涼と女の子たち
俺と白峰の机を中心に、教室の前方の一角に作られた話の輪。
他愛のないお喋りは途切れることがなかった。
代わる代わる口が開き、話は広がっていって収集がつかなくなって。
そんなときに彼女はひょっこり現れた。
彼女、白峰恭弥は、ただいま、と教室に入ってくる。
「おかえりぃ。」
武藤ちせが、間延びした声を掛ける。
「きょうちゃん、おはよ。」
椎宮葵が席を譲った。
彼女は今日、遅刻したのだった。
「おじゃましまーす。」
そうして、白峰が席についたとき、誰かがついて来たことに気づいた。
「ももちゃん、おはよ。」吉川由利恵が手を上げた。
彼女もそれに返す。
「はよー。あ、うわさの涼くん?」
白峰に負けず劣らず、凝った髪型をしている。
カラコンを入れた緑の目が、俺の顔を覗き込んだ。
「ん。名前なに?」
「百花だよ。ももでいいよ。」
彼女はそう言って、屈託なく笑った。
くるくると表情の変わる子だ。
どうして彼女を?
俺の頼みに何か関係があるのだろうか。
困った視線を向けると、白峰は応えるように付け足した。
「ももが教えてくれるの。ヘアアレンジ得意だから。」
「助っ人だよー。まかせなさい。」
彼女はくしゃっとした笑顔を見せた。
「服ビ?」
「そ。」なるほど、彼女は頼りになりそうだ。
それというのも、彼女自身が、かなりセンスのある身なりをしていたからだ。
その彼女だが、何か大きめの袋を持っていた。
「それ何?」
ももは思い出したようにその袋へ視線を移した。
「マチコちゃん。」
武藤が代わりに答えた。
先ほどの謎の女性だ。
袋から女性?
それもおかしいが、周りはうんうんと頷いている。
ももが袋を俺の机に置くと、結構重そうな音がした。
包みが開かれる。
「マチコちゃん?」
大きなブルーの瞳。
高い鼻。
表情のない口元。
そしてさらさらの長い髪が、袋のたわみの中で渦巻いて。
…マネキンだ。
首から上の。持ち物に名前をつけるって、彼女けっこうイタい子なのか。
視線の意図を汲み取ったのか、彼女は慌てたように付け足す。
「服デで流行ってるんだよ、マネキンに名前つけるの。愛着わくでしょ?」
笑って、彼女はマチコ…マネキンの髪を袋から掬いだして、机へ下ろした。
それは長いもので、机からはみ出て、足の半分に届きそうだ。
「わあ、間近で見るのは初めて。ね、紗里。」
吉川が顔を近づけて、それを見る。
「生えてんのね、これ。」
笠原もまじまじと見つめていた。
白峰が俺に視線を向ける。
「これなら練習できるでしょ。百花ありがとね。」それから彼女はにこっ、とももに笑いかけた。
ああ、ひいなの代わりなのか。
その考えに至ったとき、かすかな違和感を覚えた。
だが白峰の言葉にすぐ我に帰る。
「ありがと、白峰。百花も、わざわざ。」
視線と言葉を合わせるように、忙しく動いて声を掛ける。
白峰はいいえ、と照れたように目を伏せた。
ももはそれにも笑みだけで返す。
「一番長いのだよ。子供だから髪は細目。」
マネキンの髪を梳きながら言う百花。
それを見ていて、はた、と先ほどの違和感の正体に気づいた。
色だ。
マネキンは濃い栗色の髪。
標準の日本人の髪色だ。
彼女たちには、俺の親戚と言ってある。
当然そうなるだろう。「じゃ、やろっか。涼くん席立って。」
「はいよ。」
言われるがままに立ち上がり、彼女の側へ寄る。
マネキンの頭を見下ろす位置についた。
「短くしてあげたいんだったよね。」
すぐ横から腕が伸ばされ、栗色の髪の束を掬う。
「切るのはだめだから。」
「分かってるって。前髪はどのくらい?」
「えっと、」
眉と目の境に手をあてる。
「じゃあ前髪は上げちゃおっか。」
ももは机の反対側、窓の方に回ると、武藤たちはイスを少しずらした。
その間に入り、マネキンと向かい合わせに前髪を器用にまとめた。
どこからか取り出した枝ピンで後ろに持っていって留める。
「こんな感じ。できる?」「たぶんね。」
見たところ簡単そうだ。
単純だし。
ふうん、とももはマネキンからピンを外して、涼に渡した。
「ピンの使い方、わかる?」
笠原が俺の手を取ろうとする。
それを制して言う。
「大丈夫。受験とき使ってたから。」
勉強のために、長い髪はジャマになって集中できない。
かといって、せっかく整えた前髪を短くする気はなかった。
その折に同級生からピンを借りて、よく使っていたのだった。
「いるよねえ、男の子でピン使ってる人。」
「今思うとダサいわ。」
そう苦笑すると、みんな声をあげて笑った。
さて、マチコちゃんの後頭部に向かう。
大丈夫大丈夫、あんな簡単そうだし。
ただ、それは思い過ごしだったのだとすぐに気づいた。
「涼、へたくそ。」
「まだできない~?」
「できるのかな。」
みんなの嘲笑が痛い。
あっという間に行われたその作業は、実はかなりの手先を使うのだった。
特に最後、ふわっと留める加減が難しい。
「次、次はできるっ。」
何度目かの¨次¨のあと、ようやく見られる形にすることが出来たのだった。
それでもベテランにはかなわないのだが。
「涼は意外と不器用ね。こりゃ時間かかるかも。」
ももは第二段階、といくつかの道具を取り出した。
ブラシ、くし、ゴムなど簡易なものだ。
「ほんとはまとめ水が欲しいんだけどね。」
今日は持ってきてないなあ、と一息ついた。
「どんながいいかな?」
ここで彼女は白峰に意見を求めた。
「三つ編みで上げたら?」
白峰は人差し指で上へ半円を描くような仕草をする。
んー、と軽くうなって、ももは彼女へ頷いた。
「まずは髪を二つに分けます。」
髪に軽くくしをかけて、先端を使いながらきれいに二等分していく。
「んでそれをさらに…三つ?」
「多いんじゃない?」
携帯の画面から目を外して紗里が言う。
「じゃ、二つにして。」
実際にやってみせながら彼女は説明を続けた。
「途中まで三つ編みして。三つ編みできる?」
「やったことねーし。」
それは難題だった。
両手の指が巧みに髪を編み上げでその形をなしていく。
特に彼女のは早技で、ものの数秒で細かな三つ編みが一本出来上がった。
「全部途中まで編んだら、二束に分けて、」
三つ編みを束にして、首の後ろでクロスさせた。
分けた方の反対側のこめかみを通り、頭頂部で合流させる。
左右対照的な形の、髪のカチューシャだ。
「で、これをまとめて、余った三つ編みはほどいて、」
ごちゃごちゃと手首に付けた、たくさんの飾りの中から、ひとつをセレクトする。
大きなスパンコールの黒いリボンがついたゴム。
それでひとまとめにした。
「ポニーテール。」
「の、変形版だね。普通に上げるより、長さ使うからほら、」確かに、床に着かんばかりだった栗色の髪は、今や毛先が机のへりに触れるほどの長さになっている。
「すげー。」
思わず感嘆がもれる。
「おお。」
「かわいいかわいい。」
「さすがももちゃん。」
めいめいにお喋りしていた吉川らも、マネキンを見て感想を述べる。
「まーね。」
ももは上機嫌だ。
「んじゃ、早速涼くん。やってください。」
「おーし。やったる。」
その後、残りの時間まるまるが、もものレッスンにあてられた。
にもかかわらず、なかなか難しい行程が多く、結局三つ編みにするところまで来て、終礼になった。
「今日はここまで~。」
「もう無理。」
ぐったりと机に伏した。
「三つ編みうまくなるの、宿題だね。」
冷酷な一言が白峰から発せられる。
「ねえ、今日空いてる?」
椎宮が笠原に問う。
「バイト。」
笠原はクールに一蹴した。
「ゆり~。」
「やだ。」
吉川は目線がちらっと動いただけだ。
「つめたーい。」
「あんたいっつもマックだから、毎回付き合ってると太んのよ。」
さらに追い討ちだ。
「じゃあ今日は別のとこ…。」
「あんたんち?」
「だめ。お姉、彼氏くるから。」
思案にくれる彼女。
と、俺と彼女の目があった。
ぱあ、と輝く表情。
まずい気がする。
「涼んちに行きたい!」
「はあ?」
これに武藤が同意した。
「いいな。ひいなちゃん、見たい。」
「ももも行くー。」
「涼んち行くなら、バイト休みたいわ。」
ああ、そっか。
直接来てくれたら、ひいなの相手にもなって、髪の毛もどうにかできて。
それは案外いいかもしれない。
傾きかけた選択に、割と近い記憶が待ったをかけた。
「あ、今日だめだ。用事ある。」
そう、郁也たちの先約があった。
さすがにそんな大勢、急には受け入れられない。
「え、うそお。」
ため息をつく椎宮。
「ひいなちゃん…。」
白峰も残念そうにつぶやいた。
せっかくの提案なのに、本当に申し訳ない。
「ごめんな。今度、ひいな写メってくるよ。」
両手を顔の前でぱん、と合わせる。
「ん。」
吉川があっさり返す。
「わーい。楽しみにしてる。」
武藤がくしゃっと笑う。
「してて。」
「また…休み明け?三日後だよねー。」
短いなあ、と椎宮が文句をつぶやく。
「じゃあね。今度押し掛けるから。」
「はいはい。」
笠原の言葉に苦笑いする。
「マチコちゃん?さんきゅ。」
「いいえー。練習がんばってね。」
ももがぽんぽんと腕を軽く叩く。
もう帰らなきゃ。
まだお喋りが続きそうな集団に、ひらひらと手を振る。
帰る団体の流れに乗って、だいぶ人のまばらになった教室を後にした。