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翌日の昼休み。かすみとその取り巻き、銀崎、そして鮒木は、大学構内のコンピューター室に集まった。
参加希望者は全員で八名。全て男。女性陣は観客に回る。
円陣になった参加者を前に、銀崎がルール説明を始めた。
もっとも地雷原の広い上級ルールを使用。各自、自分のPCを決め、制限時間十五分内でのハイスコアを競う。失敗は何度してもよい。昼休み、三限後の休み時間、放課後の三回勝負で、一回ごと下位の半数が脱落。つまり八名、四名、二名となり、放課後に決勝戦を行う──ここまでがルールの骨子。
細則としては、隠しコマンドの使用禁止、マウスの持ち込み自由、パソコン設定変更の自由、の三つ。隠しコマンドとは、時計を止めたり地雷位置が判る裏技を指す。
「マイマウス?」とからかう声にも、銀崎は眉一つ動かさなかった。
目端の利いた、悪くないルールだと鮒木は思った。
マインスイーパは無数のゲームオーバーを繰り返し、ベストタイムを目指すゲームだ。中毒になる理由もそこにある。
回数制限では、実力より運の要素が強くなる。対して、十五分の時間制限は絶妙だった。素人が運良く一度、クリア出来るのがそれくらい。上級者ならば完成は余裕だが、自己ベストを狙うにはやや厳しい。競うには最適と思われた。
限られた時間を有効に使うには、二通りのルートが考えられる。
一つは常に全力を尽くす全力ルート。もう一つは絞り込みルートだ。両者の違いは開始時に開いたパネルに、どの程度妥協するかにある。
前者は、発展がそこそこ見込めるなら、その都度、全力を注ぐ。チャレンジ回数は後者に比べて多く、完成の可能性は高い。一方、それがベストタイムに繋がるかは微妙だ。安全策という捉え方も出来る。
後者はこれぞと見込める配置が開くまで、ひたすらやり直しをするものだ。ベストタイムに繋がる確率は跳ね上がる一方、えり好みが過ぎると時間制限に引っかかる。最悪、未完成で終了の憂き目もあり得る。全力ルートに比べ、博打の要素が高いと言えるルートだ。
説明は終わり、参加者はそれぞれ、四台のPCを陣取った。他の利用者の手前、八台同時に占拠するわけにはいかないが、幸い昼休みは長い。前半後半に別れても余裕がある。
じゃんけんの末、鮒木と銀崎は後半組になった。
後半組とギャラリーが見守る中、前半の参加者が席につく。四台のモニタに灰色の地雷原が浮かんだ。
「ネットで法則覚えてきたぜ」「121、1221だろ?」「楽勝だってーの」
飛び交う軽口は緊張感の裏返しだろう。いつにない張り詰めた空気が、無機質な部屋を満たしている。
果たして、かすみの「開始!」の声があがった。
連なるクリック音。地雷処理人の戦いが、始まった。
並んだ画面に目を走らせること数度。鮒木は嘆息する。
予想はしていたが、どれも初心者、いやそれ以下だった。
三百秒オーバーでガッツポーズを取る者。操作ミスで自ら地雷を踏む者。微笑ましい反面、本気を出せる相手ではない。
退屈な十五分が経過し、前半が終了した。ハイスコアは二百三十秒。せめてクリアした者がいることを、誉めるべきところか。
席を交代し、マウスを握った鮒木は、まず設定を変更した。
次に、デフォルトの不要な「?」表示を外す。これだけでタイムは数秒縮まる。
画面解像度の変更も考えたが、こちらは止めた。ゲーム画面を広げることでパネルも大きくなり、ポイントしやすくなるが、目立つこと必至だ。取り巻きに笑われるのは構わないが、それでかすみに引かれたくはない。持参したマウスも、同じ理由で封印した。そこまでしなくとも、余裕で勝てる相手だった。
ポインタを左上隅で止め、開始の合図を待つ。これも基本のセオリーだ。プログラム上、パネル最初の一枚は爆弾にならない。これを利用し、最後に詰まりやすい角を最初に開けるのだ。前半組は一人として、これすら知らなかった。
「それじゃあ……開始~~っ!」
かすみの声が響いた瞬間──鮒木は地雷原に飛び込んだ。
灰色の世界をポインタが疾走する。
開放、開放、開放、爆発。リスタート。
開放、開放、爆発、リスタート。
開放、開放、開放──展開。
大陸を割り、大海原が拓かれる。波打ち際に残る数字の足跡を読み取り、指をなぞらせる。旗、旗、暴いた地雷を省みず、さらに大陸に切り込む。大地を割る。確定。確定。開放、展開、確定。
スピード差は、圧倒的だった。F1と軽自動車、輪ゴムと銃弾、渋滞とハイウェイほどに異なる。素人目にも隔絶であった。
「うわ」「すっげえ!」「マジかよ?」
沸き起こる歓声の中、鮒木は最初のハイスコアを叩き出した。
七十七秒。自己ベストには遠く及ばないが、腕慣らしとしては上々だ。すでに手加減という意識は飛び去っていた。始めてしまった以上、手を抜くという芸当は鮒木には出来ない。
ネームエントリを飛ばし、次のゲームを開始する。
左隅を開放。開放、開放、開放、展開──
「はーい、終了~~っ!」
マウスにブレーキをかけて、鮒木は大きく息をついた。
実際にはありえないが、感覚的には十五分の間、呼吸をしなかった。額も手のひらも、じっとりと汗ばんでいる。
マインスイーパのタイムは、百秒が初心者の壁、六十秒がマニアの壁だという。
一回戦──鮒木のハイスコアは七十二秒だった。
「……人間じゃねえ……」
聞こえたギャラリーのつぶやきにも感慨はない。当然の結果だ。
しかし、それに続いた、「どっちも」という台詞に、鮒木は耳を疑った。
すでに席を立った銀崎のモニタに、観客が注目している。駆け寄った鮒木も確かめた……六十五秒。自分より七秒も速い。
だが、鮒木に衝撃を与えたのは、それだけではなかった。
そこに置かれたマウスだ。艶消し黒の重厚な光学マウス。安定性とクリック感において、この上なしという代物。当然、学校の備品ではありえないそれは──
鮒木の使わなかったマウスと、同じものだった。
振り向けば、同じ様に鮒木のモニタを覗き込む銀崎の姿があった。
銀崎がこちらを見た。獲物を狙う猛禽の眼差しだった。
「──次は、自分のマウスを使うんだな」
電流が束となり、脊髄から背筋を流れ落ちた。
鮒木に向けられた、それは初めての銀崎の言葉であった。