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特別な休暇。
作者:木立久美子
 事の発端は、たいてい決まって家庭教師の一言だ。
 初めて出会ったときから約5年の月日が流れたけれど、その横暴さは衰えるどころか、むしろ着実に増長しているような気がする。
「ツナ」
「なに、リボーン」
「仕事は終わったか?」
「んー…ちょっと待って…この書類でラストなんだ」
「そうか。なら丁度いいな」
「は、なにが?」
 書きかけの書類から顔をあげると、いつものようにポーカーフェイスを浮かべた黒ずくめの家庭教師が視界に入る。
 彼はにやりと口の端を引き上げて、こう言った。
「俺はちょっと用事があって、これから出掛けなくちゃいけない。…だからツナ、お前は俺がいない間、獄寺と骸にイタリア語のレッスンでも受けておけ」
「はい?」
 獄寺と、骸。綱吉の部下の名前であるが、綱吉は一瞬、何を言われたのか解らずに目を瞬かせた。
 リボーンはそんな教え子の様子を見て小さく笑い、そのまま黒いアタッシュケースを手に、「じゃあ行ってくる」と言って部屋を出て行く。
「えっ、あ、ちょ、おいこらリボーン!」
「さぼるんじゃねぇぞ」
「な、ちょっと待って…」
 ぱたん。
 呼び止めたところで、止まってくれるような彼ではない。無情にも扉は閉められた。
 綱吉は途惑ったように口をぱくぱくさせ、やがて諦めたのか溜め息を吐きながら椅子に座り直す。
 家庭教師が一体どういう意図でレッスンを、しかも、獄寺と骸に教えを受けるよう自分に命じたのか、詳しいことはよく解らなかった。
 けれど、ただ純粋に自分の語学力向上を思って言われたのではない、ということだけは、彼と長年の付き合いを持つ綱吉にとって、悲しいぐらいに明白なのであった。


 イタリア裏社会の頂点に立つ巨大マフィア、ボンゴレファミリー。
 その十代目ボス・沢田綱吉は、温厚柔和で争いを厭う、大変おとなしい人物だった。多少ドジなところはあるものの、部下達からは篤い信頼を得ている。若干18歳ながらドン・ボンゴレを襲名し、まだ経験は浅かったが、仲間思いの良きボスであった。
 ただ、そんな彼だからこそ、日々の苦悩はとてつもなく多く、絶えることがない。
 なにしろ彼の周りにいる家庭教師や部下、特に幹部級である6人の守護者達はとんでもない非常識人ばかりなのだ。
 例をあげるとすれば、天上天下唯我独尊なドン・ボンゴレ専属の家庭教師を筆頭にして、敵味方問わず「咬み殺すよ」な戦闘マニア、十代目命の自称右腕ダイナマイト野郎、前世の記憶があるとか言うパイナップル頭。そして、笑顔で日本刀を振り回す天然ボケ男や、すぐに泣き出すブドウ大好き少年、ボクシング命の暴走パンチニストなどなど、その豊富なレパートリーは尽きることがない。
 綱吉にしてみれば、どうしてここまで個性的な人間が、学生時代ダメツナと呼ばれていた自分の周りに集まったのだろうかと、はなはだ疑問なのである。
 もっとも、綱吉はそんな彼らに振り回されこそすれ、疎んだり恨んだりということは絶対にしなかった。
 彼らは綱吉がドン・ボンゴレに就任する以前から交友があり、苦しいとき共に戦ってくれた大切な仲間だからだ。
 守護者達も口に出しこそしなかったが、そんな優しい綱吉のことを心から好いていたし、彼のためなら命を懸ける覚悟があった。
 だからこそ彼の後についてイタリアへ渡ったのだ。
 日常の生活を捨て、マフィアという闇の世界に身を投じてまで。


「失礼します、十代目…―――って骸!?」
「おや」
「てめえ、なんで十代目の部屋に居やがるんだよ。邪魔だ、失せろ!」
「それはこっちの台詞ですよ。僕が目障りなら、君が出て行けばいいだけの話だ」
「なんだと…!」
「は、隼人、骸も…落ち着いて」
「おや失敬な。僕は充分に落ち着いていますが」
「骸っ、十代目に口答えするんじゃねえ!」
「あーもう…」
 顔を合わせるやいなや小競り合いを始めた守護者達に、綱吉は頭を抱えて呻いた。
 そんな綱吉の様子に何を勘違いしたのか、獄寺は「ほら見やがれ、お前のせいで十代目が困ってらっしゃるじゃねえか。早く出て行けこのパイナップル頭!」とダイナマイトを取り出す。骸はそんな獄寺を鼻で笑って、「ケンカを売るなら買いますよ」と立ち上がり、右目の力を発動させようとした。―――格闘スキルの、修羅道だ。
 それまでなるべく現実を見ないようにと目を背けていた綱吉も、それを見た途端、大慌てで2人の間に割って入った。
 こんなところで大暴れされて、部屋が壊されてはたまらない。…いや、部屋だけで済めばまだいいが、最悪の場合は屋敷そのものを破壊される可能性もあった。
「やめろよ、隼人。非常時以外ダイナマイトは使わないで、って言っただろ」
「し、しかし…」
「ダメって言ったらダメだ。…骸も」
「ボスのご命令ならば仕方ありませんね」
 シニカルな表情を浮かべながらも骸が退いたのを見て、獄寺も渋々ながらダイナマイトを懐に収めた。
 綱吉は、とりあえず一安心、と胸をなでおろす。
 ―――まったくリボーンは何を考えているのだろう。この2人のそりが合わないことぐらい重々承知であろうに、その上でなぜ自分の臨時家庭教師に命じたのか。
 しかも2人の様子からして、彼らはどちらとも、綱吉にイタリア語を教えるのは自分1人だと勘違いしていたらしい。
「でも、どういうことなんですか、十代目。俺はリボーンさんに言われて来たんですが…」
「僕も同じです。君にイタリア語を教えるようにと、アルコバレーノに頼まれました」
「え、えっと…」
 2人にぐいっと詰め寄られ、綱吉は困ったように口ごもった。
 獄寺と骸は、互いに負けず劣らず美形である。容姿の整った彼らであるからこそ、こんな至近距離で見つめられると物凄い迫力だ。見慣れた顔であるとはいえ、正直言うと少し怖かった。
「2人を同時に呼び寄せたことについては…俺もよく分からない。というか、むしろ俺がリボーンにどういうつもりなのか問いただしたいくらいだし」
 もっとも、問いただしたところで明確な返答をもらえるとは思っていない。
 それくらい自分で考えろダメツナが、と返されるのが落ちだろう。自分勝手で理不尽なことこの上ない。
 しかしだからといって、最強最悪の家庭教師である彼の言いつけを守らなければ、後に容赦なく銃口を向けられることが想像に難くなかった。もしかしたら本当に撃たれるかもしれない。それだけは避けたい。どうしても。
 骸も似たようなことを考えたのだろうか、綱吉と目が合うと、唇の端に笑みを浮かべた。
 綱吉はそんな彼に苦笑を返し、そしてもう1人の守護者にも目を移す。
 隼人、と学生時代からの友人の名前を呼んだ。
 ファーストネームで呼び始めたのはごく最近なので、まだあまり馴染まないが、彼自身は苗字で「獄寺君」と呼ばれるよりも、「隼人」と呼び捨てにされるのが嬉しいようだった。ただし、十代目限定で。
「…とりあえず…イタリア語の勉強、始めない?」
 何はともあれ、リボーンの言いつけは守っておいた方がいいだろう。
 考えることは皆同じなのか、守護者達も「わかりました」と意外なほど素直に頷いた。


「うーん…どうも発音が下手くそですねぇ」
「わ、悪かったな…っ」
「大丈夫ッスよ、十代目。読み書きはかなり上達してますし!」
「ええ、そうですね。幼稚園児並みだったものが、ようやく小学生レベルに達したというところでしょうか」
「…うっ…」
「てめえ骸っ、いちいちケチ付けるんじゃねぇよ!」
「事実を述べているまでです」
「何を…!」
「あーっ、だからケンカはするな、ってば!」
 レッスンが始まって約一時間。
 綱吉が2人の間に割って入るのも、これで既に5回目ぐらいにはなるだろう。
 まったく、何故この人たちはもう少し仲良くすることができないのか。
 綱吉はそんなことを考えて溜め息を吐きだしたが、でも急に和気藹々になったりしたら、それはそれで不気味だな、と思い直した。
 所詮、骸は他人に全てをさらけ出せるようなタイプではないし、獄寺は獄寺で、綱吉と出会うまではマフィア界でも有名な悪童だったのだ。人間の本質は、そう簡単に変えられるものではないだろう。
「うう…やっぱりイタリア語って難しいよ。日本語の発音とまるっきり違うし。…まあ、俺の覚えが悪いせいもあるんだろうけどさ」
「同感ですよ。まったく、毎日聞いている言葉なのに、どうしてここまで上達が遅いんでしょうかねぇ」
「…ああ、はいはい。ゴメンナサイ。どうせ俺は頭が悪いよ…」
「そ、そんなことないですよ、十代目。それに、今の時期は忙しくてなかなか勉強時間がとれないから、仕方ないことだと思います」
「おや、獄寺隼人。甘やかしすぎるのはボスのためにも良くないと思いますが?」
「てめえは黙ってろ、骸!」
「隼人、頼むからダイナマイト出さないで…」
 綱吉は疲れ切って、ぐったり机に倒れ込んだ。
 本当に、リボーンはどうしてこの2人を代理家庭教師に命じたのだろう。
 確かに、6人の守護者の中で一番イタリア語が上手いのは彼らだろうけれど。でも、それを言うなら別にバジルや他の部下たちでも構わなかったはずだ。バジルは守護者ではないけれど、綱吉の父の弟子であるからきっと親切にしてくれるだろうし、むしろハチャメチャ個性爆発集団の守護者達を相手にするよりは、ずっと落ち着いて勉強が出来るはずである。
 となると、やはりリボーンの目的は綱吉の語学力向上ではない、ということか。
「…少し、休憩しますか。気分転換も必要でしょうから」
 骸がそう言うと、綱吉は一も二もなく頷き、獄寺は「じゃあ外の奴らに何か持ってこさせます」と、扉の外で待機している部下へ声を掛けに行った。


「わ、良い匂い」
「イギリス産のアールグレイです。ハルの奴が、この間の休暇に買ってきました」
「こっちのクッキーは?」
「ハルが休憩時間に、髑髏と一緒に作ったらしいッス」
「へえ…」
 暫くして運ばれてきた紅茶とクッキーを見て、綱吉は嬉しそうに口元をほころばせた。
 骸も、妹同然に可愛がっている髑髏の手作りとあって、満更でもなさそうな顔をしている。
 美味しそうだね、いただきます、と、ただでさえ童顔な容姿を更に幼くさせて言った綱吉は、クッキーを一枚つまんで口へ運んだ。サク、と一口かじると、口の中にほどよい甘さがじんわりと広がる。
「美味しいですね」
 骸が思わず呟き、続いて綱吉と獄寺も同意するように頷く。
 ―――…本当に美味しかった。後で彼女たちに礼を言っておこう。もしかしたら、また作ってもらえるかもしれない。
「ハルの奴、また腕を上げたな。事務仕事よりこっちの方が向いてるんじゃないか?」
 冗談半分に綱吉が言うと、獄寺は大真面目にそうかもしれませんねと頷いた。
 骸の補佐をしている髑髏とは違い、ハルは非戦闘員で、普段は綱吉の秘書的な仕事をしてくれている。
 綱吉の補佐は基本的に自称右腕である獄寺がするのだが、彼の忙しいとき、手の回らない細々とした雑用をハルがやってくれているのだ。
 もちろん失敗もあったが、最近は慣れてきたらしく大分テキパキとこなしてくれるようになっている。ただ、十代目のことに関しては特に完璧主義の獄寺にとっては、まだ不満も多いらしい。
 しかし、昔から頑張り屋のハルは、ボンゴレファミリーに入った今も憧れのツナのために一生懸命で、しょっちゅう獄寺とケンカをしながらも、暇なときはこうしてクッキーなどのお菓子を作って差し入れしてくれたりしていた。
「そういえば、アルコバレーノは一体何の用事で出掛けたんです?」
 暫く紅茶とクッキーを味わった後、思い出したように骸が尋ねた。綱吉は首をひねって、さあ、と曖昧に返す。
 獄寺もリボーンの出掛けた理由は知らないらしい。綱吉が「知ってる?」と問いかけるように視線を向けても、無言でふるふると首を横に振った。
 まあ、あの家庭教師のことだ。誰にも教えていないと考えるのが妥当である。自分が動く理由をその都度わざわざ教えてくれるような相手なら、綱吉だって今までにこれほど苦労することはなかっただろう。
「…まあ、考えないことにするよ。どうせ、またいつもの気まぐれかもしれないし」
「賢明な判断ですね」
「うん。慣れちゃったから」
「ご愁傷様です」
 骸が楽しげにクフフと笑い、飲み終えたカップを静かにテーブルの上へ置く。
 そのとき扉の方から、こんこん、とノックの音が聞こえた。
「おーい、ツナ。入っていいか?」
「あ、武。帰ってきたんだね。いいよ、入って」
 先週から、他ファミリーの視察のためにアジトを出ていた山本が帰ってきたらしい。
 綱吉が返事を返すやいなや、がちゃりと扉が開く。
 ただいま、仕事ちゃんと終わらせたぜ、と笑みを浮かべた山本が、黒いスーツ姿で入ってきた。
「あれっ、獄寺と骸も居たのか」
「いちゃ悪いかよ」
「いや、悪かないけどさ。ちょっと珍しい組み合わせだなと思って」
「僕だって不本意ですよ。アルコバレーノに頼まれただけです」
「ふーん?」
 傍で見ている綱吉がハラハラするほど冷ややかな対応をする獄寺と骸に、山本はまったく動じない。
 単に慣れてしまったからだとかそういう問題ではなく、彼は元来マイペースな性格なのだ。
 天然ボケというか神経が図太いというか、ある意味かなり大物である。
「おっ、いいもん食ってるな」
 3人が食べていたクッキーに目を付けて、山本が言った。
 綱吉が「食べる?」と皿を持ち上げて差し出すと、山本は「うん、食べる」と嬉しそうに手を伸ばした。
 立ったままかじりついては行儀が悪いと思ったのか、クッキーをつまんだあと綱吉の隣へ腰を下ろす。
 綱吉の部屋には一番奥に仕事用のデスクが置かれてあり、部屋の中心には上客をもてなしたりするための、大きなテーブルがあった。今、綱吉達が座っているのはその周りにある黒革のソファで、扉から向かって右奧に綱吉、その向かい側に獄寺、大分スペースを空けてその隣に骸が座っている。
 綱吉が座っている方のソファはかなり大きくゆったりとしていたので、守護者の中で最も長身である山本が座っても、全然狭くは感じなかった。
「で、武。視察はうまくいったのか。皆、ケガとかしなかった?」
「ああ、もちろん。部下も全員、無傷だぜ。途中で笹川兄の部隊にも遇ったけど、あっちも首尾は上々だってさ」
「そっか。良かった」
 綱吉はドン・ボンゴレに就任してから、山本のことを「武」と呼ぶようになった。
 正確に言えば、獄寺の呼び方を「獄寺君」から「隼人」に変える際、傍で聞いていた山本が「あ、じゃあ俺のことも下の名前で呼んでくれよ」と笑顔で綱吉に申し出たのである。屈託のない彼らしい切っ掛けだった。
 では、そもそもなぜ獄寺の呼び方も変えようという話になったのかというと、最初にそのことを言い出したのはリボーンだった。
 ドン・ボンゴレともあろう者が、いくら学生時代からの友人とはいえ、部下のことをいつまでも君付けで呼んでいるのは他の部下に示しが付かない、と。
 獄寺もその意見に賛同したので、綱吉はそれ以来彼のことを「隼人」と呼ぶようになったのだ。
 「獄寺」と苗字を呼び捨てにする案もあったのだが、綱吉はそれを「なんか俺らしくないし、友達っぽくないよ」と言って却下した。
 綱吉にとって、―――…たとえ周囲が何と言おうとも、獄寺をはじめとする守護者達は自分にとって大切な「仲間」であり、「部下」と呼べるような存在ではなかったからだ。
 大好きな仲間だから、危険な目には遭わないで欲しい。ケガをしないで、みんな元気で帰ってきて欲しい。
 大切な友達を、自分のせいでマフィアの世界に巻き込んでしまったのだと負い目を感じている綱吉にとって、それは最も強い望みだった。たとえ、その友達本人が巻き込まれたなどとは思っていなくても。
「極限!」
 その時、少し離れた場所―――玄関の方から声がした。
「あ、お兄さんも帰ってきた」
「ははっ、相変わらず大きな声なのな」
「…やれやれ、また騒がしくなりますね」
「そういえば、ヒバリのヤローもそろそろ帰ってくる時間ッスよ」
「あ、うん、そうだね。今日の午後って言ってたし」
「ほう…」
「な、おい、ちょっと骸。何なんだよ、その顔は。また帰っていきなりバトル開始!とかやめてよねっ」
「おや。心配してるんですか。安心してくださいよ、そんなことしません」
「どうだか。この間だって、見張りについててくれてた人が血相変えて俺んとこに飛び込んできたんだよ。霧と雲がまた乱闘を始めました!って」
「クフフフフ」
「笑い事じゃないってば。…隼人も、いまだにランボのことアホ牛アホ牛って苛めるし」
「うっ…い、いや、あれはアホ牛が…その…」
「言い訳無用。この間も泣き付かれちゃったんだからね、俺」
「あはは。まあまあいいじゃねぇか、ツナ。面白いし」
「どこが!」
 わいわいがやがやと、途端に屋敷が騒がしくなる。
 ばたん、と扉が開いたかと思うと、見慣れた顔が次々と中へ入ってきた。
 了平、雲雀、そしてなんとランボまで。
「帰ったぞ、沢田!」
「邪魔な害虫の駆除、ちゃんと終わらせてきたよ」
「は、はい。お疲れ様でした」
 仕事完了の報告をすませた了平と雲雀に、綱吉がぎこちなく頷く。
 ランボは部屋に入った途端テーブルに目を釘付けにして「あ、クッキーだ!」と言った。…どうやら他の2人とは違い、ただの暇つぶしでこの部屋にやってきただけらしい。
 ボスの部屋へ暇つぶしで遊びに来る部下というのも変な話だが、ランボは綱吉の弟のようなものだったし、雷の守護者とはいえまだまだ幼い。最近はなるべく綱吉のことを「ボス」と呼ぶようにしているようだが、たまに昔の癖で「ツナ」と呼んでしまうこともあった。
 そのたびに獄寺に怒られ、すねて泣き出すランボをなだめるのは、いまだに綱吉の役目である。
「ははは…なんか一気に部屋がにぎやかになったなぁ」
「これじゃ勉強も出来ませんね」
 綱吉が苦笑し、骸も笑った。どうやら雲雀とケンカをしないと言ってくれたのは本当らしく、武器を取り出すそぶりも見せない。
 雲雀も仕事帰りでさすがに少し疲れてしまったのか、自分から勝負をふっかけるようなことはせず、報告を済ませた後すぐに部屋を出て行った。
 一応、お茶でも飲んでいきませんかと綱吉が声をかけたが、断られた。
 学生時代ほどではないとはいえ、雲雀はいまだに他人と群れるのが好きではない。性分なのだろう。確かに、一匹狼が誰よりも似合う人ではある。
 少し残念だな、せっかく皆そろったのにな、と綱吉が思っていたとき、ランボがとことこと歩いて傍へやってきた。
 ツナと山本の間にちょこんと座り、少し拗ねたような表情を浮かべつつ、他の年上の守護者達の様子をじっと眺めている。
「…あーあ…いいなあ…皆」
 ランボはもう牛の着ぐるみを着るのをやめて、代わりに牛柄のシャツと黒の短パンを身につけている。髪の毛も、幼少時特有の癖が少し残ってはいるが綺麗な巻き毛だ。
 ここ最近ぐんぐんと背が伸びて、歳の割には背が高かった。とは言っても、まだ綱吉よりは頭半分ほど小さい身長で、身内に見せる表情はまだまだ子供らしさが漂う。
 そんな自分を自覚しているのか、指先で自分の黒髪をくるくると弄りながら、ランボは小さく溜め息をついた。
 内心、焦っているのだろう。守護者の中で一番年下である上に、今の自分にはまだ、その役目を果たせるだけの充分な力が備わっていない。
「…ねえ、ボス。俺も早く仕事がしたいですよ」
「だ、だめだよ、ランボはまだ10歳なんだから」
「リボーンなんかほんの6歳じゃないですか!」
「あいつを普通の6歳児と一緒にしちゃダメだろ!」
 ランボも普通の10歳児ではなかったけれど、リボーンと比べればかわいいものだ。
 だけど俺ボスの役に立ちたいんです、と泣かせるようなことを言う雷の守護者に、危うく綱吉はぐらついてしまうところだった。5年前のランボならば、こんな献身的な台詞など間違っても言わなかっただろう。
 子供の成長ぶりを目の当たりにした父親のような、なんだか複雑な気持ちである。
「なーんだ、ランボ。俺たちのこと羨ましいのかよ」
 それまで、隣の方で獄寺と何やら話し込んでいた山本が、ひょいっと首を突っこんできた。
 もしかしたら、綱吉達の会話を最初から聞いていたのかもしれない。
 彼は独特の明るい笑顔を浮かべると、「大丈夫、大丈夫」と言いながら、大きな手のひらでランボの頭をぐしゃぐしゃ撫で回した。
「焦んなくても、お前が強くなること俺達ちゃんと知ってっからさ。最近お前すげぇ頑張ってるだろ。ツナもそこんとこ見てるんだよ。だから、慌てなくていーんだぜ?」
「そうだアホ牛。あんまり十代目を困らせるんじゃねえぞ。十代目は、お前自身よりも、お前のことをちゃんと解ってらっしゃるんだからな」
「う…」
 獄寺の言葉が駄目押しだったのか、ランボは俯いて、少し悔しそうに頷いた。
 その様子を見て、綱吉もホッと安心して微笑む。
 丁度、そのときだった。
「…ほーお。随分と賑やかじゃねえか」
 涼やかな声が響いた。
 まだ変声期を終えていないであろう少年の声だったが、その口調に含まれる大人びた雰囲気と貫禄が、わずかに残った幼さを相殺している。
「リボーン!」
「勉強ははかどったか?」
 ボンゴレファミリー最強最悪の家庭教師が、ノックなしに扉を開け、綱吉の方を見つめて悠然と微笑んでいた。


「なんだ。テキストはほとんど進んでねえじゃねーか」
「う…それは、あの、その…えっと、つまり…」
「2人も家庭教師がついていながら何やってたんだ?」
「す、すみませんリボーンさん」
「僕のせいではありませんよ」
「おい骸っ、1人だけ責任逃れすんな!」
 骸、獄寺を除いた守護者達は、リボーンに言われて部屋を出て行った。
 一体どんな小言を言われるのだろうかと、綱吉はソファの上で縮こまっていた。
 不安で体を硬くしながらも、もし隣の2人が暴れ出したらすぐ止められるように気を配ることも忘れない。――…ボスに就任してから、自然と身に付いたものだ。あまり嬉しくはなかったが。
「り、リボーン。今日できなかった分は、明日ちゃんとやるから…」
「アホ。明日は明日で仕事が詰まってんだよ。書類もわんさか来るからな」
「マジかよ!」
 綱吉は顔を歪め、呻くような声を出した。
 リボーンはそんな教え子の様子を嘲るように、肩に乗ったレオンを指で遊んでやりながらニヤッと笑った。
「…で。勉強サボって何してたんだ」
「べ、別にサボってたわけじゃ…」
「な・に・し・て・た・ん・だ・?」
「う…」
 綱吉は救いを求めるように、両端の守護者2人をチラチラと見やる。
 しかし獄寺は綱吉と同じように困り果てた表情をしていて、目が合うと更に顔を曇らせた。今が口のきける状況だったならば、心底申し訳なさそうな声で「すみません」と謝ってきただろう。リボーンに敵わないといった点では、彼も綱吉に負けず劣らずである。
 骸は骸で、獄寺とは逆に、我関せずといった風情で目をそらした。フォローしてくれるどころか、その様子はむしろ事の成り行きを見極めようとしている第三者のようで、少し楽しそうにさえ見えた。
 ――――ああ、溜め息が出る。
 そんな2人とのコンタクトを数瞬のうちに済ませた綱吉は、仕方なくリボーンと向き合った。
 もとより、誰かの助けを本気で期待していたわけではない。この家庭教師の詰問から逃れることなど出来るわけがないのだと、これまでの経験上わかりきっていたのだ。
「…さ、最初のうちは、普通に会話とか筆記とかの練習してたんだけど…」
「けど?」
「途中で集中力が切れちゃって…だから、骸が少し休憩しようって言ったんだ。それで、隼人が部下に頼んで紅茶を持ってきてくれて…」
「ほお」
「そしたら、運良くハルが用意してくれたクッキーまであって…」
「クロームも一緒に作ったんですよ」
「うん、わかったから少し黙ってて骸。…で、それが思ってたより美味しくてさ」
「なるほど」
「量は沢山あったし…つい食べ過ぎたというか…気づけば皆も帰ってきて…」
「わかった」
 綱吉のたどたどしい説明を、リボーンは自分勝手に打ち切った。
「つまり、こういうことか。紅茶とクッキーが美味くて、皆でわいわい食ってるうちに、時間が経つのも忘れてしまっていた、と?」
「…おっしゃるとおりで」
「まったくお前はダメツナだな」
「…うう」
「すみません、十代目。俺もうっかりしてました」
 うちひしがれている2人(骸は除く)に、リボーンはフッと笑った。
 気配でそれを察知し、馬鹿にされているのかと思って顔を上げた綱吉は、次の瞬間、驚いたように目を瞬いた。
 そのときのリボーンの顔は、例の嘲るような笑みではなく、まるで全てが自分の思い通りに上手くいったときのような、満足げな表情が浮かんでいたからだ。
 困惑した綱吉が何かを言う前に、リボーンが問いかける。
「楽しかったか」
「え?」
 綱吉がきょとんと聞き返す。獄寺も顔を上げた。骸は、おや、と少し意外そうにリボーンを見た。けれど深入りしてこない辺り、あくまでも自分は傍観者に徹するつもりらしい。
 リボーンの言葉は続く。
「楽しかっただろう、ツナ。久しぶりに守護者全員がそろったからな」
「あ…」
 唐突に、綱吉は理解した。
 今日の一日は、リボーンが用意してくれた特別の休暇なのだと。
 
 9代目が現役を退き、次代を綱吉に譲ってからまだ半年も経っていない。
 世代交代が行われるときは、ファミリーが最も混乱し落ち着きをなくす時期でもあったし、それを狙って襲撃を仕掛ける反抗勢力も少なくなかった。
 もちろん、ファミリーの危機となればバジルをはじめとした門外顧問チームが黙っていないし、やすやす襲われるほどボンゴレの守備も弱くはなかった。もしもボスの身に危険を及ぼすような要素が少しでもあるなら、6人の守護者を筆頭にファミリー総出で対処するだろう。
 実際、雲雀・了平・山本の3人は、ここ一週間そういった敵対勢力の排除のために出掛けていた。
 相手は、裏でひそかに連合を組んでいた中小マフィア2つ。
 どちらも個々の力はそう大したことはないのだが、放っておいても後々やっかいだということで、リボーンの提案から雲・晴・雨の守護者とその部下の、合計3部隊が敵対勢力の殲滅へと乗り出すことになったのである。
 綱吉自身が出向くことではなかったので、現場での指揮はそれぞれ守護者たちに任せていたのだが、事務処理などに追われる綱吉はたいへん忙しく、参っていた。
 何日も、ずっと自室に缶詰状態で、普段は絶対に戦いたがらない綱吉が、いっそのこと俺も皆と一緒に暴れてきたいなあ、なんて思ってしまうぐらいに。
 何より綱吉は、大切な仲間が自分のために血を流すことを、とても心苦しく感じている。自分ばかりが安全なところに身を隠しているようで、情けなかった。
「そうか。気、利かしてくれたんだな」
 リボーンは、それらすべてを解っていたのだろう。
 だから今日こうして、綱吉が仲間たちと過ごす時間を、わざわざ設けてくれたのだ。綱吉が休息を得るための大切な時間を。…精神的な休息を得られたのかどうかは少し疑問が残るが、良い気分転換になったのは確かだった。
「ありがとう、リボーン」
 そう言ってふわりと笑った綱吉は、どう贔屓目にもマフィアのボスには到底見えなくて、最強の家庭教師はやれやれと心の中で溜め息を吐いた。
 こいつの甘さは、多分、一生消えることなどないんだろう。

「そうだったんスね…さすがリボーンさん!」
「で。つまり僕らは、茶飲みの相手として利用されただけ、ってことですか」
「おう、本当は山本とかの癒し系に頼みたかったんだが、あいつ忙しくてな。お前ら2人は最近わりと暇そうにしてたし、他に良さそうなのもいなかったから、仕方なく依頼したんだ。ついでに、イタリア語を教えるって口実も作れたしな。ご苦労だったぞ、獄寺、骸」
「ひ、暇そう…って」
 その言いぐさに、綱吉と獄寺は顔をひきつらせた。
 骸は変わらず平然を装っていたが、さすがに気分を害したらしく少し眉をひそめている。
「失礼ですね、アルコバレーノ。出陣命令さえ出してもらえていたなら、僕もマフィアの殲滅に喜んで参加しましたよ」
「今回は作戦の都合上、どうしても雲雀の力が必要だったんだ。お前を雲雀と一緒に仕事させると碌なことがねーからな。だから骸の部隊には出陣許可を出さなかったんだぞ」

 非常に賢明な判断である。

「それにしても気に入らないッスよね、十代目。どうして山本の野郎が癒し系なんスか」
「え、ツッコミどころはそこなんだ?」
 綱吉はそう言って、守護者2人の不機嫌そうな顔と、家庭教師の満足げな顔を見比べて、久しぶりに心から笑った。



 家庭教師の横暴ぶりにも、このときばかりは感謝した綱吉であった。

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