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疑惑〜秘密の陰に〜 1
疑惑〜秘密の陰に〜



 靴屋の親方から「直ぐ来て欲しい」と言う短い伝言があり、ジェームズは二日前のサラとの、身を切られるようなそしてこの上なく甘い密会の思い出を断ち切るかのように、靴屋に急いだ。もしや、という嫌な予感がし胸騒ぎを抑えることが出来なかった。
 親方はいつも無口な男だったので、案の定ドロシーおばさんがいつもの白い頭巾を被ったまま、入り口で待ちかねていた。そしてジェームズを迎え入れると、何か手紙のようなものをヒラヒラさせながら、闇雲に喋り始めた。

「ボブの具合が……」
「そうじゃないわよ。どうもこうもありゃしない。これを見て! わたしゃ学が無いからよく分からないんだけど、意味だけはおぼろげに分かったわ。
『ボブはうちには引き取れません……』みたいに、そう書いてあるんでしょ? 全部ちゃんと読んでみて」
 ドロシーの物凄い剣幕に、もう一人の弟子で12、3歳くらいの小僧が隅のほうで、怯えた目付きでこちらをチラチラと伺っていた。
 ジェームズはサッとその金釘流の文字の手紙を読んだ。内容は酷いものだった。彼はドロシーと親方に読んで聞かせた。

「じゃあ、ボブを死ぬまでうちに置いとけって言うのっ!? そりゃあないでしょ! 貧乏なのはお互い様。死に掛けている息子を引き取るのは、家族として当然のことじゃないさ! そうでしょう!? 何て薄情で恥知らずな家族だろうね、全く」
 憤るドロシー小母さんに、ジェームズは食い下がった。
「彼らはボブを介護できないんです。寝かせるベッドもないし、食べさせるものも無い。それに……葬式を出す費用も……」
「何だかんだ言って! あいつらはケチなだけよ!」とドロシーは吠えた。「全部厄介なことはわたし達に押し付けといて! わたしらだって慈善をやる暇なんかないんだからね。わたしらは……」
「まぁまぁ落ち着いて下さい、おばさん」
 ジェームズは怒れるドロシーを制し、溜息をついた。親方は側で苦虫を噛み潰した顔で、黙ったままだ。

「俺が何とかします。もしもどうしてもここに置いておけないのなら、俺、ボブの宿賃としてお金を出しますから」
 ドロシーはジェームズの顔をじっと見上げ、それから首を振った。ジェームズがいつもこうして上ずった声で頼み込むと、ドロシーは不思議なことにもうこれ以上がなれなくなるのだ。ジェームズの何かを内包した淋しげな顔に、長い睫毛が陰を落とし、その表情が益々儚げになっていくのを見ると……。
 いわゆる“母性本能”をくすぐられるとでも言うのだろうか? 子供の居ないドロシーは、ジェームズの懇願には弱いのだ。

「あんたがどうやって、そのお金をこしらえたのか、わたしゃ聞かないけれど、それならなれでもっと大切なものに使ったらどうかい? もったいないとは思わないの? 死んで行く友人に使うなんて」
 思わず説教口調になった。ジェームズは言いにくそうに口ごもる。
「それはいいんです、それは。ボブの為に使うのは。けれども俺……あの……妹にも送金するつもりです。ここに来て欲しくはないけれど、せめて新しい服でも買って欲しいと思って。いつか必ず妹を迎えに行くからと……でも、今はまだ」

 ドロシーは説教を諦めて、手を振った。
「勝手にしなよ、全くあんたって人は! でも奥のボブったら、この冬の流感にも掛からず、ただ寝てるだけでさ。村の人達がチラホラと亡くなっているというのに、あいつはまだ死にゃしないじゃない!」
「そんな……ボブは外へ出ないから、うつらなかっただけです」
「まあね、衰弱していても働かないし若いから、まだ体力があるのね。でも色々な人に迷惑を掛けっ放しで……」
「お願いです! あいつの生をここで全うさせて下さい。あいつは家族にも見放された。けれども、お上さんたちはそうではないという事を、あいつに知らしめてあげたいんです。俺がこんな事言うの、変だけど」

 ドロシーはじっとジェームズの顔を見つめた。
「ジェームズ……最近のあんた、ちょっと変ったわね。以前のあんたとは少し違ってきているような気がするけど。いいわよ、仕方ないわね。ただし、一ヶ月1ポンドは頂くわよ」
「ありがとう! お上さん!」
 そう叫ぶと、ジェームズは奥の階段を素早く上っていった。
「ほんと……あの子は変ったわ」とドロシーはつぶやいた。

*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

「俺を外に放り出すって言ってただろ?」
 ジェームズが暗い部屋に入るや否や、ボブは挨拶代わりにジェームズにそう言い掛けた。
「まさか! ドロシーおばさんは口ではいつもああやってがなっているけど、根は優しい人だ。そんなことしやしないし、親方だって許さないさ。それに費用のことは心配するな。俺が払う。いや、俺には払えるんだ。今の俺には……お金はあるんだから」
 そう息せき切って言うと、ジェームズはボブのベッドの枕もとの側の椅子に座った。

 ボブは随分長い間親友の顔を見上げ、それから顔を背けた。クシャクシャにもつれた髪、無精髭、やつれて生気の無い虚ろな瞳……。それでもボブはまだ生きていた。
「ジェームズ、済まない」とボブは長い沈黙を破ってポツリと言った。
「なにがさ?」
「でも、もうすぐそのお金、要らなくなるよ。もうすぐ……」
「そんなことないさ! 窓の外を見ろよ。もう3月だ。春がやって来るんだよ。『ボブはもうこの冬持たない』ってみんなが言っていたけど、でもざまー見ろさ。お前はまだ元気じゃないか。それに以前よりも顔色いいよ」
 ジェームズは片手をボブの額に乗せようとした。がボブは激しくその手を払い除けた。

「嘘つくなよ、ジェームズ! 俺がこの冬生きられたのは奇跡か、それとも神様が俺にもっと辛いしうちをする為に生き長らえさせたのさ。そうに決まっている!」
「ボ、ボブ……それは……」
「そうなんだ! この冬、多くの子供達が亡くなったのに、俺の様な者がまだ生きているぜって、みんなそう噂しているんだ。それに、家族は俺を葬ることさえ出来ない有様だし」
「家族の言い分は悲しいよ。あれは……」
「分かってるって!」
 ボブは空中に今にも叫ぶが如く、毒づいた。
「俺なんか、もう家族にとっちゃ死んだも同然なんだ! 病いがうつるのを心配してやがる。家族なんて、家族なんて……」
 ボブの瞳から苦い涙があふれ落ちる。ジェームズはただ突き出したボブの手を握ってやることしか出来なかった。





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