なんて一度も見たことがないし、例え聞いてもてきとうにはぐらかされたことしかない。
それにだからと言って、特に知る必要もない。相手が語るつもりのないのなら、無理に知ろうとする必要もないのだ。
メルはそう結論づけると、今度は早々にここ脱出しなければなと考えた。
メルがフェローネをわざわざ待っていたのは医務室で治療を受けたという証明書を書いてもらうためであり、メルの経験上ここからが長い。
ここを攻略しなければ、ここで骸骨たちと一夜を共にすることになる。
「そう言えば先生。証明書書いてもらえませんか?あれがないと僕授業行けないんで」
先手必勝とばかりに、メルはいきなりそう切り出した。
軽く緊張が走る。
一体今日は、どんな風にはぐらかされるんだろうか。
そう思ってうんざりしつつ眼を向けた先には、骸骨が丁寧に雑巾で床を磨いている姿があった。おそらくさっきまで紅茶を淹れていた骸骨だろう。
なんとも家庭的である。
メルはその様子を見て、一家に一台だなと一瞬でも思ってしまった自分を恥じた。
そしてメルは、フェローネの次の対応に仰天した。
「証明書?ああ、ちょっと待っててね」
なんとフェローネはあっさり承諾し、そのまま机の一番上の引き出しから一枚の紙を取り出した。
そしてそれをそのまま机の上に置くと、軽く右人差し指を紙の上に当て、短く何かを呟いた。
呪文である。
(えっ?)
ジュッと焼けるような音とともにたちまち変化が起こり、フェローネの指が当たっていた箇所に指紋のようなものが浮かび上がる。
ちゃんと本人が見たというサイン。焦印である。
こうして、あっという間に証明書は完成した。
「はい、どうぞ」
あっけらかんとしているメルをよそに、フェローネは至極穏やかな笑顔でそれを渡してくる。
メルは手渡された紙を凝視する。
どこかおかしい所がないか何度も確認し、紙を振ったり逆さまにしてみるがやっぱりおかしい所はない。
この眼で見ていた通りきちんと焦印も施されており、その紙はどこをどう見ても完璧な証明書だった。これさえ提出すれば、担当の先生に怒られることもなく極普通に授業が受けられる。
嘘だ。
「……あっさり過ぎる」
正直、メルは拍子抜けしていた。
身構えていた為だろうか。肩透かしをくらっと気分だった。
「じゃ、じゃあ、帰ります」
まだ釈然としないまま、メルはそう呟く。
上手く行き過ぎた故の違和感が多々残るが、とりあえずどうでもいい。
ここはありがたく立ち去っておこう。
そう思ってベッドから立ち上がり、扉に向かってから、気付いた。
「……って出られないんですけど?」
「じゃあ君も見物していくといいよ。エリザベスのスピリチュアルなダンス」
なるほど、とメルは思った。
今日はそういうパターンか。メルは軽く頭を抑えながら、自分の考えの甘さを呪った。
この男が、そう簡単に帰してくれるはずがなかったのだ。
医務室の出入り口は一つ。
しかし、そこには三体目がいた。存在感のまるでなかった新人のエリザベスが、立ちふさがるようにしてそこで踊っていた。
力強い。
メルはその、形容しがたい程の壮絶ダンスを踊る骸骨の気持ち悪さに圧倒された。
フェローネ曰く、エリザベスは相当高性能な骸骨でかなり値も張ったらしく、確かに他の二体とは異質の動きだった。ちなみに後の二体は、ジョンとポリー。どちらがどちらかはメルに区別はつかない。
とまあそれはさておき、メルはすぐに理解した。
無理に突撃すれば、間違いなく粉骨砕身するだろうと。
間違いなく骨身に沁みるだろうと。
メルは困ったように、深いため息を吐く。
(はあ、どうやって切り抜けよう)
これは骨が折れそうだな、とメルは思った。
***
「うん。今日も君には充分楽しませてもらったよ」
フェローネは心なしか普段より上機嫌な笑みを浮かべて、扉の前に立つメルを見送ろうと椅子から立ち上がる。
「……もう、二度と来ませんよ」
反対にメルはげっそりとやつれていて、相当に疲れた顔をしていた。
扉の向こう側が待遠しい。何を隠そう向こうにはオアシスが拡がっているのだ。
開けた所で廊下しか待っていないが、疲労仕切ったメルの頭ではそんな誇大妄想が膨らんでいた。
考えるのも恐ろしい。それほどまでの地獄が、先程までメルを蝕んでいたのだ。
もう死にそうである。
「二度と来ない?君が魔法使いでいる限り、それは無理だろうね」
フェローネは乾ききったメルをさも面白そうに笑いながら、そんなことを言う。
メルはその言葉にカチンくる。
「なっ、僕はいつか絶対克服します!」
ムキになって反発するメル。
しかしフェローネはそうかいそうかい、とただ笑うだけでまるで信じている様子がない。
完全に馬鹿にしている。
(くそっ)
ますます腹の立ったメルはフンと鼻を鳴らして乱暴に扉を開け、医務室を出る。
そして、さっさと教室にでも向かおうと歩き出した時、
「今日も、見たのかい?」
不意に、フェローネの声が廊下に響いた。
メルは、思わず立ち止まる。
そのまま無視して歩き続ければ良かったのかもしれない。というか、元よりそのつもりだったのだが。
でも、出来なかった。
何故なら、その声に違和感を感じたから。その声に鋭さを感じたから。
「今日も、見たのかい?」
声は、そう繰り返した。
それは子供をなだめすかすように穏やかで、心を抉るように冷たい声。フェローネはたまにこの声を出すことがある、とメルは思った。
この声を出す時。
それは、彼が真剣な時。
メルは医務室の方を振り返る。
そこに、いた。フェローネは、扉から顔だけを覗かして、そこにいた。
メルは、聞いた。
「……何をですか?」
その問いがあってからしばらくの間、沈黙が流れる。気まずい沈黙。
そして、充分に時間が経った頃、彼はこう答えた。
『夢』
と。
メルは、『見ました』とだけ答える。
するとその答えに満足したのだろうか。
フェローネは『今宵もいい夢を』とだけ残して、さっさと医務室へ引き返していった。
「…………」
メルはフェローネが医務室へ戻っていった後も、しばらく医務室の扉を見つめていた。
『夢』のことは少し前、フェローネに話した。
それはあまりにも不思議だったから。もしかしたら、自分の二つの欠陥に関係があるかもしれないから。
医務室の先生なら何かわかるかもしれないと思い、相談したのだが。
(そんなに、あの夢はヤバいのかな……)
メルは少し不安になる。
今夜はなんだか、眠れそうになかった。
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