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三限目が終わる前には、コンピューター室に再び、同じ顔ぶれが揃った。
かすみ主催のマインスイーパ大会は、早くも準決勝を迎える。
参加者は鮒木と銀崎を含む四名のみ。残りは円陣を組み、観戦と洒落込んでいる。一回戦で惨敗した連中も、勝敗の行方が気になるのだろう。対戦が少ないこともあり、PCはそれぞれプロジェクタに接続された。壁面に映し出された巨大な地雷原を見上げる観衆は半ば苦笑しながらも、次第に盛り上がる熱気を感じていた。静謐なコンピューター室におよそ場違いな、体育会系的光景ではあった。
「みんな揃ったみたいだし、準決勝、始めるねー」
幾度かのじゃんけんの末、それぞれの相手と順番が決まった。
鮒木は前半。銀崎は後半。二人がぶつかるのは、共に勝ち上がった決勝となる。
盛り上がるギャラリーを他所に、鮒木は落ち着きを取り戻す。
鮒木と銀崎に比べれば、残る二人は三下同然だ。十五分の休憩を前後で分けるため、制限時間は七分と短い。この条件で、上級者が負ける道理がなかった。
平均クリアタイムで七分を割れば、誰でもわかる。七十秒でクリア出来る人間なら六回のチャレンジが見込めるが、二百秒では二回だ。単純に過ぎる計算でも、その差は歴然だった。
初心者には運があると言う。しかし、それを生かす技術がなければ、全て無に帰する。それが、マインスイーパというゲームの怖さだ。余計な欲を呼ぶことを知る上級者は、むしろ幸運を警戒する。
どちらも準決勝とは名ばかりの、一方的な勝負になるだろうことは目に見えている。
だが、鮒木はそれを、消化試合とは考えなかった。
銀崎との決勝を見据えれば、意味合いは自ずと違ってくる。
決勝の前に銀崎のプレイが確認出来ることが、まず大きい。
次に、鮒木の全力を、銀崎に見せつけられることがある。
互いのプレイが交錯しないスポーツでも、計算されたプレッシャーは、十分に攻撃足りえる。ゴルフやボーリングがそうだ。一流のプレイヤーは周囲への影響を計算した上で勝負を演出する。
裏を返せば、それは銀崎にも言えることだ。
しかし鮒木は、この先攻を有利と受け取った。
制限なしの実力を発揮することで、精神的な先制を狙うのが最善。
そう結論した上で、鮒木はパソコンの前についた。
画面に浮かび上がる地雷原が、ギャラリーの声を淘汰した。
設定は変更されたままだが、改めて確認する。
さらに、プロパティを開け、前回は躊躇った画像解像度を調整した。
二倍弱に膨らんだゲーム画面に、一瞬、ギャラリーがどよめいたが、銀崎の先例のおかげだろう、反応はそれだけだった。
最後に、持参したマウスパッドを敷き、マイマウスを繋げば、鮒木の準備は完了だ。
振り返らずとも、銀崎の視線がマウスに注がれるのを感じた。
図らずも同じ武器を選んだ二人のプレイヤー。その片割れは、何を思うのか。自分ほどの衝撃を受けているのか。
「それじゃ、三限の終鈴で、開始ね」
雑念を振り払い、鮒木は画面に没入した。
マウスを捕らえた指が、クラウチング・スタイルを取る。
敵は隣の男ではない。背に突き刺さる一流の眼差しだ。プロジェクタでなく、明らかにこちらを見ているのが確信できた。
予鈴が、おごそかに鳴り響いた。
ポインタが跳ね上がり、準決勝のタイマーが動き始めた。
「1・2・1……1・1……3……3……」
ブツブツとつぶやきながら、隣の男が地雷処理を進めている。
マインスイーパには、ロジックに裏打ちされた公式が存在する。
例えば、直線のパネルに対し、『1・2・1』の順で数字が並ぶ時、二つの1の前にあるパネルは、地雷が確定する。それ以外のパターンは、論理的にありえない。
これらの公式を組み合わせ、数字を差し引きすることで、より複雑な状況でも地雷を暴くことが可能となる。
しかし──と、鮒木は考える。
公式を思い浮かべている間は、まだ二流だ。
それでは、百秒クリアは出来ても、次の壁は越せない。
六十秒──上級者への壁。
それを突破するには、脳内の公式ではおぼつかない。
反射に公式を叩き込む必要があるのだ。血肉に変えた公式だけが必要とされるのだ。スポーツの真髄が、そうであるように。
そして、上級者と呼ばれる人種は、さらにその先で勝負する。
普遍化した公式の果てには、一列向こうの地雷を見透かせる境地があるという。展開図を予測出来る猛者は、パネルの開く一瞬すらもどかしく感じるという。
それが嘘ではないことを、鮒木は知っていた。
マインスイーパに捧げ続けた、常軌を逸した情熱と時間。天体の数にも等しい。徹底したロジック。アイテムの吟味。
どれ一つ欠けても成立しない、それは、超常的な速度であった。
ギャラリーの歓声すら置き去りにして、鮒木はクリアを重ねた。
少し間延びした「終了」が響いた時、ハイスコアには、五十二秒の記録が刻まれていた。一回戦の自己タイムを二十秒、銀崎のそれを十七秒上回る数字だった。
「……はい、鮒木くんの勝ち~~」
細く、長く息を吐きながら、鮒木は満足した。
鮒木の自己ベストは、四十七秒。だがそれは、半年もの時間を積み重ねた末の成果だ。七分という制限を考えれば、これ以上を望むべくもない、理想的な数字と言ってよい。銀崎ほどの腕なら、その意味は、なおのこと伝わるはずだ。
「おま……すげーわ。マジありえねー」
隣りの対戦相手が、苦笑まじりにそう言った。
軽く笑みを返し、鮒木は立ち上がった。
背後に銀崎が立っていた。
日に焼けた顔には、いつもの冷徹な表情。感情の動きは、微塵も読み取れない。だが、席を入れ替える間際、鮒木は確かに見た。
すれ違う横顔に浮かぶ、不敵な笑みを。
鮒木の席に座った銀崎は、設定を変更せず、マウスとパッドだけ交換した。
「それじゃー、開始!」
ギャラリーに背を向け、今度は鮒木が、銀崎の背後に立つ。
その心臓が、大きく一つ、脈打った。
己が目を疑うような光景が、そこには展開されていた。
速い──確かに速い。
素人目には、先刻の鮒木と互角か、それくらいに映るだろう。
だが、玄人目には、両者の性質はまるで異なるものだ。
基本を突き詰め、理論的に無駄を削って積み上げたのが鮒木の速度。
対して、銀崎の速度は、あらゆるセオリーを無視した産物だった。
一枚目のパネルに端を指定しない。公式で確定しないはずのパネルに易々と手をつける──それだけならただの博打とも解釈出来るが、鮒木を心から戦慄させたのは、その後だった。
銀崎は、二列先のパネルを展開していくのだ。
それが、どれほど恐るべき戦法なのか。
前述したように、パネルを安全に開くには、開放されたパネルの数字に公式を当て嵌め、一列先の地雷配置を読み取ることだ。
達人であれば、その情報を元に、さらに先の展開を予想出来る。だがそれは、あくまで情報を元にした予測でしかない。有利には働くが、いきなり、二列目から手をつけるなど、無謀の極みだ。
だが、銀崎は、平然とそれを行う。
限定された一列目の地雷から、二列先の地雷を暴き出す──
単純計算で二倍の展開速度。速くて当然だ。
理論に裏づけされた戦法とは考えられなかった。
それとも鮒木の到達せぬ、未知のロジックが存在するのか?
そうでないことは、やがてわかった。中盤で地雷を踏んだからだ。公式度外視の危険地域は、やはり銀崎にも確定しきれていない。
けれど、運任せでもない。地雷を踏む確率が明らかに低い。
鮒木に匹敵するポインタの切れに、一切はの迷いがない。これが指に馴染んだ、銀崎のスタイルなのだろう。
ましてや、これは時間制限下の戦いだ。絶対的な自信がなければ、選ぶとは思われない。
しかし、あまりにも際どい──上級者なら、誰もがそう言うだろう。
確かに、マインスイーパには、運試しを要求される場面が少なからず存在する。
特に、最後に端に残されたパネルには、公式が通用しない「絶対二択」と呼ばれる配置が頻発する。理論の通用しない局面を前に、上級者の取れる最善の行動は、悩まずに選ぶ──それしかない。
だが、上級者がその危険を犯すのは、「絶対二択」に見舞われた際と、地雷の確定しない序盤だけだ。中盤以降、好んで博打を打つことは最大のタブーとされる。確実なクリアを目指す以上、それは当然の選択だ。
しかし銀崎のプレイは、そのセオリーを嘲笑う。
レースに例えれば、こうだ──果敢にコーナーを攻める鮒木に対し、銀崎は未舗装のコース外をショートカットしていく。誰もそれをしないのは、文字通り、そこが地雷原だからだ。
しかし最速のルートは、確かにそこに存る。
嗅覚──とでも呼ぶべきか。
理論を越えた、特別な感覚でもなければ成立しえない高速戦術──
黄色いアイコンが笑い、ハイスコアが飛び出した。
五十秒──鮒木より一秒速いタイムだ。
危険を踏み越えるコースと、迂回するコース。同じ速度で疾走する両者なら、どちらがゴールを奪うかは、論を待たない。
間を置くことなく、銀崎は次のゲームを始める。
無造作な爆撃が、約束されたように巨大なクレーターを開け、ポインタが羽のように舞う。軽やかさに秘められた、その速さ。的確さ。
タイマーが停止したかと思われる中、地雷原の空白だけが、恐るべき速度で増殖していく。
握った拳の内側から、汗がしたたるのを鮒木は感じた。
このタイムは……まさか……!
「あー、やめだ、やめだっ」
唐突に発された粗野な大声に、観衆は静まり返った。
立ち上がったのは、髪を金に染めた男。銀崎の対戦相手だった。
倒した椅子を片そうともせず、憎憎しげに銀崎を、モニターを見下ろしながら、言い放った。
「くっだらねー。何、マジでやってんだか。こんなモンで勝って嬉しいのか?、たっかが、マインスイーパでよおぉ──っ!」
吐きつけた唾がモニターを、地雷原を汚した──瞬間。
男の顔面が、爆発した。
背中から壁に叩きつけられ、床を転がる。
事故実験のマネキンもかくやという一撃だった。
血まみれでうめく男の前に、拳を握った銀崎の長身が聳えた。
「……ゲームで不満なら、殴り合いにするか?」
文字通り、敗者を見下した、その一言。
男は声もなく、這うようにしてコンピューター室を後にした。




