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2日目ー涼と人魚姫

朝の光が、昨日カーテンを閉め忘れていた窓から、冷めたような熱を伝える。

左腕が重い。

見ると、金の海が広がっていた。

だるい体を起こした先は、いつもと違う風景。

ああ、そっか。

昨日が、一瞬のうちに再生された。

左側を振り向く。

彼女は反対側を向いていて、表情は窺えないが、肩がゆっくりと上下している。

起こさないよう、ゆっくりと腕を抜いた。

身じろぎ一つなく、彼女はただ穏やかに眠り続ける。



賑やかな食事の後、みんなで、食べ終えた食器を片付けた。

「あー、らくちんらくちん。」

恵さんが食洗機にすべての皿を適当に入れる。

「残ったなあ。」料理にラップをかけながら祐司くんはつぶやく。

料理の量はなかったが、種類が非常に豊富だった。

なので、4人がかりでも全てを平らげることはできなかった。

「明日の朝ご飯と、お弁当にすればいいよ。」

食洗機のスイッチを入れて、恵さんは言った。

「あ、俺、明日学校だ。」

恵さんの言葉に思い出す。

「じゃあ涼くんのも詰めとくね。お弁当箱ある?」

「明日は午前中で帰りだから、いいすよ。ありがとうございます。」

恵さんのさりげない気遣いがありがたい。

その好意だけ素直に受け取っておく。

「ひいな置いてかなきゃなあ。」

いま彼女はソファーで要とぐっすり眠っている。

あとで部屋まで連れて行かなくては。

「起きれるの?」要を抱きかかえながら、彼女はたずねた。

「大丈夫、こんなん夜更かしには入らないから。」

とはいえもうてっぺんを回っている。

少々盛り上がり過ぎたようだ。

「俺無理だあ。」

立ったままテーブルに突っ伏して嘆く祐司くん。

「何言ってんの。ちゃんと起きてよ。」

その頭を恵さんが容赦なく叩く。

かなりいい音がした。

「じゃあ、帰るからね。また明日。お風呂ごちそうさま。」

彼女は、にかっと笑って手を振った。

「こっちこそ、ご飯おいしかったです。祐司くんもまたね。」彼はぐったりとして動く気配がない。

「なあ、もう動きたくないからここで寝る…、」

「だめ!」皆まで言わせず、彼女はぴしゃりとはねのける。

その後もだらだらと未練がましく言葉を続けるのを、恵さんが叱って、二人は連れ立って帰って行った。

さて、ひいなだが。

見送り、リビングへ戻る。

相変わらず穏やかな寝息。

「ひいな。」

肩をやさしく揺する。

意外にもすぐに目が開いた。

だが、眠たそうに目をこすって、寝返りをうち、そっぽを向いてしまう。

「起きろって、ひいな。」

「うー…。」

呼びかけてもいまいちな返事しかしない。

「風呂入って寝ろ。風邪ひくぞ。」身じろぎはするも、起きる気配がない。

ため息をついて少女を抱きかかえる。

「おもっ。」子どもでも、力ない人を抱きかかえるのはかなりの負担だ。

子どもってこんなに重いのか。

実習なんかでしなきゃいけないんだろうなあ。

何とかベッドまで運ぶ。

腕がしんどい。

もそもそと動く気配を残して、寝るために部屋に戻る。

他には目もくれず、シーツに倒れ込む。

ああ。

疲れた。

ふとんを引き寄せるのも煩わしい。

かたん、と小さな物音。

扉の方を見ると、ひいながいた。

「どした?」

もう寝るほうへスイッチが切り替わっていたため、声はだるい。

「ここでねるの。」手には枕。

さも当然、という風に彼女は微笑む。

さっきまでごっとり寝ていたのに、これはどうしたことだろう。「自分の部屋あるだろ?」

そう聞くと、彼女はいやいやをするように首を振った。

「ここがいいの。」

「だめだって。」

「いや。」

彼女は意外と頑固で、言い合いは長引きそうだった。

「好きにすれば。」

もう一刻も早く目を閉じたくて、ひいなの希望を受け入れた。

近くでぬくもりが動く。

彼女は毛布を俺の体にかけて、その中に自分も潜り込む。

毛布があったかくて、今までは体がかなり冷えていたことに気づいた。

「おやすみ。」小さな手が額を覆う。

あつい。

幼児体温、だったっけ。

ぼんやりと、授業中に聞いたような言葉を反芻した。



と、そこで寝たのだろう。

あまり覚えていないが。食卓に冷蔵庫内のものを適当に取り出して並べる。

音が部屋まで響いたのか、ひいなが起き出してきた。

「ごめんな、起こしたか?おなかすいた?」

首は横に振られる。

昨日食べ過ぎてもたれているのかもしれない。

「じゃあ先に顔洗って、あ、風呂入ってきな。」

お湯は沸かしてある。

少し動いた方がお腹も減るだろう。

「ひとりで入れるか?」

「うん。」

簡単に風呂の勝手を教え、俺は部屋に戻る。



寝間着のジャージから、さて、今日は何を着ようか。うちの学校は決まった制服がない。

だからだいたいの人は私服だ。

髪型や化粧は自由。

バイトも許可されている。

だがピアスはだめだという。

ほとんど守ってる人なんていないけど。

かくいう俺もその一人だ。シルバーっぽいリングを今日は二個。

高いもんなんて買えるか。

高校生は安物で十分だ。



だいたいの準備が終わったころ、ひいなが風呂から出てきた。

だが脱衣所で俺を呼んでいる。

「どした。」

「りょう。」そこには長い髪から水を滴らせるひいながいた。

「あちゃー、水浸しだ。髪拭けないんだな。長いもんなあ。」

「かみ、ふけない。」「さむいだろけど、ちょっと待ってな。」

大きめのバスタオルを、引き出しの奥に入れていた、箱の中から取り出す。

「じっとして。」

そう言うと、彼女はきちん、と直立不動になった。

わしゃわしゃ男みたいに拭いたら、絡まってしまうかもしれない。長い髪をバスタオルではさみ、毛先からくるくると巻いていく。

「なんか留めるもの。」

ちょうど手の届く所にあった大きな洗濯ばさみを、二三個使ってその状態で留める。

「ほら、ひいな。動いていいよ。」

「うう。」

大きなタオルの塊から手を離すと、ひいなはふらふらとよろけた。

「重い?」

「おもい…。」

「服着てな。」あらかじめ彼女が用意していた服は、前開きだったから、自分でも着れるだろう。

タオルで吸水している間に、ドライヤーの準備をする。

と、ドアホンがなった。

「はいはーい。」

玄関のカギはかかっている。

プラグを放り出して、慌てて訪問客を迎えに行く。



「おはよ。」玄関ポーチには、朝から上機嫌の恵さんがいた。

要も手で挨拶をする。

「あ、おはよーございます。要もはよ。」

「朝ご飯食べに来ましたー。おじゃまします。」おじゃまします、と彼女はドアを閉める。

「どーぞ。」

いつもひとりだから、誰か部屋にいるのは少し嬉しい。

「けい?」後ろから声がした。

「ひいなちゃん、おはよう。」

「ひ、」

どきっとした。

タオルがとれて、髪が下りている。

「ひいな、髪。服濡れる!」

駆け寄る俺にひいなは言う。

「へいき。ほら。」

くるりと振り向いた彼女は、タオルを肩にかけている。

「あら、ひいなちゃん髪長いね。」恵さんはのんびりと言った。

ひいながはにかむ。

「塗れてっと風邪ひくって。ほら、ドライヤー。」俺はせわしなく、ひいなの頭を押した。

時計が目に入る。

「てか時間ねー。」

ひいなの髪は乾かさなきゃいけない。

飯食っていろいろしてたら、遅刻してしまう。「ひいなちゃんあたしがするから、涼くんご飯食べなさい。」

恵さんは、要を抱えたまま、ミュールのかかとに人差し指をいれる。

「風呂場はあっちね。」

器用に脱ぐと、先にひいなに歩かせた。



リビングから椅子を抱えて、脱衣場に移動させる。

ひいなの髪は床に座ると、べたりと地についてしまう。

かといって、ずっと立ったままではかわいそうだから。

「ありがと。ひいなちゃん座ってねー。」背もたれは少女の座高より高い。

恵さんが椅子を90度回転させ、ひいなは横向きに腰掛けた。

二人を見て、リビングの椅子に戻る。

ドライヤーの作動音をBGMに、残り物に箸をつけた。あとワックスして、財布とキーケースと、忘れないようにしないと。

大きな皿の残り物は全然減らない。

適当な量をついばんで、朝ご飯を終了した。

流しで皿を洗い、再び脱衣場に向かうまで、風の音が途切れることはなかった。

「あー、つかれた。」

一旦スイッチが切られ、恵さんは軽く肩を回す。

「あーうぇ。」よくわからない声を恵さんにかける要。

いたわりの言葉だろうか。彼女はふうとため息をつく。「すいません、代わりますよ。」

まだ作業は終わっていないようである。

「いーのよ、あとちょっとだから。」ドライヤーに手を伸ばしたがそれは却下された。

「ひいな、もう、つかれた。」

ひいなは、長いこと同じ姿勢でいたためか、かなり不機嫌だ。

足をばたつかせて、不満を訴えている。

「骨が折れるわ。まるで人魚姫の髪ね。」

「にんぎょひめ?」

耳聡くひいなは聞きつける。

確かに、この長さと量はその形容が正しいと思う。

「綺麗な髪と声を持った女の子のことよ。」ひいなはきれいな、という単語に反応した。

「ひいな、にんぎょひめ、なれる?」

「なれるなれる。かわいいよ。」うふふ、とひいなは笑った。

すっかりご機嫌だ。恵さんは子供を扱うのが非常に上手い。

「よっし、やりますか。」

ラストスパートの彼女の横で、俺は歯磨きを始めた。

うがいを終えて口を拭いたのと、ドライヤーが終わったのがほぼ同時だった。

「おつかれです。」

「しんどかった。」

恵さんは手首をぶんぶん振っている。

腱鞘炎になったとしても無理はない。

「頭かるーい。」

ふわふわー、とひいなは自身の髪をなでる。

「けい、ありがとう。」「いーよ。ご飯食べよ。」

ひいなは、恵さんをすっかり呼び捨てだが、彼女は気にしていないようだ。

痛む利き手とは逆の手で、要を抱きかかえる。

ひいなは呼ばれ、椅子を降りた。ふと、ひいなが動いた際、彼女が髪を持て余し気味なことに気づいた。

「ひいな、髪切ったら?」

「いや。」

何気なく出た問いかけに、思わぬ強い返事がきた。

キッとこちらを見据え、髪を守るように手を後ろに当てる。

初めて見る表情だ。

彼女の態度に、軽くショックを受ける。

彼女は恵さんに続いて、とてとてと脱衣場を出て、歩いていった。

相当なこだわりがあるのか。なら、と、俺はある考えを持って、また椅子を抱えた。



「できないなあ。」

「えっ。」

恵さんは要にご飯を与えながら言った。

髪切るのがだめなら、せめて髪を結って身軽にしてやりたい。だが、俺は手先はあまり器用じゃない。

ひょっとしたら、人魚姫の髪を結う際に、何かやらかしてしまうかもしれない。

こういうのは総じて、女の方が専門だ。

そして、頼れる女といえば、彼女が第一候補だったのだが。

「ほらあ、あたしってベリーショートじゃん。ごわついてるから、今まで伸ばしたことないの。」彼女の返答はかなり残念だった。

考え込む俺に、彼女はさらに言葉を続けた。

「女の子ならいっぱいいるじゃない。」彼女はそう言って、俺を指差した。

あ。

「学校は女の子だらけでしょ?聞いてきたらいいじゃん。」お姉さんより若い子のが詳しいわよ、と彼女は付け加える。

ちょうど今日は学校。

なるほど、いい案だ。

「そうする、ありがと!いってきます。」

「はい、いってらっしゃい。」

小さい荷物を背負ってキーケースを握る。

ワックスはもう今日はいいや。

適当に髪を手で逆撫でして立たせる。

「ひいなも、いってくるな。」からあげをほおばる、ふわふわの柔らかな髪をなでてやる。

「いっえらっふぁい。」少女はにっこり微笑んだ。

小さく手も振っている。

それは、あったかい言葉だった。

そういえば、家の中から言われるなんて。

珍しい日が来るものだ。

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