3
3
「つまりこういうことなのさ。ちょろいもんだぜ、全く! あいつら、徹底的にお人よしなんだ」
パブ『山猫荘』の奥のいつもの席で、黒ビールを飲みながら、ジェームズは勝ち誇ったように叫んだ。ただし、小声で。
「それで? サラをレイプでもするのかい?」
どドリューが半ば呆れながら問いかけると、ジェームズはフフンとせせら笑った。
「何言ってんだ! お前はアホかよ。そんな下らないことしか考え付かないのか? レイプ!? そんなことしたら、俺は直ぐに捕まる。あんなブスの子の為に、絞首台になんか上りたくないぜ。それに……あいつを犯すことすら、おぞましいよ! もっともっと引っ掻き回してやるのさ。あの小娘の心をズタズタにし、家庭を目茶目茶にし、そしてあの糞ジジイを卒倒させてやる! あの子をとことん堕落させてやるんだ! それが狙いだよ」
「それで、あのサラって子が、身も心もボロボロになっていいって言うのかい?」
ボブが咎める様に、そして元気なくボソリと言った。
「そうだよ、平気さ。あんな娘のどこに同情する所があるって言うんだ」
「お前の持って生まれた“美”は、そんな風にしか利用できないって訳か」
このボブの一言はジェームズの体内を毒々しく駆け巡り、そして一番奥に眠っていた何かを、制しきれない怒りを持って呼び覚ました。
「何が言いたいんだよ、ボブ!?」
ジェームズは気色ばんで怒鳴りつけた。ボブはゆっくりとジェームズを見た。限りない同情を込めて。
「ちっくしょう!」とジェームズは拳でテーブルを叩いた。「俺のこの顔が何の役にもたたなかったことは知っているだろう!? それどころか、このように産んでくれた母さんを憎んでいるくらいさ! 署長からどんな扱いを受けたか、どんなに弄ばれたか知っているくせに!」
警察署長から受けた性的な虐待のことを、ジェームズもボブも面と向かって言ったことは無かったが、柄にも無く聡明なドリューには何となく分かっていた。ドリューは激昂しているジェームズを止めに入ったが、ジェームズは怒りに駆られてドリューの手を振りほどいた。
「俺は禿でもデブでも良かったんだ! 幸せになれるんならな! 近寄ってくる女ときたらろくでもない奴らばかりだし、他の男達からは羨望やら嫉妬やら妬みやらで喧嘩を吹っかけられる。良いことなんて一つもなかったよ!」
「お前の気持ちは分かる」とボブは静かに言った。「だけど、サラ・オーウェルに復讐しようってのは、何だか……」
急にボブは激しく咳き込み始め、息苦しそうにゼイゼイ言った。木枯らしのようなヒューヒューという音がボブの肺からもれ、倒れ掛かった。ジェームズはやっと自制心を取り戻し、自分の心を鎮めた。
ボブは自分の病気については未だに何も言わない。けれどもボブの、まだ若いのに老け込んだ顔、落ち窪んだ力の失せた黒い瞳、こけた頬……。彼が少しずつ悪くなっているのは、一目瞭然だった。
ジェームズはボブの背中をさすった。全てを失ってもいいが、この親友のボブを失うことは耐えられない。けれども地元の医者はイングランド人唯一人で、貧乏なウェールズ人を診てくれるとはとても思えなかった。例え診て貰ったにしても、高い薬は買えないのだ。
ジェームズがお金が入用になったのも、一つはボブの為だった。
ウェールズ人は無学なまま放って置かれること……。これが自分達の宿命だった。名前と信仰と言葉を奪われ、更に無知なまま炭鉱などで搾取される。そして遥かに下等な人種だと罵られる。そういう事が一体いつまで続くのだろう。
自分達自身の国を持つことは、まあ無理にしても、せめて自治を獲得できたら! アイルランドですらまだ無理な自治権を!
多分そんなことは、夢のまた夢なのだ。
「もう飲むのはよせよ、ボブ。……俺、今晩はお前んちに送って行くよ。よく寝て、仕事も暫く休んだ方がいい」
「いや、大丈夫だ」とボブは咳にむせながらも、強気に答えた。
「お前は本当はいい奴なのに、なぜ他人には残酷になれるんだろう……」
「俺はいい奴なんかじゃない! 俺は善人でもないし、ただお前が心配なだけだ」
ジェームズは、背中をさする手をそっと離した。
警察署長に無慈悲に犯された16歳の時以来、ジェームズの心のなかの時刻は止まったままで、そして何かが欠落してしまったようだった。恐怖の余り、狂ったように泣いて懇願したのに、署長はあざ笑いながら事は終わり、犯されたジェームズはボロ屑のようになった。
もしもあの時ボブが居なかったら、ジェームズは今頃どうなっていただろうか。
ボブはジェームズにとっては、友人以上の者だった。兄弟であり、愚痴を言い合う相手であり、一緒に飲んだくれる相手であり、そしてジェームズに、いささか頭が弱いがお人よしのニッキーとか、大男で力持ちのドリューなどのダチを紹介してくれたのも彼である。
それまで、ジェームズは誰彼構わず、喧嘩を吹っかけられてはそれに応じて傷だらけになっていたが、なぜならば自分の味方と言うものが一人も居なかったからだった。けれどもボブと友達になってからは、少なくとも3人の味方が出来、ドーセットのたった一つしかない通りを、大きな顔で闊歩することが出来るようになったのだ。
人生に絶望してやけっぱちになっていたジェームズに、生きる楽しみと、笑いと、仲間達を与えてくれたのがボブだった。だからこそ、もしボブを失えば、ジェームズは再び生きる力を失うことになるのだ。
ジェームズはボブを抱きかかえるように冷たい外に連れ出すと、町外れの靴屋まで送って行った。木枯らしはボブとジェームズの髪を乱し、そしてジェームズの心の中まで吹き抜けて行く……。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。