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 四限目の授業を終了前に切り上げ、銀崎はコンピュータールームを目指し、歩き始めた。

 通い慣れた廊下が、かつてなく長い。

 胸の高揚を押さえ、平静を装うのに苦労した。

 高校時代、日本一と名高いマインスイーパマニアを訪れた時でさえ、ここまで興奮はしなかった。 

 ネットで知ったその男は、自らのサイトに高速クリア動画を掲載し、日本最速を自称していた。そのタイムは当時の銀崎より数秒早く、動画の手並みは鮮やかだった。数度のメールのやり取りの後、銀崎は男と勝負する機会を得た。だが、結果は納得いくものではなかった。

 男は、余りに弱かった──対人というプレッシャーのためだろうか、動画の鮮やかな手捌きはなく、つまらないバーストを繰り返した。銀崎のプレイを見てからはさらに顕著だった。

 決着後、言い訳を重ねる男に対し、銀崎は「再戦はいつでも受ける」と返答した。だが、男からの連絡は以後、途絶えた。のみならず、ネットの数少ないマインスイーパファンに悪評を回され、銀崎の相手をする者は誰もいなくなった。

 銀崎に失望はなかった。人間関係を持たない者は、そも他人に期待をかけない。求めていたものが、国内では見つかりそうにないという事実に嘆息しただけだった。大学に入った後は、いずれ留学しようと決めた。

 そんな銀崎にとって、鮒木の存在は新鮮だった。 

 鮒木という男を初めて知ったのは、かすみとつきあい始めてすぐの頃だ。

 取り巻きの一人ながら雑談の輪に加わることなく、気付くと鋭い視線を自分に突きつけている。学生時代を通し、その手のやっかみには慣れていた銀崎だが、つかず離れずの奇妙な距離感に興味を持った。

 かすみに聞けば、高校からの友人だという。人間関係に不慣れな銀崎でも、経緯を聞けば鮒木の気持ちは容易に想像出来た。かすみの鈍感さには内心呆れたが、ある種の残酷さも対人関係には必要なのかと、その時は思った。

 二度目の邂逅は、コンピュータールームだった。偶然の邂逅だったが、いつになく真剣な鮒木の様子に、いつになく興味を覚えた。気付かれぬよう、そっと覗いてみた。

 そこには、灰色の地雷原が広がっていた。

 常ならぬ衝撃を銀崎は覚えた。 

 観察する限り、鮒木は完全に初心者だった。法則もろくに知らず、簡単に地雷を踏む。だが、そのハンドスピードと精確さは、素人離れしていた。何より、没入度が違った。鬼気迫るものがあった。

 マインスイーパについて、かなり控え目ながらかすみに話したことを銀崎は思い出し、鮒木の行動を理解した。

 鮒木の修行姿は、以後も折に触れ、そこで見られた。

 めきめきと上達するその様からは、寝食を忘れる日常が読み取れる。

 日本にはいないと諦めた相手が、これほど傍で生まれようとしている。

 自分を仮想敵とするその男に、いつしか期待する自分がいた。

 かすみの突飛な思いつきから、図らずも鮒木との対決は実現した。

 銀崎の見る限り、鮒木はまだ自分の域にない。

 成長速度は驚異的だが、勝負にはまだ早すぎる。

 だが──手を抜くつもりは一切ない。鮒木が逃げるとも思わない。   

 それは、幾多の地雷原を駆け抜けた男の確信だった。


 コンピュータールームの扉を開けた銀崎は、目を丸くした。

 部屋は、無人だった。

 ギャラリーは誰一人として来ていない。かすみから連絡が回ったのかもしれない。

 それはいい──銀崎を驚かせたのは、そんなことではない。

 モニターの前を陣取る太い背中。鮒木だった。授業を途中で抜け出した、自分より早いとは意外だった。

 その指先が、これも意外な音を奏でるている。鉛筆を削るようにシャープな音だった。マウスのそれではない、リズミカルな響き。

「……いつからいた?」

「少し前からだよ……悪あがきがしたくて、な」

 振り向かず応じる鮒木。銀崎が画面を覗き込む。

 三度目の意外が、そこにあった。

 モニタに立ち上げられたソフトは、マインスイーパではなかった。

 フリーの描画ソフトだ。ほぼマインスイーパに等しいサイズに設定された無機質なキャンバスに、幾重もの円が描かれている。

 鮒木の太い指に、銀崎は細いプラスチック製のペンを見つけた。

 シャオン──右手が動き、新たな音が生まれる。

「……ペンタブ、か」

「ああ」

 それが、鮒木の鞄にあったビニールの正体だった。

 ペン・タブレット、通称ペンタブとは、マウスから派生した描画ツールの一種だ。感知式のパッドとペンの二つからなり、マウスパッド上でマウスを動かす要領で、パッドに描いたペン先の動きをポインタに伝える。描くことに特化したツールだけに、その速度はマウスを遥かに凌駕する。

 今しも、軽やかに、新たな円が描き加えられた。

「たいしたものだ」

 台詞とは裏腹に、銀崎は無感動な様子で続けた。

「だが──?」 

「どうだろうな」

 秋空のような鮒木の顔に、迷いの雲がよぎった。

「……なあ、銀崎。お前は、何で……」

「どうした」

「いや……やっぱりいい」

 描画ソフトを切ると、鮒木は立ち上がった。

「始めようか」

「ああ」

 無音で立ち上がるはマインスイーパ。

 魂を引き寄せて止まぬ、灰色の戦場。

 対峙する二人の戦士に、もはや言葉は不要だった。

 

 

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