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 サラは身を乗り出すと、ノラの手を探ったが、それは虚しい動作に終わった。ノラがすっくと立ち上がったからだ。勝ち誇ったような声が、上方から響いてくる。それは友人の声ではなく、悪魔の声のようだった。

「わたしの家は昔はジェームズ・エドワーズの隣だったの。ジェームズの父親のエドワーズ氏は高級家具の販売をしていたわ。わたしが幼い頃、兄のシドニーに連れられて何かのパーティに呼ばれたことがあった。6歳上の兄とジェームズは同じ学年だったの。まだ3年生位だったかしら? わたしは幼くて、メアリーと一緒に遊んだものよ。あの時がエドワーズ家の一番良い時だったわね。あのあと、仕事に躓いて両親は馬車の事故で川に落ちたけど……でもそれは、事故ではなく、“自殺”だったのでは、ということだった」
「自殺!?」
「嵌められたのよ、店を任せていた店長に。店長は店の金を全額盗んで夜逃げしたの、愛人とロンドンに」

 サラの両手はわなわなと震えていた。
「なぜ、それを……」
「それを知ったのはわたしも最近のことなの。知り合いに新聞社の記者がいて、その記事を見せてくれた。ちょうど一年前のことだけどね」
「ジェームズは……?」
「知らないと思うわ」とノラは素っ気無く言った。「でもそれでジェームズは借金を負ったのよ。そしてここからは逃げられなかった。最近まではね。でもやっと全額を返したと言うことよ。金貸しシュタールがそう言っていたもの」

― 知っているわ……。あぁ、ジェームズ……。

 俯いたサラの見えない瞳から、涙が一滴流れ落ちる。もう出るものはないと言うほど涙を流したのに、悲しみは際限なく涙を流させるものらしい。
「あなたのお父様がうちから膨大な借金をしたのは知っているわね」
「それはわたしの目を治すため……」
「その通り」
「でも、それは……」
「黙って聞いていて頂戴! でも、それには取引が必要だったのよ。うちの父だって何の担保も無しに、他人に、しかもイングランド人の校長先生様に大金を貸すほど大馬鹿じゃないわ! ジェームズだって、借金の担保に、自分自身の身を縛られたのだから」
「担保に縛られた……父が縛ったんだわ」
 サラの見えない瞳から、再び涙が溢れ落ちる。

「ジェームズが復讐した理由はそれだけじゃなかったのよ! よく聞いて。
 その頃、兄のシドニーは成績はぱっとしなかったの。ま、今でもぱっとしないけどね。要するに、元々大した才能は無いのよ。反対にジェームズは必死で勉強していた。それは卒業時に金賞を射止めて奨学金を得て、カーディフの上級学校に行くつもりだったからよ。事実彼はいつもクラスで一番だったわ。
 ところが蓋を開けてみると、卒業時には兄が金賞で、ジェームズは次席の銀賞。ジェームズは銀のメダルを、ドーセット川に投げ捨てたそうよ。皆が変だと思ったと言うわ。でも、結局兄のシドニーが奨学金を貰った。
 分かる? 父は兄の成績を買い取ったのよ! オーウェル校長からね。父の夢は、自分の息子をケンブリッジにやることだった! そしてそれをお金で買った……」

 サラはそれと分かるほどの衝撃を必死で隠そうとしていたが、それはむなしい努力でしかなかった。
「あなたのお父様は、教育者としての誇りをどぶに捨てたわ。自らの公平さを売ってしまった。そしてその直後、あなたはお母様とロンドンの名医の所に旅立ったというわけ。どう? これで全てが飲み込めたでしょ? ネンネのあなたにも」
 
 ノラはサラを冷厳に見下ろした。サラは握り潰した拳を額に当てると、石のように身動きもせず、そしてその目は瞬きもしなかった。聡明なサラには何もかも分かったのだ。今まで縺れに縺れていた糸が、突如としてパッと解け、そして自分の首に巻きついたかのように息が出来なくなった。
「わたしは目ではなく、心が盲目だったんだわ……」
「そしてあなたの愛も、盲目だった」
「そうじゃないわ! それは違う! わたし達の愛は……愛は……」

 サラの肩や身体がガクガクと震え始め、そういうサラの有様をノラは小気味良げに眺めていた。
「じゃ、何なの? あいつは、あなたとあなたの家族に復讐する機会を狙っていたのよ! そしてそれをいとも易々とやってのけた。彼を縛るものはもう何も無い。いずれ彼はここを永久に出て行くでしょうね。混乱し評判を落したオーウェル家と、そして校長としての長年の尊敬の念を失墜したオーウェル氏、それからあなた自身を残して」
「もう言わないで! あなたには分からない! 分からないのよ、わたし達の……。あっ!」
 突如サラは顔を上げると、見えない目でノラを見上げた。暁の光のように、もう一つの真実が分かったのだ。

「一体、あなたは何をしに来たの、ノラ?」
「あなたのお見舞いじゃないの。そして苦しむあなたを助ける為によ。真相を全て話してあげたじゃない」
「そうじゃないでしょう。一番喜んでいるのは、あなただったのね!」
「喜ぶ? わたしが? なぜ?」
「ノラ?」
「なに?」
「あなたはジェームズが好きだったんだわ!」
 ノラはその場に凍りついた。無意識だった、何もかも無意識だったのだ。けれども今それが電撃のように分かった。なぜ、サラを心底憎いと思ったのか。単にイングランド人だったということだけではなく……。ジェームズがサラを愛したことが、自分には許せなかったのだと。

「わたしには分かる。見えない分、あなたの声音に潜むジェームズへの思慕を。憎々しげに喋っても、声は嘘を付かないわ。あなたは真実を喋ってくれた。そしてジェームズがわたしを愛していることを知って、それでこれを言いに来たのね。わたしが更に苦しむと思って。そうかもしれない。ジェームズの一生を台無しにしたのはわたしだって、言いに来たのね。わたしのこの目の為に、ジェームズは苦しんだ。けれどもわたしも又同じ苦しみを味わうわ。例え彼が赦してくれなくても、喜んで!」
 ノラは自分が完璧に負けたことを悟った。




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