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「もうあいつの話はするな、サラ! よく言ってあるはずだ。あいつは単なるワルだ。一度ならず何度も牢に入った。あいつに礼をするなど、馬鹿げたことは考えるなよ」
「あなた! そう怒鳴らなくても。サラはただ……」
オロオロしながら、オーウェル夫人は夫にとりなしていた。部屋の隅でサラは下を向き、涙をポタポタと垂らしている。オーウェル氏はそういう娘の姿を見、確かに言い過ぎたと反省した。
サラは……末っ子のサラはオーウェル氏の宝だった。この目の悪い娘の為なら何だってしてやると彼はずっとそう思いながら生きてきたのだ。そして、実際の所なんでもやった。口にするのもおぞましいこと、罪深いことまでもやって来たのだ。今更その事実を翻すことなど、もう出来ないが……。
「確かにあいつはお前を親切に送って来てくれた。けれどもそれは偽りの姿なのだよ、サラ。あいつは、“類稀な美しい仮面を被った悪魔”なのだ。わたしが彼を教えていたのだから、本当だ。頭は良かったがな」
オーウェル氏はサラの肩にそっと手をやった。もしや世間知らずのサラが、あんな男に妙な気でも、例えば恋心を抱くとかだとしたら大変なことだ。その前に何とかしなくてはならない!
けれどもオーウェル氏は間違っていた。サラは“既に”ジェームズ・C・エドワーズに恋していたのだ。
サラはこの歳まで、ほとんど家から出ずに過してきた、世間知らずのネンネの娘だった。ハンディを背負っているということで、家族も腫れ物を触るようにして生きてきたせいか、何一つ疑うことのできない温室育ちの娘になった。
そういう育て方が間違っていたのだろうか。けれどもこれは運命の悪戯としか思えない。それとも何かの呪いなのだろうか……。
「とにかく、サラ。お父様もああ仰っているし、お茶に誘うのはやめましょうね。わたしが何かの機会にお会いして、何がしかの金銭を包めば済むことでしょう?」
とオーウェル夫人は、ジェームズに対する良からぬ噂のせいで、声を震わしながら言い聞かせようとした。
オーウェル夫人は、何かと言うと因縁を付け回って金銭をせびるジェームズの悪しき噂を、あちこちでしょっちゅう耳にしていたのだ。
けれどもサラには通用しなかった。
「お母様達は結局、全てがお金で支払われれば済むことだと思っていらっしゃるのね。あの人がウェールズ人だから? 下層階級だから? それとももっと他に理由があるの?」
サラは窓際から振り返り、叫んだ。
「そうじゃないのよ! サラ、あの人は……」
オーウェル夫人が何か言おうとしたが、「もういいわ!」とサラは遮り、自室へと戻って行った。やがてバタンと扉の閉まる音がした。
*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*
ドーセットの町はずれで馬と牛の市が開かれた。
ジェームズはギルフォード農場の者達と、買い付けに来ていた。もう一人の仲間である石工の弟子の赤毛のドリューが近寄ると、ジェームズにそっと耳打ちした。それを聞くとジェームズは激しく動揺した。ほとんどショックに近いほど。
「ボブは病気なんだ。あいつは隠しているけど、俺は知ってる」
「病気!? そうは見えなかったが」
「ひと月まえ、奉公先の靴屋で喀血したんだ」
「そんな……」
ジェームズの声が消えた。
「ニッキーには言うなよ。あいつに言うと、直ぐに何でもベラベラ喋りまわるからな」
ドリューは噛んで含めるように言った。ドリューはジェームズとは正反対の、むっくりした精悍な面構えの大男で、見た目も寡黙そうに見えたが、実はまだかなり若かった。
二人は黙って柵に頭を載せた。牛や馬が埃を上げて走り回り、家畜の臭いがし、喧騒で騒がしかった。その中で冷たい沈黙が二人を覆っていた。
「なぁ、ドリュー」とやがてジェームズが口を開いた。
「ん?」
「人生って、なぜこんなんだろう? どうしてこう上手く行かないんだろう? どうして?」
「さあな」と重々しくドリューは肩をすくめる。
「難しいことは分からないが、つまり人間っていうのは、何かを喰って、女と寝て、子供を作って、それから死ぬ。そういうことだろうな」
ジェームズは暫くドリューを見つめていた。その物悲しげな視線の中には、諦めとそして憤怒の両方があったが、知らず内に承諾している自分が居る。
「でもなぜ、親しい奴らが次々と……」
「悲しいのは俺だって……おめえだけじゃねえぜ。去年インフルエンザでお袋を亡くしたからな」
「ああ、そうだったね。御免よ、ドリュー」
その日、ギルフォード家は仔馬二頭と牝牛を一頭買った。
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