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 東屋の中には不穏な空気が漂っていた。サイモン司祭は、深呼吸する為に深い吐息をついた。
「ジェームズ……君が神を信じようと信じまいと、その事はここでは論じないようにしよう。けれども、君のやっていることは、たった一人の哀れな妹に対して、申し訳ないとは思わないのかね? 例え君がどんなに筆不精であったとしても、下手な字であったとしても、そして色々と忙しかろうと、一言ぐらい書いて寄越すことは出来ないのかね? メアリーはあと半年後、来年春にはあそこを出なくてはならない。もう充分大きくなったからね。
 けれども、彼女は迷っている。独り立ちしてあそこを出て行くか、それとも誓願式をたてて、本物の修道女になるか、と。知ってのとおり、今のこの世の中では孤児の若い女が一人で生きて行くのは難しい世の中だ。まあ、教師か織物の工女ぐらいかな……。
 どちらにせよ、今の彼女には君の助言なり援助が必要で……」

「断っておきますが」と突如ジェームズが司祭の言葉を遮った。「司祭様、メアリーが半年後のことで大変なのはよく知っています。ですが、俺としては妹には何も助言できないし、かといって何がしかの援助金を渡すことも出来ない。俺はすっからかんなんですから。
 それにもっと嫌なのは、俺を頼ってここに来られるのが一番嫌なんですよ! 妹は妹なりに、自分で一つの道を探してくれるように言って下さい。もしも妹に会って下さるなら……。いや、サイモン司祭、あなたがわざわざあそこまで行くはずはないな。きっと、あちらの方から頼まれたんでしょう」
 これが図星だったので、司祭は少なからず狼狽した。

「とにかくこう告げて下さい。“俺のことは、忘れてくれ”と」
 サイモン司祭は、最近これほどまでに驚愕したことがあったのだろうか、と自分に問いかけるほど、心底落ち込んだ。
 目の前の、一見美しい若者は“悪魔”なのだろうか? それとも“堕天使ルシファー”の化身なのだろうか? いいや、単に精神の卑しい、エゴイスティックな人間に違いない。たった一人の妹を見捨てても何の心も痛まないであろうとは、何とも考えにくい。
 司祭は怒りを堪える為に、非常な努力をした。

「驚いた……。これは君の本心なのかね?」
「もちろんそうです。このことは早く何らかの形で、メアリーに知らせておくべきでした。そうしたら、メアリーも無駄な時間を手紙を書くことに割くことは無かったのに」
 司祭は唖然として口をあんぐりと開けたままだった。
「全く、君と言う人間は……とても人間とは思えない。たった一人のうら若い妹を路頭に彷徨わせて平気だとは!」
「とにかく、ここには来させないで下さい。それだけは嫌だ」
 ジェームズは帽子を無意識にくしゃくしゃにしながら、下を向いた。
(これ以上、妹を不幸にしたくない。メアリー、お前なら独立してやっていけるよ。お前は、独立心のある父さんに似ているからな。こんな所で、下女にはさせたくないんだ!)

「君は……妹さんを、愛してはいないのか」
「愛していない!? そんなバカなことが……」
 突然襲ってきた深い怒りと悲しみに、ジェームズは黙り込んだ。
 ジェームズの脳裏に、管財人達が両親の死後、借金のカタに自分の家の家財道具一式を全て持ち運び去って行った悪夢のような光景が浮かんだ。その中には、母が気に入っていたコンステーブルの小さな古い風景画もあった。
 時ならぬ騒ぎに、幼いメアリーは泣き出し、兄である自分にしがみついていた。その時ジェームズは、何があっても、メアリーだけは誰にも渡さないと亡き両親に誓ったのだ。それなのに……。

 又もう一つの幻が浮かんで来た。9才のメアリーを、このサイモン司祭が自分から引き離し、馬車に乗せた光景だった。その時もメアリーは泣き喚いていた。
 奉公に出ていたジェームズから、手のかかる一銭にもならない妹を引き離し、『セント・マグダレーナ修道院』に引き取ってもらうように粉屋の主人から頼まれて交渉したのは、サイモン司祭その人だったのだ。
 ジェームズもまた、泣きながら重い馬車のドアにしがみついた。誰かがジェームズを引きずり落とし、彼は雨の中、泥水に両手から落ちて行った。そして走り去る馬車のあとを、見えなくなるまで追いかけた。
 そしてその晩、ジェームズは寒さと悲しみの両方で、熱を出してしまったのだ……。
 忘れようとしても忘れられない光景だったが、ジェームズはそれをわざと自分の心の奥底に封印していた。

「愛していないなんて。なぜそんなことが、あなたに言えるんです!? 俺がどれだけ泣いて頼んだか知っているくせに! それなのに、俺からメアリーを引き離したのはあなた自身じゃないですか! それを、18になったからと言って、又無一文で、今更世の荒波に放り出そうというなんて! この狼達が一杯いる世の中に? 俺はここではメアリーを護ってあげられない。護れないんだ! あいつを、あいつを……狼達の群れからは!」
 ジェームズは我を忘れて怒鳴り散らした。もはや目の前に司祭が居ようと、悪魔が居ようと、そんなことはどうでもいいかのように。狭い東屋が、彼の声でブルブルと振動した。

「メアリーを愛してはいないなんて! 愛しているからこそ、俺は彼女にここに来て欲しくない!」
 ジェームズはそう叫ぶと、東屋から飛び出した。苦く悲しい思い出の数々が、ジェームズを押しつぶさんとしていた。
 随分走り、生垣にぶつかりそうになってやっと止まると、その葉の落ちた生垣に両手と頭を埋めた。忌々しいことに、すすり泣きが漏れないように、ジェームズは暫くそういう体形のままだった。そして彼は自分の心を鎮めるまで、そうしていた。

 自分がこうまで惨めに暮らしていなければ、メアリーと一緒にどこかで慎ましく住んだだろう。けれども、今の状況ではそれは叶わぬ夢だ。ここにメアリーが来れば、自分よりももっともっと惨めに堕ちて行くだろう。男達に利用され弄ばれ、そして破滅が待っていることだろう。そうはさせたくなかった。
 ここではジェームズは何の力も持っていなかったからだ。彼はとことん無力な存在でしかない。


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