蜜柑
今からちょっと不思議な話でもしてやろう。
あれはオレが大学二回生の冬休みの話だ。
つまり20年くらい昔の話になるんだけど、まあ、軽く流して欲しい。
オレはその年の年末に大学の友人・・・残念ながらヤローばっかり四人で、とある豪雪地帯の古びた旅館に宿泊をした。
そこは、冬になればそこそこ有名なスキー場に隣接した場所に位置し、それ以外の季節は営業停止しているようなひなびた旅館だった。
その時は、彼女もいない冴えない男ばっかりのスキー旅行だったので、寝る場所だけ確保できれば金額的に安いに越したことはなく、その旅館が古かろうが汚かろうが、誰も文句を言うヤツはいなかった。
昼間はスキー三昧、夜は旅館で不味い夕食を済ませ、小さな浴場で体を温め疲れを取る。
その後は男ばっかり4人集まって八畳くらいの狭い和室に引き篭もる訳だが、田舎だけに、何にもする事がなくなってしまうのだ。
周りは豪雪地帯でコンビニなんか存在しないし、夜遊に出掛ける場所も当然ない。
テレビはあったけど100円入れなくちゃ電源が入らないコイン式で、しかも田舎過ぎてチャンネルも少ないし、暇を持て余していたにも拘わらず、その夜は誰もテレビを見ようとは言わなかった。
時刻は夜9時を回っていた。
誰かが「ゲームでもしようぜ」と言い出した。
ケータイもない時代だったから、本格的に暇になったオレ達はすぐに飛びついた。
「俺達4人いるだろ?部屋の電気を消して暗闇の中で、4人バラバラに4隅に待機する。最初のヤツが蜜柑を持って次の角に向かって出発して、その角で待機してるヤツに蜜柑を渡すんだ。もちろん、相手が分からないように声を出すのは禁止。最後に電気をつけてから自分が蜜柑を渡した相手を当て合う。いいな?」
なるほど。
それはちょっとした肝試しだ。
オレ達はすぐに乗った。
部屋の電気を消すと、他に光源が全くない八畳の部屋は暗闇になった。
これが街なら、少なからず外からの明かりは入るのだが、防寒の為に雨戸で外気を完全にシャットダウンしていた部屋は相手の姿も見えないくらいの闇である。
オレ達は手探りで壁を伝いながら、四方の角に各々陣取った。
もちろん、その暗闇の中では誰がどの角に行ったのか全く分からない。
つまり、自分が誰から蜜柑をもらい、誰に渡すのか分からないのだ。
「皆、配置についたか?」
「ああ」
「いつでも来いよ」
「おーし!行くぞ」
四方の角から一斉に声がして、誰かがどこかの角から出発した。
暗闇で前が見えないもんだから、壁伝いに手を擦りながら歩いているらしい。
畳をすり足で移動する音と壁を擦る音がした後、ドン!という鈍い音がした。
最初のヤツが次の角のヤツにぶつかったようだ。
その後、次のヤツが同じようにすり足で歩く音がして、再び、ドン!と次の人間にぶつかった音がした。
そして、その後、そいつがまたすり足で歩いてくる音がする。
オレはわくわくしてきた。
大学生がいい年して何やってんだか、と今なら思うんだけど、真っ暗闇で誰がやって来るのか分からないこの恐怖と妙な興奮。
オレはドキドキしながら、次のヤツが来るのを待った。
オレの計算が正しければ、恐らく最後の角にいるのはオレだろう。
今まで2回蜜柑が回ったという事は、次の三回目はオレの番になる筈だ。
予想通り、畳と壁をする音がこっちに向かってだんだん近づいてくる。
ズリッ、ズリッ!とだんだん大きくなって来る音が不気味だった。
そして、さっきと同じくらいの間隔で誰かがオレにドン!とぶつかった。
相手が誰かも分からない暗闇の中で、人がぶつかってくる感触というのは言いようのない恐怖だった。
それがさっきまで一緒にいた4人の内の誰かだと分かっていても、だ。
そいつは、オレの体を確かめるように手で触りまくってから、オレの右手を探り当てて冷たくて柔らかいものを握らせた。
その感触から、それがバトンである蜜柑だという事はすぐに分かった。
確かに蜜柑を受け取ったオレは、壁を手で擦りながら、そいつが来たのと反対方向の角に向かって進み出す。
たった八畳の狭い部屋な筈なのに、目が見えない状態で壁伝いに歩くのがこんなに長く感じるとは。
目が見えない人って本当に大変だ。
やがて、オレはドン!と誰かにぶつかった。
ようやく角まで到着したらしい。
オレは今ぶつかったそいつの手を暗闇で探り当て、蜜柑を握らせた。
そいつはしっかと蜜柑を受け取り、次の角に向かって歩き始めた。
オレはそのままその角で待機。
一周回って蜜柑が戻ってくるのを待つ。
その後、少なくとも3回は蜜柑はオレの元に戻ってきた。
つまり、全員、三周は回った事になるだろう。
暗闇の中、壁伝いに部屋の角まで歩く。
ただこれだけの事なのに、こんなに緊張と恐怖を味わえるとは思ってもみなかった。
何が怖いって、自分がぶつかる相手が誰なのか分からないのだ。
怖いと言うより、寧ろ、皆、奇妙な興奮で盛り上がった。
「そろそろ止めようぜ」
誰かがそう言って、また壁伝いに部屋のスイッチを探す音がした。
残りのオレ達は、明かりがついてから誰かどこの角にいたのか分からないように、慌てて部屋の中央に集合した。
「いいか?明かりつけるぞ?」
「おお!」
次の瞬間、部屋がパっと明るくなった。
さっきまで暗闇の中にいて、ようやく目が慣れてきた頃だったから、全員、眩しさで手で目を抑えた。
やがて、目が慣れてきて、オレ達は皆の顔を確認し合った。
「なんか、くらだねえと思ったけど、結構、怖かったな」
「ああ、面白かった!」
「ちょっとした肝試しだったな」
「で、誰がどこにいたんだよ?」
種明かしとばかりに、オレ達は皆、最初の配置についた。
スタートを切ったヤツ(仮にAとする)は蜜柑を持って次の角にいたBに渡した。
Bは次の角のCに渡し、Cは最後にいたオレに渡す。
そして、オレは・・・?
その時、オレ達は重大な事に気がついた。
オレ達は全員で4人しかいないのだ。
Cから蜜柑を受け取ったオレは、最初にAがいた角に向かっていたのだ。
そこには当然、誰も居ない筈だった。
なのに、オレはそこにいた誰かに接触し、蜜柑を手渡した。
更にAは、その誰かから蜜柑を受け取っていたのだ。
そして、それは三周も繰り返された。
最初から4人しかいなければ、しんがりのオレが最初の角に到着した時点でこのゲームが成り立たない事に気がついた筈だ。
でも、ゲームはつつがなく三回も進行したのだ。
そこにはオレ達以外の誰かが確かにいた。
「なあ、そう言えば、あの蜜柑は?今、誰が持ってんだよ?」
青褪めた顔でAが言った。
オレ達は一同にお互いを見比べた。
蜜柑を手に持っている者は4人の中にはいなかった。
と言うより、その部屋のどこを探しても、あの蜜柑は見つからなかったのだ。
何故なら、スキー旅行に来た4人の男の中で蜜柑を持ってきた者など最初からいなかったのである。
fin.