ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
サラの過ち〜嵐の予感〜 1
サラの過ち〜嵐の予感〜



 ジェームズはさっきから金を盗むことを考えていたので、絡みつくセシルの手を払いのけた。
「何よっ! 今日は冷たいじゃないのさ!」
 セシルは素っ裸にストッキングだけを付けたまま、シーツの下にもぐったままの全裸のジェームズから渋々離れた。
『フロレンス娼館』の日曜日はいつもこんなもので、娼婦には日曜も祭日も無いのだ。
 けれども、ジェームズに指名されたい、例え只だと言われても、と願っている娼婦は残念ながらセシルだけではないのだから、彼に邪険に扱われても文句は言えない。むしろ、今朝自分に指名してくれたジェームズに感謝しなければならないほどだ。
 いつもは下卑た大酒飲みや、荒くれた男達、しょぼたれた爺さんなど様々な客が来るが、ジェームズはその中では、飛び切りの上客だった。

 愛が無くとも、彼に抱かれるだけで女達はひと時幸せになる。ジェームズの愛撫を受け、そしてジェームズを愛撫するとき、それは商売ではない無上の悦びを感じるのだ。そしてジェームズのものが入って来たときには、身体が震えてしまう。
 今朝もまたセシルは、ジェームズが要求する以上のサービスを提供してやった。ジェームズのものを嘗め尽くし、彼が悦楽に呻くのを聞き、そして自分も萌えた。彼がはいって来ると、一時的にでも彼を自分の者にしたという悦びが溢れて行くのだ。セシルは彼の身体をしっかりと抱き締め、決して離したくないと思った。けれども果てると直ぐに彼はそっぽを向き、裸のまま腕組みして顎を載せ、長い間考え込んでいるのだ。

「ねぇ、ジェームズ、もう一度やらない?」
「もう一度? もういいよ、お前とは」
とジェームズは薄情な言い方をするが、セシルは仕方ないと思った。自分は所詮ただの娼婦、それも誰かが身請けするとは思えないブスなのだ。そして年季奉公はまだ二年も残っている……。

 女主人のフロレンスは、最初店の女の子達が口々にジェームズのことを噂しあっているのを聞いて、ただバカバカしいとしか思わなかった。
「信じられないほど、綺麗なんだって」
「天使のような可愛い顔をしているんだってよ」
「あの瞳……まるで宝石のようだって。サファイアかアメジストみたいな色だと言うわ!」

 娼婦達が喋っていることを聞いてはいたが、長年の経験でそういう噂のある男に限って、実物を拝見したら「な〜んだよ、これ」という人物が多いのだ。
「ねぇねぇ。ロンドンにだってあんなに綺麗な子は居ないと思うわよ」
と一人、どこかでジェームズ・C・エドワーズを街で見かけたと言う娼婦が囁いた。
「大体イングリッシュマンって、威張りかえっているけれど、不細工なのが多いのよさぁ。あのギルフォードの次男だって、えばってはいるけれど、醜男だしつまらない男のくせにさ」

 こう言った口さがないお喋りも、フロレンスは黙殺した。
 ある日靴屋の見習いの冴えない若者、ボブ・ハーシーが実際にジェームズを連れて来た時には、自分の憶測が完全に間違っていたことに気付いた。
 ジェームズはまだ17か8ぐらいで、心なしかオドオドとしていた。ウェールズ人特有の少し丸みがかった卵型の顔立ちで、店の女の子達が騒いでいた通りの、いやそれ以上の容姿なので、この仕事を何年も取り仕切っているフロレンスでさえ、驚きを隠すのに苦労したほどだ。
 フロレンスはこの仕事をもう25年もしているが、やはりジェームズのような少年を見たのは初めてだった。

「ほら、約束通り連れて来てやったぜ」
と、キャーキャー騒ぐ娼婦達に向かって、ボブは得意げに言っていた。
「俺のダチのジェームズ・エドワーズだ。見かけほどヤワじゃないんだぜ。だがしかし、女はまだ初体験なんで、優しく教えてくれる奴がいいな。だろ、ジェームズ?」
 問われたジェームズの白い肌がポッと赤くなった。この頃、今とは違ってジェームズは本当に初心な少年といった風情だった。
 今も相変わらず、美しいとありきたりな形容詞を言うしかない容姿は健在だったが、昔の純真なところは全く見られなくなった。大胆で横柄でずる賢くふてぶてしい。けれどもニッコリと微笑まれると、大抵のことは許してしまうのだ。

「教会の鐘が鳴っている」
「だから?」と物憂げにジェームズは答えた。
「礼拝が終わったらしいよ」
「あいつらがすまし顔で祈っている間、こちらは別口で天上にまで登り詰めたってわけさ」
 ジェームズの言い方に、セシルは笑い出した。
「でも、今朝は心ここにあらずって感じだったくせに」
「いつだって、心ここにあらずだよ、俺は」
「随分な言い方ね!」
 セシルの抗議もそ知らぬふりで、ジェームズは上向きになり、天井を仰いだ。彼の左の乳首の上から肩に掛けて、残酷な火傷の痕があるのを、セシルはもう何度も見てきた。そしてそれが何を意味しているのかもうすうす知っていた。いや、知っているつもりだった。

 セシルにとって、ジェームズはほとんど謎以外の何物でもなかった。ジェームズは決して本心は見せない。時々、彼が天使なのかサタンなのか分からなくなる時もある。本来は善良な人間なのか、心底のワルなのか全く掴めないのだ。
 いや、彼は両方共に持っているのかもしれなかった。いつか司祭様が言うには、サタンは堕落した天使の親玉である、というようなことを言っていたから、結局根っこは一緒なのだ。
 とにかくセシルにとっては、そんな小難しいことはどうでも良かった。ジェームズと寝ただけで、他の女の子達から羨ましがられているだけは確かだったからだ。



+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。