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『 1889年4月12日
親愛なるメアリー
この手紙を書きながら、僕の手は震えています、心と同じように。どうか汚い字を許して欲しい、僕の妹よ。字だけではなく、長い沈黙もまた許して欲しい。
僕はお前のことをひと時も忘れた事は無かった。けれども、自分の中にある穢れや醜さが、清らかなお前に届き、又見透かされることを恐れたのだ。端からこんな妙なことを書く兄を、許して欲しい。
この年月口には言い表すことの出来ない程のおぞましさの中に僕は居て、そしてお前の便りを拒んだのだ。けれども、言い訳のようだが、お前と一緒に暮らすことが僕の夢だった。けれども……けれども……』
そこでジェームズのペンははたと止まった。苦い涙がじんわりと浮かんだが、気を取り直したジェームズは静かにそのあとを続けた。
『ここに住んで分かったことは、ここがお前にとって如何に過酷な場所であるかという事だったよ、妹よ。つまりお前はここに居るべきではないのだ。
お前は清らかで初心で、そして美しい。そのような娘がここでどのように扱われているか、僕は何年にも渡って垣間見てきた。ある娘は病気になって捨てられ、ある娘は当主の子供を宿してやはり捨てられた。今はどこをどうさ迷っているのかさえ、分からない。
けれども彼女達には少なくとも戻る実家があったが、お前にはもう帰る所は無い。そして一番問題なのは、僕はお前を守ることが出来ないという事なのだ。僕はいつも外におり、お屋敷には許可がないと入れないのだ。
そして何よりも辛いのは、僕はここでは取るに足らない弱い存在でしかなく、ただ罰として黙って殴られるか、食事を抜かれるかしかないのだから。僕には何一つ抵抗も出来なければ、何者をも守れないのだ。
その上、僕は更にもっと危ないことをしようとしている……。それはお前にすら話せないことなのだが、信じてくれ。僕がやろうとしていることは、犯罪ではなく、それは愛から出ているのだという事を。
いや、そのことは……そのことは、お前とは何の関係も無いことなのだろう。
けれども一つだけ最も良いと思われる提案があるのだ。尼僧になって一生を神に捧げるのもいいが、けれども別の生き方として、僕の信頼する友人の一人と結婚する気は無いだろうか? 彼はドーセットの石工で、健康で誠実で力持ちだ。そして何よりも“全うな”人間なのだ。
これを読むお前が不快になるだろうということも、僕は理解している。お前が見ず知らずの若者と結婚するのを躊躇うだろうとは想像できるが、けれどもこれがお前の兄としての精一杯の願いなのだ。そしてこれこそ、お前が幸せになる唯一の道だと思っているし、そう確信している。
もう僕にはこれだけしか言えない……。
同封してあるお金は、お前の好きなものを買うか、何かの準備金にして欲しい。それがどのような報酬のお金であれ、お前によって清められるだろう。
最後に、今まで育ててくれたシスター・ルースに宜しく。そして僕を許してくれ。
いつまでも、そして今もお前の幸福を祈っている。
敬具
ジェームズ 』
けれどもメアリーからは、何の返事も来なかった。
「おい、ジェームズ……ボブがいよいよ危なくなったぜ。もう危篤状態だそうだ。あと数日ってところらしい。明日俺ニッキーと、ボブのところに張り付いているけど、お前どうする?」
パブ『黒猫荘』で、ドリューがジェームズに耳打ちした。
「え!? それは……」
ジェームズは絶句した。いよいよ来るものが来たか、という悲痛な思いが胸をふさいだ。が、一瞬のちには別のことをワクワクと思う自分が居る。
「明日? 26日だったか……25日?」
「明日は25日の木曜日(*正確に1889年4月25日は木曜日です・日本では明治22年になります)じゃないか! もうっ! お前最近心ここに非ずって感じだぜ。メアリーから返事が来ないからだろ?」
ドリューはわざと豪快に黒ビールを飲み干すと、ジェームズの背中を叩いた。
「彼女には彼女の考えってものがあるのさ。所詮俺のような石工の相手にはなりたくないんだろう。ま、俺達、身勝手だもんな、こんなご都合主義はさ」
ドリューは淋しそうに微笑みかけた。
「で、どうする?」
「メアリーのことはもういいんだ。俺が悪かったよ、ドリュー。考えたら、俺のような兄の言うことなんか、信用するはずがないよな。
けれども明日のことは……それはメアリーとは関係が無いんだ。明日は俺、仕事が忙しくてさぁ。夕方遅くなら何とか行けそうだけど……」
ジェームズは心ならずも大嘘をついた。
「ん、じゃあ、待ってるからな。仕事終わったらすぐ来いよ!」
ドリューの視線に送られて『山猫荘』から出た途端、暗い夜道を歩きながらジェームズの心は複雑に揺れていた。
明日はサラと会う日なのだ。それもサラが用意周到に考え出した計画で、この日しか会えるチャンスはなかった。ジェームズは、恋人と親友を秤にかけている自分の姿にゾッとしたが、それでいてサラと会うことだけを念頭においている。それは彼の希望であり、そして命だった。
ボブには最後まで、嘘を突き通そう。それがせめてもの、親友ボブに対する友情だと思った。ボブはジェームズがサラと別れたと信じているのだ。ジェームズはメアリーに手紙を書き、それが例え失敗したとしても、妙にすっきりとした気持ちになっていた。
明日サラに会える! それだけがジェームズの胸を暖かくした。春の風がジェームズの暗褐色の髪を優しく撫でた。
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