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 飾り気のない校舎の中を、当て所なく鮒木は歩いていく。

 廊下に並ぶ教室の扉越しに、くぐもった教授の声が漏れている。四限目の講義のさなか、校内に学生の気配は少なかったが、もし多くても、同じことだった。今の鮒木の眼中には入らない。

 準決勝における一連の出来事に、鮒木の精神は揺れていた。

 全てが衝撃的だった。

 侮辱に対し、躊躇いなく拳を握る誇り高さ。

 自身の記録を上回る未完のベストタイム。

 未練なく、それを放棄する潔さ。

 ──しかし今、鮒木の心を占めるのは、そのどれでもない。

 マインスイーパは、時に言葉より雄弁だ。

 専門家が、芸術作品から作家自身の人生を読み取るように、鮒木も銀崎のプレイから読み取ったのだ。伊達に日夜、マインスイーパに明け暮れていたわけではない。

 しかし、その結論は、鮒木自身にすら信じがたいものだった。

 代議士の息子。法学部主席。ヨット部のホープ。

 自分を含む誰もが抱くエリート像が、かりそめに過ぎないことを結論は示唆している。恐らくはかすみも知らない真実が、その奥に秘められている。

 もしそうなら──絶対に勝てない。

 戦慄と焦燥感が、鮒木の脚を交互に突き動かしていた。

 野良犬のように何度も構内を周回した末、鮒木は自分が何をしているか理解した。

 銀崎を、探しているのだ。

 自分の得た感覚が、真実なのかを問うために。


 やがて、とある教室の前で、鮒木は求める声を聞きつけた。

 わずかな扉の隙間から中を覗きこむ。未使用らしい教室で、かすみと銀崎の二人が向かい合っていた。

「……してわからないの?わたしの友達なんだよ? ミンナ、引いてたじゃない!」

「お前の友人が全て、俺の友人とは限らない」

「尊重くらいするモンでしょ?」

「するさ。クズ以外ならな」

「クズって……そんな言い方しなくても!」

「クズはクズだ。何度でも言う。友人は選べ」

「そんなの、わたしの勝手じゃないの!」

「博愛主義も、度が過ぎれば迷惑する奴が出る」

「──何のコト? それが銀崎くんだって言いたいの?」

「……………………」

「とにかく、ゲームくらいで人を殴るなんて、サイテーだよ」

「そうか」

「言い訳もしないの?」

「しない。あいつが侮辱したのは、俺だけじゃない」

「──じゃあ、もういい! 勝手にすれば!」

 慌てて鮒木が隠れた直後、乱暴に開いた扉から女が飛び出した。

 振り乱した髪。化粧の崩れた泣き顔。ヒステリックな言葉遣い。

 知り合って何年にもなるが、どれも初めて見るものだった。

 鮒木の胸に、亀裂のような痛みが走った。

 陰一つない太陽のような少女と思っていた。醜い感情をぶつける側面など、想像すらしなかった。

 ──いや、本当は、そうではない。

 銀崎と付き合い、取り巻きの中心になった頃から、砂の混じるようなかすかな違和感はあったのだ。 けれど、あえて看過してきた。恋は盲目というが、鮒木は自ら目を閉じたのだった。

 今追えば、或いはチャンスなのかもしれない。

 だが、鮒木はそこから動けなかった。

 二年間の恋慕が、無音で色褪せていくのを、鮒木は感じていた。

 恋とはこうして終わるものだと、他人事のように思った。

 悲しさより寂しさがあった。地雷原で幾度となく覚えた、さい果ての孤独だった。

 そして──鮒木は、扉を開けた。

 ただ一人、同じ孤独を知るはずの男の真実を確かめるために。

「鮒木──いたのか」

 扉の音に銀崎が振り向く。その顔に動揺はなかった。

 普段なら、まずかすみのことを訊ねる場面だ。

 だが、今の鮒木には、最優先すべき疑問があった。

「お前……マインスイーパを始めて、何年になる?」

「──気付いたか」 

 銀崎が笑うのを、鮒木は初めて見た。

「ああ、気付くさ。あれは好きとか趣味で出来るレベルじゃない。地雷原に骨を埋めた奴だけ到達する境地だ。俺にはわかる……どんな天才だろうと絶対に不可能だ。断言できるね」

「……………………」

「それに、お前の指──専用マウスがあるのに、俺みたいなマウス豆がない。何度も潰して固まった後だ」

 今、思い返せば、拳を振るったのも、自身のみならずマインスイーパへの侮辱だったからと理解できる。

 二つの視線が交錯し、無音の炎が生じた。

 銀崎が口を開いた。鋼のような声で言った。

「──十五年だ。俺の人生は、マインスイーパから始まった」 

 

 

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